第109話:2年ぶりの我が家②
リュデが紅茶を持ってきた。
目の前でティーカップに紅茶を注いでくれる。
とても様になった動作だ。
あながちチータを越えたというのも本当かもしれない。
「お待たせしました。どうぞ」
「では、いただくよ」
そう言って、俺はリュデの入れてくれた紅茶に口を付ける。
「あぁ」
思わず声が漏れた。
何と言うか、懐かしい味というか――。
正直通ぶっているが、俺に紅茶の趣味があるというわけではない。
前世ではたまに飲んでいたが、それだけだ。細かい品種などよく知らない。
前世の俺は無趣味だったのだ。
しかし、この世界に来てからは、基本的に飲み物と言えば紅茶を飲んできた。
別にすごく好きだったわけでもないが、緑茶や麦茶の文化はないし、水では味気ないし、かといって他の選択肢がミルクかぶどうジュースかコーヒーと、濃いものしかない。
したがって、バリアシオン家では、基本俺の飲み物は紅茶だった。
どこの茶葉を使っているかとか、どのように入れているかなどを聞いたことがあるわけではないが・・・やはり飲んできた量が違うのか、チータの入れる紅茶の味は、案外俺の舌が覚えていたようだ。
なんとなく深みのある苦みとは裏腹に、フルーティーなマスカットの風味――。
すごく、懐かしい――チータの入れた紅茶の味に似ている。
でも、なんというか、チータのよりも・・・
「どうですか?」
リュデが緊張した面持ちでこちらを見ている。
紅茶の感想を求められているようだ。
「・・・とても――懐かしい味がしたよ。それに―――なんだか今まで飲んだ紅茶の中だと一番美味しいような、そんな気がする」
そう答えると、リュデはほっと胸をなでおろしたようだ。
「よかったです。頑張って練習した甲斐がありました」
「わざわざ俺の為に練習してくれたのか?」
「はい! 料理はエトナ様に譲りますが、紅茶だけは絶対私が入れるんです!」
リュデは得意げに笑い、微妙な膨らみの胸を張って答えた。
どうやら紅茶のためだけに、長い間チータに修業を付けて貰っていたようだ。
「美味しい紅茶を入れるには、重要なことが3つあるんです」
どんな内容か気になったので、聞いてみたら答えてくれた。
「茶葉の量の正確さ、茶葉を蒸す時間―――そして飲み手の方への・・・愛情、です」
3つ目で少し照れていたのが可愛かった。
● ● ● ●
「さて、それで・・・話を聞いてもいいかな?」
「はい」
どうやらリュデの愛情がたっぷり詰まっているらしい紅茶を堪能したところで、本題に入った。
「他の皆は・・・どうなったんだ?」
リュデの顔も真面目なものに変わる。
「・・・アル様のご家族は、皆様、クロイツ一門に随行されました」
「そうか、まあ、そうだろうな」
やはり、俺の家族はクロイツ一門と行動を共にしているようだ。
「それで、リュデは一緒に行かなかったのか? チータやヌマは?」
「お父さんとお姉ちゃんは、アピウス様に同行することにしました。お坊ちゃま方のお世話を、アティア様1人に任せるわけにもいかないので」
「てことは・・・」
「はい。私が少しわがままを言ってしまったので、お母さんと2人で残ることにしたんです」
「わがまま?」
「・・・どうしてもここで・・・アル様を待ちたいって」
「・・・そっか」
とりあえず、リュデだけじゃなく、チータも残っているようだ。
リュデだけで残っていたら少し心配だったが、チータも残っているなら安心だ。
しかし家の感じからすると、こことは別の場所に住んでいるのかな。
「それで――詳しいことは、アピウス様から手紙を預かっています」
リュデはそういって便箋を取り出した。
俺はそれを受け取る。
あれ、2つあるな・・・。
俺はとりあえず、バリアシオン家の家印がなされた手紙を開いた。
紙自体は上等なものだったが、中は走り書きがなされていたかのような文体だ。
おそらく急いで書いたのだろう。
『――アルトリウスへ。
これをお前が読んでいるということは、ひとまず無事に首都に帰ってきたということだろう。
私から直接労ってやれないことを、申し訳なく思う。
本当は書くべきことは色々あるのだが、私はすぐに首都を発たなければならないため、簡素な手紙であることを容赦して欲しい。
何を隠そう、我々ウイン一門が懇意にしているクロイツ一門および穏健派の貴族が、ユースティティア王国へ行くことになった。
クロイツ・ローエングリン家の家長、カルロス殿が、これから起きる内戦に巻き込まれることを避けて国外に避難することを決定したのだ。どうやら青龍剣殿が助言をしたようだが・・・とにかく、穏健派のトップは、このユピテルが戦場になることを予想している。
民衆派と門閥派の争いは、もう止められないところまできてしまったようだ。
今の首都も、なにやら異様な雰囲気に包まれている。
以前お前が言っていた通りになってしまったな。
正直私にも、どちらが勝つかなどわからない。
だからとにかく家族を守るため、私たちはカルロス殿と共に首都を発つことにした。
ドミトリウス家も一緒だ。
お前を残していく事は、本当に心苦しい。
戦争から帰ってきた息子に会ってやれないことは親としては不甲斐ない気持ちでいっぱいだ。
