第194話:立ちはだかる神徒
「―――報告します! 『穴』の開通と、中で囚われていた穏健派との接触に成功した模様です!」
王城より程ない―――ひとけのない裏手。
いや、つい数時間ほど前まではまるでひとけのなかったこの場所に、そんな報告がもたらされた。
「――了解しました。作戦を次の段階へ。随時『穴』から救出をしつつ―――開通班はそのまま半数を穏健派の方々の護衛に。残りは鎮圧部隊の支援へ向かってください」
「――はっ!」
そこにあったのは――司令部だ。
とはいっても、別に立派な建物と言うわけではなく、むしろ茂みの中目立たないように作られた、屋根と机だけの簡素なテントのようなものだ。
だがこのテントにいる1人の少女の元には―――現在王都で起こっている多くの情報が流れるように入ってくる。
「―――メラトス殿より報告。王城壁面東側の制圧完了。南側の鎮圧に回るそうです」
「――了解しました。では南のフランツ分隊長の班を防衛から―――主犯格の拿捕への動きに変更してください」
「――はっ!」
数分ごとに慌ただしく人が出入りする中――そんな伝令に瞬時に指示を下すのは―――現在実質的にこのアルトリウス隊の全権指揮をしている――亜麻色ポニーテールの少女、リュデだ。
本当ならば身の丈に余る地位だということを重々承知したうえで、リュデはこの役目を自ら進んで引き受けた。
なにせ――今回のこの作戦立案は、全てリュデが計画したものだからだ。
出来るだけのことをやろうと決意してから即座に、リュデは作戦をギルフォードに伝えた。
現状、起こっている問題点―――というかやらなければならないと思われることは、概ね3点。
・地下の穏健派達の救出。
・『神聖教』の暴徒たちの鎮圧。
・王城の女王の安否の確認。
ギルフォード側と、リュデ達の条件を合わせるとこんなところだろう。
これらのことに対処するために、リュデは隊を3つに分けた。
まず、穏健派救出の為、既に地下を掘り進めている『穴』を迅速に開通させ、地下から穏健派を逃がす隊――救出班に、隊の2割ほどの人員を割く。
そして、7割の人員で、『神聖教』の暴徒たちの鎮圧、および――扇動者の拿捕をする。
『扇動者……?』
『はい。おそらく―――話を聞くに、その白服の神徒達は―――装備こそ整っているものの、戦闘経験は浅いと思います』
『まあ、そうだな。確かに殆ど一般人と変わらないと感じたが』
『それがここまで厄介な物になっているのは―――彼らを扇動し―――指揮している人間がいるからではないかと。まぁ推測ですが……それをなんとかできれば、暴動を抑えるのはそれほど難しくはないかもしれません』
そして、ギルフォード達親衛隊も、大半はこの暴動の鎮圧に回ってもらう。
『して……残りは?』
アルトリウス隊の1割に、親衛隊の残り。
これらがまだ役目のない戦力だが……。
『残りは、少数精鋭で―――女王陛下の救出に向かいます』
『救出……だと』
『―――はい。もしも暴動がどうにもならない最悪の場合―――王都を放棄し、陛下を連れてそのまま王城を脱出します』
『―――!』
この提案に、ギルフォードも眉をひそめた。
―――陛下を連れてそのまま脱出する。
結局のところそれは、最初にリュデ達が計画していた「穏健派と共に王都を脱出する計画」に、リーゼロッテ1人を追加したような物に過ぎない。
王都の民を見捨てて、逃げるということだ。
だが……、
『……わかった。それでいい』
ギルフォードは了承した。
「――少々ズルかったかもしれませんね」
つい数時間前のやり取りを思い出しながらリュデは呟いた。
だが――譲歩しているのはこちら側だし――そもそもその脱出自体が簡単ではないのだ。
さらに、リュデにとっては、その後にアルトリウスとヒナと合流しなければならないという事もある。
こちら側から、女王側に譲歩できるのはここが限度だろう。
勿論―――全て上手くいくに越したことはないが……後は、前線の隊員に託すしかない。
幸い、今のところ、思った以上に暴徒は抑え込めている。
『穴』も想像より早く開通したし――それほど脱出に手こずる事もないかもしれない。
もしかすると、杞憂だったのかもしれない。
