第154話:久しぶりの先生
ラーゼンとの面談を終え、俺は、元老院の廊下を進んでいた。
イリティアが現在元老院にいるということで、ラーゼンに居場所を教えて貰ったのだ。
彼女も忙しいかもしれないが、顔は見せておいた方がいいだろう。
元老院の中でも主要な執務室からは少し離れた――軍部とでも言えばいいのだろうか。
おそらく軍に関係する人間が多くいる部署なのだろう、その棟は、建物の造りも色も同じなのに、やけに物々しい雰囲気を感じる。
教えて貰った部屋は、すぐについた。
少し分厚く感じる木のドアをノックする。
「―――はい?」
すると、鋭いながらも、どこかに優しさを含んだ―――懐かしい声が聞こえた。
かつて毎日のように聞いた、俺の先生の声だ。
「―――その…アルトリウスです」
「―――アル!?」
ドアに向かって俺がそう答えると、驚いたような声と共に、ドタバタと仰々しい物音が聞こえた。
何か物が落ちたような音と、慌てた足音だ。
そして、ガチャリと、勢いよくドアが開く。
「―――アル…」
現れたのは、長身に、美しい銀髪を棚引かせた美女―――イリティアだ。
「―――イリティア先生、この度はご心配を―――っ!?」
俺が彼女の姿を確認し、挨拶を言い終わる前に―――俺の身体はイリティアの胸の中に埋められていた。
「アル―――良かった…ずっと目覚めないと聞いていたので…」
「―――せ、先生…」
感無量といった感じで、ぎゅっと抱きしめてくれるのは、嬉しくないことはないが、流石にその胸もとの厚みと、腕の力で多少苦しい。
「―――あ、ごめんなさい」
俺がもがいていると、イリティアは気づいたようにパッと腕を離す。
改めて見たその顔は、若干涙目だった。
「―――とりあえず…そうですね、お茶でもどうですか?」
「…いただきます」
そうして、俺は部屋の中に招かれた。
● ● ● ●
その部屋は先ほどのラーゼンの部屋と造りは同じで、事務机に、来客用の対面机が置かれているくらいの殺風景な部屋だった。
とはいっても、事務机の周りには書類の束が山積みにされている。
バラバラと散らばっているのは、先ほど落としたものだろうか。
「―――えーと、アルは紅茶が好みでしたよね」
「まあ、そうですが、別に何でも大丈夫ですよ」
イリティアは、少し奥にある棚から、カップを取り出しているようだ。
案外慣れない手つきなのは、見てて若干微笑ましい。
程なく、イリティアがカップを手に俺の対面に座る。
「――どうぞ。あまり味に自信はありませんが」
「ありがとうございます」
机に置かれたのは、白いカップに、湯気をたてる紅茶だ。
無論、この殺風景な事務室に給湯設備などはない。
お湯は魔法で出したものだ。
水属性と炎属性の魔法を使えれば、熱湯くらいは自前で用意できる。
人によっては土属性の魔法でカップすら作れるし――茶葉や豆さえあれば、どこでも紅茶やコーヒーを楽しめるのは、魔法使いの特権だ。
お礼を言いながら俺はカップに口を付けた。
悪くない味だ。
でもやはりリュデの入れてくれた紅茶の方が美味しかった気もする。
「それで…」
紅茶の感想もそこそこに、イリティアが口を開いた。
「アルはいつ頃、目覚めたのですか?」
「…目覚めたのは、5日ほど前です。でもその…暫くは少し気持ちの整理がつかなくて…挨拶に来るのが遅くなり申し訳ありません」
「いえ――私も忙しく、貴方の顔を見に行けませんでしたし―――シルヴァディのことは、弟子であるアルからすれば気落ちは当然でしょう」
「…そういっていただけると、助かります」
「ただ…『軍神』は……一種の災害のようなものです。アレを相手にして自軍を勝たせるなんて事―――彼以外に誰もできないでしょう。貴方の師は、偉大な人です」
「…はい。僕も――そう思います」
そんな戦争の話をしつつ、一息ついたところで、改めて俺はイリティアに向き直り、口を開いた。
とにかくまずは、言わなければならないことがある。
「先生には―――お礼を言わなければなりません」
そして、頭を下げた。
