第187話:大聖堂
「まさか、こんな場所に『大聖堂』なんてものがあるとは思いませんでしたが……」
「当たり、だね」
王都の中だと下町―――辺境に位置する林の奥で、2人の少女がそんな会話をしていた。
1人は、女性にしては高めの身長に、キリっとした鋭い鷹のような目を持つ金髪の少女、シンシア。
そしてもう1人は、そんなシンシアに追従するかのように進む、紺色の三つ編みの少女、アニー。
隊長に次ぐ実力を持つと言われる副隊長のシンシアと、歴戦の1班の隊員であるアニーは、アルトリウス隊の中でも上位といえるツーマンセルだ。
カルティア時代から友人同士でもある彼女達ならば連携も完璧で、二人一組を組むなら理想といってもいいコンビである。
本来「班」によって行動するはずの彼女達だが、この王国では、通常2人、多くても3人で諜報活動を行っている。
それも当然だ。
戦闘の可能性が高いのならまだしも、街中で8人の班というのは、あまりにも目立ちすぎる。
彼女たちに限らず、現在のアルトリウス隊はツーマンセルの行動が殆どだ。
さて、彼女達が本日訪れたのは、王都の中でも下町を越えた先にある―――辺鄙な場所だ。
『ジモン』という商人が残したメモ書きによると、『大聖堂』と呼ばれる『神聖教』に関係する建物があるらしい。
その商人を信用するかどうかはともかく、行ってみないという選択肢はないので、シンシア自ら訪れることになったのだ。
シンシアとしてはジモンという商人をそれほど信用してはない。
なので、もしかしたら無駄足になる可能性も考慮していたのだが、
「まさか―――こんな大きな建物があるなんてね」
「そうですね……かなり立派な建物です」
そのメモの場所―――そこには存外目立つ白塗りの建物があった。
周りは少し開けた林が広がっていて、その中にポツンと立つ大きめの建物だ。
簡素な造りだったが、確かにその高さと広さ自体はかなりのものだ。
『大聖堂』と言われるのは多少大仰だと思うが、正面から否定できるような規模でもない。
しかし―――そんな建物の大きさより何より、シンシアの目を引いたのは―――。
「それにしても……こんなに多くの人が並んでいるなんて……」
そう―――その大聖堂の扉の前に並ぶ、大量の人だ。
老若男女問わず、様々な人が、群れを成してその建物に並んでいるのだ。
「全員黙って並んでいるのが……気味が悪いですね」
シンシアは一目見て、そんな感想を漏らした。
誰もが、一言も発さず、扉をじっと見つめて待っているのだ。
「……シンシアちゃんどうする?」
「これだけ人がいれば……紛れられそうです。警戒しつつ、私たちも並びましょう」
「……了解」
シンシアはそう判断した。
一応、その『大聖堂』の存在の確認と、可能ならその実態の調査、というのがリュデから頼まれたことだが……この大量の人、何も起きないということはないだろう。
なるべく多くの情報を持ち帰りたい。
アニーと目配せしながら、群れを成す列の最後尾に足を進めることにした。
最後尾に並んでいたのは、少しよぼよぼの老婆だ。
老婆はシンシア達が後ろに並んでも、一瞬振り返っただけで、それ以上特に反応はしなかった。
「あの……すみません、少しお聞きしてもよろしいですか?」
シンシアはその老婆に声をかけた。
「……なんでしょう」
老婆は少し面倒そうに振り向いた。
黙っているからと言って口がきけないわけではないらしい。
人のよさそうな人相ではあるが……。
「その、この建物には、皆さんどういったご用件で並んでいるんですか?」
「……今日はこれから、司教猊下がいらっしゃるので、お話を聞こうと」
老婆は小声で答えた。
「……司教猊下?」
「……プトレマイオス司教猊下ですよ、知らないので?」
「あ、いえ……」
老婆の視線がいかにも怪しげなものを見るようなものになったので、それ以上質問をするのはやめておいた。
―――プトレマイオス司教猊下……?
