第131話:佳境へ
「ふぅ…いい加減諦めたらどうだ?」
戦場の跡。
血と煙がこだまするその場所で、2人の男が剣を持っていた。
一方は全身血塗れではあるが、その殆どは返り血である、金髪のオールバックの男――シルヴァディだ。
「そうだなぁ、諦めたいのはやまやまだが…いかんせん逃げる体力も残ってないからなあ」
相対するは、スキンヘッドに中背の男。
全身を切り傷に覆われ、利き腕は肘から先がバッサリと欠けている。
滴り落ちる血は尋常でなく、既に絶体絶命と言っていい。
かろうじて剣は左腕に握られていたが、もちろん利き腕でない左腕では技の精度は著しく劣る。
シルヴァディに比べれば明らかに満身創痍なこの男は、ネグレドより殿を託された剣士、クザンである。
クザンは思う。
――流石は、八傑。天才と呼ばれた男よ…。
クザンが30年かけて習得した6つの水燕流の奥義を、この目の前の男はたったの1年で習得したという。
無論クザンに才能がないわけではない。
むしろ同門の中では抜きん出た才覚と向上心を持つ男だった。
なにしろ水燕流の奥義は、3つ以上使えれば超一流と呼ばれる。
6つ全て習得するというのは、その域を超えた―――才能とたゆまぬ努力を積んだ先にあるものだ。
そんなクザンが凡人であるはずがない。
だが――目の前の男は格が違った。
神速流。神撃流。甲剣流。
水燕流だけではなく、他の全ての流派も一流に極めているこの男は、水燕流の技ですら、クザンより優れた使い手であった。
水燕流の剣士は、その奥義の一つ『流閃』を合わせただけでどちらが上か容易にわかる。
シルヴァディの『流閃』は、クザンのそれの速度と技量を上回り、クザンの奥義はそのこと如くを流された。
――『流閃』をより極めた方が水燕流を制する。
それがこの「技」の世界の全てだ。
他の5つの技はもちろん、クザンがオリジナルで行き着いた7つ目の秘技でさえ、全て流された。
「カッカッカ…いつのまにそれほど腕を上げた? 前に会った時は…これほど差は無かった筈だが」
クザンとシルヴァディは、何年も前――まだシルヴァディが天剣の名を継いで間もないころに、一度試合という形で手合わせをしている。
その時は、お互い殆ど互角の技を繰り出していたはずだった。
「――最近、弟子を取ったんだ」
クザンの問いにシルヴァディが答えた。
「ほう…」
「とんでもない成長速度だよ。本当に真摯に毎日剣を振って、どれだけ叩き潰してもめげることなくいつまでも向かってくる――そして、まるで俺を追い立てるように強くなっていくんだ。そんな弟子を持ったら…師である俺も、負けていられないだろう?」
「なるほどなぁ」
シルヴァディは弟子を取り、何かが変わったのだろう。
人間誰しも1人で強くなるのには限界がある。
シルヴァディにとって、その弟子が、彼の殻を破る大きなきっかけであったのだろう。
「―――『烈空』アルトリウスだったか…あれほど娘に拘っていたお前が弟子とはなあ」
「娘はゼノンの弟子になったよ」
「なんと! 迅王までも弟子を取ったか!」
頑なに弟子を取ることを拒んでいたことで有名な2人が戦地で弟子を取るとは…世の中何が起こるかわからないものである。
「クザン、てめえは弟子は取らなかったのか」
「ふん、俺は貴様らのように妥協はせんよ。俺を越えれる逸材に出会うまでは弟子は取らんと決めている」
とはいえ、かく言うクザンも似たようなものだ。
己の技の全てを受け継ぐような才能のある逸材でなければ剣は教えんと、長年弟子を取ることを拒否し続けていたのだ。
――そういう意味では、こやつらの弟子は大変だな。
弟子とは師を超える為に存在する。
それがこれほどの高みであると――。
「はんっ! てめえに心配されなくても…アイツはいずれ俺を越えるよ。いや俺だけじゃない。『白騎士』や、『聖錬剣覇』すら凌駕する――最強の魔導士になるさ」
「…」
――なるほど、あの『天剣』にそこまで言わすとは…1度会ってみたかったなぁ。
弟子。
クザンは経験することのなかったそれは、ついぞ、そのまま経験せずに終わるのだろう。
「――さて、クザンよ。俺も時間はない。何か言い残すことはあるか?」
そう、もう勝敗はついている。
利き腕を失った時点で、既にクザンに逆転の目はない。
救いは―――なんとか後方の軍団を撤退させることに成功したことだろうか。
ネグレドさえ生きていれば、まだ東軍の負けではない。