「あのとき――土壇場で僕を助けてくれたことも――ヒナの傍にいてくれたことも――本当にありがとうございます」
ヒナから―――イリティアがアウローラの教師の仕事を休職してまで、旅に同行したという話は聞いた。
多分、俺が手紙に書いた「ヒナのことをよろしくお願いします」という頼みを、律義に守ってくれたのだろう。
助けてくれたことも含めて――言葉では言い表せないほど面倒をかけてしまった。
感謝など、いくらしてもし足りないだろう。
「ふふ、アルが気にする必要はありません。私は、私がやるべきと思ったことをやっているだけですから」
顔を上げると、イリティアが微笑んでいることが分かった。
「私からすれば、昔の教え子の命を助けることができて…無事でいてくれて―――それだけで十分ですよ」
「…ありがとうございます」
きっとこれ以上の感謝の言葉はいらないのだろう。
彼女は彼女なりにやりたいと思ってやったのだ。多分何かお礼として物を渡そうとしても、受け取ってはくれまい。
だから俺にできることは、心の中で感謝をし続けることと、いつか彼女が困ったときに助けること、それくらいだ。
そして、話は、現在の事に移った。
いくつか気になることと、相談したいことがあったのだ。
「―――軍に入った、と聞きましたが」
そう聞くと、イリティアは頷いた。
「ええ、今は内戦でバラバラになった軍隊の――再編成の仕事をしています」
ラーゼンが言っていたことは事実のようだ。
イリティアは優秀な人材だし、現在、人手不足のラーゼンからしたら渡りに船だろうが…。
「僕はてっきり――また教職に復帰するのかと思っていましたが…」
すると、イリティアは神妙な顔をする。
「そうですね…最初はそのつもりでしたが…彼も一応私の兄弟子ですから―――少しくらい尻拭いをしようかな、と」
「兄弟子…?」
「聞いていませんか? シルヴァディとは一時期、同じ師の元で一緒に剣を学んでいた仲なんですよ」
「あぁ…そういえば…」
昔、そんなような話を聞いたことがある気がする。
記憶が曖昧だったので、イリティアに詳しく聞くと、彼女とシルヴァディは、かつて『魔断剣』ゾラの元で共に剣を学んだ――つまりは兄妹弟子であるらしい。
なので、シルヴァディの死は、イリティアにとっても思うところがあるのだとか。
『魔断剣』ゾラが2人の師匠だということは――まぁ改めて考えると、変な因果である。
なにせ、俺はゾラと戦場で戦っているし、話を聞く限り、あの後イリティアもゾラと剣を交えたという。
ヒナとユリシーズといい、一概に師弟関係と言っても色々とあるということか。
それとも、俺も免許皆伝を貰った後ならば、そういった心境になったのだろうか。
まぁ今となっては、確かめようのないことではあるが。
「――そういえば、ゾラから伝言を預かっていますよ」
不意に、イリティアがそんなことを言いだした。
「伝言…僕にですか?」
「はい。その――『次は是非とも一対一で戦ろう』、と」
「…全力でお断りします」
「ふふ、アルなら勝てると思いますけどね」
「まさか。勝ち負け以前に、戦いたくないですよ。あの人との打ち合いは精神的に疲れます」
正直、あの老人とは二度と戦いたくない。
積み重ねた経験と、あの余裕。
まさに、達人だった。
「確かに、その通りですね」
イリティアが苦笑した。
さて、そんな話をしつつ、次は俺の相談をすることにした。
軍に残るか、文官となるか、退役するか―――それとも大使として王国に行くか。
平たく言えば、ラーゼンに色々な選択肢を教えて貰ったが、どうしようか、という話だ。
「―――王国への大使ですか…」
やはりイリティアも、王国への大使の話には大きく反応した。
「…私からはアルのやりたいことをやりなさい、としか言えませんが…そうですね、大使とは関係なく、王国へ行くというのは、見聞を広めるには最適だとは思います」
「見聞を広める…ですか」
「ええ、ユースティティア王国は、ユピテルとは違い、専制君主制の国でありながら、ここまで長くの間栄えてきた国です。王都には『聖錬剣覇』もいますし、もしも会えれば、色々と得るものもあるでしょう」
