【21】七夕と願い事
タンザクと呼ばれる長方形の小さな紙に、願い事を書く。
それをヤイチ様が異国から取り寄せたという、笹もどきという緑の木にぶら下げる。
この笹もどき、つやつやした幹は両手で握れるほど細身で、中は空洞になっているようだ。ここにタンザクを下げると、願い事が叶うらしい。
現在は二年生の七の月。
夜にヤイチ様の家に招待されて、私たちは『七夕』というニホンの行事を堪能中だ。
「昔は弟と、最強の剣豪になれますようにとお願いしたものです。ニホンが懐かしくはありませんか?」
「いえ全く。僕は生まれも育ちもこの国ですから」
ふふっと笑って語りかけてくるヤイチ様に、チサトは淡々と受け答えしている。
ヤイチ様はチサトを自分の弟かもしれないと思っているらしく、よくチサトを遊びに誘ってくる。
かなり昔からこの国に住んでいるトキビトのヤイチ様は、チサトとは違い、もう元の世界の元の時間へは帰れないらしい。
そのためか、チサトには記憶を思い出してほしいというより、一緒にいられるだけでいいという雰囲気をヤイチ様からは感じる。
邪険に扱われても嬉しそうな顔をするのだ。そんな風に懐かしむような雰囲気を向けられてしまうと、チサトも最後まで拒めないようだった。
庭のテーブルに座る私たちの他に、ヴィルトとその友達のアカネも七夕に参加していた。
アカネは前にヘレンの結婚式でヴィルトが知り合ったというトキビトの女の子で、七歳にしか見えないけれど、実際には私やヴィルトより一つ年下らしい。
タンザクを笹もどきに飾ろうとする彼女を、ヴィルトが抱っこしてあげている。
その姿は微笑ましくて、友達というより面倒見のいい兄と妹にしか見えなかった。
今日は皆、浴衣というものを着て七夕を楽しんでいる。
この浴衣は少し変わった服で。一枚の綺麗な布を体に巻きつけ、お腹の所を太い帯で締めたものだ。袖のところが下に長く、腕を振るたびに揺れるのが面白い。
私が貰ったのは女物ということだったので、今日はベアトリーチェの姿でこの浴衣を着ていた。
空には月がなく、星が綺麗だ。
庭には紙を張って、中にろうそくをともしたランプいくつも置かれていて、それもまた綺麗だった。
夜風が涼しくて気持ちいいなと思いながら、願い事をさらさらと書く。
願い事は、最初から決まっていた。
「何を書いたのかな、ベアトリーチェ?」
「兄様が幸せになりますように、って書いたよ」
尋ねてきたチサトにそういえば、驚いたように目を見開いて、それから感極まったように私に抱きついてきた。
「ベアトリーチェ、なんていい子なんだ!」
「もう兄様、苦しいよ!」
チサトは大げさだなと思いながら、ヴィルトが生暖かい視線を送っているのに気づいてはっとする。
あの目は「本当にクライスはシスコンだな」と思ってる目だ。
ここはベアトリーチェとして、別の願いを書いて、ヴィルトの好感度を上げておくべきだったんじゃないかと気づく。
ついいつも願ってきたことを、何の迷いもなく書いてしまった。
けどそこまで考えて、結局はこの願いを書いただろうなと自分で思う。
こういう事は、心からの願いじゃないと意味がない。
願いが神様に届くなら、嘘偽りはよくないと思うのだ。
「嬉しいけど、ベアトリーチェ。お願い事は自分のために書くものだよ」
「兄様が幸せなら私も幸せだから」
ちょっと照れたような困り顔で言われ、チサトにそう返す。
チサトが幸せになれますようにと、ずっと私は願ってきていた。
「……っ!」
「だから兄様、苦しいですって!」
チサトときたら、さらに強く抱きしめてくるものだから困ったものだ。
アカネが本当に仲がいい兄妹ですねなんて言って、ヴィルトが本当になとちょっと呆れたような顔をしていた。
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ヴィルトは王の騎士になるまで、ミサキとは会わないと決めていた。
その間にチサトにはクライスとして、ミサキの心を掴んで貰おうと、私は長期休暇のたびにチサトを連れてバティスト領へ行った。
実はルカナン家の者で、チサトは「クラーク」という名前じゃなくてルカナン家の長男「クライス」だという説明はした。
そのまま顔をさらして、チサトという事は隠して仲良くなればいいのに、チサトは相変わらず被り物をしたままだった。
その上、私と遊んでばかりでミサキに積極的に会おうとしない。
肝心なチサトとミサキの恋は全く何も進展してくれなくて。
