第125話:アウローラの決戦
「どうなっておる! こちらの方が数が上なのではないのか!」
都市アウローラ。
いざラーゼンを討たんとして出陣したバシャック達門閥派率いる東軍は、予想外の事態に困惑していた。
5万対3万の戦い。
勝てると踏んでいた戦いのはずだった。
だが、蓋を開けてみれば、それは大軍同士の正面衝突としてはあまりにも稚拙なものだった。
まず、数では優っていても、兵の質では大きく劣っていた。
同数の戦闘ではことごとく打ち負けるのだ。
さらに、自信満々に並べたバシャックの軍団の間延びした隊列は、層の薄いところを突かれ、一点突破を計る敵軍に対して防戦一方である。
とはいえ、バシャックも無策で隊列を長く配置したわけではない。
「ま、回り込め! 側面から回り込んで包囲するのだ!」
隊列がこちらの方が長いならば、その両翼から挟み込み、包囲が可能であると思ったのだ。
しかし――、
「…ダメです! 右翼のも層が厚く、突破できません!」
「ちっ! 三頭犬はなにしている! さっさと回せ!」
歯噛みしながらバシャックは叫ぶ。
――マズい。
このままでは、ネグレドに負けぬ戦果を挙げるどころか、敗軍の将だ。
ネグレドの指示に従わずに勝手を働いただけではなく、負けてしまうなんてことがあれば、たとえ生き残ってもバシャックの立場は終わりである。
――敗北、失墜…。
アウローラに来て以来、初めてその文字がバシャックの頭をよぎった。
なんとかしなければ…。
「…そうだ、ガルマーク卿は…ガストンはどこだ!? 奴ならば状況を打開する良い手を…」
ガストンは門閥派の中ではキレ者だ。
確かに最近は弟のギレオンの事もあり、門閥派の中では浮いていたが、彼ならば何か気の利いた作戦を思いつくかもしれない。
そう思った一縷の望みだったのだが…。
「―――見当たりませんが……最初から参列していないのでは?」
「なん…だと……?」
―――まさか、1人だけ逃げたのか?
最初から我々が負けると判断して?
「―――撤退だ…撤退しろ…」
はやくも、バシャックは戻っていた。かつての気弱で臆病なただの凡夫に…。
● ● ● ●
「敵軍の攻勢が止みますね」
「ふむ、撤退するつもりか。できればここで仕留めたいが…」
東軍の動きが変わったことを、ラーゼンとゼノンは的確に察していた。
「ですが…正面の1個軍団はいい動きをしています。他の軍団とは段違いです」
「おそらく…あの軍団のみネグレド傘下の将軍が指揮しているのだろう。あれが殿を引き受けては逃す可能性が高いな…」
正面に陣取る1個軍団だけは、まともな隊列である上、うまく遅滞戦闘に務めている。
兵の質と勢いで西軍が勝りながらも、完全に突破できないのは、その軍団が踏ん張っているからだった。
「ふむ……」
ラーゼンは一瞬の思考をし、
「――よし、アレを使うぞ、マティアスに指示しろ、『正面をブチ抜いてやれ』とな」
ニヤリと笑いながらそう言った。
マティアスに預けたアレならば、突破力という意味では申し分がない。
「あとは―――左が少し騒がしいですね。例の三頭犬かと」
「ふむ……それはお前に任せる」
「この場を離れてよろしいので?」
「構わん。大一番で戦力を余らせる事もあるまい。今回は……完全勝利だ」
「…では」
漆黒の残像を残しながら、ゼノンはラーセンの元から離れた。
「……」
――どうやらこちらは勝てそうだが…。
少なくとも、この時点で都市アウローラを巡る戦いは勝ったと、ラーゼンは判断した。
問題は、もう一方、イルムガンツにやった息子の方だ。
こちらが勝ったとしても――旗印であるネグレドを倒さなければ、戦いは終わらない。
おそらく何年も前から、決まっていたのた。
ネグレドとラーゼン。
2人の男による、国を分けた戦い。
残るのはどちらかのみ。
どちらかが生きている限り、お互いの信じる意思――共和主義の可否を争う戦いの芽は絶えないのだ。
かといって、ラーゼンはそれほどイルムガンツ要塞の戦闘を不安視しているわけではない。
なぜなら…自身の最も信頼している戦士を向かわせたからだ。
「…頼むぞ、シルヴァディ」
この場にいる金髪の男の名を呼びながら、ラーゼンは遠い空を見上げていた。
● ● ● ●
戦場の片翼に、3人の剣士がいた。
1人は頰に大きく傷のある長身の男。
もう1人は大柄で巨大な盾を持つ男。
最後に、パーマのかかった髪を無造作に流す女。
3人は、劣勢である東軍の中で、ひたすら目立っていた。
彼ら進むたびに、西軍の兵士は蹴散らされ、吹き飛ばされていく。
一般兵では太刀打ちできない力を、彼らは持っていた。
彼らこそ…東軍、バシャックの切り札――三頭犬である。
頰に傷のある長身の男、シェパードは、数多の敵兵を切り捨てながら、自軍の動きが変わったことに気づいた。
