第120話:智将と愚将
要塞イルムガンツにて――。
「――西方に敵影確認!!」
イルムガンツの司令官ネグレドの元に、伝令兵が駆け込んできた。
「来たか!」
司令官――年相応の白髪の老人ネグレドは、待っていたとばかりに声を上げる。
「数は?」
「およそ、3万と思われます!」
「ほう、3万か・・・」
確か、ヤヌスを発ち、こちらに向かっているというラーゼンの軍は合わせて6万。
3万の軍というのはそれのおよそ半分である。
残り半分は温存しているのか、それとも――。
――私のいる位置がバレた? いや、それより考えられることは・・・。
ネグレドは思考する。
ネグレドがイルムガンツに居を構えたのはつい最近であり、アウローラにいない可能性は考慮したとしても、どこにいるかなどわかりはしない。
ラーゼンはそんな当てのない予想に基づいて全軍を動かすような男ではないだろう。
つまりこの場合、ラーゼンは自身の軍をいくつかに分け――2つ、もしくは3つの拠点へ向けて同時に進軍をしたという可能性が一番高い。
個々の戦力が下がろうが、とにかく挟撃されることを嫌ったということだろう。
――しかしこうなるとアウローラが少し心配となったな・・・。
少なくともイルムガンツに差し向けられた軍勢は3万。
たとえ援軍要請が来ても、アウローラに援軍を送る余裕はない。
だが、こちらに3万が来ているということは、残りは多くても3万のみ。
5万の軍を与えたのだから、善戦は期待したいものであるが・・・。
「ただちにヌレーラに・・・一応アウローラにも報せろ、こちらに3万の軍が接近している。可能ならば援軍により挟撃されたし。だが、アウローラが援軍要請を出していた場合はそちらを優先しろ、とな」
「はっ!」
そう言って、伝令兵はネグレドの前から去っていった。
伝令の去っていた先を見ながら、ネグレドは思案する。
複数の拠点の同時攻撃――。
確かに、同時に攻めれば援軍による挟撃というこちらのプランは狂わせることができる。
しかし、ただでさえこちらよりも少ない兵を3つに分けてしまっては、攻め手が足りないだろう。
だからラーゼンが狙ったのはおそらく、2か所の同時攻撃―――。これが一番ラーゼンにとってコストパフォーマンスがいい。
1か所は、都市の中間地点にあるこのイルムガンツ要塞。
そして、都市――アウローラを外すことは考えられない。
いや、そもそもアウローラをなんとしても落とすという作戦であるならば、イルムガンツを抑えてしまえば、ヌレーラからの援軍は距離的にイルムガンツからの援軍よりも遅れる。
イルムガンツに差し向けた3万を犠牲にしてでも、敵軍からしたらアウローラを落とせる確率が最も高くなる選択だ。
すなわち――ラーゼンはヌレーラを無視し、アウローラとイルムガンツに攻撃を絞っている可能性が高い。
アウローラが落ちるのが先か、はたまたヌレーラの援軍が間に合うのが先か――それともここでネグレドが討ち取られるのが先か――。
兵力。
時間。
あらゆる要素がシビアに絡み合い、先の読めない戦いになりそうだ。
「――それで、総督殿、俺たちはどうするんだ?」
と、ここでいつの間にか側にいたクザンがネグレドに尋ねた。
すなわち、目の前の3万の軍に対し、攻勢にでるのか、それとも、援軍を期待して要塞に立て籠もるのかということだ。
「ふむ・・・攻めるか守るか・・・」
この場合問題は、2点。
まず、敵軍の3万の中に、ラーゼンが存在するのかしないのか。
ラーゼンがいるならば、目の前の軍を倒すことによるメリットは大きい。
他の拠点の戦果に関わらず、ラーゼンを討ち取った時点で戦争は終わりだ。
次に、援軍が来るのか来ないのか。
攻められていない拠点から援軍が来る場合――要塞の中に引きこもり、防衛に専念すれば確実に勝てる。
だが、全拠点が攻められている、もしくはアウローラが攻められていて、ヌレーラの援軍もそちらに行く場合――無為に時間を過ごすことになる。
だが―――。
ネグレドは内心ほくそ笑む。
そもそも、彼は、ラーゼン軍6万全てがイルムガンツに現れたとしても耐えきれるように、軍団を配置したのだ。
それが3万ならば・・・。
ネグレドはすぐさま決心した。
