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第176話:間話・女王の追憶①

 

 その少女にとって、世界は真っ黒だった。

 いや、その時から真っ黒になった。

 

 それは父の死だ。


 家族の死、身近な人の死。

 もちろん、多くの人にとって、その意味は大きな物だろう。 


 でも――それが、ただの父親の死だったならば、これほど黒い世界を目にすることもなかった。


 だが、不運なことに少女の父は―――「国王」だった。

 しかも、『ユースティティア王国』という――限りなく強大な国の――。


 父が死んでからというもの、たとえ晴れの日であっても、この王宮では雨が降っている。


 それはきっと真っ赤な血の雨だ。

 忙殺された人の血か、暗殺された人の血か、はたまた自殺した人の血か……。


 権力争いは、人から多くのものを奪う。

 それは感情であり、優しさであり、命だ。


 見たくもない人の黒い部分。

 それは伝染病のように人から人へ伝わっていき、王宮を支配していく。


 そんな世界と、無関係でいたいと思いながらも、無関係でいられないのが、少女―――リーゼロッテ・シャロン・ユースティティアの生まれだ。


 王族―――国王の娘だというだけで、待っているのは権力闘争。

 王が死ぬ度に『後継者争い』が勃発するのが、もはやこの国のお家芸だ。


 4人の兄のうち、既に1人は死んだ。


 有力視されていた第3王子だ。


 既にほかの3人も槍玉に挙げられ、王位を巡った争いが起きている。


「フィエロ、どうして、こんな醜い争いが起きるのかしら」


 傍らの執事服を着た剣士にそう尋ねた。


「皆様、王位を欲していますからねぇ」


「…どうして王位なんて欲しがるのかしら」


「王は権力がありますから」


「――嘘ばっかり。力があるなら、お父様は暗殺されなかったわ。国のために身を粉にして政事をして、戦争をして、大臣達に振り回されて……それで最後は殺される。とんだ貧乏くじですのよ」


