第177話:間話・女王の追憶②
「―――っ」
朝の陽ざしと共に、長い桃色の髪の少女――リーゼロッテは目を覚ました。
「……」
頭が随分ボーっとする。
元から朝は得意ではないのに、昨日は明け方近くまで起きていたものだから、なおさら目覚めは悪い。
―――随分と、懐かしい夢を見ました。
身体を起こしながら思うのは、つい先ほどまで見ていた夢の記憶だ。
それは、黄金の髪の剣士―――シルヴァディとの不思議な出会い。
彼の夢を見る事なんてなかったのだが、もしかしたら昨夜、彼の「弟子」と出会った事で思い出したのかもしれない。
リーゼロッテが王になろうと決意したのも、そしてリーゼロッテが見事女王になる事ができたのも、彼の存在が大きく影響していると言っても過言ではない。
シルヴァディはリーゼロッテが女王になるのを見届けるように剣の修業を終え、ユピテルへと去っていった。
そして―――結局彼と再会することはなかった。
先日届いたのは、ユピテルの内戦の最終局面で、天剣シルヴァディは戦死したという報せだ。
正直、余裕のない国政に追われながらも―――リーゼロッテにとっては信じられない報告であった。
だが……やはりそれは本当なのだろう。
―――アルトリウス・ウイン・バリアシオン。
シルヴァディの弟子を名乗る少年と会って、それは確信に変わった。
なにせ、アルトリウスの腰には、リーゼロッテがシルヴァディに授けた国宝級の名剣―――『黄金剣』が下げられていたのだ。
それだけで、リーゼロッテは全てを理解した。
もっとも、昨今のリーゼロッテからすれば、シルヴァディの死に一喜一憂するほどの余裕もない。
かねてより女王派と対立気味であった軍属派の勢力が強まり、リーゼロッテの女王としての求心力が落ちているのだ。
実力者であるフィエロと女王親衛隊のおかげで、辛うじて体裁は保っているが、それももう限界に近い。
少ない人手で国の運営をするには、それだけで手いっぱいであり、立て続けに起こる人攫いに対処している余裕などなかった。
彼女にとって予想外だったのは、ユピテルからの亡命団の到来。
そして軍属派が、彼らユピテルの亡命団を諸悪の根源として非難したことだった。
―――いったい何のつもりで…!?
確かに、保守的な政策を支持するリーゼロッテの政策に、軍属派から不満が出るのは分かる。
だが―――ユピテルと敵対するのはそもそも根本からして違う。
もしかしたら彼らの言う通り、トトスの失踪には、ユピテルが関わっているのかもしれない。
だが、だとしても、ユピテルと敵対するわけには行かない。
それで、ユピテルと戦争になった場合、おそらく王国は勝てない。
建国当時ならいざ知らず、何百年も泥沼の王位継承戦を何度もしているような停滞した王国が、内戦も終わり、ラーゼンという優れた指導者を得たまさに絶頂期のユピテルに、勝てるはずがないのだ。
軍事力は同等でも、国力で差がついては、勝ち目はない。
そんなことは軍属派だってわかっていることだろう。
それなのに、ユピテルとの関係を悪化させるような行動は―――軍属派ではない、何か違う力―――勢力が関わっているような、そんな気がする。
怪しいのは、『軍務卿ザンジバル』。
大商会をバックボーンに持つ、成り上がりの軍人だったが、優れた才能を発揮して、軍務の司令官まで上り詰めた男だ。
軍属派が謎の動きを見せ始めたのは、思えば彼が軍務卿に就任してからだ。
もっとも、証拠はない。
証拠を集めるには既にリーゼロッテは後手に回り過ぎた。
集めようにも女王派は人手が足りず、下手に刺激しては、向こうがこちらに付け入る隙を与えるだろう。
―――隙を与えてはいけない。そうすれば、一貫の終わりですわ。
リーゼロッテは思う。
終わり、というのは、リーゼロッテの人生だけではない。
まだ子供を残していないリーゼロッテの終わりは―――すなわちユースティティア王国自体の終焉だ。
別に、それで王国の民が幸せになるのならば構わない。
ユースティティア王国は700年も続いたのだ。
そろそろ終幕を迎えてもおかしくはないだろう。
だが、「奴ら」による王国の終焉―――リーゼロッテの敗北は、とても明るい未来への道筋だとは思えない。
奴ら――見えない敵がもたらそうとしているのは、革命でも、救国でもなく、単なる「混乱」だ。
そんな確信がリーゼロッテにはあった。
だが、確信したところで、彼女にできることは何もなかった。
ギルフォードはシュペール公国から帰ってきたばかり、トトスは消え、メラトスは1人親衛隊の掌握に手いっぱい。
かと言って、リーゼロッテの傍から、フィエロを離すわけにも行かない。
法の届かない権威を持つ国王を排斥する唯一の手段が、暗殺だ。
絶対に暗殺だけはされてはならない。その時点ですべてが終わるのだ。