「・・・引きこもるのは後からいくらでもできる。とにかく、敵軍にラーゼンがいるのかは確かめねばな。まずは一戦――交えてやろうじゃないか」
「・・・会戦は奴らものぞむところなんじゃ?」
「ふん、マラドーアの話は聞いている。蛮族相手には通用したかも知れんが――私を誰だと思っている?」
「カッカッカ、頼もしい限りですなぁ。精々お手並み拝見させていただきますよ智将様」
「ふん。世辞は勝ってから言う事だな。ほら、お前はさっさとあの方々を呼んで来い」
――会戦ならば3万でも勝てると思っているならば・・・ラーゼンよ、その驕りは高くつくぞ。
かつて――バルムンク戦争と呼ばれる大戦を生き抜き、東方諸国を席巻した歴戦の将軍は、不敵に笑った。
● ● ● ●
また―――都市アウローラでは――。
「敵影確認! 3万です!」
アウローラの守りをネグレドより預かった司令官の片割れ――バシャックの元にそんな報告が入っていた。
ヌレーラを無視し、アウローラとイルムガンツに攻め入ったのではないか、というネグレドの予想は当たっていたわけである。
もちろん、そんなことを露も知らぬバシャックは、慌てて他の地位の高い連中を集め、会議を開いた。
「さて、ついにラーゼンの軍が現れたらしい・・・どうするかね」
バシャックは皆の前でそう尋ねるものの、ここにいる参謀に、戦争に精通している者などいない。
一応ネグレドは、軍団長にベテランを配置していたのだが、平民出身であるという理由だけでここに出席を許されていなかった。
つまり彼らの軍の参謀は、概ねヤヌスから逃げてきた門閥派の上級貴族である。
「――どうするもこうするも・・・ネグレド総督が残していった軍は5万。敵軍が3万なのはまさに僥倖では?」
少し迷いながらも、参謀に名を連ねる上級貴族の1人発言した。バシャックの取り巻き――ダンス一門の1人である。
「ふむ・・・では、こちらから攻め入って、ここで敵軍を討ち取るべきだと?」
バシャックが返す。
「単純に考えればそれがよろしいかと。3万の軍を倒す戦果はもちろん、そして戦争の後の事を考えても――このまま引きこもってネグレド総督に遅れをとる事は避けたいでしょう」
そんな男の言葉に、他の貴族たちも追従する。
「そうですなぁ。勝ったあと――ネグレドが第2のラーゼンとなっては困りますからなぁ」
「あくまで奴は我々――文民の元にいてほしいものでありますな」
「我らがネグレドより戦果を上げねば、民衆にも示しがつきませんぞ」
首都にいた時は、あれほどラーゼンの軍を恐れていたと言うのに、数の上で有利と分かればこの言い草である。
もっとも、かつてカルティアの有能な司令官――セルベントですら、数の有利というものは信じて疑わなかった。
セルベントですらそうなのであるから、実際に戦争などしたことのない彼らからしたら、5万の軍を持っている事実がこの余裕に繋がってしまうのは仕方がないのかもしれない。
「なるほど、一理あるな」
バシャックも、皆の言葉に、さも自分もそう思っていたとばかりに頷いている。
もはや戦争の話ではなく、戦勝後の領地分配の話をしているような輩もいる。
――そんな会議の状況を歯噛みしながら見つめていた者がいた。
それはいかにも貴族らしい恰幅のいい男―――ガストン・セルブ・ガルマークである。
ガストンは彼らと同じで、戦争に出た経験はないが、少なくとも物事の本質を捉えるのには秀でた人間だ。
そして、ラーゼンやネグレドの「司令官」としての有能さも充分にわかっている。
それゆえに、ネグレドの今回の作戦の肝――隣接都市からの援軍による挟撃作戦も理解していた。
彼からすると、今自分たちがすべきことは、こんなくだらない会議ではなく、一刻も早くイルムガンツとヌレーラに援軍要請の伝令を回すことのように思えた。
「――よろしいか」
流石にガストンは手を挙げた。
全員が会話をやめて、ガストンの方を見る。
「ラーゼンは優れた用兵家だ。たしかに戦後の事も重要かもしれないが、今はこの戦に勝つことの方が重要だ。ネグレド総督の言っていた通り、援軍要請を送り――持久戦に持ち込むべきなのでは?」
そう、勝たなければ意味はない。
手柄などは二の次だ。
それに――もしも負けて仕舞えば、ガストンに命はない。
いや、ガストンだけではない。
ここにいる門閥派は軒並み、その悪事が暴露されている。
