第122話:見えない司令官
要塞イルムガンツ前――
3万対3万の軍隊の衝突は、大きく西軍が優位に立つ展開で進んだ。
当初の見立て通り、数は同じだったとしても兵の練度、精強さにおいては、カルティア戦役を経験した西軍の方が優れていたのだ。
同数での正面衝突であれば、西軍の方が有利であることは明白である。
「カッカッカ、盛大に負けておるなぁ!」
そんな最前線の様子を見ながら、後方にてクザンは愉快げに笑った。
「うるさいぞクザン。士気が下がる」
そんなクザンをなだめるネグレドも、それほど焦っているようには見えない。
なにせ、当初から同数による正面からの戦闘でこちらが劣っていることは想定済みである。
そして、彼らにはまだまだ余裕がある。
「――そろそろ仕掛けるか」
そう言ってネグレドが右手を上げると、ピィーと何度かの笛が鳴らされる。
ネグレドが当初から伝えてあった合図だ。
その合図が広まると、すぐに軍団は整然と動き出す。
―――そう、まっすぐに・・・『後退』を開始したのだ。
一糸乱れずに後ずさり・・・まるで撤退するかのように東軍は引いていく。
この指揮に連動した動きこそ、ネグレドが何よりも優先させて訓練した彼の軍の強みである。
個々の経験値や、技量など、覆すのに長くかかる部分ではなく、単に揃った指揮統制と、軍団運動。
これを隅々まで行き渡らせることによって、柔軟な戦術を使うことができるのだ。
故に――突如の「後退」の指示。これにも、彼らは柔軟に反応してみせた。
しかし――。
「ほう、追撃してこない・・・気づいたか」
感心したようにネグレドは目を細めた。
敵軍――西軍は、こちらが軍を後退させても、ピタリとその場で止まり、下手な追撃をして来ないのだ。
劣勢な戦況において、「後退」は敵軍からすればそれがただの後退であったとしても、撤退に見えるのは自明の理である。
撤退に対する行動としては、「追撃」というのが、攻め手からすればもっともメリットのある選択だったのだが―――こちらの「後退」が撤退にみせかけた誘い込みであるということに、早々に気づいたということか。
だが、これに気づいたということは、間違いなく敵軍の指揮官が、優れた戦術家である証明である。
つまり――。
「――間違いない、この3万にラーゼンはいる」
ネグレドは呟き、ニヤリと笑う。
そして思考する間も無く作戦を移す決心をした。
「―――それならば出し惜しみはなしだ」
ネグレドは勢いよく、左腕を高く上げた。
瞬間―――、
ピイイイイイイイ!!
そして、轟音。
長い笛の音と供に、人の唸り声が束になったとてつもない轟音が、ネグレドの軍の両脇から唸り起こる。
それは軍団だった。
先ほどの「後退」の動きに引き付けられた敵軍を、両脇から挟撃するために、潜ませておいたそれぞれ1万ずつの軍団。
それらが突如として現れ、そして嵐のように唸りながら、敵軍に向けて進軍しているのだ。
「カッカッカ、イルムガンツ要塞には裏どりのためのルートや、隠された塹壕地がいくつもあるからなぁ。兵をあらかじめ移動させておくことくらい、わけがないってことよ」
隣でクザンが愉快そうに笑みを浮かべている。
そう、彼のいう通り、イルムガンツ要塞周囲には、いくつもの塹壕や、隠し通路が存在する。
地中に張り巡らされたそれらは、敵軍に攻められたあらゆる状況を想定したものだ。
そこに兵を潜ませることは、難しいことではない。
そして―――なによりも、ネグレドが元々このイルムガンツに配備しておいた兵は3万ではなかったのだ。
東軍全10万のうち、バシャック達アウローラに渡した5万を除いた、残り5万の軍。
これらを全てイルムガンツに配備したのだ。
3万の本軍に、それぞれ1万ずつの両脇の側面軍―――総勢5万の軍団。
軍団の練度の差は、この2万の差で埋める。
「おいクザン、笑っている場合か! この本軍3万も動かすぞ!」
「――おうよ!」
ネグレドは剣を振り上げる。
「全軍、突撃せよ! なんとしても敵将ラーゼンを討ち取れ!!」
誘い込めないとしても、突如現れた両翼の軍勢によって、敵軍の陣形は大きく崩れるだろう。
その隙を逃がすつもりはない。
ラーゼンがいるとわかった以上、こちらとしても奴を逃がすわけにはいかない。物量に任せ、面食らった敵軍のなかを突っ切り、敵将を討ち取る。
ラーゼンさえ落とせば戦争は終わるのだ。
ラーゼンをなんとしても・・・!
