第121話:開戦
都市アウローラ前――ラーゼン軍にて
「ふむ・・・討って出てきたか。宣戦布告も待たずに・・・せっかちな奴らだ」
ラーゼンは都市から出てきた大量の兵を見てそう言った。
「・・・勧告はどうしますか?」
「もう不要だ。軍を出してきたということは戦う気なのだろう」
ゼノンの言葉に答えながら、ラーゼンは目を細める。
目線の先は、わらわらと出てくる敵軍だ。
「・・・5万といったところか。およそ総軍の半分・・・さすがは心臓部の守りということか。数自体は随分多い」
「確かに。ですが・・・」
「ああ、ハズレだな」
隣で同じように敵軍を眺めていたゼノンと共に、ラーゼンは頷いた。
「都市アウローラに・・・ネグレドはいない」
ラーゼンはそう断言した。
彼らがそう判断したのも無理はない。
アウローラから湧き出てきた軍の隊列は、お粗末といえる組み方をされていた。
どのような戦法で、どのような意図で軍を使うのか、全く考えられていないような並び方である。
魔剣士も魔法士も関係なく、横3列に薄く並べただけ。
隊列の並びとしては、前衛に魔剣士、後方に魔法士を並べて、特に、前衛に何層もの剣士の厚みを加えることが理想的である。最前列は甲剣流の剣士であることが望ましい。
確かに敵は5個軍団はいるのだろうが、それぞれの距離もバラバラであるし―――いや1つだけ層のあるいい隊列を組んでいるが・・・。
こんなものなら用意したアレを使うまでもなく突破できるだろう。
間違いなく、ネグレドではない誰か――まるで素人がとりあえずやってみようという形に組んだように見える。
「率いているのはバシャックかガストンか・・・さしずめ5万の兵はネグレドがアウローラを離れるための生贄といったところか。こんな事ならば、もう1万ほど向こうにつけてやるべきだったな」
そう言いながらラーゼンはため息を吐く。
「フ・・・たしかに・・・アレを使うまでもないですな」
「・・・いや、やはりアレは使う。とにかく速度が重要だ。さっさと終わらせて、向こうに合流することを優先する」
「たしかに、油断は禁物でしたね」
そんな会話で2人は方針を決めた。
アウローラを攻めるのは、3万の軍と、ラーゼンとゼノン。
一応こちらが本命であるため、彼らの言うアレ――例の奥の手もこちらにある。
「しかし・・・こうなるとあちらは心配ですな。ネグレドはイルムガンツにいるということでしょう。ネグレド相手に、彼は大丈夫でしょうか」
「・・・そう言ってやるな。大丈夫だろう。あちらにはアルトリウスもつけた。むしろ従来の私の戦法が使えるのだから羨ましいくらいだよ」
「閣下はやけにアルトリウスを買っていますな」
「はは、お前に言われたくはないが・・・・・・そうだな、戦闘力もそうだが・・・なにせ私を脅すほどの肝っ玉を持っているからな」
「脅す?」
「――とある約束をしたんだ。まったく、あれほど肝が冷えたのはエドワードの件以来だよ」
「ほう・・・それは気になりますな」
「・・・戦いが終わればわかるさ」
そんな事を言いながら、ラーゼンは思い出していた。
不思議な少年の持ちかけた変わった約束を・・・。
● ● ● ●
「・・・1つ、条件―――いや、お願いがあります」
その日、少年――アルトリウスは、内戦に参加する代わりにそんなことを言い出した。
ラーゼンの印象では、彼は私欲の薄い少年だったはずだが・・・
「ほう、条件か。言ってみろ」
「総司令閣下は―――門閥派と戦争をするつもりです。その門閥派の上級貴族に、ネグレド・カレン・ミロティックという人がいます」
「ああ、アウローラ総督をしている―――私にとっては目下最大の敵だろうな」
「・・・でしょうね」
無論、ネグレドのことは知っている。
かつて妹を妻にやった程だ。
何度も話しているし、思想こそ折り合わないが、能力はラーゼンも認めるところだ。
人としても嫌いではない。
だが・・・ラーゼンが民衆の希望として旗印となるように、ネグレドも門閥派の象徴として祭り上げられるだろう。
そうなったとき、彼との対決は必至だ。
