第107話:都落ち
――ラーゼン軍上洛。
その報せは、彼らが『デルミナ』に到着して程なく首都―――ガストン達門閥派の元に届いた。
「――まさか! 元老院最終勧告を出したのだぞ! どうして軍を解散させない!?」
「――ガルマーク卿! いったいどうするのだ!」
「――貴殿が問題ないといったから賛成したのだ!」
「――むしろいらぬ刺激を与えただけではないか!」
『元老院最終勧告』を出した首謀者とみなされるガストンの元に、門閥派の貴族たちはこぞって集まっていた。
一応、門閥派のトップとしてはバシャックの方が家格は上なのだが、こういうときにバシャックに頼っても意味がないということは、門閥派の貴族も皆わかっている。
ラーゼンの上洛により、何よりも彼らの不安を掻き立てるのは、つい先日まで首都にいた穏健派――クロイツ一門が多くの穏健派を連れて首都を発ってしまったという事実だ。
行先は王国だと聞いているが、もはや何がどうなっているかなどわかりはしない。
まだ常備軍の兵自体は多くが残っているが、問題なのは、長らく首都の軍を支えていたクロイツ一門の人間が根こそぎいなくなったことによって、今の常備軍の統制が全く取れていないというところだった。
この状態で、ラーゼンの軍を迎え撃つことなど、誰もが無謀だと知っている。
そんな門閥派の貴族たちに、ガストンは冷たく言い放った。
「責任転嫁は止めたまえ。元老院最終勧告を提出したのは確かに私とインザダーク卿だが、諸君らもそれには賛同した。ラーゼンからすれば、私も諸君も変わりはしない」
「――ッ!」
貴族たちは黙るが、ガストンからすれば、彼らとの責任のなすりつけ合いに時間を使っている場合ではない。
「問題は、これからどうするかだ。ラーゼンは既に一線を越えた。公的な立場がありながら、私情によって元老院勧告に従わず――それだけではなく、軍団を持って首都に向かっている。間違いなく、国家の逆賊だ」
ガストンはあくまで冷静に、周りにいる貴族たちに語り掛けた。
「国家の逆賊が、攻めてきている。ならば、我々にできることは何だ? 国を守るためにするべきことがあるだろう。戦って―――奴を失脚させるしか、方法はない」
その言葉に、1人の貴族が声を上げた。
「・・・・では、常備軍を率いて討って出ると?」
ガストンは首を振る。
「いや・・・今までずっとクロイツに従っていた軍を、我々が率いても仕方があるまい」
首都の常備軍は、クロイツ一門あってこその軍隊だ。
それに、そもそもガストンは政治家であって、将軍として軍団を率いる能力があるかと言われると微妙なところである。
この場にいる他の貴族も軒並み同じだ。
バシャックなど話になるまい。
ラーゼンは優れた指揮官であり、微妙な指揮官に、急ごしらえの指揮統制で勝てるような相手ではない。
彼に対抗できるほどの軍隊は、少なくともこの首都にはいないのだ。
「では、どうするのだね」
その問いに、ガストンは目を細めながら言った。
「――逃げる」
「なっ!?」
その言葉に周りは騒然となった。
「勝てぬ戦をしても仕方があるまい!」
ガストンの声が響く。
「東に行く。東方属州アウローラには、ネグレド・カレン・ミロティックがいる。彼は元老院の体制を信じる門閥派だ。そして――ラーゼンにも勝る歴戦の智将でもある。彼を頼るのが最善だろう」
ネグレドの名前は、彼ら門閥派貴族にとっては絶対的だ。
ガストンの言う通り、ラーゼンに対抗できるような指揮官は、ネグレドしかいないだろう。
末端の百人隊長や軍団指揮官ではなく、絶対指揮権を持つ最高司令官の器をもつ人物など限られるのだ。
だとすると、すぐさま東――アウローラに行き、体勢を立て直すのが先決だ。
「すぐに元老院を開き、インザダーク卿と共に、ラーゼンを国賊と認定する。そして、国庫と国印を回収し、東へ発つ。元老院をアウローラに移すのだ」
ガストンの言葉に、反論する者はいなかった。
「最終勧告に従わなかったことには驚いたが、元老院の正当性と、肥沃な東方の大地が我々にはある。調子に乗った若造に――この国を渡すことなど、断じてあってはならない!」
そんな力強い言葉で、門閥派はまとめられた。
そこからの彼らの動きは早かった。
宣言通り、元老院を即時招集し、執政官権限でラーゼンの『元老院最終勧告』無視が明らかであることを理由に『国賊』として認定。
