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第173話:間話・誘拐道中

 

 ユースティティア王国。


 クレスタ大陸の北部を制した、強大な世界有数の大国の1つであるが―――そんなユースティティア王国には、()の世界というものが存在する。


 闇市、人身売買、暗殺、謀殺、窃盗、密輸。

 そんな事を生業とする――裏の世界だ。


 裏の世界の人間は、普段は表の世界に紛れていることも多い。

 例えば、なんでもない真面目な農夫が、実は生粋の麻薬売人であったり。

 例えば、一見普通のレストランが、夜は闇取引の会場になっていたり。


 基本的に、表の住人は、たとえ気づいたとしても、そんな裏の世界の住人を見て見ぬ振りをする。

 住む世界が違うと割り切っているのだ。

 それに―――もしも気づいて下手に首を突っ込んでしまった場合、危うくなるのは自分だ。


 そんな表と裏を内包するのが、王国の都市の実態だ。


 そんな裏の世界で、十数年前より、ある噂が流れるようになった。


 曰く――――どんな困難な殺しも実現する、最強のアサシンが存在する、と。


 それは、ただ1人の殺し屋のことを指すともいわれれば、何十人、何百人もの巨大な集団だとも言われる―――不可視の存在だ。


 それには裏の世界の人間でも、どう接触すればいいのかわからない者がほとんどである。


 だが、それはたしかに実在した。

 ある時期を境に、いかなる殺し屋も手が出せないと言われていた人間のその悉くが、不可解に死を遂げた。

 そして、その度に―――黒ずくめのローブの姿が目撃されるのだ。


 ゆえに、


『幻の殺し屋が存在する―――』


 裏の世界では、そんな話が囁かれた。


 『闇夜の暗殺者』。

 『影の王』。

 『虚無』。


 その無数にあるその通り名は、どれも正しく、どれも真ではない。

 その存在を知ろうとすることは、裏の世界では一種の禁忌であり、迫ろうとすれば、誰もが手痛い目に遭うだろう。


 闇市のブローカーも、大奴隷商人も、一流の殺し屋も、誰もが恐れる、伝説の暗殺者。


 ほんの一握りの、その存在を知る人間は、彼のことをこう呼ぶ。


 『(からす)』―――と。




 ● ● ● ●




 アルトリウスが王都に到着する少し前―――。


 王都より北に離れた地を進んでいく馬車があった。


 時刻は夜――深夜も深夜。

 極寒と言うほどではないが、決して温暖ではない大地だ。

 人はあまり寄り付かず、すれ違う人も馬車もない。


 馬車の御者を勤めるのは、全身を黒いローブで覆った1人の人物だ。


 一見すると男のような長身に見えるが、深くかぶったローブからは顔は窺い知れない。


 ただ―――なんとも不気味な雰囲気を出した人物であることはたしかだった。


「―――もう少しか」


 少し雪が降り出した頃だろうか、誰ともなく黒いローブは声を上げた。

 なんとも中性的な声だ。


 若干ため息交じりのその声は、彼があまり現在の仕事に乗り気でないことがうかがえる。


 事実、その現在の心境は、「これまた嫌な仕事を押し付けられてしまった」と言ったところだろうか。


 今回、指示された仕事は、とある少女を攫い―――ある場所まで届けること。


 その少女は、「奴ら」が追い求めていた「神聖語」を読める人間であるらしい。

 いったいどんな人物かと思ったら、よもや王国人でもないただのひ弱な少女であるとは思っていなかった。


 黒ローブは一流―――いや、超一流すらも凌駕する暗殺者。

 裏の世界では伝説とまで言われた名のアサシンだ。

 それが、殺しではなく、誘拐―――しかも少女を誘拐とは、なんとも乗らない仕事である。


 どんな手段を用いてもいいというから、警戒して「トトス」の手札まで使ってしまったが、なんのことはない、本当にただの少女だった。


「……」


 馬車の中を確認すれば、少女は未だ眠っている。


 艶のある黒い長髪の、美しい少女だ。


 使ったのは即効性の睡眠薬と、幻惑系の補助魔法。

 それなりに信頼されていたであろう「トトスの見た目」で近づいたのだ、失敗するはずはない。

 王城への潜入も、完璧だった。

 トトスの師である『聖錬剣覇』ですら見破れなかったのだから、ここ暫くの間トトスだった者の中身が、まるで別人であることなど、見破れる者などいなかっただろう。


 ―――悪いが、こちらにも引けない理由があるんでね。


 黒ローブ――最強の暗殺者『(からす)』は、金では動かない。


 今現在「奴ら」に協力しているのは、奴らとの共通の目的があるからだ。


 奴ら曰く、それは「神の力」―――。


