第207話:『烈空』VS『夜叉鴉』②
―――燃やせ…!
炎――。
膨大な魔力を消費して、俺が使用したのは紅蓮の炎の魔法。
イメージするのは鉄だろうと糸だろうと飲み込み、燃やし尽くす密度の豪炎。
糸を燃やす――という事と、もう一つ―――この炎によって「明かり」を確保するという目的もある。
『鴉』の厄介な魔法は「暗闇」がトリガーとなっている。
故に、この空間を照らし続ける存在は必須。
無論、燃やす物がなくなれば、じきに炎は消えるだろう。
だが―――そんなに時間をかけるつもりはない。
魔力の最大出力、そして、最大の加速と身体能力強化。
これが、俺に出せる全力の速度。
――一瞬で決めてやる…!
燃え上がる炎の速度も、眼前に迫るナイフも、全てを置き去りにする。
「―――水燕流奥義――『秋雨』―――ッ!」
それは奥義。
少し前に覚えた、俺にとっては3つ目の水燕流奥義。
剣と一体になり、被弾面積をギリギリまで減らした一点集中の刺突技。
これを、神速流の速度に乗せる。
剣が最高速に達したとき――俺の速さはその場を支配していた。
―――はずだった。
「――そうか…お前も…か…」
俺に立ちはだかる『夜叉鴉』。
彼は、どこか儚げな表情で、そう呟いた。
「―――!?」
瞬間―――。
男の…漆黒の男の魔力が一段階上がる。
そして、動きが、加速した。
俺の剣は―――当たらない。
「――――まさか…!」
コイツも…まだ手の内を隠していたというのか。
この速度は、俺と同等――。いや、それよりも…。
「――ッ‼」
思考をやめた。
長くは使えない――というより、使いたくないこの最大出力の状態で、無駄な時間は使えない。
隙を見せるな、隙を与えるな。
剣に集中させろ。
暗闇を、魔法を使わせる暇を与えるな…。
攻めろ。押し続けろ―――‼
「―――オオォォォォォッ!」
前に出た。
その先に糸が張られているかもしれないという恐怖も、全てを押しとどめる。
「―――思い切りがいい奴はやりにくいなッ!」
キン!
男の声と剣の音が響く。
打ち合う。
剣から逃げさせやしない。
夜叉鴉は、俺の剣に対応する。
動き自体には余裕は見られるが、表情には余裕はなさそうだ。
無論、余裕がないのはこちらも同じ。
「―――ハァァァアアッ‼」
「―――ッ!」
俺の剣は、惜しいところまで行くもギリギリで漆黒の男をとらえきれない。
押している…。
押しているはずだが、崩せない。
――マズいな…。
長引くのは、マズい。
まだ今は問題ない。
だがいつまでこの最大出力を維持できるか、俺にもわからない。
何となく――心臓がキリキリと警鐘の音を鳴らしているような気もする。
「――セヤァアアアアッ!」
そんな焦りからか…俺の動きは前のめりになっていたのだろう。
「―――フッ!」
単調になっていた隙に、『夜叉鴉』の剣閃が飛んできた。
「―――ッ!」
当たりはしない。
俺の剣が向こうに当たらないように、向こうの剣も俺には当たらないのだ。
だが、これで、俺のペースは少し乱れ…一振り分、余裕を与えてしまった。
つまり、奴に《魔法を使う隙》を与えてしまったということだ。
「―――しまっ…」
「――抜かったな…」
展開されるのは『暗闇』。
奴の姿はこの闇の中、瞬く間に消えていく。
「―――――」
――静寂。
つい先ほどの剣の音が嘘かのように、この空間は静寂に包まれる。
―――落ち着け。
この期に及んで…逃げるとは思えない。
相手は最強の暗殺者。
間違いなく「狩り」に来る。
感覚を鋭敏に研ぎ澄ませ。
「……」
相手にしていて分かったことがある。
この暗闇に潜み、気配を消す魔法。
厄介極まりない魔法ではあるが…万能ではない。
まず、あくまでそれは、暗闇の中に消えているだけだということ。
足音や気配まで消えるのは確かに厄介だが…ユリシーズが使うような透明化――もとい「迷彩」とは違い…限定的な場所に限られる。
そして何より―――奴はその魔法で完全に姿を消しながら「攻撃」はできない。
思い返してみれば、妹の方も、『夜叉鴉』の方も、攻撃を加えるときは姿を見せていた。
暗闇の中に隠れたまま攻撃すれば、対応できないにも関わらず、だ。
おそらく――攻撃する瞬間、剣を振る瞬間に発せられる《殺意》だけは隠しきれないのだ。