対抗すべしとしてすぐに国庫の中身―――大量の金と、国政令を出す際に必要な国印を持ち出し、門閥派の貴族はこぞって首都を発った。
ラーゼンが到着する、1週間ほど前のことである。
● ● ● ●
白旗が上がっていたヤヌスに、俺たちはなんなく入ることができた。
2年ぶりに歩く首都―――ヤヌスは、懐かしい気持ちもあったが、それよりも、メインストリートを埋め尽くす大量の民衆に驚く羽目になった。
手を振り、大声を上げ、熱狂的にラーゼンを迎え入れる市民たち。
聞こえてくるのは感謝の言葉や、門閥派に対する恨み文句だ。
そんな民衆の群れを抜け、なんとか空地などに適当に軍団の駐屯を割り振ると、ある程度以上の地位を持つ参謀は都市の中心地――元老院に向かうことになった。
「・・・お待ちしておりました、プロスペクター卿」
元老院の入り口で俺たちを待ち構えていたのは、何人かの文官と思しき人達だ。
白いローブに、紫色の刺繍をいれているということは、元老院議員等の立場が上の人なのだろう。
誰もが目の下にクマを作り、疲れた顔をしている。
「・・・グリーズマンか。久しいな」
ラーゼンは、そんな文官たちの中でも中心にいる人物に向けて言った。
顎髭がダンディで人のよさそうな壮年の男だ。
「――バリアシオン君、あの人が父のいない間首都をまとめていた人――グリーズマン・レーヴ・ミストラルだよ」
俺の隣でオスカーが耳打ちをしてくれた。
彼も今は参謀入りしている。
やはりラーゼンの息子というのも大きいだろうが、カルティアの戦後処理でよほど活躍してようだ。
参謀の中では年齢が明らかに不相応だった俺だが、彼の加入によって少し気が楽になる。
しかし・・・
「レーヴ・ミストラルって・・・どこかで聞いたことあるな」
「ミランダの父上だよ」
「ああ、なるほど」
確かに、ミランダの家は、民衆派の中心人物の一人だった気がする。
学生時代、護衛対象には彼女も含まれていた。
残念ながら今日はミランダはお留守番だが。
「閣下がご無事で何よりです」
グリーズマンと呼ばれた男は、甲斐甲斐しくラーゼンに礼をした。
ラーゼンは小さく頷く。
「状況は?」
「もちろん説明します。とりあえず中へ」
グリーズマンに連れられて俺たちは元老院の中に通された。
なんともいえない場違い感を感じながら俺も追従した。
元老院の中は初めて入ったが・・・やけに閑散としていた。
外の民衆の熱狂ぶりを考えると、いささか寂しさすら感じる。
ロビーもひとけはなく、元老院の受付をしていたはずのエトナを探してみたが、無駄に終わった。
少し歩き、会議室のような場所に案内される。
今までの参謀府や、総督府の会議室と似たような感じだ。
もちろん上座に座るのはラーゼンで、その左にはゼノン。
右には普段シルヴァディがいるはずなのだが、彼は別動隊を率いておりこの場にいないので、空席となっている。
グリーズマンは文官の上座に座った。
他は、前から面識のあるカルティア方面軍の人たちと、見たことのない首都にいた人たちで入り乱れるように着席している。
俺はいつも通り下座の方に腰を掛ける。
「では聞かせて貰おうか、門閥派と・・・そして穏健派。彼らがどこに行ったのか」
「はっ」
ラーゼンの言葉にグリーズマンが立ち上がり――会議が始まった。
ぶっちゃけ俺は武官だし、参謀の中だと下っ端の部類なので、終始口を開くことはなかった。
面識のない人も多かったので、序盤に自己紹介を少しだけしたくらいだろうか。
名前を言うと、
「ああ、彼が神童の・・・」
「なるほど、あの論文を書いた生徒か・・・」
など、少し懐かしい反応が返ってきた。
まぁでもそれだけだ。
会議は大きく前半と後半にわかれた。
前半は、グリーズマンをはじめ、首都に滞在していた民衆派の人間から、現在の状況を説明してもらうこと。
後半は、今後の方針を決めるものだ。
前半は誰もが黙って説明を聞いていた。
「門閥派は・・・全員がこぞって逃げ出しました」
開口一番、グリーズマンからは、そんな台詞が出てきた
どうやら、ラーゼンの敵対勢力であり、『元老院最終勧告』を出した門閥派の貴族たちは、ラーゼンが首都に向かっているという報告を聞いて、一目散に逃げだしたらしい。
「ただ厄介なことに、奴ら、国庫の金をあらかた持ち出しています。国印もです」
「・・・なるほどな。ガストンも覚悟を決めたか」
