第142話:『天剣』VS『軍神』
『――イルムガンツ要塞での戦い、その最終局面において行われたとされる《天剣シルヴァディ》対《軍神ジェミニ》の戦いは歴史上稀に見る好カードの対決だっただろう。
かたや、ユピテル軍最強の魔導士と目され、他の追随を許さぬ実力を持つ、剣と魔法を極めた不敗の男、シルヴァディ。
かたや、かつて大戦をその個人の力で終結させ、数多の名だたる強豪を打ち倒した常勝の男、ジェミニ。
まさに、不敗対常勝の戦いであると言える。
おそらく、現在の世界中の人々に、その対決の観戦券を売ろうと思ったら、1枚につき億単位の金額がつくことは間違いがない。
だが、残念ながら、その対決に観戦者はいなかった。
誰も見ていない荒野の一角で、人知れにずに始まったその戦いの一部始終を知る者はいない。
だが、1つだけ言えることはある。
その戦いは、その時の世界で最も強い人間を決める――文字通りの《頂上決戦》であったであろうということだ――――
―――リンドニウム・ハーミット著「軍神ジェミニの英雄譚」第4巻より中略』
● ● ● ●
―――まるで獣だな。
軍神ジェミニは、目の前の男を内心そう評価した。
猛り狂うほどの殺気を外側に出さず、内側に秘めながらも、それは隠しきれていない。
あるいは獅子か、あるいは虎か…見まごうほどの殺気。
天剣シルヴァディ。
黄金の髪と剣を持つ魔導士。
一目みてわかった。
ただ、強い。
今まで見てきたどんな者よりも強い。
先ほどのアルトリウスですら霞んで見える風格。
そして、何よりも、
「そうか、俺を殺す気か…」
殺気。
このジェミニを、世界の頂点を「殺そう」とその前に立ちはだかるシルヴァディを前に、ジェミニはかつてない滾りを見せていた。
既に準備運動は充分だ。
前菜というには豪華すぎる少年は、ジェミニを程よく楽しませた。
これが、メインディッシュ。
きっと『闇狗』ウルの言った予言が正しいのだとしたら、その相手はこの男だ。
それ以外はありえない。
「―――ククク…」
ジェミニの口角は吊り上がる。
既に抜いた剣も、発動した魔力も、纏う絶対領域も、収める気は全くない。
小手先―――点数の評価など無意味。
この男が100点など優に超えていることなど、最初から分かっている。
そして、ジェミニの笑い声が響く前に―――黄金の獅子は動いた。
「―――ッ!」
高速―――。
先ほど、ジェミニの速度についてきたアルトリウスと同等――いや、それ以上の速さの跳躍。
飛んでくるのは、真上からの、脳天を劈くような黄金の剣閃。
「ハハッ!」
剣術の心得がないジェミニからしても、その剣が武の境地――極めた先にある剣だというのがよくわかる。
聖錬剣覇も似たような剣を放っていた。
―――キィィィイン!
だが、いくらそれが極められた剣技であろうと、ジェミニの魔力で強化された四肢の速さに及ぶべくもない。
見てから間に合うとでもいうように、ジェミニは自身の剣をシルヴァディに向けてぶつけた。
シルヴァディの上段と、ジェミニの下段は競り合うが―――、
「―――!?」
ヌルり、と、手首から絡めとられるような感触がジェミニを襲う。
瞬時にジェミニは右腕に力を回す。
「―――ちっ!」
対面から舌打ちが聞こえたと思ったら、すぐにシルヴァディの剣は内側に引っ込む。
「おっと!」
思わずその勢いのまま前に倒れこむところを、無理やり足の指の力で地面を踏みしめる。
眼前のシルヴァディは数歩距離を取り、神妙な表情でこちらを見据えている。
「…今、何かしたか?」
ジェミニがたずねると、天剣は静かに答えた。
「奥義を3つほど打ち込んだ…意味はなかったようだがな」
「ほう」
その内包する殺気とは裏腹に、この金髪の男はやけに静かだ。
その奥義が通じていなかったことに、大して驚きもしていない。
上段に剣を構え、今にでも打ち込んでくるとばかりに殺気を発しているのに、その表情はどこか悟ったように落ち着いている。
「…次だ」
呟きは遅れて聞こえる。
この空間で以上に目立つはずの黄金の髪は、既にその場から加速している。