「―――カッカッカ。もう50年は生きた。ちと早いが思い残すことはない」
ついぞ剣の頂点を極めることはできなかったが、きっとクザンはこの域が限界だろう。
これ以上――強者と呼ばれる第四段階のさらに先に、クザンではいけなかった。
―――もしも俺も弟子を取っていたら…何かが変わったのかもなぁ…。
「そうか、じゃあ――」
そして、シルヴァディの剣が振り上げられた時――。
―――爆音と振動が、大地を穿った。
「―――っ!?」
一瞬、シルヴァディの視線ははるか後方に行く。
それは―――巨大な大岩が、大地を穿つ瞬間だった。
―――隕石が、地面に衝突したのだ。
「―――ババアの秘伝魔法じゃねえか! クソ、アイツも参加していたのかよ!」
動揺と、混乱。
戦闘中のシルヴァディにしては珍しい感情だった。
何故なら、あのユリシーズが秘伝魔法を使わなければならない程の相手はイルムガンツ方面の西軍には限られる。
シルヴァディの知る限り、それは自身を除いた1人だけだ。
「――――!」
ここで、シルヴァディは失態に気づいた。
――しまった、クザンから意識を離したっ!
思考の渦に巻き込まれて、クザンの注意を怠ったのだ。
慌てて視線を正面のクザンに戻すも、既に時は遅し。
正面にいたはずのクザンの姿はどこかへ消えていた。
―――逃げた、か。
「――ちっ。面倒な奴を逃したな」
とはいえ、クザンは手負い。
そう大したことはできないはずだが…それよりも心配なのは先ほどの―――おそらくユリシーズのものと思われる魔法である。
―――落ち着け。大丈夫だ。アルトリウスなら上手くやる。
「そうだ…アイツなら上手く…」
金髪の男はそう呟いて歩き出した。
● ● ● ●
「アニー! 隊長は!?」
フランツは叫んだ。
戦場―――先ほどまでとんでもない化け物共が集っていた空間からある程度離れた場所で、7人の若者が地に倒れる1人の少年を囲んでいた。
「…ダメ! なぜか…隊長の魔力の流れが悪くて、治癒魔法の効きが悪いの!」
「―――くっ!」
1班の中では最も治癒魔法に精通するアニーが言うのだから、この場ではどうしようもないだろう。
意識を失ったアルトリウスは五体満足ではあったが、身体中のあちこちに裂傷と火傷が広がっている。
出血が酷く、内臓もいくつか損傷しているようだ。
これがあの、天から降り注ぐ巨大な隕石を受けた跡だというなら、生きているだけ幸運だと思えばいいのか…ともかく重症だった。
―――こんなことなら、命令なんぞに従うべきじゃなかった。
足手まといでもいい。
一緒に戦って、少しでも彼の盾になって、彼を生かせばよかった。
思えばいつもそうだ。
マラドーアでも、キャスタークでも。
いつも1番危険な役を、人知れずに引き受けて、勝手に解決して。
隊の中では一番年下なのに、その大人っぽさに甘えて、その強さに頼って…その挙句がこれだ。
少年は傷つき、倒れ、あの2人がいなければ、きっともうこの世にはいなかっただろう。
あの2人―――。
赤毛の小柄な少女と、銀髪の美女が来てくれたのは、結果としては幸運だった
怪しげな2人組の女性は、フランツの上官――アルトリウスの知り合いであるらしい。
特に赤毛の少女のほうは司令官オスカーとも見知った仲に見えた。
ミロティックという名には流石に警戒したが、どうやら杞憂であったようだ。
なにせ少女は、倒れているアルトリウスを見た瞬間、誰よりも早く敵との間に踊りこみ、敵の剣士の前に立ちはだかったのだ。
その行動力を見れば、彼女が自分達と同じように、アルトリウスに親愛と尊敬を抱き――さらに、自分達とは違い、そんな隊長の隣で戦える領域の人だとわかった。
2人の事は詳しく知らないが、片方は『銀薔薇』と呼ばれる剣士だろう。
―――たしかに昔、家庭教師は銀薔薇と呼ばれる魔導士だった、とアルトリウスがボヤいていた記憶がある。
二つ名のつくほどの魔法使いとはいえ、まだ出会って間もない彼らに、敵を任せて良かったのか――フランツには判断はつかなかったが、気絶する前のアルトリウスは、確かに彼女たちを信じたように見えた。
ならばフランツもそれに従うのみだ。
フランツや多くの隊員からすれば、ラーゼンの勝利も、民衆派の勝利もどうでもいい。
ただ己の敬愛する隊長と共に戦場を駆けたかった。今までの恩を返したかった。それだけなのだ。
―――ここで死なせるわけにはいかない!