「おい、レトリバー、本軍の動きがおかしくないか?」
「おーん? なにがだあ?」
答えるのは巨大な盾を持つ剣士レトリバーだが、彼は呆けたようにそう答える。
「…いや、なんでもない」
シェパードは質問した相手を間違えたことにすぐに気づく。
レトリバーはパワーもあり、頼りになる盾役だが、小難しいことの理解が及ばない男だ。
戦局の流れなどわかるわけがない。
「…パグは? 中央が騒がしくないか? もしかしたら突破されたのかもしれない」
シェパードは質問する相手を変えた。
パグはパーマを流した女剣士だ。
確かに彼女も女だてらに武闘派であるが、レトリバーよりは冷静な判断が出来るだろう。
「…はぁー? さっきまで耐えてたんだから大丈夫でしょー。アタイらを右翼に回す余裕があるんだし」
パグはダルそうに答えた。
彼女も気づいていないようだ。
確かに――シェパードたち三頭犬の雇い主、バシャックから右翼の制圧を頼まれてからまだ大して時間は経っていない。
これほど短時間でこれまで耐えていた本軍が抜けれるとは思えない。
「そうだな…まあいい、さっさと右翼を固めて回り込むぞ」
とにかく――シェパードは指示されたことを実行するだけだ。
「そーそー、さっさとその包囲だかなんだかをやらないといけないんでしょー」
パグはそういって目の前の兵士を切り捨てる。
「んだんだ」
レトリバーも頷きながら何人かの敵を盾で吹き飛ばした。
水燕流6つの奥義のうち2つを扱う師範クラスの技量を持つ剣士――技のパグ。
その強さのあまり恐れられ、あらゆる道場を破門され、挙げ句の果てに奴隷とし売り払われたこともある巨漢の剣士――力のレトリバー。
そして、子供の頃から魔力の素養を認められ、バシャックに見出されるがまま剣の修練に努め続け才能を開花させた俊足の剣士――速さのシェパード。
それが門閥派最高戦力、三頭犬の3人だ。
特にシェパードに関しては、ユピテルの若手魔剣士の中ではあの『銀薔薇』と並び3本の指に入る実力者と言われている。
正真正銘、門閥派――バシャックの切り札だ。
そんな三頭犬の1人、パグが、不意に顔をあげた。
「…シェパード、気をつけな。なんか…来るよ」
パグの第六感は中々のものだ。
シェパードの気づかないことに気づくことも多々ある。
このときも、彼女の第六感は当たっていた。
「―――‼」
兵の間を割るかのように――1人の剣士が3人の前に現れたのだ。
漆黒の長髪に、黒いロングコート。
心を読むかのように鋭く光る細い眼光。
「―――パグ、レトリバー、気をつけろ…コイツ、第ニ特記戦力…『迅王』ゼノンだ」
シェパードは剣を構えながらいった。
ほかの2人も、緊張した面持ちで剣を構える。
間違いない。
身なりだけでなく――静かに湧き出る殺気と雰囲気で、この男がとんでもない強者であることがわかる。
迅王ゼノン。
ユピテルの剣士で、彼の名を知らぬ者はいない。
国家最高戦力シルヴァディと唯一並び立つ神速流の剣士。
雷の速度を超える剣を振るうという男。
同じ神速流の剣士であるシェパードからすると憧れの存在であり――それと同時に嫉妬の対象でもある存在だ。
黒コートをたなびかせながら、ゼノンはゆっくりと口を開いた。
「ふむ、貴様らが三頭犬で間違いないな?」
その表情は、こちらの事などそこらの雑兵と大差ないとでもいうほど落ち着いている。
シェパードは額から汗がこぼれるのを感じながら答えた。
「……だとしたら?」
「斬り捨てる」
無表情で、ゼノンはそう言い放った。
―――クソが……舐めるなよ―――。
そのあまりにも舐めた態度に、シェパードの心は奮起した。
見るとそばの2人も、明らかに怒りの感情を浮かべている。
単細胞で助かった。
こちらは3人の剣士。
しかも普段から連携に慣れた剣士達だ。
個々の実力で劣るとしても、3人合わせてなら……。
「―――3人でかかるぞ! レトリバーを先頭に三角陣形を……―――!?」
そうシェパードが声を張り上げたとき、既にゼノンの姿は目の前になかった。
「―――!?」
「――遅い」
困惑する中、聞こえたのは、シェパードの背後からの音だった。
―――ガッシャァァアン!
金属の弾けるような音が響く。
「……レトリバーの大盾が…!?」
パグの驚嘆の声が響く。
身の丈ほどもあるレトリバーの巨大な盾が、真っ二つに割れていたのだ。
「――ギャァァア!!」
そして、その盾の裏では血しぶきを上げながら悶えるレトリバーの姿があった。
今の消えた一瞬で、ゼノンは3人のうちの1人を無力化したのだ。
「……ふむ……甲剣流は遅くてやりやすいな」
「てめぇ!」
そんな後ろで呟くゼノンに、パグが怒りの形相で斬りかかる。
「――水燕流が攻めてどうする」
「――なっ!?」
そして、気づいた時には既にパグの腕が宙を舞っていた。
―――速いっ!?
