第170話:不穏な夜の訪問者
「……流石に不自然だよな」
「ええ、王城に至るまでと比べて、やけに待遇が微妙ですね」
俺とリュデは2人、王城の廊下を歩いていた。
途中までは案内人もいたが、断った。
少し前―――女王がいなくなった謁見の間で、俺とリュデはしばし気まずい空気と対面する事になった。
誰も話しかけては来ず、臣下の礼を解いた貴族たちの鋭い視線のみが俺たちを襲った。
流石に空気に耐えられず、すごすごと退室したものだ。
「―――返答を待てというのはわかりますが、穏健派の方々との面会もダメというのは不自然ですね」
「ああ、どうやら、王宮にはあまり歓迎されていないみたいだ」
元々、ユピテルからの使者などは招かれざる客であるような、そんな気がした。
辺境の領主たちとはえらい違いだ。
そんなことを考えてきたとき―――
「―――バリアシオン殿!」
「―――!」
後ろから俺を呼び止める声が聞こえた。
「…ああ、ギルフォード殿」
振り返った先にいたのは、記憶に新しい癖毛の男、ギルフォードだ。
彼からは奇怪な視線は感じない。
ギルフォードの隣に追従するのは、先ほども見かけた橙色の髪の青年だ。
「そちらは?」
「ああ、コイツは弟分のメラトス。安心してくれ、コイツも貴公の事は信用している」
「―――ウス」
メラトスと呼ばれた青年は、俺に向かって短く頭を下げる。
弟分といえば、彼も『聖錬剣覇』の弟子という事だろうか。
結構強そうだし。
しかしそれより…
「『信用している』とは、どういう事で?」
そう。
まるで彼ら以外には信用されていないとでも言うようではないか。
尋ねると、ギルフォードはなんとも申し訳なさそうに話し出した。
「ああ、実は―――私も先ほどの謁見を不審に思い、少し情報を集めたところ……バリアシオン殿――いや、もう少し広義に、現在王国にいるユピテル共和国と言った方がいいか。
貴公らは、現在の王国の混乱に関する都合のいい当てつけにされているらしい」
「当てつけ?」
ギルフォードの言葉に眉を顰める。
王国で起きている混乱といえば、それこそ宗教組織とか、人攫いとか、あとはシュペール公国の争乱――はもうギルフォードのおかげで終わったんだったか。
とにかく、そう言った事だと思うが。
ギルフォードは続ける。
「そうだ。どうやら貴公らの入国の知らせが届いた時分に―――王城内で、『トトスをやったのはユピテルだ』なんて噂が立ったらしい」
「―――!? ありえない話だと思うが…」
トトス――というのは、つい最近行方不明になったという、王国の剣士だろう。
俺とは何の関係もないはずだが。
「私もそう思う。だが、実際のところ―――王国人でトトスを倒せる人間など限られるんだ。いつのまにか大臣連中の間では、まことしやかに、今の王国の混乱はユピテルの陰謀ではないか、なんていう事が囁かれるようになった」
「…まさか」
「そう、穏健派の亡命など真っ赤な嘘で…実は彼らは王国に害をなす工作員であり、貴公ら使節は彼らと接触しに来たのだ、というのが―――今回のシナリオだとか。そうだなメラトス?」
「―――ウス」
ギルフォードの言葉に、後ろのメラトスが大きく首を縦に振る。
よもや、彼らが嘘を言っているようにも思えない。
「……だから…亡命団との面談は許さないと?」
「ああ」
「………」
少し、頭が混乱している。
えっと…王城内では、この王国を襲った混乱の原因が、俺たちユピテルの陰謀かなにかだと思われていて、その実行犯が、亡命団達だとされ、新たに外部から来て疑わしい俺との面談は許さない、と。
そういうことか?
もちろん全て身に覚えのない事だ。
まさかラーゼンが予めそう仕組んでいたという事もあるまい。
たしかにあの人は化け物みたいに未来を見据えた人だが、ここ数年は内乱にかかりきりだったはずだ。
「今―――うちの国の穏健派の面々はどうしているんだ?」
「…話を聞いたところ、王城の地下に全員が軟禁されているとか」
「―――っ!?」
…軟禁。
地下と聞くだけで、なになら嫌な予感がする。
元から―――よく考えたら「王城にいる」という情報以外、穏健派の情報は知らされていなかった。
もしかしたら、何かあるのかもしれないと思っていたが…。
「いや、待てよ? ならどうして俺たち使節は自由なんだ? 警戒されているんじゃないのか?」
「―――女王陛下の命だ。バリアシオン一行には、一晩の間は何もするな、と」
「…………」
ダメだ、話が読めない。
ここに来て女王陛下が出てくるのか?
