第136話:『烈空』VS『軍神』②
軍神ジェミニは今代において、頭一つ抜けて世界最強と呼ばれる男だ。
数々の逸話がそれが事実だということを証明している。
だがしかし、実際に彼がどのようにして戦うのか、それを詳しく知る者はいない。
かの剣の達人『聖錬剣覇』のように、圧倒的な剣の技量を持って戦う剣士なのか。
それとも、大陸最高の魔法士『摩天楼』のようにあらゆる魔法を極めた魔法使いなのか。
それは誰も知らない。
『軍神ジェミニの英雄譚』には、こと細やかにジェミニの半生が綴られている。
誰と戦い誰に勝ったとか、どこかの街を吹き飛ばしたとか、そう言った内容は書かれているが―――反面、どのようにして彼が勝ったのか、どんな技で街を吹き飛ばしたのか―――その方法は常に謎に包まれている。
多くのユピテルの人間に聞いた時、彼らは軍神ジェミニを「卓越した魔導士」なのではないかと答えるだろう。
常識的に考えて徒手空拳で剣士に勝てる事もなければ、魔法を使わずに街を破壊できることもないのだ。
だが―――事実は違う。
ジェミニは卓越した魔導士でもなければ、練達した剣技を使う魔剣士でもない。
そして数多の属性魔法を使いこなす魔法士でもない。
たしかに剣を使うことはあるかもしれない。
だが、そこに武技はない。
彼はどんな剣の流派の技も使わない。
たしかに魔法は使うだろう。
だが、それは炎でもなければ水でもない。
彼は属性魔法を使わない。
彼は、かの軍神バイグルに「魔法や剣を学ばないか」と催促されても、常に拒み続けた。
「――そんなものは弱者が強くなるために学ぶものだ。既に強者たる俺には必要がないだろう」
そう言われて以降、バイグルは何も言わなくなったという。
なぜなら――剣も魔法も使えないその時点で、ジェミニはバイグルよりも強かったからだ。
● ● ● ●
「―――ありえない」
宙を舞いながら、俺は思わずそう漏らした。
人間の反射神経というのは0.2秒が限界と呼ばれている。
見たものに対して反応するまで、0.2秒のタイムラグが発生するということだ。
だが、奴にそれはなかった。
いや、あったのかもしれない。
だが、それは限りなく0に近い物だった。
動体視力がいいとか、反応速度が速いとか―――そういった次元を超越しているようなそんな動き。
なにせ…俺がジェミニの薄皮一枚を斬るよりも、奴がそれを見てから反撃する動きの方が速かった。
まるで―――ジャンケンで常に後出しをされているような、そんな感覚だ。
―――ふざけんなっ…。
どさりと、地面に落ちながら―――体を治癒することも忘れて俺は思う。
凄まじい速度の動作に、一撃で何メートルも吹き飛ばすような怪力。
俺の剣を見てから対処できるデタラメな動体視力と身体能力。
強い。
ああ、そうさ、信じられない強さだ。
…だけどなんだこいつは?
そう、違和感。
おかしいんだ。
俺の動きを、奴は読めていなかった。
フェイントにも釣られた。
そんな速さが、そんな強さがあるのに。
―――こいつ、てんで武術は素人だ。
まるでそこらのチンピラとも思えるような雑な殴り方と避け方。
フェイントにも引っかかるし、足さばきも素人。
徒手空拳とはよくいったもので、神撃流のそれのように型にのっとったものではない。
読み合いも全く発生しない。なにせ、アイツはこちらの動きも全く読んでいないのだ。
ただ来た攻撃を、見たままに避け、見たままに殴りつける―――。
まるで力押し―――ガキのケンカ殺法だ。
そして、何よりも許せないのは、そんな雑な足さばきに、俺は剣を当てられない。そんな雑なパンチを俺は避けれない―――そんな事実だ。
ただの身体能力と動体視力に任せた…全ての武術を―――剣の研鑽を…バカにするような雑な動きなのに、その速さと威力に為すすべがない。
なんだ、こいつは…。
積み上げてきた経験も、鍛錬した技術も見られない。
ただ―――持ち前の身体能力だけで無理やり俺の技を、剣を、無に帰す。
まさに―――理不尽の権化…。
これが世界最強だと?