聞いたことはない。
だが―――司教ということは、宗教に関係する場所ということで間違いないだろう。
こんな辺鄙な場所で……これほどの人数を集める宗教―――今の王都の内情を考えると『神聖教』以外には考えられないが……。
「――おお!」
「――開いたぞ!」
そんなことを考えていたシンシアとアニーだったが、すぐに列の前の方から小声でざわめくような声が聞こえた。
どうやらこの建物――『大聖堂』の扉が開いたらしい。
控えめな歓喜の声と共に、徐々に列がはけていく。皆建物の中に入って行くのだ。
「シンシアちゃん……」
「……行きましょう」
コクリと頷き合い、シンシアとアニーは足を進めた。
● ● ● ●
その建物の中は―――外の簡素さとは違い、随分几帳面に装飾が為されていた。
通路の壁面には、何やら文様のような美しい彫刻が彫られ、床は綺麗な大理石。
気になるのは、どこにも窓がなく、閉鎖的であることか。
照明の光も、進むごとに少なくなっている気がする。
大衆はそんな通路を迷うことなく進んでいく。
そして――通路は徐々に下へ下へと下降しているように感じた。
「地下に向かっているのかな」
「ええ、どうやらそのようですが」
注意は怠っていない。
だが――いったいこの大衆がどこに向かっているのか、何が待ち受けているのか――2人にはあまり予想がついていない。
そして――――。
「……広い―――教会?」
シンシア達を――いや、多くの大衆を待ち受けていたのは、広々とした空間だった。
精巧に作られた長方形の空間。
シャンデリアのようなランプが天井一面、所せましと並べられ、この空間を明るく照らしている。
目立つのは、いかにも座ってくれと言っているような、木製の長イスの列の数々。
正面には、高いところに作られている、台座のような教壇と―――その後ろにかたどられた巨大なレリーフの紋章。
獅子のような、龍のような――何をかたどっているのかはわからない。ただ、どこかまがまがしいレリーフだ。
その光景に立ち尽くすシンシアとアニーに対して、共に並んでいた大衆は特に迷いもなくその並べられた椅子に座っていく。
誰もが最初からここに何があるのかわかっていたようだ。
「――私たちも適当な場所に座りましょう」
目立つのも何なので、シンシア達は出入り口に程近い椅子に腰を下ろした。
椅子は殆ど隙間なく埋まっている。
正確な数は分からないが、200人や300人では足りない数かもしれない。
地下にこんな場所がある事にも驚きだが、これほどの人が集まっているという事実にも驚きである。
彼らは誰もが黙って正面―――禍々しい巨大なレリーフの手前、高い位置に作られた「壇上」を見つめている。
「……皆……何かを待っているみたい」
「その……プトレマイオス司教という人でしょうか」
シンシアとアニーは小声で会話をする。
しんと静まり返ったこの空間で、声高に会話することはどうにも憚られた。
「……少し――様子を見ましょう」
視線でそんな会話をして、2人は黙ってうなずいた。
そして待つこと十数分―――。
「―――おぉ!」
「―――猊下の御成りだ…!」
これまた控えめにではあるが―――前の椅子の方から歓声が上がった。
どうやら―――その司教猊下という人が現れたらしい。
「―――!」
シンシアもアニーも顔を上げて―――壇上を注視した。
「――――よくぞ来てくれました……神徒諸君」
壇上―――。
どこからともなく現れたのは、1人の細身の男だった。
白と灰色のローブを着た―――くすんだ黄土色の長髪の男。
やけに青白い肌と、細い垂れ目が印象的な、40代程度に見える男だ。
男が声を発したことで―――少し騒がしかった大衆の声はピタリと止んだ。
「―――今日で25回目を迎えるこの神聖なる会合も―――一層多くの皆さまと共に迎えられたことを嬉しく思います」
ゆっくりと―――よく通る声で、男は話し始めた。