パグはもちろん、シェパードにしてもその太刀筋はギリギリ視認できる、そのレベルの剣だ。
――落ち着け!
倒れこむパグを尻目に、シェパードは集中する。
2人が対応できなかったのは、その速さについて行けなかったからだ。
シェパードは違う。
彼は神速流だ。
魔力を全身に行き渡らせ、決死の速さを出せるように準備する。
目はゼノンを捉えて離さない。
「……ふむ。シェパードか。貴様の相手はしたくなかったのだがね」
「なんだと?」
「―――私の弟子の練習台に丁度いい強さだ」
「―――ッ! あまり調子に乗るなよ!」
シェパードは地面を蹴った。
渾身の加速。
人生でも1か2を争う速度が出たと、そうと思った。
だが――。
「――『迅雷』」
鋭い痛みとそんな呟きは、数コンマ遅れてシェパードの元へ届いた。
ゼノンが放ったのは、神速流の剣士ですら知覚できないほどの居合だった――。
……これが、雷を越えた―――速さの頂点か……。
自分が目指したものの理想形を、そこに見た気がした。
「――クソ……『八傑』でもないくせに……」
「……八傑など、単なる呼び名だ」
最後の掠れるようなシェパードの声に、黒衣の剣士が振り返りもせずに歩いていくことが分かった。
「―――」
まもなく――シェパードの意識は途絶えた。
「……ふむ、この程度では――練習台にもならんかもしれんな」
シェパードにとって幸せなのは、そんなゼノンの呟きを彼が聞くことはなかったことだろう。
バシャックの切り札―――三頭犬は、迅王ゼノンの剣によってものの数十秒で壊滅することになった。
● ● ● ●
撤退を指示したバシャックだったが、すぐさま耳を疑う報告があった。
「―――正面軍、一瞬で突破されました! 撤退は不可能です!」
「なっ何故だ!」
「突破力と進行速度が速すぎます! 敵は―――騎馬部隊です!!」
「なん…だと…!?」
騎馬部隊が、正面を突き破って真っ直ぐにこちらへ向かっているという。
…だが、おかしい。
騎馬というのは既に時代遅れの戦術であるということくらい、バシャックだって知っている。
現在の戦争での機動戦力は魔剣士である。
オルフェウスの登場以来、戦場で魔法は当たり前になった。
その中で、馬は属性魔法による攻撃に怯えて使い物にならなくなるのだ。
「ま、魔法士隊に迎撃させればいいだろう!」
「それが…どうやら、奴らの乗る騎馬の白い装甲に、魔法が弾き返されるようなのです」
「なっ!?」
そこで、バシャックはようやく思い出した。
『魔導騎兵』。
どういう仕組みか、魔法を弾く鎧を装備した騎馬部隊だ。
カルティアがそれらを駆使し、ラーゼンを手こずらせていたと聞いたことがある。
「まさか、それを押収し…早速実戦投入してきたというのか…!?」
考える間も無く、正面から、あらゆる爆音と土煙が迫ってくる。
魔法の飛び交う音に、血の混じった悪臭、そして、兵士たちの叫び声。
「――と、突破されるぞ!」
「――退避!退避!」
蹂躙―――。
まさにその言葉の通りに、バシャックの軍は叩き潰されていた。
馬の勢いに人は勝てず、兵たちは轢かれ、潰され、吹き飛ばされる。
「あ……ああ…」
バシャックが顔を青ざめ、そんな嗚咽のような声を漏らした時には…既にバシャックの前を守る兵は消え、彼はただ1人、へたりと地面に座り込んでいた。
「―――バシャック・ダンス・インザダーク卿だな…私はマティアス・ファリド・プロスペクター。勝敗は決した。降伏しろ」
そして、バシャックの前に、騎馬隊の指揮を任されたマティアスが現れた時…。
「ウ――――」
ついにバシャックの意識は途絶えた。
プレッシャー、恐怖、敗北感。
あらゆる感情が、彼の意識を落としたのだ。
所詮彼に軍団の司令官など身に余る地位だったということだろう。
こうして、東西内戦において、2つの戦端の1つ、都市アウローラを巡る攻防は、西軍の圧勝で幕を閉じた。
洗練された兵の質と、迅王ゼノンの活躍、そして、カルティア軍から徴発した魔導騎兵の即時導入が、その要因だろう。
もっとも、バシャック達としては、そもそも都市にこもり、素直に援軍要請を出しておけば、少なくともこれほどの大敗することはなかったのだが…。
そして、この、バシャックの選択が、結果としてもう一方の戦いにも影響を及ぼしているとは、まだ誰も気づいていない。
読んで下さりありがとうございました。




