第203話:塔の戦いの幕開け
かつて…人が生まれてまだ間もないころ―――人は未だ野生の動物となんら変わらぬ生き物だった。
知識もなく、道具もなく、言葉も発さず、災害を恐れる。
ただ――彼らは他の生物と違った。
彼らは――彼らだけは願ったのだ。
もっと豊かに暮らしたい。
もっと自由に生きたい。
そう―――天に願った。
そして――その願いに応じて、「神」は生まれた。
人々に様々な物を授けるべく、神達は世界に舞い降りたのだ。
神々は知識を与えた。
どうすれば猛獣を狩れるのか。
何を食べればいいのか。
どのように道具を作るのか。
神々は言葉を教えた。
会話とは何なのか。
意思疎通をすればどうなるのか。
次第に人類は豊かになっていき、数を増やし――この世界に広がっていくようになった。
人は、様々な恩寵を与えてくれた神々に感謝し、彼らを崇めた。
そんな人々に、神々は最後の恩寵―――「魔法」を授ける事にした。
人々の生活はさらに広がった。
以前は恐れていた猛獣も、魔法を使えば簡単に狩れるようになった。
起こすのに苦労していた火も、魔法で簡単に起こせるようになった。
当然――人類は地上の大半を埋め尽くし――生態系の頂点に位置するようになった。
だが――それが結果的に――人々の「神離れ」を生むことになる。
自由に言葉を操り、自分たちで意思疎通ができるようになった人類。
どんな種族よりも豊かになった人類。
魔法を手に入れた人類。
もう――彼らが神を頼ることなどなかったのだ。
神など崇めずとも、自分達でやっていける。
世界の支配者に君臨した人類が、そう判断したのも当然だろう。
そして―――その人類の驕りは、「神の消滅」につながった。
元々「神々」は――人々に求められて顕現した存在だ。
人々が求めなければ、その存在が消えていくのは自明のことだった。
ごまんといた「神々」は、急速に数を減らしていった。
この現象に――「神々」は怒りをあらわにした。
ここまで人が発展したのは、誰のおかげか、と。
神の恩寵を受けるだけ受けておいて、この仕打ちはなんだ、と。
だが…世界はそんな神達の声などに見向きはしない。
神の声を耳にする――神を求めるような人間はいなかった。
ついに7柱まで数を減らした神々は――最終手段に出る。
大いなる神の力の大半を使い――《災厄の力》を作り出した。
恐るべき力だった。
人々は恐怖し、混乱した。
世界中が、その力を恐れ、崇めた。
神々は満足した。
人々の恐怖や混乱によって――自分達の力が回復していることが分かったのだ。
このまま消えていった同胞たちも元に戻り―――人々が神を尊重する世界が来るに違いないと――そう思った。
だが―――
人類の『英雄』に――《災厄の力》は敗れた。
人の力は、もう神の力に匹敵する場所まで来ていたのだ。
それは、もう人々は既に神の力など必要としていないという証明だった。
《災厄の力》は封印され、神々はさらに力を落とし―――この大地から消えていった。
人類は勝利したのだ。
● ● ● ●
「――この塔の頂上の棺に眠るのが…その《災厄の力》じゃと言われておる」
走りながら―――というか、トトスという青年に背負われながら、老人ピュートンはそう言った。
「…で、神聖教はその《力》を目覚めさせようとしてるってことか?」
「その通り。奴らによると、眠っているのは《神の力》でらしいがな。まぁあながち間違ってはいないがのう」
「なるほど、それで《棺》を開けるために、エトナ…《読み手》が必要だったと」
「そういうことじゃな」
「そうか…」
牢で出会った老人――ピュートンは、考古学者で――古代の神話だとかについての権威であるらしい。
『神聖教』が『聖地』と呼ぶこの塔の採掘に当たって、まず一番に《人攫い》に遭ったのが、この老人であるとか。
俺がこの塔に入って―――もとい侵入して間もなく、俺は牢にてこのピュートンと、剣士――トトスに出会った。
案の定――彼らから「ユピテル」というワードが出たのは偶然でもなんでもなく――つい少し前までエトナは彼らの近くにいたらしい。
聞いたところによると無事ではあるらしいが――事態は切迫していると言ってもいい。
現在、俺より一足先に到着したらしい神聖教の「司教」がエトナを連れて、この塔の頂上にて、「何か」を行おうとしているとか。
老人の言葉を信じるなら―――その「棺」を開け――神の力とやらを復活させる、ということか。
塔に眠る、災厄の力とか、神話がどうとか―――正直、まだ呑み込めない事ばかりだが、とにかくエトナの身は危険であるらしい。
古株なおかげで塔の構造に詳しいというこの老人に案内を頼み、俺達は頂上を目指している。
この老人たちを信用するかは一瞬迷ったが、流石に嘘を言っているようにも見えない。
何より彼らが本気でエトナの心配をしている事がわかったので、同行をしている。
多くの神徒―――いや、正確に言えば、神徒達に奴隷のように扱われている人々に紛れながら、俺達は超特急で上がっている。
「――しかし、驚きだな。これほど多くの人が攫われているなんて…」
ピュートン達が言うには、彼らは皆、元はただの王国民で――例の『人攫い』によって攫われ、無理やり労働力として働かされているらしい。
「しかも、それらを全て1人で行っていますから…奴には恐れ入りますよ」
人目を避けて階段を駆け上がる俺の隣で、トトスが言った。