だが、残念ながら、これが私にできる最善手でもある。どうか許してくれ。
チータとリュデも連れて行くつもりだったのだが、リュデがどうしても残るというので、許可することにした。相当好かれているのだな。どうするかはお前に任せる。
お前の事だから、色々と考えすぎてしまうことはあると思うが、私たちの事を心配する必要はない。
民衆派も門閥派も関係なく、お前はお前のやりたいことを、やるべきだと思ったことをやってくれ。
私もアティアも、それを望んでいる。
内戦が終わった後、世界がどうなっているかはわからない。
きっとそれは誰にもわからないだろう。
だが、世界がどうなろうと、どこにいようと、何に所属しようと、私たちは家族だ。
それだけは忘れないように。
では、再会の日まで、無事でいることを願っている』
「・・・・」
手紙を読み終えた。
アピウスらしい真面目な文章だった。
やはり、クロイツ一門と一緒に王国へ向かったのか。
ドミトリウス家も一緒ということは、エトナも一緒のようだ。
クロイツ一門であるカインは言わずもがなだろう。
しかし―――カルロスというのは・・・。
「カルロス様は、カインさんのお父様ですよ」
リュデが教えてくれた。
なるほど、カインは確かにクロイツ・ローエングリン家―――クロイツ一門の中でも筆頭格の家だったな。
その父親が穏健派のトップと言われても納得はできる。
とにかく、そのカルロス殿の判断か、青龍剣殿の判断かで、穏健派は、門閥派と民衆派の争いになることを読んで、巻き込まれることを回避するため、国を発ったということだろうか。
「それで、もう一枚は・・・?」
「あ、それはエトナ様からの手紙です」
「なるほど」
みると、手紙にはピンク色のハートマークが書かれている。
まるでラブレターだ。
「・・・」
ちょっと恥ずかしく思いながら、手紙の封を開けた。
「・・・これは?」
中に入っていたのは、大きめと小さめのメモ用紙が1枚ずつだ。
「―――『かの者たちは、大地に君臨せしあまたの神族―――――これは、人々に請われ、大いなる力を授けた彼らの罪の記憶の話―――』・・・て、なんだこれ?」
大きめの紙に書かれていたのは、何の意味か分からない抽象的な言葉の綴りだ。
すぐに2枚目――小さい方に目を通す。
『アル君へ
本当は今すぐにでもアル君に会いたかったけど、お母さんが許してくれなかったので、私も首都を離れることになっちゃった。
私が担当したかったけど、《卒業式》はリュデちゃんに頼んだよ!
優しくしてあげてね!
同封してあるのは、アル君がオスカー君のところから貰ってきた『古文書』の冒頭部分の翻訳です。
合っているかはわからないけど、多分古代の神族?について書かれている本みたい。
王国には古代語について詳しい人がいるって聞いたから、向こうでも少し調べてみるね!
今は、国が少し大変みたいだけど、アル君なら大丈夫って信じてます。
大好きだよ!
アル君のエトナより』
こちらも走り書きのメモのような手紙だったが・・・、
「・・・古文書か、アレは学校に置いて行ったが、エトナが持っているのか」
「エトナ様、卒業してからも、アル様の為に古文書に解読をしていたみたいですよ?」
私も手伝いました、と得意げにリュデが言った。
オスカーの護衛を引き受ける代わりに貰った古文書。
学生時代、神話研究ゼミで、そのその古文書の解読をしていた。
現代と違う文字だから解読がかなり難航したはずだが・・・どうやら続けて研究をしてくれていたようだ。
エトナだって仕事も始まって忙しいだろうに。
しかし、神族か。
元々俺が神話研究をしようと思ったのは、失伝魔法を無詠唱で使うラトニーが、神族ではないかと疑ったからだが・・・。
いや、しかしそれより、
「・・・あの・・・卒業式って?」
俺はリュデに尋ねた。
「優しく」とかいう文面からして学校の卒業式ではないだろう。
俺の学校の卒業式は、1年半くらい前にあったはずだ。
リュデに頼んだとか言っていたが俺の知り得る限り、この場合の卒業式は夜の―――
「ふぇっ!? あ、えっと、それは・・・その、確かにエトナ様にはよろしくね~とは言われましたが、確約はしていませんし、その――アル様はもうカルティアでいっぱい経験しているでしょうし、全然、本気にしなくて、大丈夫ですっ!」
聞くと、リュデは顔を真っ赤にして目を逸らした。
俺の予想は合っていたようだ。
卒業式は卒業式でも、夜の営みの卒業式――というよりむしろ入学式のような気がするが・・・とにかくそっちの話のようだ。
ていうかオスカーの話だと、夜の卒業式って、そういうのに慣れたアダルティなお姉さんが襲ってくるんじゃなかったっけ。
「・・・リュデってそっちの経験豊富なの?」
「ま、まさか! そんなわけことあるわけないじゃないですか! アル様以外なんて・・・」
どうやらそういうわけでもないらしい。
しかし、前に一度エトナとそういう話が出たときは、抜け駆けになるからまだ駄目と言われた気がする。
いや、当然そのときも俺から話を持ち掛けたわけじゃなく、エトナが勝手に語りだしただけだ。
当時、俺もエトナも12歳。
たとえ許可を出されても断固として拒否した。俺の理性にかけて。
だが今になって急に、しかもリュデに頼むって・・・冗談だよな?