もはや、妹も死んだ。止める者はいない。
しかし、アルトリウスがそんなネグレドの名前を出してどうしようというのか。
「・・・ネグレド・カレン・ミロティックには孫がいます。ヒナ・カレン・ミロティックという娘です。知っていますか?」
「ふむ、聞いたことはある」
ヒナ・カレン・ミロティック。
ラーゼンも名前は聞いたことはある。
オスカーだったか誰に聞いたかは忘れたが、才女であるという噂があったはずだ。
「その娘が、どうかしたのか?」
「彼女の命と、権利の保証をお願いしたい」
「――ほう」
ネグレドの孫娘の命と権利の保証。
ネグレドという門閥派――つまりは共和主義の象徴の忘れ形見を残せ、という要求のようにも聞こえる。
そういう目的で利用しようと思えば、利用できぬことはない素材の1つではある。
それをアルトリウスがこうして、命の保証を求めてくる意味は・・・。
「それは何故だ?」
ラーゼンは鋭い声で尋ねた。
「・・・私が彼女を妻にするつもりだからです」
「ほう・・・・」
アルトリウス自身は優れた魔導士だ。
ラーゼン自身も評価している上、ラーゼンの信頼する部下たちも洩れなく彼の将来性を保証している。
そんな彼が先々、共和主義の象徴となり得るようなものを妻にしていったい何をしようというのか、なにせ相手は血統と伝統のミロティック家だ・・・事と次第によっては、許すことのできない案件である。
「妻にして、どうするというのだ」
だからそう、一段と低い声で尋ねたのだが・・・
「え? その・・・普通に幸せに暮らせればそれでいいです」
「―――」
少し拍子抜けな声を出された。
普通に幸せに暮らす――。
つまりは政治など関係のない場所で生活するということだろうか。
「・・・どうしてそんなことをする必要がある? 君の妻になりたい女性など、他にいくらでもいるだろう」
最近、シルヴァディの娘と恋仲にあるという噂を聞いた。
これほど若くして活躍している魔導士だ。この軍内だけでも他に彼のことを好ましく思う女性も多いだろう。
「へ? いや・・・まだ学生の頃将来を誓い合ったので―――その・・・つまりは愛しているからです。もちろん向こうがまだそのつもりなら、ですけど」
「―――」
不思議と、その言葉は嘘偽りなく感じた。
――愛している。
今まで不思議だと思っていた彼の行動原理の底が、少しだけわかったような、そんな気がした。
変に疑ってかかったのがばからしいくらいだ。
「・・・なるほど、君らしい理由だな。もしも拒否したらどうする?」
すると、アルトリウスの表情が一気に険しくなる。
「―――私は貴方の敵となります」
「―――!」
何よりもドスの効いた―――殺気すら感じられるような声だった。
流石に、表情にこそ出さなかったものの、首筋を汗が走るのは感じた。
「・・・オスカーの敵となってもか?」
依然、アルトリウスの表情は崩れない。
「・・・私の大切な人に手を出すような父を持つ友はいません。ヒナに手を出すというなら・・・オスカーも貴方の敵となるでしょう」
「――――‼」
電流のような衝撃が、ラーゼンを襲った。
この少年は、友の父に向って、息子は貴方ではなく、自分を選ぶと、そう断言したのだ。
自分を敵に回せば息子が敵に回るぞ、と―――暗にそう言っている。
そして、それが現実に起こり得る可能性も充分に感じられる。
アルトリウスの存在は、息子にとって、それほど大きいものなのだ。
恐怖―――。
久方ぶりに感じた恐怖が、ラーゼンを襲った。
これは、脅迫だ。
とんでもないものを人質にされた新手の脅迫だろう。
「――くく、私を脅すか」
「あ、いえ、そんなつもりは」
不意にアルトリウスの凄みが消えた。
こんな少年でも―――あの『八傑』の1人を打倒すほどの強さを備えていることを改めてわからされたというべきか。
「―――いや、脅している。つまり君の大切な者に手を出した瞬間、君もオスカーもシルヴァディも・・・果てはゼノンまでも、私の敵になると、そう脅している」
「べ、別にそこまでは言っていません。ただ、私の覚悟を述べただけです」