そんな思いが、智将と呼ばれる彼を前進させた。
● ● ● ●
とはいえ―――このとき、イルムガンツ要塞にて、西軍を率いていたのはラーゼンではない。
結果として、「ラーゼンがいる」とネグレドが勘違いしたことの良否はともかく、少なくともこの時ラーゼンは都市アウローラ方面―――イルムガンツからは距離にして半日程度の場所で戦闘をしている。
では、誰がこの軍団の指揮をしていたのか――その答えは、ネグレドもすぐに知ることになる。
「ははっ! すごいな! 本当に伏兵が潜んでやがった! ご子息殿の言った通りですよ!」
「まぁここは敵地な上、あのタイミングでの敵の後退がまるで決められたかのように鮮やかでしたから・・・というか天剣殿、その呼び方と敬語、やめて下さい」
「え、そうかぁ? まぁご子息・・・オスカーがそう言うならやめるが」
西軍の後方――そんなやりとりをしていたのは、金髪にオールバックの長身の男――天剣シルヴァディと、銀髪に眼鏡をかけた小柄な少年、オスカーだ。
そう――今回西軍3万の指揮をラーゼンの指名によって任されていたのは、シルヴァディでもゼノンでもアルトリウスでもマティアスでもバロンでもなく――オスカーだったのだ。
「しかし、流石は閣下が見込んだだけはあるな。用兵家としてはマティアスなんて話にならないんじゃないか?」
「そんな話は後でいいです。とにかく――側面から迫る1万ずつの軍団と、正面の3万の軍団をどう突破するかですよ」
感心するシルヴァディに、オスカーは真剣な面持ちで答える。
オスカーにとって、司令官という大きく責任を伴う立場は、思いがけずしてなってしまったものだ。
ラーゼンがどういった思惑で、オスカーに司令官を任せたのか。
それにはいくつかの理由がある。
まず1つに、単にオスカーが指揮することによって、勝利する可能性が上がるから、というものがある。
本来この軍の司令官を務めるべき地位にいるシルヴァディは、司令官というよりは前線の戦士である。
彼自身、軍団指揮もできないことはないが、もしも相手の軍の指揮官がネグレドであった場合、用兵の技量は劣ってしまう。
ならば、あくまでシルヴァディは前線の戦士として使い、代わりに軍団は他の人間に指揮をさせた方がいいだろう。
そこでラーゼンが抜擢したのが、少し前、カルティアでの残党掃討作戦にて成功を収め、さらに、文官としても広く才能を発揮し、参謀としての地位を上りつつあったオスカーである。
オスカー自身の戦闘力は大したことはないが、戦略眼は持っていると―――少なくともラーゼンは判断したのだ。
そして、ラーゼンという男は1つの物事を1つの結果の為に行わない男だ。
単に勝てるから――という理由以外にも、オスカーを指名した理由はあるだろう。
―――それは、この一世一代の大一番といった舞台で、オスカーを「試す」ということだ。
それは、この戦いに勝ったあとの話。
いずれ統一されるであろうユピテルの未来を担う、自身の後継者として、オスカーとマティアス、どちらが相応しいのかを―――試そうと。
オスカーの対抗馬であるマティアスも、向こうで重要な役割を担っている。
と、これらはあくまでオスカーの予想であるが…少なくとも、彼の背にかかるプレッシャーは半端な物ではないことは確かだろう。
なにせ若輩の身ながら、バロンやシルヴァディを押しのけて司令官となったのだ。
普通に考えれば、身に余る立場といって固辞するのが当然だったかもしれない。
だが、オスカーは司令官の任を受けた。
――覚悟を決めたんだ。
剣を持って戦う親友の姿を見て、自分も背負うと決めた。
3万の兵を一身に背負う重圧だろうと――彼を率いるに相応しい男になるためには、耐えて見せねばならない。
それが、前線で戦う兵士の、友の命を、一身に握る司令官としての覚悟だ
「まず―――側面右方の1万は、こちらも右翼のバロン将軍の軍から5千を回します。そして左は、僕の軍の5千で相手をします」
「正面の3万は?」
「・・・天剣殿、貴方に任せます。残りの2万と――アルトリウス隊をつけますので、敵将を――ネグレド総督を討ち取って来て下さい」