「私――プトレマイオス・ティエレンは、崇高なる神の使い―――亡き教父ティエレンの意思を紡ぎし神徒を代表して―――これらの巡り合わせ全てに対する感謝を―――神に捧げます」
この男こそが―――先ほどの老婆が言っていたプトレマイオス司教であるらしい。
何とも大仰な台詞と――大仰な身振り手振りが印象に残る男だ。
左手を胸に当て、右上を天に向けて―――目を閉じる。
それらを如何にも大げさにやるだけで、この静寂な広い空間では異常に目立つ。
聴衆の心はまるでその男―――プトレマイオスに持っていかれたように思える。
「―――さて、本日はお集まり頂いた皆様に―――ある1人の神徒の紹介をしたく思います」
そして――充分に聴衆の心を惹きつけたうえで、プトレマイオスは一歩下がった。
それに呼応するかのように後ろから現れたのは、1人の中年の女性だった。
「――彼女は、先日―――神の御心に目覚め―――我らの同志となったハーネス夫人です。今日は是非とも諸君に―――彼女の話を聞いて欲しい」
そう紹介された中年の女性は、高い壇上で、聴衆の視線に少し緊張しているように思えるも……やけに堂々としていた。
「―――私はアンジェリカ・ハーネス……。先日、幸運にもこの世界の真理――神の存在に気づき……神の導きを賜る事のできた敬虔なる一神徒です」
中年の女性、アンジェリカは力強く語り始めた。
「――私は―――愚かにも先月まで、神など信じない、王国にはびこる衆愚の使徒の1人でした。神の存在から目を背け、神の存在など知らぬ存ぜぬを通していた―――王国の雑多な人間達と同じような、愚かしい生物でした」
「――――!」
その出だしから―――シンシアは眉をひそめた。
いきなりも、彼女からしたらわけのわからない話である。
隣を見ると、アニーもどこか顔に疑問の表情を浮かべている。
「当初は、それでいいと思っていました。夫とは喧嘩もせず幸せに暮らしていましたし、娘も息子も生まれ、健やかに育ってくれた。それで幸せだと―――そう思っていたのです」
そんなシンシアとアニーには構わずに、ハーネス夫人は話を進める。
「ですが―――私の悪行を―――神は見透かしていたのでしょう。私の人生は不幸のどん底に落ちていきました」
ここで、ハーネス夫人の声色が変わった。
どこか悲しさを孕んだ、そんな感じだ。
シンシアとアニー以外の聴衆は、皆彼女の話に聞き入っている。
「夫が――私の前から消えてしまったのです。まるで唐突に、何のことわりもなく、急に」
―――唐突に人が消えた?
心の中で、シンシアは疑問符を浮かべる。
そんな現象、最近では一つしか聞いた事がない。
何を隠そう『人攫い』だ。
神聖教徒は人攫いに遭わないのではなかったか。
ジモンの言葉と混じって、シンシアの頭の中は若干混乱する。
「稼ぎ頭の夫を失い―――私たちの生活は困難なものになりました。ただでさえ悪逆非道の王家のせいで王国民の暮らしは厳しい物なのに――女一人の内職で子供2人を賄いきるなど―――不可能でした」
ハーネス夫人は夫のいなくなったという苦労を物々し気に語った。
「貯蓄を使い切っても、どれだけ身を粉にして働いても、お金はたまらず、夫は見つからず、内職もクビになり―――もう子供たちを連れて路頭に迷うしかないと、その時の私は絶望に打ちのめされていました。もう自身の命を投げ打って―――死ぬしかないと、そう思いました」
だが、そこで―――なんとなく話の空気が変わった。
「そんな時、私は―――プトレマイオス司教猊下に出会うことができました」
どうやら、彼女の夫が消えたときは、まだ彼女は神聖教の教徒ではなかったらしい。
「地に打ちひしがれている私に、猊下は言いました。『神を信じ、神を敬い、神に尽くしなさい。そうすれば―――きっと貴方の道は開かれる。今の不幸は、神を信じない貴方に、神が課した試練なのです』と」
「………」
周りの聴衆は真剣に聞いているように思えるが、どうにもシンシアには歯の浮く様な話だ。