「・・・そうだな、悪かった。安心してくれ、本来私は血が流れるのを好かん。君の愛する人には手を出さないと誓おう」
「ありかとうございます」
「しかし、その娘だけでいいのか? カレン一門全体ではなく」
ラーゼンにとっては、元々、孫娘程度はそれほど重要なものではない。
だが、カレン一門はともかく――少なくともネグレドは絶対に殺さなければならない。
恨みはない。しかし奴は旗印だ。
例え四肢がなかろうと、ネグレドが生きている限り、共和制の精神と――脅威は消えない。
それが、最高司令官の器を持つ智将の持つ力の恐ろしさだ。
アルトリウスは答えた。
「・・・ヒナは私と添い遂げるためならば、家も一門も捨てるも言いました。私自身、彼女の家に世話になった覚えはありませんので、必要ならば彼女や彼ら自身が何かをするでしょう」
その言葉に――ラーゼンは内心、安堵を覚える。
もしもネグレドが、彼の大切な者の範疇に入っていた場合、この少年はとっくの昔に敵になっていたのであろうからだ。
アルトリウスの戦う理由は、民衆派や、門閥派、主義主張や愛国心ではない。愛する者や、大切な者を守るためなのだから。
しかし―――だからこそ・・・。
「・・・そうか・・・君は損な性格をしているな」
「損、ですか」
「君は、きっと他者のために戦うのだろう。友のため、恋人のため、他者のため。そしてその範囲は生きていく上でより広がっていく。それらを守るために、君はもっと、より強くならなければならない」
「・・・」
「君は私と似ているよ。全てを背負って全てを救おうとしている。そんな自己犠牲的なところが特にね」
似ている。
この少年の生き方と、ラーゼンの生き方は。
ラーゼンは別に民衆派の思想に共感したから民衆派に属しているわけではない。
門閥派では、国を――世界を救えない。だから民衆派になったのだ。
そしてラーゼンの戦いの始まりも、妻を守るためだった。
もちろん、ラーゼンとアルトリウスでは強さの質は違う。
アルトリウスが選んだのは、武力であり、ラーゼンが選んだのは知力である。
だが、いずれアルトリウスの目指す場所も、ラーゼンと同じものになるはずだ。
「――だから1つ忠告しておくよ。その生き方は―――いずれ限界が来る」
「閣下は来たんですか?」
「―――いや・・・だが、遠からず来るだろう」
「・・・覚えておきます」
「話は終わりだ。君の力は頼りにしている。他にもなにかあれば言ってくれ。できれば力になろう」
「はっ! では失礼します」
難しい顔をしながらも、アルトリウスは去っていった。
―――本当に似ている。傲慢なところが特に。
きっと彼は1人の愛する少女を守るためなら、世界だって敵に回すだろう。
そして、そんな状況ですら打破する力を求めている。
「たしかにあれは、私の手には余るな・・・」
汗を拭いながら、ラーゼンはそう呟いた。
● ● ● ●
「閣下、どうされました?」
不意に聞こえたゼノンの言葉で、ラーゼンは意識を戻された。
「――悪い、考え事をしていた」
「そうですか・・・でも今は・・・」
「わかっている。無能が率いているとは言え、5万の大軍だ。そして今回はアルトリウスがいない上、地形をいちいち確認する時間もない。《マラドーア》の再現は難しい」
「つまり?」
「正面突破だ。戦争というものを奴らに教えてやる」
そう言ってラーゼンは深く息を吸い込んだ。
「敵は5万! だがその練度は我らの足元にも及ばない! 見よあの隊列を! いかにも殲滅してくれと言わんばかりの3列構成。今時蛮族でももう少しマシな編成を考える!」
腹の底から出てくる大声だ。
3万の兵士たちはまるで全員が聞いているかのようにラーゼンを見ている。
「行くぞ、歴戦の勇士たちよ! 戦争の仕方を知らぬ門閥派の軟弱者供に――我らの矜持を教えてやれ!」
そして、ラーゼンは剣を振り上げる。
日光が眩しく剣を反射し、あたかも神々しく彼の姿を映し出した。
「――総員、突撃‼︎ 将のない軍など恐れるに足らず!」
――ピイイイイイイイ!!