無論、暗闇から姿が現れるのは、ほんのわずかな時間に過ぎない。
妹の方はともかく、この『夜叉鴉』のそれを、隙と呼んでいいかはわからない。
だが、来るということが分かっているのなら―――。
「―――――」
集中力は高まっている。
この一撃で、全てが決まる。
必要なのは、速さ。
後手でも、先手を越える――真の意味の「後の先」を体現した速さ。
静かに、黄金の剣を鞘に納める。
俺は、目を閉じた。
「………」
―――静寂。
そして、
「――――!」
わからない。
そこに何があるのか、本当に何かを感じたのか。
でも、俺の身体は動いていた。
本能が動けと呼びかけた。
―――居合術…『迅雷』―――ッ。
かつて何度も見た。
世界最速の男の、世界最速の技。
無論、俺のでは速さも美しさでも及ばないだろう。
だが、これが俺に出せる――最高速。
目を見開いたその先は、未だに何もないと思わせる暗闇。
ここに何があるのかなど、知ったことではない。
しかし、
「―――チッ! 見えているのかッ!?」
舌打ちと共に、現れるのは黒衣の男。
驚いた表情で、『夜叉鴉』は剣を構える。
「―――間に合わないだろッ!」
既に俺が先手。
放たれた居合―――雷の速さを越えたという剣閃は、暗闇の空間を駆け抜けていく。
「――――ッ!!」
ザシュッ―――。
舞う鮮血と、鈍い音が響く。
「―――やるな…」
「――アンタもな…」
切り裂いたのは、間違いなく『夜叉鴉』の下腹部。
だが…寸断までは行かなかった。
一歩―――。
ほんの一歩奴が後退するのが遅ければ、間違いなく決まっていた。
だが、その一歩の後退が可能だからこそ、『八傑』というのは化け物なのだ。
「……」
下腹部を抑えながら―――少し空いた距離、『夜叉鴉』はこちらを油断なく見据えている。
むしろ、暗闇に隠れられているときよりもこの状態の方が厄介に思えるのが恐ろしい事だ。
相手は手負い。
一見すれば俺が有利な状態にも思えるだろうが、一概にそうとも言えない。
なにせ俺は、先ほどからずっと身体能力強化も加速も最大稼働させている。
キリキリと―――心臓が金切り音を上げ始めているのが分かる。
これ以上戦闘が長引くのは不味い。
正面に見据える漆黒の男は、下腹部から手を離した。
見たところ、傷口は塞がっているように思える。
案の定治癒魔法も使えるようだ。
「―――ふぅ…どうした? かかってくるがいい…」
そして、俺を視界に入れて、そう一言。
その魔力も気力も、少しも衰えているようには思えない。
全く嫌になる事だ。
「―――言われなくても…」
最悪―――今日だけでも命が持てばいい。
そんな覚悟と共に、俺は剣を振り上げ、地面を蹴った。
が、
「―――――ブフッ!!」
「――――!?」
まだ気力旺盛――。
いくらでも剣を振れる―――。
そう思われた『夜叉鴉』の口から…勢いよく「血」が吹き出したのだ。
―――吐血―――ッ!?
「――クソ…時間切れか…」
口元を抑えながら、男はその場に膝をつく。
隙?
罠?
わざと?
いや、とてもそんな風には思えない。
剣を振り上げながら、そんな思考が俺を襲う。
先ほどの剣閃が、内臓まで響いていた?
――いや、違う。
俺は、この症状を見たことがある。
むしろ、当事者。
これはまるで…かつてアウローラの戦場で―――《魔力核》が限界を迎えた俺の時と―――。
そこまで思考が至った時…
「―――やめてぇええええ!」
「―――!」
剣を振り降ろしかけた俺と夜叉鴉の間に、飛びこんできた姿があった。
くすんだ金髪を揺らしながら――武器も持たず、割り込んできた褐色の美女―――。
「――お願いします。お願いします。私はどうなっても構いません。なので…どうか兄は――兄さんは助けてください―――」
女は泣いていた。
先ほどまで振りまいていた殺気が嘘みたいに泣きはらし、そう必死に訴える姿は…とてもではないが、「暗殺者」とは思えなかった。
「……ふぅ」
俺は、息を吐きつつ―――ゆっくりと…剣を下げた。
・訂正報告
第202話のラストにて登場した橙色の髪の少年を「エンヴ」と表記していましたが、「リード」の間違いでしたので、訂正しております。
結構重要な部分なのに、ミスをしてしまい、申し訳ありません。