フランツは思考を加速させて叫んだ。
「…大きく後退して、医療班の元まで下がる! 隊長を運びながら、交代で治癒魔法をかけ続けるんだ!」
前線からは遠く離れた場所に、怪我した兵を運び込む医療班が存在する。野戦病院とでも言おうか。
そこならばベッドも包帯も、薬品も置いてある。
治癒魔法の効きが悪いならば、それらに頼るしかない。
「…急げ! 隊長はこんなところで死んでいい人じゃない!」
共に戦場を駆けた7人は、誰もが頷いた。
願いにも似た思いを心のうちに叫びながら、フランツ達は走り出した。
● ● ● ●
「…いったい何が起こっているんですか…?」
様々な戦場が交錯する中、シンシアは判断をしかねていた。
颯爽と敵軍が退いていくと思ったら、大地を飲み込むかのような大岩が落ちてきた。
方角を見るに、あれは司令官オスカーが指揮していた軍団の方だ。
―――もしも兵がいたらほとんど壊滅状態になるのではないだろうか。
突出してきた敵軍は殲滅し終えたが、本命の後方―――ネグレドの軍団は逃がしてしまった。
そして、突然の揺れと衝撃に兵士たちの多くは混乱している。
―――隊長は結局戻らないし、父さんも見当たらない…。
追撃どころの騒ぎではない。
まずは兵を落ち着かせないと…。
そう思っているところ、
「…シンシア・エルドランド君だね! 生きていたか!」
シンシアを呼ぶ声があった。
見ると―――
「…司令閣下!」
後ろから呼びかけたのは、酷くくたびれた顔をしたオスカーとミランダ、そしておそらく左翼の守りを担当していた兵たちだ。
どうやら無事であったようだ。
「閣下、先ほどの隕石は…」
「『摩天楼』と『魔断剣』が現れた。バリアシオン君が相手をしてくれている」
「なっ!」
―――もう! 何やってるんですか!
思わずシンシアは心の内で叫ぶ。
父からよく聞いている。
摩天楼も魔断剣も、非常に強力な相手だ。
恐らく父や、シンシアの師匠であるゼノンと同等の怪物たちだろう。
そんな相手に単身挑むなんて、相変わらずバカなことをする上官である。
―――無茶はしないって約束したのに…。
そんなシンシアを尻目にオスカーは後ろの兵を指す。
「…そのおかげで、三千ほど兵は残せた。今からこの軍と―――中央の残存兵力、あとはバロン将軍の軍。総兵力を集めて、要塞を攻略する」
「要塞を…」
イルムガンツ要塞。
正面敵軍が撤退していった先には、巨大な石門によって閉ざされた強固な要塞が待ち受けている。
「残念ながら敵軍―――ネグレドの撤退を許してしまったからね。要塞を落とさないと、ネグレドは倒せない。天剣殿は?」
「…父は、敵陣に突入したきり戻ってきません」
シンシアも父の行方はわからない。
前方に突貫して行ったところまでは見えたが、敵軍の波に紛れて完全に見失った。
「まさかあの人がやられるとは思えないが…まぁ仕方ないな。では作戦を伝える」
「は、はい」
オスカーは怪訝な顔をしつつもそう言った。
何か要塞を落とす作戦があるようだ。
「まず、残存兵力全てで正面から要塞に攻め入る」
「しょ、正面からですか?」
「攻城兵器は一応持ってきているからね、今超特急で組み立てているよ。もっとも……正面軍は囮だ」
オスカーは眼鏡をくいっと上げる。
ひび割れた眼鏡だ。
正面軍が囮ということは…何かほかに本命があるということだが…。
「…現在、敵軍も無理な攻勢から、唐突に撤退したばかりだ。体勢を立て直すには時間がかかるだろう。この隙をついて…君たちアルトリウス隊に頑張ってもらう」
