第161話:間話・彼女たち
次回、もしかしたらお休みするかもしれません!
敬慕―――きっと最初はそんな感情だった。
年下の彼へのそんな感情が、いつ恋慕に変わったのかは、シンシア自身もよくわからない。
ただ、最初から――初めて会ったときから、初めて剣を交わした時から、彼のことは意識していたと、今はそう思う。
焦げ茶色の髪に、焦げ茶色の瞳。
表情は少し頼りなくも見えるが、その背中がとても頼りになることを、シンシアは知っている。
誰よりも人を傷つけることに苦しみながらも、それでも彼が彼であるために、覚悟を持って剣を振るその姿は、シンシアにとっては眩しいものだった。
彼に想い人がいると聞いた時は、我ながら動揺したものだ。
口では否定していても、頭で誤魔化していても――自分は彼のことが好きなんだと、本能は誤魔化せなかった。
だから―――そんな彼が自分を受け入れるといった時、最初は不安だった。
シンシアの他に、3人の女性。
ユピテル共和国では、一夫多妻制は取られていない。
褒められることでもないし、後ろ指を指されることでもある。
それに、彼が受け入れてくれたとしても、彼を想う他の人達は、シンシアを認めないかもしれない。
でも…彼は本気だった。
本気で4人を愛し、本気で4人と生きるつもりだった。
そして―――彼女たちも…。
「―――えっと、シンシア・エルドランドです…その…新参者ですが、よろしくお願いします」
その日、シンシアはバリアシオン家に呼ばれた。
大きめのテーブルに座るのは、現在はこの家の家主ともいえるアルトリウス。
少しふくよかな中年の女性に、亜麻色ポニーテールの可愛らしい少女。
そして、ついこの間、シンシアを呼びに来た利発そうな赤毛の少女。
ここにいるメンバーが…今首都にいるアルトリウスの家族ないし、アルトリウスが家族同然だと思っている人間だ。
シンシアをどのように紹介するかは、多分アルトリウスも困っただろう。
妻に迎える―――という言葉を、アルトリウスはほとんど使わない。
それがどれほど難しいことかは、皆が分かっている。
「―――彼女は…俺の隊の副隊長で、この2年半、戦場で常に俺を支えてくれた…大切な人だ」
と、アルトリウスはそう説明しただけだった。
でも、他の面々は、分かっています、とでもいう風に微笑ましくシンシアを迎えた。
食事の席では、シンシアはやけに緊張していた。
当然だろう、面識はあるとはいえ、ほとんど初対面の人間だ。
それがいきなり、家庭に土足で踏み込んできたら、いい顔はされないような気もする。
基本的に話の中心はアルトリウスだった。
最近あった、懐かしい人たちの話や、首都の様子。
今後の王国の準備をどうするか、とか。
シンシアは、カルティアでの思い出話や、軍の話が出た際に答えたくらい。
その時で、シンシアが馴染めたかと言われると、とてもはいとは言えないだろう。
だから―――シンシアの緊張がほぐれたのは、食事も終った後だった。
不意に―――亜麻色の髪のポニーテールの少女がシンシアに話しかけてきた。
「―――今日は…シンシア様も、泊まっていかれますよね?」
「へ?」
「ヒナ様も泊まっていかれるようですし…お部屋ならいくらでも余っているので」
―――どうしましょう。
宿泊するなんて話は、聞いていない。
予定という意味では大丈夫だが…。
すると、アルトリウスが横から口を挟んだ。
「いいんじゃないか? シンシアの家はそこそこ距離もあるし」
「えっと…じゃあ…そのお言葉に甘えて…」
正直、やはり緊張した。
迷ったものだが、断るのもあまりよくないだろう。
「では、お部屋の準備をしてきますね!」
そう言ったポニーテールの少女はやけに笑顔だった。
● ● ● ●
―――不思議な感じですね。
見慣れない食器。
初めて食べたバリアシオン家の料理はどれも美味しくて…愛情を感じる味がした。
見慣れないお風呂。
その大きさに、よく考えると、アルトリウスも貴族だということを思い出した。
見慣れないベッド。
来客用の大きめの部屋に鎮座するベッドは、アルトリウスの匂いがした。
彼の匂いは家の匂いなんだと思うと、改めて彼がここで育ったということがよくわかった。
―――自分は受け入れられたのだろうか。
ベッドに横になると、そんな不安が頭を過る。
見慣れない天井が、やけにそんな感情を加速させるのだ。
そんなときだった。
「――シンシア様、失礼してもよろしいでしょうか」
部屋の扉から声が聞こえた。
「―――ええ、大丈夫ですけど」
「では失礼します」
扉が開いて、現れたのは、亜麻色のポニーテールの少女リュデと、赤毛猫目の少女ヒナだ。
アルトリウスはいない。
「―――えっと…」
一応面識はあるし、食事の席では言葉を交わしはしたものの、殆ど初対面。
いったい何をしに来たのかと思ったが…
「シンシア…でいいわよね。その…お酒は好き?」
「へ?」
見ると、そう言う赤毛の少女の手には、大きめの瓶が握られている。
間違いなく中身は葡萄酒だ。
お酒?