おそらく―――常人には視認のできない速度。
世界中の強者を集めても、そのほとんどが影すらつかめぬような初速。
だが、ジェミニには見えている。
彼の動体視力に見えぬものなどない。
「―――左ぃ!」
「―――フッ!!」
ジェミニの叫びと、シルヴァディの剣が振られたのはほぼ同時。
だが、遅れていたはずのジェミニの剣の方が速く振られる。
時の流れすら億劫になるほどの速さの剣が重なる。
だが、金属音は響かない。
シルヴァディは剣を振ったと見せたのは、フェイント。
そして、ジェミニの剣はまるでそこを誘導されていたかのようにシルヴァディの体を避けていく。
「―――流石だ!」
《読み》。
あらゆる動きから、ジェミニの動きを予想し、それに備えてあらかじめ体を置いておく動き。
先ほどアルトリウスも垣間見せた、達人の極意。
ジェミニの剣は当たらない。
それが振られる前から避けられているのだから、当たるわけがない。
速度で、膂力で、ジェミニに匹敵することができるシルヴァディだからこそできる芸当だ。
シルヴァディの返しの剣は既に放たれている。
剣を外した敵に対して追撃を行うのは当然だ。
だが……相手がジェミニの場合は悪手だ。
通常、自身の攻撃が失敗し、敵の攻撃が放たれる場合、取る行動は防御か回避。
しかし―――ジェミニは防御も回避もする必要がない。
「―――!?」
天剣の顔は驚愕に包まれた。
そう、シルヴァディの剣は、ジェミニの体に達する数センチ手前で止まったのだ。
たった数センチの間に重なる、何百層もの魔力の壁。
その領域は剣すら通さない。
数多の剣士が、数多の魔導士が、数多の英雄が越えられなかった…ジェミニを世界最強たらしめる絶対的な理由。
それが、『絶対領域』。
無論、『絶対領域』だけが脅威ではない。
『絶対領域』があるゆえに、ジェミニは防御も回避もする必要がないという事実が、彼を驚異的な存在たらしめるのだ。
行うのはただの攻撃のみ。
そしてそれらも生半可な攻撃ではない。
彼の剣は、大地を割り、天を裂く。
「―――クハハハハハハハ!!」
笑う阿修羅というものがもしも存在するならば、それはきっと彼のことだろう。
狂気的なまでに、歓喜の声を震わせながら、ジェミニの剣が、拳が、シルヴァディに向けられる。
「―――ッ!」
そんなジェミニを一瞥しながら後退するシルヴァディは、よく対処をしている。
剣は上手く避けられる。
拳はいなされる。
一見普通のことに思えるが、とんでもない。
かつて、ジェミニの剣をここまで避けた人間がいただろうか。
動きの速さだけではない。
ジェミニの動き自体の速さに対応できている時点で、既にシルヴァディはこれまでの敵とは一線を画する。
おそらく、それを可能にしているのは、殺気を放ちながらも不気味なほど落ち着いている彼の読み能力。
―――なるほど、よく見ている。
本来《読み》とは、攻めではなく守りに使うものだ。
その点、この場において、シルヴァディの読みは、圧巻だった。
ジェミニの剣の軌道は、その全てが完全に読まれている。
まるで未来を見通してでもいるかのように、シルヴァディはジェミニの剣の先にいない。
「ククク…ハッハッハッハ! 流石だ天剣よ! いったいいつまで避けていられる!」
「……!」
ジェミニの言葉にシルヴァディは答えない。
ただ瞬きすることもなく、その鋭い瞳で、真っすぐにジェミニの動きを注視している。
純白の剣の閃きを避ける。
身を翻し、ステップを踏み、動き、回り、跳び―――。
当たらない。
絶対にそこしかないという場所で、シルヴァディは剣閃の嵐をかいくぐる。
「―――ッ!!」
そして回避。
避けられる。
剣は空を斬り、シルヴァディの体には掠りもしない。
そんな状態が、続いた。
時間にすれば、それほど長い時間ではない。
だが、それでも彼らの次元の速さの中では、既に何十回も致命のやり取りをしている。
そして、その間、お互い無傷―――。
空を切り裂く自身の剣をジェミニは目を見開きながら驚愕の表情で見つめる。
―――いったい…いつまでそんな芸当を…!?
