第115話:間話・王国の影
そこはユースティティア王国――王都ティアグラード郊外。
ひとけのない裏路地があった。
『裏』の店や家業、殺し屋など、日の当たらない組織が人知れず潜伏している暗い地域である。
月の明かりも薄い夜、そんな場所を黒ずくめのローブ姿の人物が歩いていた。
顔まですっぽりと覆い隠すローブは、その人物が男であるか女であるかも判別させない。
その歩みに音はなく、注視しなければ誰もその存在に気づくことはないだろう。
そんな音の無い歩みは、唐突に止まった。
「――見つけたぞ」
こえの主は青年だった。
ひとけのない一本道に仁王立ちする青年だ。
黒いローブを追ってきたのであろう。
少し燻んだ金色の短髪に、一目で高価だとわかる軽鎧。
そして、腰に帯びる剣。
彼がこの路地に相応しくないような人物であることだけはたしかである。
なにせ、裏の人間であればとにかく目立つ事を嫌う。
高価な防具などを隠しもせずに出歩く者はいない。
もちろん、彼とて自分がこの場に似つかわしくないことはわかっている。
それでもあえて隠さないのは、それだけ彼が自分の実力に自信がある証拠だった。
青年が口を開いた。
「貴様が――連日の人攫いの下手人だろう。調べはついている」
青年の言葉に、黒いローブは何も答えない。
ただゆっくりと振り返り、暗闇に沈んだローブの奥から、青年を見つめていた。
「ふん、何も答えないか・・・私を前にしてもその余裕、それなりの実力者なのだろうが・・・――」
青年は言いながら、腰の剣に手をかける。
こちらも相当な業物だ。
「『聖錬剣覇』フィエロが2番弟子――トトス。舐めてもらっては困る!」
青年――トトスは剣を抜いた。
そして――同時に地面を蹴る。
空気の揺れる音と共に、剣の煌めく光が闇夜を切り裂いていく。
凄まじい速さで繰り出されたトトスの剣は、一直線に目の前の黒ローブに向かっていく。
そして――。
ズシャッ!
鈍い音を立てて、黒いローブの胴を貫いた。
だが、
「・・・感触がっ!?」
トトスは歯噛みする。
明らかに手応えがないのだ。
それもそのはず、すぐに目の前の黒ローブは、霧のように霧散してしまった。
まるでそこには何もなかったかのように暗闇が残るだけである。
「――ッ! そこだ!」
そんな奇怪な現象にも惑わされず、トトスはすぐさま剣を返す。
降る先は、自分の真後ろ。
先程まで何もなかった暗闇だが――。
キンっ!
今度は剣の弾ける音がした。
暗闇の中から現れたのは、先程逆側にいた黒いローブ。
トトスの剣は、黒いローブの持つ剣によって止められていた。
「――ちっ! 幻惑系の魔法を使う上に――剣も達者とは、やりにくいな!」
トトスはすぐさま距離をとり、剣を取り直す。
相手の使うのは、どういう仕組みか幻影を操る魔法。
夜、しかも明かりのほとんどない暗闇となれば、向こうの方が有利だろう。
しかも剣を扱えるとなれば、さらに状況は悪くなる。
トトスに属性魔法は使えない。
対する黒ローブは、ゆらゆらと揺れるようにこちらに近づいてくる。
「・・・メラトスも連れてくるべきだったか」
トトスは、属性魔法も得意とする弟弟子の存在を思い出すが、無い物ねだりはできない。
おそらく相手は自身より格上――。
彼の知る限り王国に自身より上の剣士は、師匠『聖錬剣覇』その人か、兄弟子くらいしか思いつかないが・・・。
―――いや、まだみぬ強者などどこにでもいるか。
冷や汗を拭い、トトスは覚悟を決めた。
「ふぅ・・・」
息を吸い込み、剣を握る。
「――ハッ!!」
掛け声と共に、渾身の速さで魔力を走らせた。
現在トトスの出せる限界速度だ。
王国にもその速度の剣を受けれる人間は数えるほどしかいない。
だが――。
ヒュンッ
風切り音と共に、黒ローブめがけたトトスの剣は再び感触のない霧を突いていた。
「――まだまだぁ!」
それでもトトスの剣は止まらない。