確かに、先ほどの食事でお酒は出ていませんでしたが…。
「その…私たちは、きっとこの先、長い間一緒に生きていくことになると思うの」
「…はい」
「でも、私たちは、本来なら…仲違いを起こしやすい関係よ。なにせ…同じ人を好きになってしまったんだもの」
嫉妬。
独占欲。
そう言った感情は、人間にはつきものだ。
理性で受け入れられていても、どこかで不満は出てきてしまうかもしれない。
たとえアルトリウスが自分たちを等しく愛してくれたとしても、どうしても、もっと多くを求めてしまうのが、人間の浅ましさだ。
「だから…そうならないためにってわけじゃないけど…何ていうか…」
そう言いながら、赤毛の少女は言葉を選ぶ。
「…まずは、お互いをきちんと知った方がいいんじゃないかな、と思ったのよ」
「お互いを…」
「どうしてアルトリウスを好きになったのか、どれくらいアルトリウスを好きなのか、それ以外にも…色々と…シンシアのことが知りたいし、私たちのことも知って欲しいな、と思って」
「そのためのお酒ですね! 気持ちの奥までさらけ出して…女子だけの二次会ですよ!」
そういう2人の後ろでは、いつの間にか先ほどの温和な女性がカートを運んできていた。
お酒だけではなく、夜食もあるようだ。
本当に軽く宴会だ。
3人とも、とても優し気な表情だった。
これまでのシンシアの不安や杞憂なんか、全くもって見当違いだとでも言わんばかりだ。
「じゃあ…その…いただきます」
そして、女だけの女子会が始まった。
本当に―――色々な事を話した。
最初の話題はもっぱらアルトリウスだった。
お酒が入れば緊張も吹き飛び、言葉はいくらでも出てきた。
戦争中のアルトリウスはどうだったか、とか、どれくらい強かったか、どれくらい頼りになったか。
そんなことを根掘り葉掘り聞かれた。
アルトリウスの活躍を語る度に、2人の少女もとても誇らしそうな顔をするのが――本当に彼のことが好きなんだということがよくわかった。
彼女たちからも色々な事を聞いた。
チータやリュデからは、幼少期のアルトリウスの話。
やけに手もかからず、躾する必要が全くない子供だったとか。
3歳で言葉を理解したとか、読書家だったとか。
そもそも彼に文字を教えてもらったとか。
銀薔薇のイリティアとの修業時代の話とか。
ヒナからは、学生時代のアルトリウスの話を聞いた。
常に学年のトップをひた走り、あらゆる生徒から尊敬され、教師からは畏怖すらされていたという天才児だったらしい。
「どんな大人よりも大人らしくて、教師よりも教師らしい…単に優秀であるとは何か違う――とにかく異質な存在だったわ」
その時のアルトリウスを思い出しながら、赤毛の少女はそんな感想を漏らした。
アルトリウスは苦笑していたが、『神童』とはまさに彼の事をいうのだろう。
他にも、今はここにいないアルトリウスの家族の話。
彼の父もなかなか優秀な人物であるらしい。
シンシアからするとあまりよくわからない事ではあるが、若くして法務官というのはすごいことであるとか。
おおらかな彼の母の話や、やんちゃな彼の妹弟。
そして…。
「―――ドミトリウスさんと喧嘩していたときは、アルトリウスも大変そうだったわ」
アルトリウスを想っている―――というか、アルトリウスが大切に想っている少女、エトナの話題も出た。
彼女も現在は王国にいるらしい。
彼女とヒナは、一時期アルトリウスを巡って揉めていた時期があったとか。
「今思えば…2人でいがみ合っていたのが、バカらしいくらいよ」
ヒナは苦笑する。
でも、彼女たちがいたから、アルトリウスは「1人しか選ばない」という選択肢を取らない決意をしたのだろう。
後から受け入れて貰ったシンシアからすれば幸運なことである。