門閥派のトップは、バシャック・ダンス・インザダークという大貴族のようだが、彼自体にあまり求心力はなく、実質的にはガストン・セルブ・ガルマークという男が、門閥派の実権を握っているらしい。
そして、彼らは国庫の金と国印を持ち出して、東――アウローラへ逃げたようだ。
「なので・・・噂をばら撒きました。『門閥派の貴族共は、国の金を勝手に持ち出し、首都を捨てて逃げ出した』とね。民衆が閣下の到着を心から歓迎していたのはそのためでしょう」
噂というか、事実なのだが――とにかく、それによって、門閥派の貴族への反感は爆発し、多くの市民がラーゼンに「打倒門閥派」という期待を寄せている。
俺たちがやけに歓迎されているのはそのせいであるらしい。
他にも、グリーズマンの報告は続く。
「門閥派が逃げ出したのは、穏健派―――クロイツ一門が、それよりも前に国を出ていき、そのせいで常備軍が使い物にならなかったからでしょう」
穏健派が国を出たという噂は本当のようだ。
首都に置かれている常備軍というのは、元老院の管轄ではあるが、実質的にその指揮権を握っているのはクロイツ一門の人間だ。
彼らがいないのであれば、たとえ兵が残っていたとしてもまともに指揮統制が取れるはずもなく、門閥派の貴族たちもラーゼンから逃げるしかなかったのだろう。
「ふむ、内乱に巻き込まれるのを避けたか・・・カルロスがいったい何を考えているのか・・・」
穏健派が国を離れたという話を、ラーゼンは神妙そうに聞いていた。
俺も―――少し不安な気持ちが湧き出てきている。
グリーズマンは最後にこう締めくくった。
「とにかく、現在首都に、閣下の敵対勢力は軒並みいなくなっています。しかし、その代わり金と人手が足りません」
会議の前半は、そのように、逃げ出した門閥派と、国を発った穏健派についての話が多くを占めた。
そして、後半――今後の方針はほとんどラーゼンが一人で決めた。
まず、人材不足――つまりは門閥派が務めていた執政官2人や、高位の官職者たちが軒並み首都から脱出したせいで機能しなくなっていた政治の秩序の回復について。
ラーゼンは、過去に失脚された民衆派の貴族や、それ以外でも有能と思われる人間を次々と『元老院議員』に仕立て上げ、新たに元老院を立ち上げることを提案した。
驚くべきことにオスカーもその中に含まれている。
「しかし・・・元老院の招集は現職の執政官に権利があり、しかも国印は向こうの手にあるのでは?」
元老院としての正当性はあちらにあるのではないかと、当然、そんな声も上がったが、
「役職名や印など、ただの飾りに過ぎない。奴らは首都にいないのだ。今の奴らが何か決議をしたところで、それに従う民がこの首都のどこにいるというのだ」
ラーゼンとしては、執政官の権力など、首都にいるからこそ十全に発揮できる権力であるらしい。
「安心しろ。大義はこちらにある。なにせ―――ギレオンを抑えているからな」
その言葉で、その場にいた多くの人間が納得の顔をしていた。
誰も反論はしなかった。
そして、資金運営に関しては、ラーゼンもこれといっていい解決案はないようだ。
とにかく現状を何とかする手段として、ファリド家の資産から金を出し、足りない場合は借金をしてでも首都の機能を回復させるつもりだとか。
ただ、
「どうせ、すぐに取り返すさ」
という一言に、ラーゼンの決意が見えてくるような気がした。
他にも別動隊であるシルヴァディの軍団と早く合流する必要があるという話も出た。
本来ならば、北ルート――北方山脈を通ってきたシルヴァディの軍団のほうが、ラーゼンよりも早くユピテルに到着する予定であった。
しかし、彼らからは何の噂も報せも聞かない。
少し不安であるということで、迎えを出すことになった。
俺が任命されるかな、と思ったが、この任務はマティアスに任された。
概ねそのような話で、会議は終わった。
とにかく、すぐに東に攻めるつもりはないらしい。
首都を抑えた以上、その秩序の回復をある程度しておくべきとラーゼンは判断したのだ。
会議の後、軍団全体に休息の命令が出た。
次の招集まで、自由にしていいとのこと。
首都に実家がある者も多い。
そういった者たちが家に顔を出せるようにとの配慮だろう。
俺も、漠然とした不安と、少しの期待とを胸に抱きながら―――懐かしのわが家へと足を向けることにした。
読んで下さりありがとうございました。