さっきの謁見の態度を見るに、女王も俺たちを信用していないようだったが。
「…アル様」
そこで、これまで後ろで黙って聞いていたリュデが口を開いた。
「…早々にヒナ様達と合流し、ユピテルに帰還しましょう。ここに留まるのは…危険すぎます」
「…それは、そうかもしれないが」
自分の身の安全のみを考えるなら、俺たちの自由は今夜までだ。
ならば隙のあるうちにさっさと王宮を離れた方がいい。
一瞬、実力行使で穏健派の面々を救出する、という考えも浮かんだが、すぐにかき消した。
たしかに、俺たちの戦力ならばできるかも知れない。
だが、その後は?
2000人近くいる亡命者たちを引き連れてユピテルまで逃げ切るのは現実的ではない。
それに、もしもこれが引き金で、ユピテルとユースティティア王国との間で戦争なんてことになったら、目も当てられない。
このまま王城の地下にいるという穏健派を―――家族を見過ごすという事も、決断はしにくい。
俺は何のためにいったいここまで来たのか、となってしまう。
「バリアシオン殿、待ってくれ」
悩む俺に、嘆願するように、ギルフォードが口を開いた。
「頼む。一晩だけ―――今夜だけは王城に留まってくれないか?」
「―――!?」
コイツ、さっき俺たちを泳がしておくのは一晩だけとかいう話をしていなかったか?
怪訝な顔をする俺に、しかしギルフォードは真摯な声だ。
「明け方と共に人知れず去ってくれてもいい! 頼む! 今夜だけは王城に…」
そして、ギルフォードは頭を下げた。
「この通りだ、バリアシオン殿……」
「ウ、ウス」
ギルフォードに触発されてか、メラトスも深く俺に礼をする。
「―――二人とも…どうしてそこまで…」
「……この場では、言えない。だが夜が更ければ、必ずわかる。だから…」
ギルフォードは歯噛みするような声だ。
とても、何か陰謀や策謀をするようには見えない。
「…………」
さて、どうするか。
そもそもこの2人の話を信じていいものかも、自信はない。
一度、ヒナやフランツに相談してからがいいような気もする。
だが…。
「―――では、一晩だけ…お世話になります」
俺はそう答えた。
● ● ● ●
俺にあてがわれたのは、たしかに、客間としては素晴らしい出来栄えの豪奢な部屋だった。
敷き詰められた赤と金の絨毯に、広い部屋。
真鍮製のテーブルに、ライオンをかたどったレリーフ。
金銀煌めくシャンデリア。
おそらく一級の客間。
この分だと、ほかの部屋も変ではないだろう。
100人全員個室というわけではないが、護衛の面々もそれなりの部屋に招待されているはずだ。
勿論、何かあった場合に備えていくつかの取り決めもしている。
軽く下見をして逃走ルートを決め、王城脱出後の集合場所は決めておいた。
部屋割りも班ごとになっており、隊の面々は問題ないだろう。
問題はチータやリュデの非戦闘員を含む俺の家族だが、俺の部屋に集めさせた。
まあちょうどクソほど広いし、寝る予定もないし問題はない。
謁見の様子と、現在置かれているかも知れない状況については、隊員含め全員に話してある。
よもや彼らの中に裏切り者などはいないだろう。
中には実力行使を主張する班長もいたが、とりあえずこちらも一晩様子を見ると言って宥めておいた。
すると、隊長の護衛をしなければと言って俺の部屋の前に居座る隊員が続出したので、シンシアに頼んで全員持ち場に戻ってもらった。
彼らは彼ら自身を守ってもらいたい。
「―――そのギルフォードはまだイマイチ信用置けないけど…アルトリウスが決めたならそれでいいと思うわ」
何だかんだとヒナも一晩王城に留まる事は認めてくれた。
ギルフォードは出会い方が出会い方だけに、ヒナとシンシアからの評価は低かったのだ。
「それにしても、突拍子も無い噂を思い付くものね…誰が流したか知らないけど、その出所が1番怪しいわ」
「なんの?」
「その王国の混乱の真犯人よ。どう考えても、自分から目をそらす為にありもしない噂をでっち上げたとしか思えないわ」
「ああ、なるほど…」
正直、内容が衝撃的過ぎて深く考えていなかったが、確かに…誰がどうして俺達が不利になるような噂を流したのか、気にはなるところである。
噂というのは、流した人間というのがいるものなのだ。
あながちそいつ自身が王国の混乱の元凶だったりするのかもしれない。
まぁ王城内の人間に王国を混乱させるメリットがあるのかは疑問なところだが。
それに、現在の王国の混乱というのは、一朝一夕にできるような小さいものでは無い。
王国に深く浸透するような宗教組織に、大量の人攫い。やろうと思って出来ることでも無いだろう。
今のところはわからないことだらけだ。
「しかし…あの剣士は、今夜何かが起きる、という言い方をしたんですよね? 普通に考えれば襲撃とかがあると思うんですが」
シンシアは話を聞いてからは、ずっと戦闘モードだ。
というか、ギルフォードの登場以来、シンシアもヒナも若干ピリピリしている。