他にも――アルトリウスは、自分達との関係をどうするつもりなのか、という話題も出た。
大切に想ってくれていることも分かっているし、4人とも恋人――ないし家族と思ってくれているのだろう。
だが、この国では制度上、複数の妻を迎えることはできない。
別に今更、正式な関係性などに執着するつもりはないが、気にはなるものである。
「―――私は、王国に移住するのかと思っていたのだけれど」
そのことについて、ヒナが説明した。
王国は、重婚が可能だ。
正式に全員と結婚することができる。
今回アルトリウスが王国への大使を引き受けたのも、そんな王国への「下見」も兼ねているのではないか、ということだ。
「…でもなんだかアルトリウスは―――別のプランも考えてそうなのよね…」
なんてことをヒナはボヤいていた。
夜も更け、やけにお酒の回り早く、どうでもいいことから大事なことまで色々と話した。
アルトリウスと初めて出会ったのが、お風呂だったことや、最初は彼には冷たく当たっていたこと。
でも、いくら遠ざけても、彼はすぐ近くに寄り添ってくること。
彼のおかげで、ゼノンの弟子になれたこと。
父との仲が、彼のおかげで少しだけ改善されたこと。
酔いもあったし、たどたどしい言葉だっただろう。
でも皆、真剣に聞いてくれていた。
2人のことも、聞いた。
ヒナも、最初はアルトリウスには恋愛感情ではなく、ライバル心で向かっていたらしい。
「別に…今でも負けたくないとは思っているけど…」
酔っ払って顔を真っ赤にしながら、ヒナは話す。
「でも…きっと敵わないわ。アルトリウスは…すごいんだから…」
なんてことを言いながら、ヒナが最初にダウンした。
それにしても、彼女には驚かされた。
彼との未来の為に、上級貴族の名を捨てたというのもそうだが、彼に追い付くために、『摩天楼』の免許皆伝が出るほどの魔法の修業をしたというのも…凄まじいことだ。
シンシアは、『八傑』がどれほどの高みにいるか、知っている。
その免許皆伝など、おそらくヒナも第四段階の強さを持っているということだろう。
「ふふふ、そうでしゅよ~、アル様はすごいんでしゅよ~」
リュデは変な酔い方をしていた。
顔を赤らめて、きゃっきゃと言いながら話す。
「私に世界を教えてくれて~、抱きしめてくれて~、そして夜も―――きゃ~」
なんて一人で盛り上がっている。
途中からは半ば惚気のような話だったが、不思議と嫌な気分はしない。
そして、彼女もしゃべり疲れたのか、間もなくうつらうつらと頭を振り始めた始めた。
「――だから…シンシア様には感謝してもしきれないんでしゅよ…」
もうダウンするという直前、リュデは寝ぼけたように、でもしっかりとそう言った。
「?」
「アル様を救ってくれて―――本当に…ありがとうござい…ます……」
そして、幸せそうな顔で眠っていった。
なんとも可愛らしい寝顔である。
「…あらあら、もう2人とも…先に眠ってしまうなんて…」
「チータさん…」
チータは遠慮なく酔いつぶれていく3人を見守りつつ、せっせと給仕をしてくれていた。
少し申し訳ない事ではある。
「お片付けは、私がしておきますから、どうぞシンシア様もお休みください」
「……」
正直、言われるまでもなく、シンシアも限界であった。
するすると意識が抜け落ちていく。
「――シンシア様。これからも坊ちゃんを…よろしくお願いします」
そして、視界が落ちる寸前、そんな声が聞こえた。
―――ああ、皆さん…隊長のこと…本当に大好きなんですね。
シンシアにとってはそんなことを知ることができた女子会だった。
不安な気持ちもまだある。
まだ彼の家族と、エトナとの対面もある。
でも――きっとやっていける。
そんな気がした。