ただ唯一の心配は、未だ何の報告もない―――王城の女王救出班だろうか。
ギルフォードの選抜した親衛隊の精鋭と、シンシア率いる2班という――考え得る限りの強力なカードを切ったつもりだが……。
――やはり、王城は何かが起こる、そんな気がします。
だが――既に始まった戦いに、彼女から出せるカードはない。
せめて前線で戦う彼らと同じように、その小さな背中に責任を背負う。
それくらいだ。
● ● ● ●
「――それで……フィエロ、ここからどうするんですの?」
王城の廊下――高価なドレスが破れるのも構わず――女王リーゼロッテは走っていた。
一応形としては――王城内にひしめく白いローブの男たち―――『神聖教』から逃げているということになる。
「……そうですね」
傍らで珍しく鋭い目つきで走るのは、薄紫色の髪の剣士――フィエロだ。
先ほどから出会う白服はフィエロの剣によってマッハで溶けている。
「――見たところ王城内も、殆ど『神聖教』に制圧されているようですし、外も先ほどから騒がしいですわ。もう―――どうにもなりません」
走りながらも――少女は悲痛な声を上げた。
先ほど―――ネルソン・ビブリットと名乗った司教の言葉の衝撃が、未だに抜けきっていないのだ。
以前から、ザンジバルや、軍属派はおかしいとは思っていた。
だが……少なくとも王国を守りたいという気持ちでは同じだと――そう信じていた。
だから、たとえ女王である自身が討たれても――王国自体はきっと大丈夫なのではないかと、そういう淡い期待もあった。
でも、それは甘い考えだと思い知らされた。
元から――ザンジバルも大臣たちも、王国などどうでもよかったのだ。
むしろ混乱させて―――滅ぼすことが目的。
そして、それをリーゼロッテは止められなかった。
王として、国を守る事ができなかったのだ。
「……フィエロ。もう――私の事はいいですわ」
そう言って女王は立ち止まった。
「……陛下」
「――私に――止められなかった私に、貴方に守ってもらうほどの価値はありませんわ。もう女王なんて名前だけ。貴方は私なんかではなく――民たちを助けに行ってくださいまし」
フィエロは強力な戦力だ。
たった1人では焼け石に水かもしれないが―――それでも、今多くの王国の民が危険に晒されているこの状況で、自分なんかのために彼を縛り付けることすら―――罪な事のように感じる。
だが―――剣士は首を縦に振らなかった。
「――陛下、なりません」
「……フィエロ……」
「――たとえ名だけであっても――この国の王であるならば、王なりの責任があります」
「責任なんて……」
「もう無理だから、ダメだから……そう言って諦めるのは―――逃げているのと同じですよ」
「―――!」
薄紫色の髪の剣士は、諭すように言う。
「それに――下の方が何やら騒がしく感じます。おそらく……ギルフォードか烈空隊が動いているのでしょう」
「ギルフォードが……?」
「そうです。彼らがまだ諦めていないのに―――王が歩みを止めてどうするのです」
―――王。
この国の最高権力者であり、全ての責任を負う者。
何度もこの国が危機に立たされながらも、何度であろうと持ち直してきたのは、歴代の王たちが、ギリギリのところで踏ん張って―――耐え忍んできたからだ。
その血が、自分にも流れている。
それなのに、そんな血に背く様なこと、できやしない。
「大丈夫です。貴方は絶対に死なせやしない。それが……母君との約束ですから」
「フィエロ……」
剣士の言葉に―――少女が顔を上げたその時―――。
―――フィエロの表情が変わった。
まるでいつもの気だるげな雰囲気など想像できないような、鋭い視線。
その先には―――。
「ふぅぅ、探したぜぇ『聖錬剣覇』! 全くチョコマカチョコマカと……」
「同感じゃわい。これだから《外》の戦いは興が乗らんのよ」
「観客もいないからなぁ……折角鎖も新調したのに」
「――ったく、てめぇら…。もう『聖錬剣覇』の前だぞ。《闘技場》気分はさっさと捨て置け」
巨躯―――。
王城内の広い廊下の先から――4人の巨躯が現れたのだ。
目立つ大きな槌を持つ大男。
痩せた長身に―――背に槍を背負った兜の老人。
首や腰に鎖を巻いた凶悪な顔を持つ青年。