でも、ベアトリーチェとしてのヴィルトへのアタックの方は、チサトの妨害がありながらも上手く行っていた。
一番効果的だったのは、毎月ある公開練習の終わりにヴィルトへ差し入れをしたことだ。
この公開練習、休日に行われていて一部の生徒を除いて自由参加。終わったらそれぞれ帰っていい事になっていた。
上位成績者である私は強制的に剣舞部門。
模擬戦部門と違い参加者が少なく早く終わるため、急いで家に帰って着替え、ヴィルトとチサトの戦いを見るのが毎度のパターンだった。
ヴィルトとチサトが戦い終えたところで、ベアトリーチェの姿で二人に駆け寄る。
チサトは押しに弱く女の子たちからのプレゼントを受け取るのだけれど、ヴィルトはいらないと跳ね除けていた。
「ヴィルト様、お疲れ様です。これどうぞ」
「ありがとなベアトリーチェ」
そんな中でベアトリーチェが差し出したタオルを、ヴィルトは受け取る。
周りの女の子たちが、うらやましそうなむしろ妬ましいというような視線を向けているのがわかる。
しかしちょっと怖いので振り向きはしない。
「はい、お兄様もどうぞ」
「ありがとう」
チサトにも一緒に渡すことによって、周りの女の子たちが「あの子はルカナン家の娘なんだな」と気づく。
ヴィルトとチサトは好敵手扱いされていたため、友人の妹でしかもルカナン家の令嬢に勝てっこないと、女の子たちが自ら引いてくれるのでありがたかった。
「レモンの蜂蜜づけを作ってみたんですけど、どうぞ」
「お嬢様なのにこういうのも作るんだな」
私が差し出したレモンの蜂蜜漬けを、ヴィルトが意外そうにそう言って目を細める。
剣の稽古の後、ミサキがよく差し入れてくれたのでそれを思い出したんだろう。
「ふむ、俺もいただこうか」
狙い通り上手く言ったと喜んでいたら、ルークが私の後ろから手を出してきた。
剣舞部門が終わって帰ったと思ったのだけれど、まだ施設内にいたらしい。
「これはいいな。酸味が好みだ。次は俺のために作ってくれベアトリーチェ」
「考えておきますね」
そういいながら勝手に二つ目を食べるルークに、笑顔を貼り付けながら答える。
ルークもまた目立つ男なので、周りの女の子からの視線の厳しさが増していくのが肌でわかった。
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「ルーク、私言ったよね。ヴィルトを落とすために頑張ってるんだって。いらない女の子たちの妬みまで買いたくないんだけど」
「まぁ聞いたな。協力するとは一言も言ってはいないが」
次の日の放課後。
ルークとふたりっきりで、剣舞の合わせをしながら会話をする。
三年生へ上がることが決まって、代表として剣舞を披露することになっていた。
『クライス』であるチサトは、妹である私にべったりで。
ヴィルトは女の子にそっけないけど、親友であるベネの妹には優しい。
それだけでもベアトリーチェには敵が多い。そこにルークが加わったら余計に面倒な事になる。
私がルカナン家の令嬢とわかって引く子は引くけれど、それでも納得のいかない子に文句をつけられたり嫌がらせをされたりすることは時々あるのだ。
自分がもてることを自覚してないわけじゃないだろうに、ルークときたらベアトリーチェ姿の時は姫と呼び、何かと絡んできていた。
「やはり理解に苦しむ。クライスが好きなら回りくどいことをせず、好きと言ってしまえばいいものを」
型を一つ一つ確認しながら、ルークが呟く。
ベネがベアトリーチェだと、ルークにばれてから、私は事情をほとんど話してしまっていた。
今では、態度は軽いけれど、口は軽くない男だと信じられるくらいには信頼している。
「……チサトはミサキが好きなの。好きな人には幸せになってもらいたいでしょ」
「考え方は人それぞれだ。それがお前の貫く美の形ならそれでもいいとは思うがな。どうみたってクライスの方もお前が好きだと思うぞ」
「仲のいい兄妹だからね。それに……妹の私が好きって言ったところで困らせるだけだし」
チサトがミサキの告白を断ったのは、兄妹だからという事も少なからずあるようだった。
それなのに私が告白したところで、チサトを困らせるだけだ。
「血は繋がってないのだから関係ないだろう。好きなものは好き。単純でいいと俺は思うが……どちらにしろ恋敵を応援する気は、お前と違って俺にはない。ベアトリーチェがそのまま突き進んで、ヴィルトに玉砕するのを気長に待つとしよう」