果たしていつまでこの男は読みを通し続けるのか―――。
スピードを緩めているつもりも、圧を失くしているつもりもない。
むしろ速度は上がり、膂力も魔力も高まっている。
それでもジェミニの純白の剣はただ空を裂くのみだ。
魔力が切れれば、もうこの次元の速度は出せないだろうと、だからそこでこの男も終わりであろうと、そう思っていた。
だが―――その黄金の獅子の目は変わらない。
不気味に、眼前のジェミニを見据えている。
まるで負けるつもりは毛頭ないと―――お前などの剣はいつまで経っても当たりはしないと、そう言っているような――。
「――俺を…この俺を舐めるか天剣んんん!!」
軍神が、声を張り上げた。
● ● ● ●
時が止まったように感じる中――シルヴァディはただ静かに足を動かしていた。
きっと考えていれば間に合わない速度だが、頭の中はあらゆる可能性を考慮している。
動き出しのモーションから、その10手先までを予測し、そしてまるでそれを反射的に実行する。
思考と反射が面白いように混ざり合う、異次元の域。
体の内側に熱く燃え上がる殺意の炎は、静かに沸々と血液を巡っている。
そんな血流が、シルヴァディの体を動かしていた。
軍神ジェミニ。
その世界の頂点と呼ばれた男の剣を、シルヴァディはそうして避けていた。
―――たしかに…聞いていた通りだ。
軍神という男のことを、シルヴァディは率直にそう感じた。
ジェミニは剣士じゃない。ただ、剣を得物として使っているだけだ。
その剣筋には何の型も理もない。
だが、速く、重く、強い。
その剣にあるとしたら、きっとそれは自分自身に対する圧倒的な自尊心そのものなのだろう。
事実―――その自尊心の通り、この男は強かった。
その剣の威力に、技は何の意味もなかった。
純粋な力。
搦手や小手先で何とかなる類のものではない。
実際、力というのは馬鹿に出来るものではない。
力は、そもそも強さを求めるうえで前提になるものだ。
技と力、どちらかしか選べないと言われたらシルヴァディでも迷わず力を取るだろう。
ジェミニはまるでそれを突き詰めていった先にあるような、1つの完成形だ。
いや、ある意味、産まれたときから完成していたのか。
この世界において、純然たる力、その象徴は「魔力」だ。
結局のところ、技量が競った場合、魔力を持っている者が勝つし、魔力のない者は魔力のある者に勝てない。
それが、この戦いの世界の真理。
――その根底を覆したのは、あの化け物爺さんくらいだが…。
結局のところその化け物爺さん――ゾラも、長年の経験と努力によって「競るのが難しいほど高みの技量」を身に着けているだけだ。
技量が伯仲する相手には勝てないだろう。
そんなこの世界で―――ジェミニが生まれながらにして持つ純然たる「魔力」は、それだけで彼を世界最強としている。
ジェミニが纏う、剣すら通らない魔力の鎧などはその最たる例だ。
シルヴァディが同じことをやろうと思っても、数秒持つか持たないかの消費魔力量。
それをこの男は、常時展開して平気な顔をしている。
その魔力量の差は何倍とか、そういう次元ではない。おそらくジェミニに魔力切れなんていう概念はないのだろう。
―――確かに世界最強。とてもじゃないが、人間じゃない。
技を、努力を、嘲笑うかのような力。
きっとそれに挑むなんて、無謀な挑戦だと、人は笑うかもしれない。
恐怖はある。
今は戦えていても、避けられていても、シルヴァディも魔力が切れれば、奴の動きに反応できず、奴の剣は避けられないかもしれない。
それでも、不思議とシルヴァディは落ち着いていた。
弟子を傷つけられた怒りも、この軍神に対する恐怖も―――その傍らにありながら、シルヴァディの思考を支配したりはしない。
―――負ける気がしねぇ。
天剣パストーレを倒して以来――止まっていたシルヴァディの強さが上がり続けた理由。
それがこいつを倒すためだというのならば、負けるはずがない。
このとんでもない速さの剣も、まるで当たる気がしない。
その硬い魔力の防御も、越えられるとしか思えない。
軍神の剣に乗るものが、自尊心だけだというのなら、シルヴァディの剣に乗せた「思い」に勝るはずがない。
――アルトリウス、お前が教えてくれたんだ。
復讐のためではない。
ただ、振るうためではない。
大切なものを守るために振るう剣。
たったそれだけでも、既に負ける気がしない。
「……俺を舐めるか天剣んんん!!」
膠着する状態に焦れたのか、ジェミニの剣が大振りになる。
――隙だ。
それは、身体的な隙ではない。
内面的に――ジェミニの思考に生じた隙。
ジェミニの動きを読み、避け続けたことにより発生した、ほんの少しの「焦り」という隙だ。
心・技・体、全てを備えてこそ一流という武の世界で、ジェミニはただ1つ、圧倒的な「体」のみで頂点に君臨している。
確かにそれは技術を意に介さない強さなのかもしれない。
でも、心は?