背中に老人を背負いながらでも俺のスピードについてきてくれるのが、剣士トトス。
何を隠そう――かつてエトナと共に消えた…と思っていた『聖錬剣覇』の弟子のトトスだ。
ピュートンと一緒に牢へ入っていた彼は、どうやらエトナが攫われるずっと前から既にこちらで囚われていたらしい。
「奴―――『鴉』は、間違いなく強者。私1人では歯が立たないと思っていましたが…烈空殿がいると心強い」
彼が言うには、本物の彼が消えてから、エトナが消えるまでの間、「トトス」として王城にいたのは、彼ではなく、『鴉』という暗殺者であるとか。
それだけでなく、この王国を混乱に陥れた『人攫い』。それが――『鴉』単体の仕業であるらしい。
それを聞いた時は空いた口が塞がらなかった物だ。
最強の暗殺者――『鴉』。
トトス曰く、間違いなく『八傑』か――それに準ずる実力はあるだろうとのこと。
「…焼け石に水じゃなければいいけどな」
俺を頼りにしているトトスには悪いが、これまで出会って来た『八傑』を思い出すと、いささか勝てる自信はない。
俺としては、最後まで『鴉』には出会わずにエトナだけ回収して飛んで帰りたい気分だ。
「――よし、次を右じゃ、おそらくその先に――最上階へ繋がる螺旋階段が―――」
そう――ピュートンが言った時だった。
「――ふぅ、やはり…そう簡単に問屋が卸すわけではないらしい」
「…そのようですね」
俺の呟きに――トトスが額から汗を垂らしながら答える。
その、曲がろうとしていた道の先―――。
――コツ、コツ。
薄暗い暗闇の先で、そんなブーツの高い音が不気味に聞こえてくる。
はっきりと見えなくても―――そこから迫る「殺気」はありありと感じられる。
――どうする?
頭の中で思考をめぐらす。
この切迫した状況下で、また選択を間違えるなんてこと、絶対にダメだ。
判断は一瞬。
最重要事項は、エトナの安全と――《棺》の解放を止める事。
今この場でそれを成すために最も確率の高い行動は――。
「―――トトス、今すぐ――ピュートン博士を連れて別ルートへ」
俺は、瞬時にそう判断した。
「―――!? しかし、烈空殿は…」
「――早くしてくれ…アレは俺が何とかしよう」
俺の雰囲気を感じ取ったのか―――トトスは頷いた。
「…了解した。かたじけないが…私では数秒も持たなさそうだ。どうか…ご武運を」
「――ん? おいどうしたんじゃ、そこを右だと…」
「行きますよピュートン老!」
まだ状況を理解していないピュートンに声をかけながら、トトスがすぐさま後ろへ駆け出す。
そして…
―――コツ、コツ…。
トトスのせわしない足音とは真逆、まさに静寂の中を進む音が忍び寄ってくる。
俺の視線はその音の先。
何もない真っ暗闇だ。
「―――」
―――落ち着け。
自身に言い聞かせるように深呼吸をする。
柄を握る右手が汗ばんでいる事が分かる。
――焦らなくてもいい…。
シンシアとの訓練のおかげで、体の調子自体は――以前とそれほど変わりはない。
魔力も相当量残っている。
不安があるとすれば―――ヒナの言いつけを守れるかどうかは甚だ怪しいというところと…強者との戦闘が久方ぶりであるというところか。
なにせ命を懸けた殺し合いは、アウローラの戦場以来だ。
敗北して――心が折れてしまったあの戦場だ。
あの時折れてしまった俺は、まだどこかに存在する。
もうこれ以上は強くなれないと、何でもかんでも守れるような最強の存在にはなれないと―――諦めてしまった俺はいる。
だが…。
―――世界最強は、もう見た。
世界最強の強さ。
それだけは、ありありと俺の脳裏に刻まれている。
『軍神』ジェミニ。
あれがこの世界における強さの頂点。
ジェミニ以上は存在しない。
あの敗北で得たものがあったとしたら、それはその事実そのものだろう。
だから今俺が相対している奴も、ジェミニより上はあり得ない。
―――コツ、コツ――――。
足音が…ピタリと止まった。
まだ――姿は見えない。
だが―――。
―――ヒュッ
風の切れるような音がした。
刹那――。
―――キン!
衝撃と―――金属音が響いた。
「―――ほう…」
「見えてるよ、『鴉』――」
視界に映るのは――背後より音もなく剣を振るった黒装束。
黒いローブに―――銀色に煌めく仮面。
黒で覆いつくされた腕から伸びるのは、俺の振り抜いた『イクリプス』によって止められた小振りの小剣。
勿論面識などない。
だが、分かる。
間違いなくコイツが―――『鴉』。
「…黄金剣イクリプス―――『天剣』の弟子か…どうしてここにいる?」
仮面の奥からは―――驚くような声が飛んできた。
どうやら俺がここにいるのは、あちらさんの想定外らしい。
「――剣で身バレするってのも考え物だな」
言いながら――俺は剣を走らせる。
「――ッ!」
奥義を使おうとしたのを察知したのか――『鴉』は大きく後退する。
その身のこなしは、間違いなく強者――第四段階の域の動きだ。
「――チッ。トトスと老人を逃がしたのも貴様か…面倒なことを…」
悪態を吐くかのように、ひらりと身を翻す『鴉』は―――闇の中に紛れるかのように気配を消す。
「―――!」
おそらく――そういった魔法なのだろう。
いくら暗い空間とはいえ――見失うなどはあり得ない。
「―――わざわざ死にに来たことを後悔するといい―――」
闇の中――どこからともなく、通路を反響するような声が響く。
『鴉』との戦いの――幕が上がった。




