第183話:悠久の魔女
区切りの関係で少し短いです
「貴方―――『ルシウス・ザーレボルド』という名に聞き覚えはない?」
黒髪の少女―――『闇狗』ウルは、俺の事を凝視して、そう言った。
よもやヒナやユリシーズに向けて言ったわけではないだろう。
―――ルシウス・ザーレボルド。
彼女の口にした名前に、俺の心臓はドクンと跳ねた。
その名前を、俺は知っている。
初めて名前を目にしたのは、学校―――図書館で人物録を開いた時だ。
何百年も前の、闇属性魔法の使い手。
その本に書いてあったことはそれくらいで、学校の教師も詳しいことは知らないような、そんな人物。
それ以来、彼の名をどこかで耳にするなんてことはなかった。
だが、あの黒髪の青白い肌をした男は―――俺にとっては身近に感じる存在だ。
なにせアイツは前世の俺を殺し、この世界に転生させたという張本人―――俺がこの世界にいる根源に近しい人物なのだから……。
―――しかし、どうしてこの少女が、その名を……。
相変わらず黒髪の少女は、真っすぐとその黒い瞳を俺に向けている。
ユリシーズの呼びかけに答えたということは、彼女が『闇狗』であることには間違いないだろうが…。
「―――もしも…聞き覚えがあると言ったら?」
慎重に、俺は答えた。
知っていると言うのは簡単だが、だからと言ってどうして知っているのかを聞かれると答えには困る。
すると、少女は俺から視線を外した。
「――――ユリシーズ、悪いけどそちらのお嬢さんを連れて、席を外して貰ってもいい?」
「え、あ、はい―――構いませんが……」
「ありがとう」
どうやら―――闇狗は俺と2人で話をしたいようだ。
少し驚いた表情で俺と闇狗を見つめていたユリシーズが、はっとした様に動き出す。
「ほら、ヒナちゃん、行きましょう」
「え、でもアルトリウスが―――」
そそくさと急かすユリシーズとは対照的に、ヒナは俺を見つめて不安そうな顔をしている。
1人にするのは心配だ、とでも言っているような表情だ。
そりゃあ、得体の知れない実力者と2人きりになるのは俺も不安だが…。
「―――ヒナ、大丈夫だよ」
どちらにせよ―――この少女とは話をしなければならない。
ルシウスの事はともかく、エトナの居場所も本当にわかるのか―――聞きたいことはある。
「―――もしも何かあっても…無理はしないで」
「ああ」
ヒナはなおも少し食い下がりたかったようだが、急かすユリシーズと――闇狗の有無を言わさないような雰囲気に納得したようだ。
まぁ―――戦闘になるような雰囲気は感じない。
例えなっても、いざとなったら、逃げだすことくらいできると思いたいが―――。
ここまできたら、ユリシーズを信じよう。
「……ついてきて」
ヒナとユリシーズの姿が遠くなったことを確認して、黒髪の少女が部屋の奥を指した。
部屋の中は薄暗い闇が広がっている。
「………」
唾を飲み込み―――俺は彼女の後に続いた。
● ● ● ●
奥の部屋は、先ほどの部屋にも増して薄暗い部屋だった。
辛うじて見えはする―――が、見なければならないほど物も置かれていない。
目立つのは、真ん中に置かれた机に、怪し気な水晶玉。
後は、いくつかの本棚と、周囲に落ちている数冊の本だろうか。
こんな暗い場所でよく本なんて読めるものだ。
「さて」
そう言いながら、黒髪の少女――『闇狗』は、その水晶玉の机の横にあった椅子に腰を掛ける。
「…椅子、いる?」
「―――いや」
「そう」
この部屋に他に椅子は見えない。
要ると答えたらどうするつもりだったのかは知らないが―――まぁそんなくつろぐために来たわけでもない。
もしも何かあった時、立っていた方が初速の動きが早いし、立ったままで問題はないだろう。
それで、立ったままの俺を、落ち着いたと見たのか、闇狗―――ウルが口を開いた。
「―――それで、どうなの?」
「え?」
「―――『ルシウス・ザーレボルド』。知らないわけではないようだけど」
少女は相変わらずあまり感情の読み取りにくい声で、俺を見ている。
やはり――ルシウスの話をするつもりだったようだ。
「―――名前は……知っているよ」
「―――それだけ?」
「……」
「―――そう」
黙る俺をどう解釈したのか―――闇狗は目を閉じる。
正直、ルシウスが夢に出てくることを、話すべきかは迷った。
だがそれを話すには―――俺が違う世界から転生したことも話す必要が出てくる。
そこまでの事をこの場でこの少女に話す勇気は――如何せん出てこない。
少なくともこの少女の思惑が分かるまでは、こちらから情報を出すのはあまり乗り気になれない。
「……」
「……どうして、ルシウスの事を聞いたんだ?」
考え込むように黙る彼女に、俺は尋ねた。
もしも―――この闇狗も、ルシウスのように俺の転生に関わっているのならば、話すことで、何か新しいことが知れるかもしれない。
それを聞いてからでも遅くはない。
すると、少女は目を開けて――答えた。
「―――彼が言ったから」
「彼?」
「―――ルシウスが」
まるで―――ルシウス本人と会ったような言い回しだ。
不審に思いながらも俺は尋ねる。
「……なにを?」
「―――『いつか……お前の前に、あの少年が現れる。そうすれば―――きっと全ては変わる』。それが死の間際に、彼が残した言葉よ」
「――――!」
ルシウスの死の間際――――。
その言葉に、流石に俺は動揺を隠せない。
だってそれは、まるでその際を目にしたような、そんな―――。
「それ以来―――それらしい少年には彼の名を聞いている。まぁ、名前を知っている人すら、貴方が初めてだけど」
なんだ?
いったい、この少女は―――。
「君は……いったい――――」
「………」
驚愕する俺を前に、少女は少し遠い目をしているような気がした。
どこかここでない場所を見ているかのような、そんな瞳だ。
「―――もう……200年も前の話」
そして―――やけに無機質な声で、少女は口を開いた。
「その男―――ルシウスは、ある魔法を完成させた。この世の禁忌に触れるような、人の立ち入ってはいけない領域を犯すような―――そんな究極の魔法」
少女の視線は相変わらず遠くにある。
「―――そして、彼は、自分自身にはその魔法を使わなかった」
そのまま、無機質な声は、言葉を綴る。
感情が乗っていないのに、やけにリアリティを感じるような声だ。
「彼がその魔法をかけたのは、その時丁度14歳を迎えた実の娘。自身の命と引き換えに―――ルシウスはその魔法を成功させた」
「―――まさか」
「そしてその娘は―――その日から歳を取らなくなった」
その言葉が意味する事は……。
「究極の禁忌―――『不老不死』。ルシウスが娘にかけたのは、そんな魔法」
「じゃあ、君は……」
「―――そう」
少女―――闇狗ウルは頷いた。
「私の名は『ウルファス・ザーレボルド』。ルシウス・ザーレボルドの、実の娘よ」
『闇狗』ウル―――いや、ウルファス・ザーレボルドは静かにそう告げた。