確かに、運が悪いときはあるが、それが『神』とかいう存在によるものだと言われてもしっくりは来ない。
「最初は――半信半疑でした。何を信じればいいのか、何に目覚めればいいのか――愚かな私にはわかりませんでした。でも、司教猊下は―――私に一つ一つを教えて下さいました。礼拝の仕方。神の敬い方。神は何を求めていて、何を罪とするか。私は必至でそれらの事を覚え、実行しました」
ハーネス夫人が語ったのは、神徒――神の存在に奉仕した所業の数々だ。
そして、それらを語り終え―――夫人は大きく息を吸い込んだ。
「そして―――司教猊下の言葉を信じ―――神に尽くし、すがるような思いで祈ること1か月―――。神の御恩情―――奇跡が起こりました。夫が私の元に帰ってきたのです!」
「「―――おおおおおおおお!」」
「―――!?」
そこで、歓声が上がった。
急なことに、思わずシンシアはびくりと身体を震わせる。
隣のアニーも目を丸くして驚いている。
なにせその歓声は、先ほどまでの控えめな物とは違い、大きな歓声だ。
まるでその『神』とやらの奇跡を褒めたたえるような、そんな歓声だ。
「私の暮らしは、夫のおかげで戻ってきました。幸せな家庭に子供達2人。―――誰も欠ける事なく今でも暮らしているのは、ひとえに神の奇跡と御恩情の賜物でしょう。神の存在への目覚めまで力添えをして下さった司教猊下―――そして全ての神徒の皆さま、そして何よりも神の御恩情に―――感謝を」
「「―――おおおおおおおおおおお!」」
歓声と、割れんばかりの拍手。
それらを一身に受けながら、女性―――アンジェリカは、壇上を後にした。
「―――敬虔なる神徒ハーネス夫人、ありがとうございます」
変わるようにして出てきたのは司教―――プトレマイオスだ。
彼の登場と共に、拍手と歓声は落ち着いていく。
「彼女の話を聞いてわかるように―――神を敬い、神を恐れ、神を信じる事こそ―――幸福へと繋がっています。もちろんこれは、全ての神徒諸君からしたら自明の理ですが―――」
そしてプトレマイオスは壇上から聴衆を見回すように視線を動かす。
「嘆かわしい事に、この王国には―――まだまだ神の存在に目覚めない―――悪徒共が多く存在します」
なんとなくシンシアと目が合った気がして――咄嗟に視線を逸らした。
だが、気のせいだったようで、プトレマイオスは気にするそぶりもなく、言葉を続ける。
「ですが――皆さま、焦る必要はありません。神がそんな事態を放っておくはずがないのです。じきに―――彼らには神からの罰が下るでしょう。多くの悪徒を苦しめる『人攫い』も―――そんな神の怒りの一つです」
『人攫い』―――。
まさか彼自らその言葉を口にするとは思わなかったが……どうやらプトレマイオス司教によると、『人攫い』とは、『神』によって与えられる怒りであるらしい。
「そして―――神を差し置いて、権威を振りかざす傍ら、誰1人救おうとしない愚かな王も、そんな王に媚を売って神を信じようとしない愚かな人間も―――いずれこの世からは淘汰されていくでしょう」
その場ではシンシアとアニーを除いた誰もが―――プトレマイオスの言うことを固唾を呑んで聞いている。
気持ちはプトレマイオスと同じく―――王や、神を信じない人間が、全て消えるのは当然だと考えてでもいるように。
「そう、今日私が皆さまに伝えたい事は―――『神罰』の日は近いということ。そして、それは――神徒諸君の祈りと信仰の先にあるということ―――それだけです。―――以上で、本日の会合は終わります。―――全ては神の御心のままに」
「「―――全ては神の御心のままに!!」」
まるで予定調和のように―――その場にいた全ての人間が、プトレマイオスの言葉に続いた。
まさに―――静寂の大合唱と言ったところか。
プトレマイオスはそれを受けて満足そうに――壇上から去っていった。




