第140話:要塞内の戦い
「3班から10班まではエイドリアナについて門の解放に! 残りは各班、散開して司令部を目指せ!」
イルムガンツ要塞―――。
なんとか内部に侵入したアルトリウス隊を、シンシアは必死に指揮していた。
オスカーの予想通り、要塞への抜け道は、退避のためであろうか、通路が1つだけ残っていた。
隠蔽魔法で巧妙に隠してあったが、なにせアルトリウス隊は何人もの優秀な魔法士を抱えている。
同じユピテル人の隠蔽魔法など看破できぬことはない。
とはいえ、問題はここから先である。
内部に侵入できたからと言って、要塞内では多勢に無勢。広い空間で囲まれれば終わりだ。
それより前に、要塞深部まで浸透し、司令部を確保するか、西軍の侵攻を阻んでいる要塞の正面門を開けなければならない。
戦力分散の愚すら厭わず、シンシアは隊を分散させ、人海戦術で司令部を目指していた。
重要なのは時間。
要塞の外にいる『摩天楼』と『魔断剣』を、いつまで足止めできるかなどわかりはしない。
それに、ヌレーラやアウローラから援軍が来てしまっては全てが終わる。
「進め! 雑兵など相手にするな! 誰か1人でもネグレドの元にたどり着けば、我らの勝利だ!」
――進む。
狭い要塞内の通路では、比較的戦闘する人数に差はない。
となれば、突破力においては単体での戦闘能力の高いシンシア達に分がある。
止まらない。
止まるわけがない。
自分たちの敬愛するアルトリウスが、命を賭して稼いでいる時間だ。
無駄にするわけがない。
シンシアの予想では、ネグレドの御座する司令部はそれほど深部にない。
彼は前線に出て指揮をとる将軍だ。
性格上、指揮の遅れが出る最後方に居座ることは嫌がるだろう。
要塞は、きっとここが戦場でなければ、堅牢さと内部までの作り込みに感嘆したであろう素晴らしい出来栄えだ。
だが残念ながら戦場にならない要塞などはない。
敵兵を斬り伏せ、扉を破壊し、突き進む。
そして―――おそらくかなり進んだであろう、その場所で、不意に後方から殺気を感じた。
「―――!」
今さっきシンシア達2班が、猛然と進軍してきたこの道。
その後を追うように、凄まじい殺気と闘気が迫ってくるのだ。
「…まさか、もはやこんな場所まで来ているとは」
2班の面々が注視する中―――そう呟きながら現れたのは1人の青年だ。
緑色の髪に、長身痩躯。
そしてなによりも特徴的な、背中に携える3本の剣。
青年は、しっかりとシンシア達を見据え、眼光を煌めかせて言い放つ。
「我は魔断剣ゾラが弟子、二代目『百剣』ダルマイヤー。悪いが…この先を通すわけにはいかない」
「『百剣』…」
シンシアは聞いたことがある。
『百剣』とは…たしか魔断剣ゾラが若かりし日に名乗っていた二つ名だ。
間違いなく実力者であることがわかる。
――避けては通れない…。
そう判断し、シンシアは剣を抜こうとしたのだが、
「…副隊長は先に進んで下さい」
班員の1人―――そう歳の変わらない少年がそう言ってスッとシンシアの前に出た。
「ウィルコックス…」
「そうね、ここで時間を取られるわけにはいかないわ」
ウィルコックスに続いて、この班の副官を任しているナオミも、そう言って剣を抜く。
「ナオミまで…」
目を見開くシンシアだったが、ウィルコックスも、ナオミも、他の班員もそう言って譲らない。
「行って、シンシア。貴女の速さなら、司令部まですぐよ。大将首を取ってきなさい!」
作戦の目的は、あくまでネグレドを倒すこと。
それに、この2班の面々は、2年間共に戦場を駆け抜けてきた頼れる猛者たちだ。
実力の高さはシンシアが一番わかっている。
「…わかりました。皆、頼みます!」
瞬時にシンシアは決断を下す。
時間は勝負。
ここでの数秒が、もしかしたら後から命取りになるかもしれない。
「―――そう簡単に行かせると……」
「それはこっちの台詞!」
「―――っ!」
背を向けたシンシアを行かせまいと、ダルマイヤーの跳躍が走るも、その行く手をナオミが阻む。
ダルマイヤーの剣はシンシアに届かず、その一瞬でシンシアは既に遥か彼方へ走り去っている。
少なくともスピードという面では、ダルマイヤーには追い付けない速度だ。
そして、眼前には、そんなダルマイヤーの行く手を阻もうとする7人の魔法使い。
いずれもダルマイヤーよりは格下であるものの、油断ができるほどではない。
『アルトリウス隊の隊員は誰もが他の軍なら百人隊長レベルの猛者だ』という話を、ダルマイヤーは聞いたことがある。もしも彼らがその例の隊というならば、それほど余裕はないだろう。
「…これは参ったな、狩りに来たのに、狩られる側になるとは」
呟く百剣ダルマイヤーに対し、7人の中心に立つナオミが声を張り上げる。
「第1独立特務部隊2班、これまでの全てを出し切るときよ! 総員、かかれ!」
「――ちっ! 舐めるなよ…ッ!」
こうして、要塞の中腹にて、三本の剣を持つ剣士と、歴戦の部隊との戦いが幕を開けた。
● ● ● ●
「―――ハァ――ハァ――」
シンシアは走っていた。
もはや出くわす敵にシンシアの相手になるような者はいない。
ひたすらに敵を倒し、前に、前に進んだ。
魔力の総量も限界に近い。
ここらで司令部にたどり着かないと、作戦は無に帰してしまう。
―――先ほどの位置で二つ名持ちを投入してきたということは、それほど遠くないはず…っ!