馬鹿にしている…。
これまでの名だたる武人の研鑽を。
歴史を作ってきた英雄たちの努力の日々を…。
「…ふざけるな―――」
「ん?」
「ふざけるなよ軍神…アンタなんかが世界最強でいいわけがないんだ…」
「ほう…」
「何なんだ…アンタは…剣も持たず、技もなく、魔法も使わない。それで…最強だと? ふざけるな…」
俺は知っている。
今まで出会ってきた名だたる強者。
その全てが、死に物狂いで努力し、その力を手にしたことを。
シルヴァディも、ゼノンも、今でも毎日真剣に剣を振っている。
対処に苦労したギャンブランの奥義は、反復の末身につけたものだろう。
ユリシーズだってあの魔法制御の域に至るのに随分時間をかけたはずだ。
ゾラの長年積み上げたであろう経験値には舌を巻いた。
「ふん、烈空よ、貴様は面白いことを言うな」
「なに?」
俺の言葉に、ジェミニはさもあらんと顔で答える。
「剣術、魔法、技。それらは弱者が強くなるために学び、身に付けるものだ。俺には不要だろう」
「…なっ――」
その尊大すぎる物言いに、思わず俺は言葉を失くした。
「それに…烈空、貴様は勘違いをしている」
「勘違い、だと?」
「強さとは、なんだ?」
軍神は金の目を細めて真っすぐに俺を見据えている。
「剣が練達しているから強いのか? 魔法を極めたから強いのか? 経験を積んだから強いのか? 努力を重ねたから強いのか? いや、違うだろう。ただ純粋に―――強い者が強いのだ」
「―――っ!」
「そこに至るまでの過程に意味はない。剣でも魔法でも大いに結構。ただ意味があるのは結果のみ…生まれたときより、俺より強い者はいない。その事実だけだ」
不遜。
尊大。
まるでそれが真実だとでもばかりに、軍神は高らかに言い放った。
――ああ、そうか。
こいつは、そもそも…根本的に違ったんだ。
こいつは別に強くなりたいわけじゃない。
特に何の意味もなく、最初から――産まれたときから強かっただけだ。
そりゃあ努力なんてしないだろう。
しなくても勝てるのだから。
剣も魔法も学ばないだろう。
学ばなくても勝てるのだから。
「…さて、そろそろ治癒は終わっただろう。かかってこい」
軍神はそう言い放つ。
かかってこいと言いながら、構えなどせず。
もはや俺の動きなど注視していないような、そんな雰囲気すら感じる。
自負。
自分は絶対に負けないとでもいうような、圧倒的自尊心が、そこには垣間見えた。
「―――スゥー…」
俺は息を大きく吸い込んだ。
ドクン、ドクン、と心臓が大きく脈打っている事がわかる。
俺の心臓…。
ユリシーズ達との戦闘中、突如痛み出した心臓。
ああ、わかってるよ。
多分また無理をしたら―――痛み出す。
きっとシルヴァディが言っていた反動だ。
やり過ぎると、体がどうなるかはわからない。
それでも―――。
「―――軍神。確かにアンタの言う通りだろう」
強い者が強い。
強ければそこに技も経験も努力も必要ない。
その通りだ。
それでこいつはこれまで負けなかった。
最強と謳われ、その名を欲しいがままにしてきた。
―――手段なんてなんでもいい。
剣も、力も、魔法も、技も、才能も―――俺の全てでこいつコイツを越える。
俺ならできる。
越えられる。
確かに―――こいつは速く―――そして、強い。
今まで見てきた中で、ダントツだ。
でも、もしも、こいつと同等の速さを出せれば?
この男と同等の身体能力と、速度を出せるのなら?
そう、速さと反応で並ぶなら―――勝敗を分けるのは、積み上げてきた技術。努力の差だ。
「教えてやるよ軍神…どうして人は学ぶのか―――どうして努力をするのか、その意味を」
0.2秒。
人間の反応速度の限界。
奴にできるならば、俺に…いや、アルトリウスには越えられる。
そして、その先に、勝利がある。
俺が求めたもの…きっとその全てが。
俺は地面を蹴った。
● ● ● ●
「―――!」
―――ここは…いや、私は…。
戦場から少し離れた山林で、1人の少女が目を覚ました。
何の変哲もなく立つ木に、寝かせられるようにもたれかかっていた少女――アニーだ。
アニーは目覚めて早々、魔力切れ特有の頭痛と脱力感を感じながら、働かない頭を全力で働かせる。
「そうだ…私は隊長を運んで…」
アニーはたしか、あの化け物のような男から逃すため、アルトリウスを運んでいた途中だ。
魔力が切れて意識を失ってしまったようだ。
「―――隊長は!?」
傍には背負っていたはずのアルトリウスはいない。
あるのは、僅かな魔力の残滓――まるで隠蔽魔法を使ったような残滓の跡だ。
―――これは、隊長の?
それはアルトリウスが以前、得意じゃないと言いながらも披露してくれた色彩を操る隠蔽魔法の残滓によく似ていた。残していくアニーのために使った魔法だろう。
「ということは隊長は―――」
焦る気持ちであたりを見渡すアニーだったが、そこでアニーは、近くに人の気配を感じる。
「―――隊長!?」
そう思い、慌ててその気配の元へ行くも―――。
「あ、あなたは―――」
そこにいたのは、彼女の思いもよらない人物だった。
些細な部分ですが、前回の戦闘シーンの描写を少しだけ変更しました。