神経――第六感を十全に働かせて、気配を読む。
敵の使っているのは、光属性に分類される幻惑系の魔法だろう。
視覚を惑わす強力な魔法だが――それ以外の感覚には影響はない。
音、匂い、触覚、そして勘。
それ以外の全ての感覚を研ぎ澄まし、見つけた違和感に向けて剣を返す。
「ハァァァア!!」
声は響いたが――剣がなにかを切り裂く音は響かなかった。
「――!?」
振り切った場所には、何もない。
あるとしたらそれはひたすらな―――暗闇。
そして――、
そこから少しズレた位置に、黒いローブの姿はあった。
「・・・惜しかったな」
そんな言葉と共に、トトスの意識は消えていった。
● ● ● ●
「・・・それで、目が覚めたら大通りの飲み屋の前に転がっていた、と」
ティアグラードの王城にて、トトスは膝をつき、無念の表情をしながら報告をしていた。
報告を聞いていたのは、薄紫色の髪の少し気の抜けた表情をしている男――王国最強の剣士の称号を持つ、『聖錬剣覇』フィエロである。
トトスに、ここのところ王国で起こっている『人攫い』の拿捕、及び犯人の調査を命じた張本人だ。
トトスは長い情報収集の末、『裏』の街道でそれらしき人物を見つけたということで、意気揚々と挑みに行ったのはいいものの、軽くあしらわれた上に、命を見逃された。
例の黒ローブの目的が何かは、彼にはまるでわからない。
あるいは人違いだった可能性もある。
「全身を黒ローブに身を包み、顔の確認は出来ませんでした。幻影の魔法を使う剣士です。剣は一合のみしか併せていませんが、かなりの使い手だと思います」
「幻影に、剣か・・・」
弟子の報告に、フィエロはなにやら考え込む。
何か心当たりがあるのだろうか。
「お前にそいつの居場所を流したのは誰だ?」
「たしか、ビブリット商会の者だったと思います」
「そうか・・・いや、わかった。とりあえずそっちは後回しだ。お前はメラトスと共に、例の宗教の方を調べてくれ」
「・・・はっ!」
任を外されたことに思うことがなかったわけではないが、しくじったトトスに何か言い返すことはできなかった。
トトスは悔しそうな顔をしながら、フィエロの元を去った。
● ● ● ●
―――人攫いに、宗教組織に―――公国のクーデター。
現在、王国は3つの問題を抱えている。
どれもが当初は些細な問題と思われていながら、解決しようとすればするほど、まるで空をつかむかのように、問題の根源が離れていくようなものだった。
フィエロは、自身の弟子たち3人を使って、それぞれの問題の調査に当たらせていた。
本来ならフィエロ自身が動けばいいのだが、彼は王城―――ユースティティア王国女王の傍を離れるわけにはいかない。
この王国において、女王の命を狙う輩は、腐るほどいるのだ。
彼女の騎士であるフィエロが離れれば、何が起こるかなどわかりはしない。
―――しかし、幻影を使う剣士に―――ビブリット商会か・・・。
そして、フィエロがビブリット商会の裏についている奴のことまで思案したとき―――。
「フィエロ様! フィエロ様!」
そんな声に注意を奪われた。
女王お付きの女官が、フィエロの部屋に駆け込んできたのだ。
「――どうした?」
不機嫌な声も出さずに、フィエロは答える。
「女王陛下がお呼びです! 緊急事態だとか」
「緊急事態・・・か。いったい何が起こった?」
緊急事態とあっては、流石にフィエロも多少の焦りを見せる。
もしかしたらシュペール公国が反旗を翻したのかも知れないし、それこそ例の宗教組織がなにかをやらかしたのかもしれない。
「それが・・・」
しかし、女官の言葉は少々フィエロの予想とは違ったものだった。
「ユピテル共和国からの―――亡命団が訪れました」
「―――!」
―――この事態が、王国の未来を大きく左右する出来事になるとは、まだ誰も予期していなかった。
読んで下さりありがとうございまいた。