「オオオオオオオオ―――!!」
ネグレドがそういって剣を振った瞬間、高鳴る笛の音と、雄叫びが大地に木霊した。
アウローラの戦いが―――始まった。
● ● ● ●
場所は変わってイルムガンツ要塞、要塞前――。
「カッカッカ、隙のない陣形だな」
「ああ、洗練されておる。ラーゼンがいる可能性は高いな」
イルムガンツ要塞の前で悠然と構えた3万の軍の中で2人の男が馬上で話していた。
かたや、6つの水燕流の技を身につける技の巨匠『蜻蛉』クザン。
かたや、この立ち並ぶ3万の軍の最高司令官。
少し疲れた顔をしながらも、いまだ生力旺盛の老人、ネグレド。
2人が馬上から見据えるのは、目前に迫る、敵軍――3万の西軍だ。
隊列は長方形に綺麗に並べられている。
おそらくいつでも半軍に分かれたり、包囲殲滅陣に移行したりできるように訓練されているだろう。
1人1人の精強さでいえば、やはりあちらに分がある。
「そういえば、敵軍からは降伏勧告の書状が届いていたな」
「・・・捨て置け。私的機関となった元老院の国賊認定などに屈する私ではない。向こうもやる気だろうて」
もはや降伏勧告などただの儀礼的なものだ。
交わす言葉はない。
交わすのは拳であり、剣であり、譲れない意思である。
「それよりも、こちらの配置は?」
「・・・整っている」
「よし、では―――行くか」
ネグレドは静かに剣を抜いた。
戦闘用ではない、祭儀用の装飾がされた剣だ。
ネグレドは武官ではない。
だからこれは、あくまで兵たちの士気を上げるためのものだ。
「アウローラに集う、憂国の戦士たちよ。見よ、やってきたのは国を私物化し、共和国の精神を歪めんとする簒奪者だ!」
老体からは信じられないほどの声が辺りに響く。
「思い出せ! 700年前、1人の王に私物化された国によって、我々がどれほど苦しまされたのか! 思い出せ! 我らの先祖がどうして共和国を建てたのか!」
1人の英雄によってなった国に、未来はない。
絶対的君主など存在してはいけないのだ。
「今ここで、700年の意思を踏みにじるのかどうか、それは諸君らにかかっている! 奮い立て英雄たちよ! 歴史の尊厳は――諸君たちの両腕にかかっている!」
士気は高い。
長い間ラーゼンを、皇帝になろうとしている野心家であると、兵たちを説き伏せてきた甲斐があった。
ユピテル人は専制君主制を嫌うのだ。
「全軍―――突撃せよ!!」
「ウオオオオオオーーー!」
振られた剣と、高鳴る怒号。
兵の群れは不気味に進軍を開始した。
ラーゼン、ネグレド。
2人の司令官の戦略と戦術、そして、さまざまな思いを胸に、この場に集うありとあらゆる強者達。
戦いが始まってしまえば、どちらが正しいかなど関係はない。結局、勝者が全てをかっさらうのだ。
果たして戦いの命運を分けるのは、戦略か、戦術か、強者の個の力か、それとも時の運か。
それはまだ誰にもわからない。
――こうして、世界の歴史を大きく揺るがすであろう「ユピテル東西内戦」は、2つの戦場を舞台として幕を開けた。
読んで下さりありがとうございました。