『百剣』を名乗るダルマイヤーとの遭遇は、班員のおかげでなんとか切り抜けれた。
ここで自分が司令部を見つけなければ、彼らの気持ちも無駄になってしまう。
そんなことを考えながら、進んでいたシンシアだったが―――。
「…!?」
不意に、通路の正面より、とんでもない覇気を感じた。
1本道のその先。
逃げ場もなければ、引き返すという選択肢もない。
臆せずに、シンシアは歩みを進める。
「―――! 貴方は…」
現れたのは、スキンヘッドに、やけにさっぱりした顔をした壮年の男。
特徴的なのは、そのあふれ出てくる強者の貫禄と、隻腕であるということだ。
隻腕というのは聞いたことはないが、間違いない。
頭を丸めた剣士といえば、1人しか心当たりはないのだ。
「――『蜻蛉』クザン…」
「―――カッカッカ、そういう嬢ちゃんは、どこかで見たことある顔だと思ったら、シルヴァディの娘だな? 目元のあたりがそっくりだ」
剣士――クザンは、シンシアの言葉を肯定するかのように高笑う。
「ほら見ろよ、こいつぁ今さっきお前の親父にやられたんだ。全くとんでもない奴だよアイツは」
そう言ってクザンは右腕を上げる。
肘から先が綺麗に切断されている。間違いなく剣によるものだ。
「同じ戦場で父と娘、両方に遭遇するたぁ、奇怪なこともあるものよ」
「まさか…父をやったのですか?」
クザンの物言いに、シンシアは眉を顰める。
たとえ二つ名持ちであろうと、父を倒せる人間がこの世にいるとは思えないが、それでも父の行方はわからず、父と戦ったこの男が生き残って目の前にいるという事実には、いささか動揺を隠せない。
「――さあな、自分で確かめてみたらどうだ?」
「―――ッ!」
シンシアの反応を楽しむかのように、クザンはニヤリと笑う。
明らかな挑発だろう。
――落ち着きなさい、シンシア。
シンシアは自分自身に言い聞かせる。
相手は片腕がないとはいえ、間違いなく格上―――父や師匠、アルトリウスと同じ域にいる強者だ。
しかもそれが利き腕とは限らない。
加えて水燕流となれば、慌てて攻めたところに受け流しやカウンターを合わせられる。
シンシアの使う「攻め」の神速流との相性はあまりよくはない。
事実、水燕流奥義『流閃』を習得したアルトリウスに、シンシアはなかなか勝ち越せなかった。
―――あるいは彼のようにこちらも奥義を使うか、お師匠様のように返しよりも速く動ければいいのですが…。
冷や汗をかくシンシアに、クザンは続ける。
「ふむ、なかなかに慎重だな。まぁこちらとしては構わんが―――嬢ちゃんからしたらさっさとかかってきた方がいいんじゃないか?」
「何を…」
「なにせ、お前らのお目当て――ネグレドはこの先すぐだ。俺を倒せばその時点でそちらの軍の勝利というわけだからな」
「…それを信じるとでも?」
「カッカッカ、まぁそれも…どちらでも構わん。俺の言うことを信じ、俺を倒して前に進むか。それとも俺から逃げて元来た道を引き返すか―――全てお前の自由だ」
「……」
無論―――元来た道を引き返す選択肢などない。
背を向けた瞬間、クザンの剣が飛んでくる想像などいくらでもできる。
悠長にしている時間もない。
選択肢は一つ。目の前の男を倒し、先に進むことだけだ。
―――私に、できるでしょうか。
相手は格上。
第四段階。
そこに至った人間は、それ以下の人間を圧倒する力がある。
アルトリウスが昔突破したその壁を、未だにシンシアは越えられていない。
「―――いえ、それは言い訳ですね」
かつて、アルトリウスが、相手が格上だからと言って逃げたことがあっただろうか。
いや、ない。
シンシアが見てきたアルトリウスという少年は、どんな大軍にも臆せず、どんな強者だろうと果敢に挑む。そんな少年だ。
彼は彼の大事なものを守るためなら、彼が彼である理由の為でなら、どんな無理も押し通す。
きっと、それがシンシアと彼の違い。
覚悟の違いだ。
――でも。
この戦いでシンシアだって覚悟は決めた。
彼にばかり命を懸けさせて、守られるばかりでいいはずがない。
シンシアは目を見開く。
鷹のような鋭い目つきで、ただ1人クザンを見据える。
「―――神速流は最速最強、取るべきは…」
「お? なんだ、やる気に…」
「―――先の先!」
金色の髪が、空気を舞った。
シンシアにとって、生まれて初めての格上との一対一の殺し合い。
そして、この戦争の勝敗を分かつ、重要な戦いが、始まった。