「『聖錬剣覇』…」
耳にしたことのある称号だ。
確か『八傑』だったか。
「―――昔、私が出会った中で、逆立ちしても敵わないと思った剣士が4人いると言った事を覚えていますか?」
「ええ」
かなり昔の記憶だが、よく覚えている。
当時はその少なさに仰天したものだ。
「――『天剣シルヴァディ』、『迅王ゼノン』、『魔断剣ゾラ』。そして―――最後の1人にして、おそらくその中でも群を抜いて強いと思われるのが、『聖錬剣覇フィエロ』です。なにせ、シルヴァディに神撃流以外の剣を教えたのは、フィエロですから」
おそらくその強さに、「剣士」以外の人間も含めるなら軍神ジェミニも入るのだろうが、アイツは剣を使うだけで、剣士ではない。
そもそも剣を使うということも有名ではないらしいし、イリティアの中でも剣士にカテゴライズはされていないのだろう。
俺も――アレを剣士とは呼びたくはない。
しかし―――聖錬剣覇も、シルヴァディの師匠の1人とは…。
これもまた驚きだ。
シルヴァディは自分がどのようにして剣を学んだかについては多くを語らなかった。
彼としては家族を放りっぱなしにし、復讐に明け暮れていた時期だ。あまり語りたくはないのだろうと思い、俺も詮索はしなかったのだが―――ゾラといい、聖錬剣覇といい、あのシルヴァディに剣を教えた人物が只者であるはずはなかったか。
「―――まあ、今となっては――アルにも逆立ちしても勝てなさそうですが」
「…そんなことはないですよ」
「いえ、そんなことあります」
そう言うイリティアの表情は多少寂しそうにも見えたが、喜んでいるようにも見えた。
「――アルは本当に―――立派な魔導士になりました」
いつか、彼女とした会話を思い出した。
『偉大な魔導士になってください』
彼女にそう言われ、そして、あの時の俺も、おぼろげながらそれを目標にしていた。
子供ながらに思い描いた将来の夢とでも言おうか。まあ中身は大人だったけど。
あれから――紆余曲折はあったが、確かに魔導士としてはそれなりに一人前になったような気はする。
まあ「偉大」からは程遠いだろうけど。
偉大な魔導士というのは、シルヴァディのような人の事を言うのだ。
「――いえ、まだまだですよ。その…魔道に限界はありませんから」
「ふふ、そうですね」
かつて彼女が教えてくれたその言葉を、忘れたことはない。
そして、やっぱり限界はないと、今でもそう思う。
魔法に限らず、剣の道も、もっと先があるのだろう。
ユリシーズの魔法や、ゾラの剣は、それを再確認するいい機会だったのかもしれない。
「―――あ、そういえば王国をお勧めする理由がもう一つありましたね」
そこで――ふいに思い出したように、イリティアが高い声を出した。
「何でしょう?」
「王国は、重婚ができますから、いずれアルが移住するにはもってこいでしょう?」
「先生……」
イリティアはやけにニヤついた顔だ。
――重婚。
確かに、王国は重婚が認められている。
男の甲斐性について、今の俺の抱える悩みの1つは、それによって解決できるかもしれない。
俺も考えていた中では、有力な選択肢の一つではある。
「まったく、モテる男性は苦労しますね」
「……」
そんな―――俺としてはなんとも答えづらい話で、イリティアとの再会は終わった。
そして、去り際、
「―――アル、私が軍に入ったからといって、気を使って貴方まで残る必要はありません。先ほども言いましたが―――アルはアルのやりたいことをしなさい。きっとシルヴァディもそれを願っています」
イリティアは真面目な顔で、そう言った。
もしかしたらイリティアを残して軍を退役することを、俺が躊躇すると思ったのかもしれない。
「―――はい」
俺は深く―――頷いた。
思ったよりもイリティアとの会話が長引いたので、オスカーを訪ねるのは次に回します。
ここ暫くはアルトリウスが現状把握していく話なので、テンポは遅いかもしれませんがご了承ください。