「襲撃はないと思うけどな…」
少なくとも、ギルフォードにこちらに対する害意があるとは思えなかった。
俺の勝手な判断でもあるが…もし襲撃だとしても、『聖錬剣覇』さえ出て来なければ何とかなるという自負もある。
ギルフォードも、その弟分のメラトスも、中々の使い手に思えたが、タイマンなら俺1人でも7割程度の力で対処できると思う。
ギルフォードに関してはもう少し上にな気もするが、いざとなればヒナもシンシアもいるし、逃げ切ることくらいならば出来るはずだ。
まあ、俺も戦闘モード――というか、いつでも剣を抜けるようにはしている。
流石に…いらぬ疑いをかけられて、同胞が囚われているとなっては、警戒せざるを終えない。
まあそれが本当かどうかもわからないが。
そして―――もう時刻は夜。
日は完全に落ち、部屋は薄暗く、シャンデリアの光が不気味に光るだけだ。
「………」
全員起きてはいるものの、会話はない。
チータやリュデはともかく、俺もシンシアもヒナも、それなりに戦場をくぐってきた戦士だ。
気配を探る事に集中している。
おそらく隊員達の部屋も似たようなものだろう。
「…………」
なんとも焦れったいな。
既に日は落ちて数時間。
そろそろ日付が変わる頃だろう。
流石にこの間ずっと集中しているのは疲れたし、ベッドの上でちょこんと座っているリュデもあくびをしている。可愛い。
「ねぇアルトリウス、本当に―――」
そして、ヒナがそう口を開いた時―――。
―――ゴソゴソ
「――――!!!」
上。
天井より何やら音が聞こえたのだ。
リュデにも聞こえたのだろう。ハッと眠気の覚めたような顔をしている。
「――全員、固まれ」
俺は小声で部屋にいた家族に指示を出す。
撤退する場合は、そのまま壁をぶち抜いて窓から逃走する予定だ。
なのでいつでも魔法は放てるようにしておく。
―――ガタガタ、ゴソゴソ――
天井裏から聞こえると思われる物音は、次第に大きくなっていく。
「………」
俺も、シンシアも、ヒナも、その音の聞こえる部分を注視し、固唾を飲んで見守っている。
―――ガタガタ
「……ち……ロ!………よ!」
「…へ……で…う」
―――ガタガタ
耳を澄ますと、物音と共に、人の話し声らしきものが聞こえてきた。
少し高めの女性の声と、低めの男性の声だろうか。
何を言っているのかまでは分からないが、非常に騒がしい気がする。
「…人の声――ですか?」
「…襲撃にしては…やけにお粗末よね」
少しヒナが呆れたような声を出す。
勿、全く油断せずに腕を構えているところが彼女らしいが。
―――ガタン‼ バタバタ‼
そして、音が大きくなる。
「―――あーー!! 今絶対見ましたわ! このエロ親父! 帰ったら絶対許しませんわよ!」
「―――陛下のパンツなんて3歳の頃に見飽きていますよ…」
そして人の声も―――て、パンツ?
「アルトリウス‼ 来るわよ!」
「え、お、おう!」
一瞬その会話の内容に狼狽した俺だったが、即座にヒナの鋭い声が走る。
気配が近づいてくるのは確かなのだ。
おそらく薄壁一枚隔てた上に完全な人の声と気配、そして、物音。
間違いない。
そして―――
――――ドカン!!!
「―――!?」
「―――天井が!?」
思考もつかの間、弾けるような音が響いた。
天井の一部が、黙々と埃を立てながら落ちてきたのだ。
そして―――。
「―――キャッ!! 痛いですわ! ちょっとフィエロ! ちゃんと助けて下さいまし!」
「そんなこと言われても…陛下が勝手に降りたんじゃないですか」
土煙のような埃が舞う中で―――天井より降り立つ2人の人影が見えた。
1人は尻もちをつくかのように。
1人はシュタッと颯爽に。
その現象に、思わず俺は握っていた剣の柄を離した。
彼らが通ってきたのは、何かしらの隠し通路だろう。
この部屋の天井に繋がる通路か何かがあったのだ。
この2人は間違いなく、それによってここにやってきた。
いや、だが、それよりも。
現れた2人の姿は、予想外だった。
俺も、ヒナも、シンシアも―――この場にいた全員が呆気に取られている。
「――ケホッケホッ。それに…何ですのここは。やけに埃っぽいですわね」
「10年は使われていませんからねぇこの通路。無理を言ったのは陛下なのですから、我慢して下さい」
「…それもそうですわね」
舞っていた埃が収まる。
薄っすらと現れたのは、桃色の艶のある長髪。
目立たないようか、わざとらしく羽織った黒のローブはところどころ土ぼこりで汚れているが、彼女自身の美しさは少しも損なわせない…そんな絶世の美女。
そして、もう1人は、相も変わらず執事服に、銀色の剣を帯びた、薄紫色の髪の男。
「……さて、良かった……まだ残っていてくれましたわね」
そして、そんな桃色の髪の美女が、こちらを向く。
「初めまして……いえ、さっきぶりですわね、大使さん」
美女―――いや、ユースティティア王国女王、リーゼロッテは、ニコリと微笑んだ。