俺が不思議そうな顔をしていると、リュデが察したのか口を開いた。
「その――多分、アル様がもう成年なので、これ以上待たせることを気にしたんだと思います」
「成年―――」
「はい。アル様、来週誕生日ですもんね」
「え?―――あ、そうか、もうそんな時期か」
誕生日―――。
そんなことあまり考えていなかった。
正直去年の誕生日も、完全に忘れたままゲリラ戦の訓練でもしていた気がする。
現在14歳である俺も、来週で15歳。
確かに―――この世界では成年とみられる年齢だ。
いつの間にかそんなに時間が流れていたのか。
ここ数年は忙しくて、それどころじゃなかったからなぁ。
「・・・アル様、大丈夫ですか?」
「え?」
リュデを見ると、心配そうに俺を見ている。
大丈夫って・・・どこか調子でも悪いように思われたのだろうか。
「――その、寂しそうに見えたので」
寂しそう・・・。
「成人って、本当なら家族みんなで集まってお祝いする・・・一生に一度のおめでたい時じゃないですか、だからその・・・」
「ああ・・・」
そうか、この世界でも成人はそれなりに重要なものなのか。
家族に祝ってもらえなくて残念そうにしていると思われたのかもしれない。
「別に・・・大丈夫だよ。その―――もう成人かぁって思ったら時の流れの速さを感じただけさ」
「アル様・・・」
「それに、今はそれどころじゃないからな。ほかにやることもいっぱいあるし・・・とても成人だからってお祝いしている余裕は―――っ!?」
瞬間―――俺の頭を柔らかい感触が覆った。
これは・・・なんだ。
甘いにおいと、布地の肌触り。
そして柔らかい感触。
俺は―――リュデの胸の中に抱きしめられていた。
「へ? あの・・・リュデ?」
声を上げても、リュデは黙ったまま俺の顔をぎゅっと抱きしめ続ける。
どうしよう。
どうすればいいんだろう。
ひょっとし夜の卒業式とかを真に受けてしまったのだろうか。
多分あれはエトナの冗談だろう?
確かに俺が座っているのはベッドの上だし、興奮しないかと言われれば嘘になるが・・・。
俺がそのまま動けないでいると、リュデが小さく口を開いた。
「・・・・アル様、ずっと疲れた顔をしています。再会した時からずっと、叩けば折れてしまいそうな顔をしています」
顔――。
また俺は変な顔でもしていたのか。
「私は・・・アル様がカルティアで何をしてきたのか、詳しくは知りません。どれほど戦争が悲惨で、どれほど辛いものなのか、知りません」
リュデの体から、声が染み込むように響き渡る。
「でも、アル様がすごく頑張ったってことは知ってます。行かなくても、傍にいなくても、アル様がそういう人だってことを――私は知っています」
「リュデ・・・」
「でも、大丈夫です。ここは家です。アル様の育った家です。だから・・・もっと甘えても、いいんですよ?」
「・・・」
甘える、か。
確かにここのところ、少し考えすぎていたかもしれない。
内戦とか、ルシウスの言葉とか、家族についてとか、指揮官としてや・・・強くなった人間の責任とか。
勝手に考えて、勝手に不安になって・・・それが顔に出ていたのだろうか。
「・・・た、確かに、私は身分も低いですし、ヒナ様やエトナ様のような魅力的な女性でもありませんし、私なんかじゃ、すごいアル様の力になれるかはわかりませんが・・・でも、アル様を大切に思う気持ちは、ヒナ様にもエトナ様にも負けません。だから、存分に―――」
「リュデ」
「・・・はい」
なにか早口で言っていたので、リュデの言葉を止める。
「その・・・もう少し、このままでもいいか?」
「はい。いつまででも」
「―――ありがとう」
暫くそのまま無言で何も考えずに、リュデに抱きしめられた。
もちろん恥ずかしかったが―――それ以上に心が休まる――そんな気がした。
超難産でした・・・。
読んで下さり、ありがとうございました。