今まで、ただ圧倒的に捻りつぶすことしか知らなかった彼に、卓越した心があるのか?
少なくとも、この場では―――シルヴァディのそれは大きくジェミニの「心」の上を行く。
―――そこに、置くだけ。
ヌルりと、シルヴァディの体は動く。
既に、その剣が届くまでの道筋は描かれている。
ヒュッっと音を立てて、ジェミニの剣は当然のように空を斬る。
肌が剣圧に揺れるのを感じながら、シルヴァディは剣を動かす。
きっと両者とも、とんでもない速さで動いているはずなのに、シルヴァディの目にはまるで止まったように思える。
まるで、天や地と、一体になったような、そんな感覚だ。
そして、いつの間にかシルヴァディの剣は、ジェミニの懐に潜り込んでいた。
「―――‼」
驚愕するジェミニの顔であったが、だがそれでも超えるべき壁はまだある。
規格外の身体能力と反応速度の網を抜けたその先にある、無限に等しい魔力の壁―――。
―――いや、出来る。
シルヴァディは魔導士だ。
つまり、剣だけではなく、魔法すらも極めている。
剣だけでも、魔法だけでも届かない先に、シルヴァディならば辿り着くことができる。
刹那だけ。
その剣が通る、一瞬だけでもいい。
解析しろ。
その一瞬で―――ぶち当てろ。
今日はやけに魔力の乗りがいい。
できる気がする。
奴の体を覆う魔力に、同じ魔力をぶつける。その剣が通る道筋のみに―――。
「――――なッ!!」
そんな、軍神の声と共に―――赤い鮮血が、空を舞った。
● ● ● ●
その天剣の斬撃に―――何かを感じた。
脳裏にひりつく様な、違和感のある感触。
それがあまりよくないものであるということは、なんとなくわかった。
「―――なッ!!」
瞬間的に、ジェミニは飛びのいていた。
心臓の鼓動が速まっているのが分かる。
―――なんだ?
一体何が起こっている?
高まる心音。
速まる鼓動。
脳裏に鳴る警鐘。
正面には、こちらを見据え、剣を振り切った黄金の髪の男――シルヴァディの姿がある。
そして、その黄金の剣先からは―――赤い血がしたたり落ちていた…。
「…チッ! 浅いか…」
こちらの腹を見て、舌打ちをする天剣。
「まさか…」
ジェミニは天剣の視線の先―――自身の体に視線を落とす。
「―――‼」
目に入ったのは、ジェミニの左わき腹から右肩口までにかけて広がる、刀傷だった。
内臓までは達していないだろうが、先ほどアルトリウスが付けたような薄皮一枚ではない。
確実に肉を切り裂く斬撃である。
…『絶対領域』を…突破したのか?
ジェミニの胴からは、血液がたらりと落ちる。
これほど血を流したのは初めてだ。
ジェミニの圧倒的な反射と身体能力をかいくぐり、そして身に纏う絶対的な鎧すらも剥がした存在は、産まれてからただの一度もまみえなかった。
「…何を驚いていやがる軍神」
「…なに?」
天剣シルヴァディは、黄金の剣を構え、ゆっくりと、ジェミニと距離を詰める。
「―――俺は…斬れるぞ、お前のことを」
「―――‼」
電流のような衝撃が、ジェミニの頭に走る。
―――斬れる。
確かに、どうやったか、どうしてかはわからないが、このシルヴァディという男は、絶対領域を発動したジェミニを斬った。
確実に、あと少しでも後退するのが遅ければ、致命傷であるはずの攻撃を…。
「さあ、もう一度だ。だいぶ魔力は持っていかれたが…次は―――仕留める」
そう言ってシルヴァディが歩を進めた。
すると―――、
「―――!?」
どうしてか、何故だかはわからない。
そんなことをする気も、するつもりもなかった。
それなのに、なぜかジェミニの足が―――一歩後ろに退いたのだ。
まるで、シルヴァディの歩みに呼応して、逃げるように――。
気づくと足が震えていることがわかる。
心臓は高鳴り、鼓動は速くなる一方だ。
―――なんだ? なんだこれは…?
