第206話:『烈空』VS『夜叉鴉』①
現在俺と相対するのは、『夜叉鴉』と名乗った漆黒の衣装の男に――背後で倒れるその妹。
妹の方は手負いだが、致命傷ではない。
本来ならば、充分に警戒する必要のある相手だ。
だが、俺の全神経は正面――漆黒の男に注がれていた。
――コイツから、目を放してはいけない。
少しの隙を見せた瞬間、やられる。
感じるのは強者特有の風格。
今まで見てきた最強の戦士たちと同じ匂い。
そう―――『八傑』と言われてもいいくらいに…。
男の周りは、やけに暗い。
先ほどまで明るく照らされていた空間が、男を中心に闇に呑まれていくようだ。
「―――フッ!」
視界が暗闇に染まる中――俺は先手を取った。
元来、受けに回るのは俺の戦術の強みを消してしまっているようなものだ。
《神速流》は攻めの流派。
――一気に押し切るッ!
魔力はまだある。
黄金の剣閃を煌めかせながら、矢のように最短コースを駆け抜ける。
目標はもちろん―――『夜叉鴉』。
「うおおおおおお――――っ!!」
加速―――。
何度も見た「世界最速」の動き。
俺の刺突は闇の中を切り裂き、男の元へと突き刺さる。
が、
「――なるほど、その速さ…厄介だな」
まるで男の身体は、霧散するように消えていった。
剣を伝わって手に残るのは、まるで手ごたえを感じない感触と――闇の中で反響する声だけだ。
「チッ! それはこっちの台詞だよ!」
悪態を吐きながら俺は剣を構えなおす。
闇の中―――自身を霧のように霧散して消えていく、幻影の魔法――『蜃気楼』とか言っていたか。
先ほど妹の方も使っていた技だ。
そして、この暗闇に紛れた途端、『夜叉鴉』の気配は、パタリと消える。
あれほどあったプレッシャーが、まるで嘘のように消えるのだ。
これも妹の使っていた技と同じだ。
違うのは―――。
「―――――ッ!!」
恐ろしいほどの寒気を感じ、俺は、その場から猛スピードで飛びのいた。
このままでは死ぬ―――そんな第六感…本能に任せてほぼ反射的にだ。
「――――!?」
「なるほど、勘もいい…ククルでは手こずるわけだ」
俺の先ほどまでいた場所は――剣があった。
どこからともなく現れた―――『夜叉鴉』の振り下ろした剣閃だ。
音も――気配もなかった。
先ほどの『鴉』ならばギリギリで感じた空気の揺れる予兆も――まるでわからない。
本当に――どこから剣が来るか、全くわからなかったのだ。
――マジかよ…。
内心、冷や汗がたれていることが良くわかる。
まるで、先ほどまでとの妹とは違う。
気配の遮断と――そもそもの速度が段違い。
強いというのは分かっていたが、先ほどと同じだと思っていては確実にやられる。
「……」
「仕方がない、まずは…足から刈り取るか」
そして、そんな呟きと共に―――『夜叉鴉』は再び闇に消え―――
「―――ないッ!」
まるでそれはフェイントだとでもいうように、奴は前に出た。
目標はもちろん俺。
「――くっ!」
――キィィィン!
甲高い剣のぶつかる音が響く。
「―――ッ!」
一合、二合。
『夜叉鴉』の剣に、剣を返す。
剣閃は響く。
奴が使うのは、俺の剣よりは少々細身だが――ほぼ差のない直剣。
となれば、剣の打ち合いは、単純な速度と技量の勝負になる。
「―――おおおお!」
「―――む」
俺は叫びながら剣を押し返した。
高い音を鳴らしながら、剣は交差し、火花を散らす。
当然のように、この男の剣の技量も先ほどの妹とは比べ物にならない。
速さも俺とほぼ同じ。
だが…剣戟で負けては、俺に勝機はない!