ネグレドという言葉に、シルヴァディの眉がピクリと上がる。
「ほう、ネグレドはここにいるのか?」
「・・・間違いなくいます。ネグレド総督は、細かな軍団運動を好むと聞いたことがありますから」
この伏兵による側面攻撃戦法は、間違いなく優れた指揮官がいないと使えないものだ。
戦場のタイミングを上手く読み切るような用兵と、きめ細やかな軍団運動――間違いなくネグレド自身が指揮している。
そして―――細かな指示をするには、最初から戦場に出ていないと不可能だろう。
正面の3万の軍の中に、ネグレドはいる。
何よりも、ネグレド・カレン・ミロティックは、父と同じく前線に出続けることによって兵たちの信頼を得た将軍なのだ。寧ろその点は、ラーゼンが真似ていると言ってもいい。
しかし―――要塞を落とせなくても、ネグレドを討ち取ってしまえば、こちらの勝利条件は満たしたようなものだ。
むしろ討ち取りさえすれば、撤退しても問題ない。
逆に、ここイルムガンツでネグレドを逃がした場合――もう一方の都市アウローラで勝利したとしても、それはチェックメイトには程遠い。
だからこそ、今――オスカーたちは撤退ではなく攻勢に出なければならない。
「お前の守りは――大丈夫か?」
「ええ、僕にもちゃんと・・・盾はいますから」
そう言ってオスカーは隣をチラリと見やる。
最近不機嫌だが、戦場では絶対にオスカーのそばを離れない茶髪の少女が、鋭い眼光を放っていた。
「・・・心得た。任せろ!」
満足そうに頷き、シルヴァディは風のように消えていった。
彼にとってはただ走っているだけだろうが、オスカーからしたら消えたようにしか見えない。
「さて・・・」
指示はしたものの、正直予想外ではある。
敵軍の総数は5万。
当初の3万ならばいけると踏んだが、単純に考えて人数差は御し難い。
まさかイルムガンツにこれほど厚く兵を割り振っているとは思わなかった。
―――そもそも、敵が易々と会戦を挑んできた時点で気づくべきだったか・・・。
シルヴァディにはネグレドを討ち取ってこいとは言ったが、果たしてその間に、側面の軍に約半数の軍勢で耐えられるのか。
そもそも、シルヴァディに預けたのも2万。
正面の敵軍3万には数の上では劣っている。
―――いや――まだ敵が会戦を挑んできている分、マシだといえるか。
どうしてかはわからないが、敵の方も会戦を止める気はないようだ。
むしろ積極的に攻勢に出ているようにも思える。
オスカーにとってもっとも嫌なのは、このまま要塞内に引き込まれて持久戦に突入することだ。
そうなった場合、兵数で負けている状態で要塞を落とすのは至難の業だ。
だが、会戦であるならば、ネグレドの拿捕という勝機がある。
他に注意すべきは――まだみぬ敵軍の強者の存在だろうか。
こちらで言えば、シルヴァディやアルトリウス。
彼らのような存在は敵軍にも存在するだろう。
時に1個人は、1万の軍を凌駕することもあるという。
まだ見ぬそれらがどう動くか―――不確定要素などいくらでもある。
だが、時間をかけてはいられない。
なにせヌレーラからの援軍がついた時点で、西軍の勝利は絶望的になるのだ。
「ミランダ、僕たちも行こう」
そう言って、オスカーは馬を右方に向ける。
5千の兵と共に、1万の兵を相手にするのだ。
「・・・オスカー、わざわざ前に出る必要は・・・」
ミランダは依然不機嫌そうに呟いている。
――そうだ、その通りだ。
司令官であるオスカーは別に最前線に立つ必要はない。
オスカーは父に似て体は弱い。
風邪にもよくかかるし、体力もなければ剣も振れず、魔法も使えない。
「――でも、僕は行かなきゃいけない。皆が戦っているのに、後ろに下がったままじゃ、誰もついてきてくれない」
父は最前線に立つ。
だからこそ、この軍の兵士は誰もが父についていくし、誰もが父を尊敬している。
そんな父を継ぐと決めた。
責任を背負うと決めたのだ。
「それに、君が守ってくれるんだろう? バリアシオン君の分まで」
「・・・・バカ」
そう言いながら、少年と少女は連れ添って駆け出した。
まだ戦いは始まったばかりである。
読んで下さりありがとうございました。