だから―――その少年、アルトリウスの来訪は、彼女にとっては非常に幸運だった。
カルティア戦役で名を上げた烈空の二つ名を持つ魔導士にして、ユピテル共和国の全権を任された大使。
百戦錬磨の部隊を率い、あらゆる敵を打倒したユピテルきっての実力者。
そして、天剣シルヴァディの弟子―――。
―――この人を頼ろう。それしかない…。
アルトリウスが大使として王城に向かっていると聞いて、リーゼロッテはそう思った。
それは、一種の賭けだったかもしれない。
シルヴァディの弟子だからといって、向こうからすればリーゼロッテなど初対面。赤の他人だ。
彼の人となりは知らないし、下手なことをすれば、余計に事態は悪化するかもしれない。
もしかしたら、本当に軍属派が言うように、王国の敵なのかもしれない。
だが、それでも―――彼女には、その少年の来訪は何かの天啓のように思えた。
―――何もできずに、このまま終わるくらいなら…。
女王は行動に移した。
幸い向こうからも資金の融資という目的もあった。なんとか取引できないこともないだろう。
彼の捕縛を主張する軍属派を一日抑えるために、国王領の一部を明け渡したが、もはや些事だ。
「――なるほど、流石に彼1人の為に国王領とは、とんだ博打だと思いましたが…どうやら賭けは陛下の勝ちのようですねぇ」
謁見のすぐあと、アルトリウスを見たフィエロはそう言った。
フィエロから見て、あの少年は国王領と引き換えにしてでも味方につける価値があるらしい。
王国最強の剣士『聖錬剣覇』が言うのだから相当なことだろう。
だがリーゼロッテは首を振る。
「―――いいえ、博打はここからですわ」
そう、問題はこの後―――上手く彼を説得できるか。
現在の王宮の内情を、信じて貰えるか。
ユピテルとの敵対は、リーゼロッテの真意でないと理解して貰えるか。
全てはこの後―――彼との直接の対話で決まるのだ。
謁見の際は軍属派の手前下手に出ることも叶わず、ギルフォードに頭を下げさせて、埃だらけの隠し通路を使って―――。
それでようやく真の意味で彼との対話が叶った。
焦げ茶色の髪に、焦げ茶色の瞳の少年は、近くで見ると年齢よりは大人びて見えた。
流石は、この歳にして全権大使を任された傑物と言ったところか。
隙のない人物―――というのが、彼に対しての最初の印象だ。
リーゼロッテは懸命に、対話に臨んだ。
言葉は慎重に選び、しかし同時に、なるべく親しみを込めて。
臣下に対してでなく、友と接するように、でも最低限の礼を失わないように―――。
正直、余裕ぶっているようにみえて、彼女の内心は不安でいっぱいであったことは言うまでもない。
フィエロが傍にいるとはいえ、目の前にいるのは、二つ名を持つ実力者で、しかも大国の要人。
機嫌を損ねればその場で戦闘になってもおかしくないし、その先に待っているのは戦争だ。
ここでの問答の結果次第で、今後のリーゼロッテの――王国の未来が大きく変わる。
そして――――。
結果として、リーゼロッテは彼と協力関係を結ぶことに成功した。
リーゼロッテとしては、ただ単に、幸運であったと、そう思う。
別に彼女の人柄が特段優れていたからとか、彼女と組むことにとんでもないメリットがあったからとか、そういうわけではないだろう。
きっといくつもの因果と幸運の合わさった結果だ。
例えば、トトスが消えた際、共にいたというユピテルの少女はどうやら、彼らに近しい人物らしい。
詳しくは聞いていないが、そこからは部屋の空気がやけに重苦しかった記憶はある。
もしかしたら、そのユピテルの少女の名前が出なければ、アルトリウスは協力しなかったかもしれない。
そして、きっと彼と彼女の間に―――シルヴァディという共通の名前が無くても、この関係は成立しなかっただろう。
リーゼロッテもアルトリウスも、お互いのことはよく知らない。
でも、シルヴァディのことは知っている。信じられる。
無論、そこまで彼が考えていたかはリーゼロッテにはわからないが、少なくとも、シルヴァディが2人の懸け橋になってくれたことは間違いない。
―――全く……また貴方には助けられてしまいましたわね。
リーゼロッテは内心そんなことを思いながら立ちあがる。
睡眠時間が足りていなくとも、彼女は女王。やるべきことはなどいくらでもある。
特に今日は――唐突に消えたアルトリウス一行について、軍属派に言い訳しなければならない。
「―――よろしく頼みますわよ、お弟子さん」
窓の外―――100人の来訪者たちが去っていった先を見ながら、女王は呟いた。
最初の賭け―――少年の協力を取り付けることには、成功した。
だがそれは、新たな博打の始まりに過ぎない。
その勝負の行く末は、まだ誰も知らない。