「――ハァァァア―――ッ!」
攻める…。
速さが同じでも、俺には読みと技がある。
押し通る――。
「―――『流閃』!」
「―――ッ!」
奴の一刀を――無理矢理流す。
剣の打ち合いの《主導権》を握るのだ。
そこに――隙ができる。
剣戟というのは、いくつもの技と型の応酬。
主導権を握った方が――《読み》が通しやすいというのは自明のこと。
故に――このタイミングでわずかにこの男に緩みが出るのも―――読んでいた。
「―――これでッ!」
刺す――。
奴の空いた横腹に、剣を突き立てた。
だが、
「―――『蜃気楼』」
剣を突いた先――確実に急所を狙った俺の剣は、またもや手ごたえのない感触と共に空を斬る。
男の身体は霧のように霧散し――視界は闇。
まるで何もなかったかのように気配は消える。
これが…本当に厄介だ。
どのタイミングで幻覚に変わったのか。
幻覚が実態を持っているのか、それとも――幻覚ではなく、自身の身体を霧状にしているのか。
いずれにせよ正直、俺には真似できない―――魔法書には載っていない固有の魔法だ。
妹の方は「閃光」の中では使えなかったようだし、やはり「暗闇」と合わせて使う、視覚阻害系の魔法だと思いたいが…。
どちらにせよ、霧散してしまう以上、剣による打ち合いでは決定打にならないかもしれない。
「―――ふぅ、流石にこのクラスと…正面から打ち合うのは肝が冷える…」
「――!」
響く様な声が聞こえた。
「しかし、これでしかし布石は整った」
「…何?」
布石が整った?
一体何の…。
「―――お前はもう、その場から動けない…!」
「―――!?」
動けない?
どうしてどんな事を言える?
まだ俺は殆ど無傷だし、魔力もある。
そんなことが…。
そこで―――ようやく気付いた。
先ほど―――妹の方にとどめを刺そうとしたとき、俺は剣を止めた。
何故なら、それ以上剣を振れば――その「糸」によって俺の腕が断たれてしまうと…そう思ったから。
そして、今。
「……」
目を凝らすと、ギリギリわかる。
わずかな光に、キラリと反射する、細い「糸」。
首筋や、腰、足首、指の隙間。
あらゆる部分に、走る――ひんやりとした細い感触。
360度、いたるところに見えた。
―――糸。
単なる糸ではないだろう。
間違いなく人を殺すための糸――だ。
キラリと光る様からもわかる。
金属製で――尚且つ人の肌など簡単に切断するほど細い―――凶器だ。
今の状態から――一歩でも動けば、俺の身体は八つ裂きだ。
剣を振りかぶることさえ許されない、糸の包囲網。
―――誘導された。
おそらく、剣で挑んできたのは、この場所に俺を置くための布石。
剣の打ち合いの読み合いなど、おそらくコイツにとっては無意味。
初めから剣で決着をつけるつもりはなかったということだ。
「―――中々賢いようだな…。そう、その張り巡らされた糸の中―――少しでも動けばその時点でお前の四肢は断裂することになる」
数メート先――。
暗闇の中から男――『夜叉鴉』が現れるのが見えた。
「…これで機動力は削いだ。あとは―――的当てゲームだ」
奴の手元がギラりと光る。
持たれていたのは数えきれないほどの―――ナイフ。
「――暗技『針筵』―――!」
そして――そのナイフは一斉に放たれた。
俺の身体の――至る所を目指して、銀色の光が、殺意と共に迫る。
「……」
なるほど、確かに――暗殺者。
剣撃なんて物は、手段の一つに過ぎない。
今まで戦ってきたのが、「剣士」ばかりである俺にとっては、初めて戦うタイプの相手だ。
正直に言えば、実力自体はそれほど離れていたとは思えない。
ただ、その戦術を知らないという事実が、俺のピンチを招いた。
「…仕方がない、か」
――ごめん、ヒナ。少し…ほんの少しだけ、無理をするよ。
心の中で、赤毛の少女に謝りながら―――俺は魔力を燃やす。
身体強化も、加速も、魔力障壁も、属性魔法も――出し惜しみはしない。
この状況の打開策は考えた。
…数秒だけだ。
数秒だけ――全力を出す。
それで、決めきる―――。
―――持ってくれよ、俺の身体…。
「――最大出力…」
● ● ● ●
『夜叉鴉』クロウの妹――ククルは、驚愕しながら状況を眺めていた。
彼女にとって、兄クロウがどうしてこの場所に来たのか、兄に今まで自分のやっていた事がバレてしまったのか――そんな不安もあったが―――単に、現在の驚きはこの相対する少年に対しての物だろうか。
あの少年――アルトリウスが、元から自分より格上――それこそ正当なる『鴉』の継承者である兄、クロウに匹敵する域にいることは分かっていた。
それでも。
――兄さんの、『暗中月歩』でも『蜃気楼』でも仕留めきれないなんて…。
世界最強の暗殺者――『夜叉鴉』の暗技――。
見よう見まねで覚えたククルなどとは違う、正真正銘の暗殺術だ。
クロウのそれは歴代の中でも一級品。
ククルとて見たのは数年ぶりだ。
兄の身体の事を加味しても――これで殺せない個人がいることに驚きだ。
おまけに、滅多に出さない暗技――『糸縛葬』まで使わせた。
どちらに驚いていいのか、もはやククルには分からない。
ククルの心配は、2つ。
もしも―――『烈空』が、これをかいくぐるほどの力を持っていた場合。
そして、これ以上戦闘を継続したときの――兄の身体が――どうなってしまうのか。
頭を過るのはそんな不安だが…。
「―――『針筵』!」
そこで――兄が暗技を再び使用した。
加速によりブーストのかかった無数のナイフを投合。
縦横無尽、あらゆる角度から急所を貫くそのナイフは、自由に動ける状態でも、ククルには回避不可能。
既に『糸縛葬』に絡めとられ、身動きの取れない『烈空』に、超高速で迫る無数のナイフを避けれるとは思えないが――。
「―――!」
瞬間―――。
「―――最大出力…」
そんな呟きと共に―――少年の圧力が――一気に変わった。
―――なんて…魔力…!