 父王は暗殺された。

 毒物による暗殺だとすぐに露呈するあたり、素人によるものだ。

 多分――王位を欲しがった兄達のいずれかだろう。


 そして明確な証拠を待たずに、そのときの食事を担当した料理人が犯人に仕立て上げられ、処刑。

 事件は迷宮入りだ。


「……多くの人はそれを知らずに王を目指していますから。まぁ、だからこそ暗殺される人が多いのですが」


 なんとも難しそうな顔でフィエロはそういった。


 母親が生前つけてくれた護衛、フィエロは、世界最強の一角「八傑」にして、王国最強の剣士であるらしい。

 もはや両親を共に亡くした彼女にとっては、唯一信頼できる相手であり、また、彼がそばにいるからこそ、リーゼロッテは王位継承戦を未だに生き残っている。


 だが正直、このときのリーゼロッテからすれば、王位なんて、他人事だった。


 末っ子であり、女である自分に王のお鉢が回ってくることなんてないと思っていた。

 まだ兄は3人も残っている。

 誰かが王になって、それで終わりだろう。


 いざとなっても、フィエロが守ってくれる。

 そう思っていたのだ。


 だが、リーゼロッテの思惑とは裏腹に―――彼女を持ち上げようとする勢力は出てきた。


 当然だ。

 彼女自身がどう思おうと、彼女は王族であり、しかも彼女を手に入れれば、おまけで『聖錬剣覇』もついてくるのだ。


 彼女を旗頭に置こうとしたのは、4大公爵のうちの1人マルゼンスキーという大貴族。


 フィエロが西方の蛮族討伐に呼ばれている隙をついて、マルゼンスキーはリーゼロッテを強引に攫い、自領に据えた。

 旗印であるリーゼロッテは閉じ込めて置いて、その権威だけを拝借し、好き勝手に力を振るうつもりなのだ。

 そして、いざとなれば、少女を盾に最強の剣士フィエロをコントロールする。

 それがマルゼンスキーの思惑だった。


 鍵のかけられた部屋で、少女は1人だった。


 王族―――。

 自身を蝕む血統をこれほど憎んだことはない。

 王の娘に生まれたせいでこんな目に遭っている。

 そう思った。


 だが、少女の軟禁はほんの2日で終わる。


「―――ちっ、聖錬剣覇なんて出てこないじゃねぇか……」


 そう言いながら、扉を開けたのは、金髪の男だった。


 並み居る公爵邸の衛兵を全て倒し、この部屋までたどり着いた、1人の剣士。


 筋骨隆々の体躯に、黄金のオールバック。

 そして、獰猛な猛禽類のような瞳―――。


「―――ひゃっ!?」


 一瞬、獅子か虎か、見分けがつかなった。

 それほどの迫力が、その男にはあった。


「……なんだ―――って、ガキかよ……」


 声を上げたリーゼロッテを見て、男は呆れたような声を出す。


「えっと…その…あの…」


「――ちっ…めんどくせぇな…」


 状況がわからず、どもるリーゼロッテに対し、男は頭をポリポリとかく。


「俺はシルヴァディ・エルドランド。―――嬢ちゃん、家はどこだ?」


 それが、リーゼロッテとシルヴァディの出会いだった。




 ● ● ● ●




 シルヴァディという男は、北方山脈を隔てた隣国――ユピテルの出身だった。

 剣を極めるため、『聖錬剣覇』を探していたところ、ちょうどこの公爵領に居るという噂を聞いたらしい。

 マルゼンスキーは自陣に『聖錬剣覇』フィエロがいると触れ回っていたようだ。


 シルヴァディはユピテル人であるせいか、王国の内情には疎く、リーゼロッテの名を告げてもピンと来ている様子はなかった。


 これは都合がいいと思い、王女であると言うのはやめておいた。

 王族であるだけで攫われた上、リーゼロッテ自身、自分が王族なんてことに嫌悪感もあったのだ。

 

 適当に、人攫いにあったと理由をでっちあげておいた。

 シルヴァディは特に疑う様子も見せなかった。


 王都ティアグラードに家があるというと、シルヴァディは、ついでだ、と言いながら送ってくれるらしい。

 風貌に違わず、なんとも面倒見のいい人物だ。


 公爵領から王都までは1ヶ月ほど。

 王女と異国の剣士の二人旅が始まった。




 シルヴァディは、変な剣士だった。

 面倒臭がり屋なのに、剣の修行だけは絶対に欠かさない。

 明らかにオーバーワークだと思える量の鍛錬を毎日こなすのだ。


 性格もどこか、変わっていた。

 口はそれほど良くないのに、不思議とリーゼロッテを見捨てたりはしない――面倒見のいい人。


 話しかければ答えてくれるし、笑いもする。

 なのに、時折どこか影の刺すような表情もする―――そんな人だった。


 旅の最中は、色々なものを目にした。


 王城のなかでは考えられない、激安で粗末な宿屋。

 衛生面なんてかけらも考えられていない食事。


 少しでも外れた道を行くと、浮浪者や、物乞い、娼婦、なんでもありだ。


 治安も悪い。


 街の外では盗賊に襲われないときはなかった。

 シルヴァディが全て返り討ちにしていたが、もしもリーゼロッテが1人であったら、帰りつくことなど夢のまた夢であっただろう。


 街に入りきらない集落では、毎日のようにそんな盗賊や山賊に荒らされているという。


 街の中でも、人々の生活は苦しそうだった。

 ここのところ徴税が上がり続け、反面、作物の育ちは悪く、収入は減るという。



「……どうして、皆さん苦しそうな生活をしいるのでしょうか」


 あるとき、ポツリとリーゼロッテはそう洩らした。


「そりゃあ、領主が重税を課したり、公共事業を怠ったり――ようはちゃんとしてねぇからだろう」


 シルヴァディはめんどくさそうに答える。


「では、どうして領主はちゃんとしていないのですか?」


「……領主を裁く奴がちゃんとしてねぇからだよ」


「裁く奴…?」


「要は国の舵取りをする―――国王だよ。まぁ今はいないんだったかこの国は」


 国王の不在。

 それが、こんな状況をもたらしているらしい。


「この国は、ユピテルと違って―――国のトップ……国王が全てを決めるんだろう? その国王が不在で――しかもその状態で王位争奪戦なんてしてるんだ。そりゃあ国も荒れ放題になる」