「頑張るとは…?」
「この要塞には、要塞内部へ通じる裏道や抜け道がいくつもあるんだ。側面から急に軍団が現れたのもそのせいだろう。君たちにはその抜け道を逆に利用して―――内部に潜入して欲しい」
「潜入…」
「抜け道は、先ほど敵兵を1人尋問していくつか見つけている。まぁまだ使えるかは確認していないけど…おそらく使える物は残っているはずだ」
「どうしてでしょう?」
「奴らが退路として使うためだよ。いざというときに逃げ道は絶対に残しておきたいはずだ」
「…なるほど」
「目標はネグレドただ1人。最悪殺してしまってもいい。とにかく彼を確保しなければ勝てない。ネグレドの確保が無理ならば、門を開けるだけでもいい。とにかく、内側から敵軍を混乱させるんだ」
潜入という形ではあるが、要するにいつもアルトリウス隊がやっていることと同じだ。
少数兵力で敵陣を荒らし、混乱させる。
「正直、時間が勝負だ。バリアシオン君が『魔断剣』と『摩天楼』をいつまで抑えていられるかわからない。彼女たちがどれほど力になるかもね。それに…援軍が来てしまったら終わりだ」
オスカーは眼鏡をくいっとあげる。
彼女たちというのは誰のことかわからないが、ともかく彼も覚悟を決めた目だ。
「どうだい? バリアシオン君が他の場所にいる今、アルトリウス隊の指揮官は君だ。やってくれるか?」
「…‼」
指揮官。
ずっと―――隊長が率い続けてきたアルトリウス隊。
もしも隊長がここにいたら―――きっと隊長は即決しているでしょう。
アルトリウスなら、きっと潜入だろうと陽動だろうと上手くこなして見せる。
それで何度も、シンシア達を勝利に導いてきたのだ。
――できるでしょうか。私が、隊長のように…。
かつて同等の強さであったアルトリウスは、いつの間にかシンシアを置いて、遥か彼方に踏み込んでいた。
シンシアが掌握できなかった隊をまとめ上げ、隊員からの信頼を勝ち取った。
父も師匠も総司令官も、アルトリウスを褒めた。
――私に…それが…。
「…シンシア」
「…!」
後ろから、名前を呼ぶ声が聞こえた。
振り返った先には、盾と大剣をもつ少女がいた。
「…エイドリアナ」
第3班の班長エイドリアナ。
そしてエイドリアナだけじゃない。
ジャンも、バクスターも、スコールズも、ナオミも―――隊の皆がこちらを見ていた。
「大丈夫。シンシアならできる」
「――!」
「副隊長! もっと自信をもって下さいよ! 皆もう…アンタのことは認めてんだから!」
「…ジャン…」
「ほら、さっさといきまっせ。時間がないようだしな!」
「バクスター…」
――皆…。
「隊長が頑張っているんでしょ? 私たちも、できることをしなきゃ」
エイドリアナが、シンシアの肩を叩く。
そうだ―――。
隊長はこの隊を私に任せたんだ。
シンシアはオスカーに向き直った。
「…やります」
―――終わらせる。
こんな戦いは、もう今日で。
そして、約束を守らなかったあの人に、文句を言ってあげなければならない。
シンシアがそう答えると、オスカーは満足そうに頷き、そして爆弾のような発言を投下した。
「よく言ってくれた。それでこそバリアシオン君の恋人だ!」
「は?」
「え?」
「……」
「オスカー、デリカシー……」
最後に若干変な空気になりながら、作戦は開始された。
イルムガンツを巡る戦いは、佳境を迎える。
読んで下さりありがとうございました。