「玉砕するって決め付けないでよ。頑張ればきっとヴィルトだって……って、恋敵って誰が?」
言葉に引っかかりを感じて眉をひそめる。
ルークは剣をシャンと鳴らして振り払い、腰の入れ物に納めた。
「クライスとヴィルトがだ。俺はお前が好きだからな、ベアトリーチェ」
今日のお昼一緒に食べないかと誘うときくらい軽く、ルークはそう口にした。
「……相変わらず、私をからかうのが好きだよね。その口説き癖いい加減どうにかした方がいいよ。まぁ、一応励ましてくれてるんだよね。ありがと」
「別に励ましてるつもりはないのだが……まぁいい。今ヘタに意識されても面倒なだけだしな。今日はこれまでにして夕食を食べに行くぞ。いい店がある」
礼を言えば、ルークにしては珍しく困った顔をして、何故か溜息を付いていた。
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順調に私達は三年生になって、騎士学校最終学年へと進んだ。
この学校は三年制なのだけれど、六年制にした方がいいんじゃないかと言われるくらいスムーズに進む生徒が少ない。
どこの騎士団に入りたいとか、真剣に悩みだす三年生になって、ヴィルトがとんでもない事を言い出した。
ウェザリオは隣国である魔法大国・レティシアと現在戦争中だ。
卒業したらその戦争に、自分も行くと言い出したのだ。
ヴィルトはそこで功績を挙げて、一刻も早く王の騎士になりたいと考えているようだった。
しかも私が教えてもらったときには、戦争の起こっているラザフォード騎士団にも話をつけてしまっていた。
もちろんそんなの止めるに決まっている。戦争ということは、死ぬ可能性だってあるのだ。友達として当然反対した。
「悪いベネ、俺結構前から考えて決めたことなんだ。俺がこうやってる間にミサキが元の世界に帰ったらって考えたら……できることは何でもやっておきたいから」
真摯な顔でそう言われたって、納得できないものは納得できない。
ヴィルトがいなければ、チサトの恋は叶うかもしれないけど、それとこれとは別問題だ。
いつだって暴走したヴィルトを止められるのはミサキだけだ。
……どうにかミサキに説得して貰おう。
そう思った私は、チサトと一緒にバティスト領へ向かった。
「ヴィルトが、戦争に……?」
「そうなんだ。一刻も早く王の騎士になるんだって聞かなくて。僕ヴィルトが死んじゃったら嫌だよ。ミサキ説得して!」
青ざめるミサキに事情を説明すれば、そこにヴィルトの兄であるミシェルがふらりと現れた。
「……駄目だよミサキ。ミサキの約束でヴィルトは頑張ってる。王の騎士になったら、危険に身をさらすこともあるよ。ミサキがどういうつもりで王の騎士になったら結婚するって言ったのかは知らないけど。ヴィルトの気持ちを弄ぶのはボクが許さない」
強い言葉でミシェルがそう言ったのには、私もミサキも驚いた。
女の子の格好をすれば長生きできる。
そんな迷信にさえ両親が縋りたくなるくらい、体が病弱だったミシェルはいつだって女装していて女々しく、常におどおどとしていて。
こんな風に真っ直ぐに人の目を見て、意見を言えるやつじゃなかった。
「ミシェルはヴィルトが心配じゃないの?」
私の問いに、ミシェルは首を横に振る。
「もちろん心配だし、戦争になんて行ってほしくないよ。でもミサキが止めるのだけは駄目だから」
ミサキを止めるように、腕を掴んでいたミシェルの手は震えていた。
顔だってミサキと同じく今にも泣きそうで。本当はミシェルも嫌なんだってことくらい、表情を見ればわかった。
「……僕がヴィルトをちゃんと連れて帰ってくる」
その場が暗い雰囲気包まれた時、ずっと横で黙り込んでいたチサトが口を開いた。
「兄様? 何を言って……?」
一瞬意味が理解できなかった。
「僕もラザフォード領に行くよ。そしてヴィルトを無事に連れ帰ってくる」
「何言ってるの! 駄目だよ! 絶対に駄目っ!」
そんなの絶対に嫌だった。
ヴィルトだけじゃなく、チサトまで戦争に行ってしまうなんて考えたくもなかった。
必死にすがり付いて、チサトを見上げる。
「そうですよ! クライスさんまで戦争に行くなんて!」
やめてくださいと叫ぶミサキにチサトは近づいて、私にやったようによしよしと頭を撫でる。
「大丈夫だよミサキ。僕にまかせて」
「……クライスさん?」
優しい声でそういうチサトを、ミサキは目を見開いて見つめていた。
それからチサトは、私の手を引いて家へと戻っていった。