「……では、誰かが王になるまで、このままということですの?」


「さぁな。たとえ王が決まっても、そいつがちゃんとした奴じゃなきゃ意味はない。荒れた国をまとめ、立て直せるような王じゃなきゃな。専制君主国家の悪いところだよ」


「……」


「まぁ俺には関係ない話だがな」


 そう言って彼は素振りに戻った。

 確かに、共和国出身の彼からすればどうでもいい事なのかもしれない。


 だが、リーゼロッテにとっては、大きく関係のある話だ。

 王位継承戦なんて物をしている間にも、庶民は困窮し、治安は悪くなり、国は荒れていく。


 頭や知識では、そうなのだろうと知っていた。

 予期していた。

 でも、実際に見て、体験して、そしてそれを王宮の貴族たちの暮らしと比べると、どうしても胸が駆られる。


 自分が王族であるということ。

 導くべき立場―――なんとかすべき立場であるということ。


 それを初めて自覚したのだ。


 ―――さっさとこんなくだらない争いは終わらせて、誰かが国王にならなくちゃいけない。


 でも。


 あの兄たちに、本当にこの国を任せていいのか。

 なにせ彼らは、王位のために実の父を殺すような輩だ。

 権力欲にまみれた彼らにこの国を立て直せるのか。

 この国を守れるのか。


 ―――私が、私なら……。


 少女が静かにそう決意を胸に抱いたのは、彼との旅があったからだろう。



 そして、1ヶ月はあっという間に過ぎた。


「さて、じゃあお守りもここまでだ。まさか…家がわからないなんて事はないよな?」


「ええ、もう見えていますもの」


 都市門の前で、2人は向かい合っていた。


「そうか」


 門から見えるほどの家なんて、よほど近いか、王宮のように巨大かのどちらかだが、シルヴァディは特に気にもせず頷いた。


「あの、ありがとうございました。その、助けていただいて……あとここまでの道のりも…」


「気にするな。俺も王都には用事があった」


「その――『聖錬剣覇』に会うためですか?」


「ああ、爺ぃ――師匠が言うには、俺がこれ以上強くなるには、『聖錬剣覇』の元で学ぶのが最短らしい」


 どうやら聖錬剣覇に会って喧嘩をしたいわけではなく―――剣を学ぶつもりのようだ。


「どうして…貴方は強くなろうと?」


 すると、シルヴァディの表情は強張る。

 旅の最中何度か見かけた、影の刺すような顔だ。


「……成さなければならないことがあるからだ。たとえこの命に代えても」


「そうですか…」


 彼からは、物々しい決意を感じた。

 まるで、この世の不条理とでも戦おうとしているようだ。


 そして、彼は少しだけ寂しそうに微笑んだ。


「よし、じゃあ行くわ。じゃあな嬢ちゃん」


 どうやらここでお別れのようだ。


 リーゼロッテの返事を待たずに、シルヴァディは踵を返そうとする。


「―――あの!」


 気づくと、リーゼロッテは呼び止めていた。

 彼の後ろ姿が、どうしても放って置けない―――哀しさを発しているような気がしたのだ。


「…?」


 シルヴァディが振り向く。

 先ほどと変わらない表情だ。


 リーゼロッテは言葉をつないだ。


「……あの…よければ―――その折角なので、家に寄っていきませんか?」


「え?」


 この数日後、聖錬剣覇が弟子を取ったという噂が王都で流れた。


 リーゼロッテが女王に即位するのは、さらにその2年後である。



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