 「奴ら」が口を揃えて存在を示唆するその力は、この世で不可能と言われている事も可能にするという――――超常の力だ。


 かつてその力を手にしたイオニア帝国は、世界の覇者となったほどである。

 それが実在するならば、『鴉』の抱える「悩み」も解決できるかもしれない。


 無論、その悩みとは、一流の実力者である『鴉』が、どれほど手を尽くしても解決できなかった問題だ。

 「奴ら」の言うように、そう都合よく意味の分からない存在を信仰しただけで救われるわけもない。

 だが、もはや―――それにすがるしかないのが現状だ。


 どれほど胡散臭かろうが、どれだけこき使われようが、そのためなら―――。


「―――ん…んん…」


 彼がそんな事を考えていると、不意に後ろからうめき声が聞こえた。


 どうやら、少女が目覚めたらしい。


「―――目覚めたか」


「―――!! ここは…?」


 黒髪の少女が目を見開いた。

 翡翠色の綺麗な瞳だ。


 しかし―――すぐに少女の瞳はハッと震える。


「―――手錠…!?」


 自分の右腕が、馬車に鎖で繋がれていることに気づいたのだ。

 誰がどう見ても、「攫われた」ということは分かるだろう。


「…状況は理解したようだな」


「……」


 少女は、少しこわばった表情で、こちらを睨む。

 若干不安げながらも、下手に喚かないのは―――この歳にしては中々肝の座った少女だと思った。


 普通、「攫われた」とわかったらパニックになって喚くか、泣き出すか、抵抗するか―――今までは全員がそうだった。


 だがこの少女は、どことなく―――冷静に状況を理解し、その上で落ち着いているような気がする。


「…手荒な真似はしたくない。できればそのまま目的地まで大人しくしていてくれ。如何せん()()以外は不得手でね、手加減できるかわからない」


「…そう、攫われたんだ―――また…」


「…なんだ?」


 すると、少女はぽつりと何かを言って――顔を上げた。

 わめくどころか、余計に、冷静になったような、そんな雰囲気だ。


「…何でもない。それで、誘拐犯さん? 貴方は誰?」


 そして意外にも少女は毅然とした態度で質問を返してきた。

 慣れているとでもいうような、そんな感じだ。


「…名はない。ただ―――『鴉』と、周りには呼ばれている。雇われの殺し屋だよ」


「ふーん」


 殺し屋、という文句をあげても、少女は少しも怯まない。

 流石にこれには驚愕を隠せない。


 別段―――この少女が剣や魔法に精通しているわけでもないという事は割れている。

 なんでもないただの一市民だ。

 何故こうまで毅然としていられるのかがわからなかったのだ。


 そして少女はさらに続ける。


「じゃあその―――『鴉』さんはいったい誰に雇われたの?」


「…着けばわかる」


「そう…その―――目的地ね」


 そう言いながら、少女は馬車の外を眺める。


「―――北…やけに寒いけど―――どこへ向かっているの?」


 どうやら、空の星で方角に当たりをつけたらしい。

 やけに冷静で――先ほど垣間見えた不安そうな表情は既になりを潜めている。

 どうも調子の狂う、変な少女だ。


「…さあ。あの地に名称はない。ただ―――」


「ただ?」


「―――『聖地』、と、奴らは呼んでいた」


「ふーん、そっか」


 別に、答える必要はなかった。

 でも、不思議と――言葉が出てきた。


 少女は今ので何をわかったのか、どこか納得したような顔をする。


 しかし、それで会話話途切れ――


「…ふあぁ。なんだか眠いや。えっと…そこの毛布借りるね」


 そして、一欠伸しながら、そばにあった毛布に手をかけた。


「―――え、おい」


「……」


 そして、そのまま――安心しきったように…・眠ってしまった。


「―――なんて奴だ…」


 思わず『鴉』は呟いた。


 冷静過ぎるとか、落ち着いているとか、図太いとか、そんなレベルではない。

 まるで、攫われたことなど異に介していない。

 なんの心配も不安もないような―――そんな感情すら読み取れる。


 ―――なるほど、奴らが重要視するわけだ。


 と、『鴉』はそこで思考を打ち切った。

 よほど大物なのだろうと、勝手に自己解釈をしたのだ。



 だが―――『鴉』も、その雇い主も―――その少女がどうしてここまで落ち着いていられるのか、その真の理由には気づくことはなかった。


 そして―――彼らが知らず知らずのうちに、決して手を出してはいけないものに手を出してしまっていた事に気づくのも―――もう少し先の話になる。



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