この頭に鳴り響く悪寒は、いったい……。
「―――教えてやろうか」
そう言って、シルヴァディは足を止める。
先ほどと表情を変えずに、悟ったように剣を持っている。
「それは《恐怖》だよ軍神」
冷淡に天剣が言ったのは、そんな言葉だった。
「――恐怖…だと」
「そうだ。今までお前がしてこなかった、《命のやり取り》。本当の殺し合いに対する―――恐怖だ」
「―――‼」
恐怖。
それは、これまでジェミニは感じたことのないものだった。
この世に生を受けたときから、ジェミニに対抗できる者はいなかった。
赤子であった時ですら、彼を害しようとした者は死んだ。
成長すればなおさら、彼を害せるものなどいなくなった。
戦争の真っただ中においてさえ、命の危険に陥るなど、そんなことは欠片もなかった。
それが―――今。
ジェミニの《絶対領域》を突破し、もしかしたら自身を殺せるかもしれない者。
そんな存在が現れたのだ。
ジェミニの鼓動は速くなり、本能は危険信号を出していた。
ぞっとするような悪寒が、脳裏に走っている。
「恐怖するから…誰もが死が怖いから、強くなろうとする。そして―――その恐怖を秘めながらも、打ち勝った者が―――強くなる。それがお前の知らない世界だ」
「……」
これが―――恐怖。
死の予兆に対する、人間の本能。
戦場にいる、誰もが目を背けられない、真理。
だが…。
「…さて軍神、そろそろ―――」
「―――ククク…クハハハッハッハッハッハ!!」
シルヴァディが剣を構え、歩を進めようとしたとき―――不意にジェミニは顔を上げ、高らかに笑い声を上げた。
まるで全てを――この世界の真理やそれどころか自分自身すらも笑い飛ばすような、そんな高らかな声だ。
「――何がおかしい?」
「恐怖―――恐怖だと!? 俺が戦いの先に求めていたもの、それが恐怖だというのか! 俺の戦っていた意味が、俺が渇望していた、ひりつく様な戦いの先にあるのが、これか!」
ジェミニは笑顔から一転、慟哭するかのように叫ぶ。
「…いったい何を…」
「認めん…認めんぞ天剣よ…この程度のことで軍神たる俺が―――最強たる俺が揺らぐはずがない!」
それは、おそらく、シルヴァディが舐めていた自尊心だ。
自分こそは最強であるという自負と自尊心。
それが、ここにきて怒りに変わっていた。
「―――‼」
「来るがいい、武の高みに登りし者よ。これが恐怖だと―――死への恐怖だというならば、貴様が証明してみせろ…」
ジェミニから発せられる魔力の圧が、格段に高まる。
今まで適当であった魔力量を、産まれて初めて開放し、全開にしたのだ。
いったい、その内包する魔力の底がどこなのか、それはジェミニすら知らない。
そして、ジェミニは言い放つ。
「――本当に貴様が、俺を殺せるのかを!」
いつものように尊大にではない。悠々とでもない。
どちらかと言えば必死に、死に物狂いであるように。
だがそれでも、先ほどまでのように震えているわけではない。
怒りか、それとも果て無きその自尊心のなせる技か、ジェミニはいつになく気迫にあふれていた。
「――うおおおおおおっ!!」
「――はあああああッ!!」
そして、両者は合図もなく、大地を蹴り上げる。
純白の力の剣閃と、黄金の技の剣閃は交わり、その衝撃は当たり一面の空気と大地を揺るがす。
そこに、余裕な笑みを浮かべる男はいなかった。
あの軍神が、鬼のような形相を浮かべて、血管を浮かび上がらせながら、必死に剣を握っているのだ。
対する天剣も、急に変わった軍神の動きに、先ほどのようなすまし顔は崩れる。想像以上の速さと、膂力、そして、軍神の思いもよらない「意地」に、圧倒されていた。
背負う「思い」と、自身の「意地」のぶつかり合い。
苛烈にして熾烈であったその戦いは、間もなく――終わりを迎える。
現実に奇跡は起こらず、結果は順当に存在する。
まるでそれが決められた運命であるかのように。
あるいは歪んだ運命が収束するように。
「……見事だったぞ、天剣」
立っていたのは――1人だった。