少し離れているククルですら、そのプレッシャーに圧倒されるほどの…大出力の魔力が、あの小さな身体から発されている。
そして―――。
「―――!?」
少年は、「炎」に包まれた。
いや―――どう考えても、彼が発したのだろう。
高密度の―――炎。
あんなものを纏ってしまえば、ククルならば自身の身体も消し炭になってしまうような、そんな密度の魔力が内包した炎。
彼を縛っていた糸から糸へ、炎は伝染するように広がっていく。
――すごい…。
思わず、そんな感想が出てくる。
暗闇を照らすように、圧倒的な熱気と熱量が、この空間を支配した。
鉄の混ぜ込まれた『鴉』特性の『魔糸』は、単なる炎程度で焼き切れるような物ではないが――見る間に彼の魔法のその圧倒的な熱量に溶かされていく。
先ほどの『閃光魔法』など比較にならない発動速度と威力の魔法だ。
「―――まさか…これほどの魔導士とは…」
兄の――驚きの声が聞こえた。
彼として――剣士以外の『烈空』の能力を軽視していたということか。
「――だが…この無数の剣の雨―――避けられるか!?」
躊躇せず――クロウは、ナイフを投合する。
その数、その速度、その技能、人間業とは思えない。
しかし―――。
まるで、炎の中を割って出でるかのように―――少年の姿が現れた。
火花をちらつかせながらも、髪を焦がしながらも――彼は未だ五体満足。
「――ハァァァァアア―――ッ!」
雄たけびと共に、少年は加速する。
「―――コイツ、速さが…!」
その速さは―――兄のナイフの速度を越えている。
炎も糸も、その加速に置き去りにされていく。
まるで、先ほどまでの動きは全力ではないとでもいうような――一段上の速度。
炎の光に反射された黄金の剣閃は、その全てを弾き飛ばし、なお少年が止まることはない。
「―――水燕流奥義――『秋雨』…!」
それは、刺突。
剣と一体となり――被弾面積をほぼ無くす渾身の突き。
数少ない水燕流の攻撃技―――。
「―――兄さんッ!」
思わず、ククルは叫んだ。
この速度この圧力。
先ほどまでとはまるで別人。
超常の域に達した世界。
しかし―――。
「―――そうか、お前も…か…」
「――!」
『烈空』アルトリウスの剣は―――兄に当たってはいなかった。
炎と共に、急激に上がったアルトリウスの速度に―――兄の速度が並んだのだ。
そう、兄の全力は―――この程度の物でないことをククルは知っている。
八傑が一角『夜叉鴉』。
世界最高――いや、歴代でも最高傑作と謳われた伝説のアサシンの実力がこの程度で終わるわけがない。
だが…。
「――兄さん、ダメ…」
痛む肩を抑えながら、ククルは小さく呟いた。
――それを出してしまったら…兄さんの身体は…。
愛する人を助けるため、命すら厭わぬ、2人の天才の戦い。
『龍眼の湖』にそびえたつ、巨大の塔の中腹……歴史に語られる事のない伝説の一戦は、炎と闇―――そして、1人の妹の不安を内包しながら…最終局面を迎える。