そして――背に斧と棍棒、腰に2本の剣を刺した――異様な雰囲気を持つ逆立つダークグレーの厳めしい面の男。
――白いローブなど着ていないが……しかし間違いなく穏やかでない雰囲気。
確実に味方ではないことがヒシヒシと伝わってくる。
「……なるほどな」
その巨躯の4人衆を見て――フィエロが額に汗を浮かばせながらつぶやいた。
「―――『鉄槌』ゴトラタンに『破壊槍』グリムロック、『鎖縛』チェレンに―――『闘鬼』デストラーデ。剣闘都市のアイドルが揃い踏みか」
二つ名持ち―――。
『鉄槌』に『破壊槍』、『鎖縛』に―――そして『闘鬼』。
剣闘都市ペルセウスの大闘技場で、いずれも名うての有名闘士だ。
ペルセウスに行った事のない人でも、一度は聞いた事のある名ばかりだ。
その中でも『闘鬼』デストラーデは―――フィエロと同じ『八傑』。
いったい何故彼らがこんなところにいるのか。
「―――なぜ貴方たちが『神聖教』と……。いったい『神聖教』とはどれほどの戦力を持っているというんですの……」
リーゼロッテの驚きの呟きに、正面――中でも最も体躯のいい男が口を開いた。
「ヘッヘッヘ……口の上手い商人の口車に乗せられちまってなぁ。女王陛下さん、アンタは美人だし俺には政治が分からねぇ。従って恨みもねぇが―――残念ながら男ってのは、乗せられちまうとひけねぇ生き物なのさ」
「――ゴトラタン、喋り過ぎだ」
「ヘッヘ、すまねぇドン。今日は《見世物》じゃない、だろ? わかってるよ」
真ん中にいた―――4人の中では中背――異様な雰囲気のダークグレーの髪の男がゴトラタンを嗜める。
おそらく彼が――闘鬼デストラーデ。
リーゼロッテでもわかるほど、風格が他の3人とは段違いだ。
「――さて『聖錬剣覇』……世界最強の剣士よ。その称号――飾りでないのか……確かめてやろう!」
「―――!」
4人の剣闘士と、1人の剣士の戦いが――王城の中で火ぶたを切った。
● ● ● ●
一方―――王城、正面入り口。
門をくぐって少し開けた庭で―――いくつかの人影があった。
『聖錬剣覇』の1番弟子ギルフォードに、彼の選び抜いた精鋭の親衛隊。
天剣の娘にして、『閃空』の二つ名を持つ神速流の剣士シンシアに―――彼女と共に戦場を駆けてきたアルトリウス隊2班の面々。
女王の安否を確認し――可能なら救出するべく選ばれた、現在の女王派の中では精鋭中の精鋭と言えるメンツだ。
だが……その錚々たるメンツが―――その場から一歩も動けないでいた。
―――正面。
ただ1人腕を組み、仁王立ちをする―――「白い騎士」を前に―――その場の歴戦の剣士たちが軒並み呑まれてしまっていたのだ。
「ガッハッハッハッハッハッハ‼ 若人共よ、それほど緊張することはない!」
全身真っ白な甲冑に、背に背負う巨大な盾と大剣。
そしてその風貌以上に―――甲冑の中から発せられる圧倒的な存在感。
バカでかい声も相まってその威圧感は尋常の物ではない。
―――全く、隊長も―――こんなのと会ってよくあんなに平然としていましたね。
長い金髪をサイドに結った少女―――シンシアは、内心冷や汗を掻く。
その正面の騎士の存在感と―――ある種、それらの強者に共通する「余裕」のような態度。
まるで自らの力を欠片も疑っていないとでもいう、確固たる自信。
シンシアはこういった類の人種をよく知っている。
いや、シンシアだけではない。
シンシア以外の隊員も、ギルフォードも、親衛隊の面々も―――身近に似たような類の人間がいることを知っている。
「ガッハッハッハ! 我こそは、教父ティエレンの残せし神の騎士! 立ちはだかりし数多の敵から信仰を守りし神の盾にして――数多の敵を打ち倒す神の剣!」
そして―――その余裕からだろうか。
騎士は長々と――しかも張り裂けるほど大きな声で口上を述べる。
内容は――シンシア達からすれば決定的な物だ。
まるで、あの時―――プトレマイオス司教が言っていたことを彷彿させるような、そんな―――。
「『神聖教』司教―――『白騎士』モーリスである! さぁ、異教の民よ、ここを通りたくば―――かかってくるがよい‼」
『神聖教』の司教にして―――地上最強『八傑』の一角―――『白騎士』モーリスが高らかに宣言した。