首都で、ギレオンがそう証言したのだ。ラーゼンが勝手に作った元老院によって、もはやガストンもバシャックも、他の貴族も、ネグレドに至るまでが国家の逆賊と認定されている。
勝って――ラーゼンもギレオンも抹殺し、全てを闇の中に葬る必要があるのだ。
それも含めて、現時点での最善択を提示したつもりなのだが・・・。
「おやおや、ガルマーク卿は怖気付いていらっしゃる」
「そういえば、首都でも真っ先に逃げる事を主張したのは彼でしたな」
「案外、あのとき戦っても勝っていたかもしれないぞ」
「そうだ、三頭犬もいるのだ。もっと積極的に動くべきだったのだ」
「そもそも、ギレオンの件もセルブ一門の身から出た錆であろうに・・・」
どう受け取ったのか、各々はそんな言葉を並べてガストンを白い目で見る。
もはや、貴様は門閥派を率いるには相応しくないとでも言っているようだ。
事実、ここのところ、ガストンに対する門閥派貴族たちの扱いはバシャックに劣っている。
バシャックが最高司令官の1人に収まったからというのもあるが、ガストンの弟ギレオンのせいで、かつての不正や悪事がバラされてしまった上級貴族たちが多数いたのだ。
「まぁガルマーク卿よ。そなたの言い分もわかるが・・・いかんせん、消極論に過ぎるだろう。この場にいる誰もが攻勢に賛成している。もしもこれを無視し、卿の言う通りにして失敗したとき――責任が取れるのかね?」
そんな他の貴族たちを宥め、バシャックが言った。
少し前まではあらゆることに自信のなさげな凡夫であった彼も、どうしてか自信に満ちた表情をしている。
能力が変わったわけでもないのにだ。
「・・・インザダーク卿がそこまで言うのであれば、私から言うことはありません」
―――ちっ、此の期に及んで責任、保身など・・・。
内心舌打ちをしながら、ガストンはその場を後にした。
どちらにせよ、結局ガストンは戦争については門外漢だ。
本当にネグレドの戦略が通用するかはわからない。責任など取れるはずもないのだ。
だが・・・。
――門閥派も、もはや泥舟か。
この会議は、そんな考えをガストンの頭によぎらせるのに充分だった。
「私も身の振り方を考えねばならんな」
誰もいない廊下で、彼はそう呟いた。
元来気弱で、判断力もなく、特に秀でている能力があるわけでもないバシャックという男が、ここまで積極的に攻勢に出ようとしたことにはいくつか原因がある。
まず、彼らがアウローラについた時点で、ネグレドがラーゼンとの戦いに備えていた対策が、バシャック達の想像をゆうに超えたものであったことが挙げられる。
10万という圧倒的な数の兵に、大量の兵糧。
都市アウローラのヤヌスにも劣らぬ発展具合と、何年もかけて作られたイルムガンツ要塞の存在。
そしてなにより――ネグレドという歴戦の将軍の醸し出す信頼感。
―――勝てる。
戦争の経験のないバシャック達がそう信じてしまっても仕方のない部分はある。
そして、ひとたび勝てると思って仕舞えば、その考えはなかなか振りほどけない。
思考の先に辿り着くのは、勝った後どうするのか、ということばかりになる。
ゆえに、バシャック達は戦争にどう勝つか、ということを忘れ、勝った後ネグレドに遅れをとるわけにはいかないという固定概念に囚われてしまったのだ。
これまでバシャックを見下すように門閥派を仕切ってきたガストンの求心力が落ちたことも、バシャックの態度を変えるのに拍車をかけた。
そして、もう1つ。
気弱なバシャックやその他の門閥派の貴族を積極的に攻勢に駆り立てたのは、ひとえに――彼らにとってこれが初陣であることが挙げられる。
文官とはいえ、彼らも男である。
華々しく戦果を挙げて凱旋式を挙げる歴代の将軍達に憧れはあったに違いない。
そしてその初陣が「勝利できる」戦いであるというのならば、その興奮によって慎重さを見失ったとしてもおかしくはないだろう。
と、そこまでをラーゼンが知っていたわけではないが、ともかく、バシャック達門閥派は、ネグレドが残した5万の兵力を持ってラーゼンの3万の軍を迎え撃つことになる。
その中に――それまでいたはずの1人の恰幅のいい貴族の姿が見えなかったことは、不思議と誰も気づかなかった。
読んでくださりありがとうございました。




