【18】諦め気味の兄様を叱咤します
春の陽気もうららかな朝。
すでに試験も始まっていて、私は王都近くにあるルカナン領の家に戻ってきていた。
チサトが騎士の学校に通って一年半。
二回目の一年生をしているチサトは、その厳しさもわかっているんだろう。
未だに私が騎士学校に入ることに反対している。
本日はそんな試験の事を忘れて、私はベネとしてスーツを着ていた。
きっちりと髪を首の後ろで結んで、しゅっとしたデザインのスーツに袖を通す。
「兄様、これ変じゃない?」
「いやよく似合ってる。でも僕としてはやっぱりベアトリーチェとして、可愛いドレスを着て結婚式には出席して欲しかったけどね」
尋ねればチサトがそう言って、首元のタイの位置を直してくれた。
本日は、私の従兄弟であるコーネルと、同じく従兄妹ヘレンの結婚式なのだ。
ここまで辿りつくには色々あった。
そもそも、ルカナン本家長男であるコーネルは、幼い頃父親の仕事に着いて行った先で出会った、街娘のヘレンと想いを育んでいたのだけど。
彼女は庶民で、コーネルは王家の信頼厚いルカナン家の次期領主。
身分が違いすぎて彼女が苦労するといけないと、コーネルは彼女の告白を受け入れなかった。
しかし数年の月日がたち、コーネルの父、つまり私の伯父様が「いい針子を見つけたから才能を伸ばしてやりたい」とヘレンを何も知らずルカナン家の養子にしてしまった。
好きだった、今でも好きな子と一つ屋根の下で兄妹。
当時のコーネルはかなり取り乱していた。
しかも、一度振られたせいかヘレンはコーネルに対して冷たい。
その態度にコーネルは深く傷つきながらも、やっぱりヘレンが好きだと自覚していったようだった。
ヘレンはできる女性といった感じの女の人で、つり目がちな瞳はエネルギッシュ。
元々ヴィルトの屋敷で使用人として働いていたヘレンは、屋敷の奥様から行儀作法も一通り習っていたらしく、その動作も洗練されていて。
針子という職業柄なのか、服も髪もいつだってばっちりで、舞踏会の場では女性陣からも男性陣からも注目を浴びていた。
今更好きだったなんて言えないと、コーネルはうじうじしながら私やチサトに恋愛相談をしにくることも多かったのだけれど。
素敵なヘレンに男が近づかないわけがなく、これでは誰かに取られてしまうとコーネルは積極的にアタックをはじめた。
そしてようやく想いが実り、今回ヘレンと結婚する運びとなったのだ。
ルカナン領の次期領主であるコーネルの結婚式だけあって、規模はかなりでかい。
大きな教会で式を挙げた後は、屋敷で盛大な披露宴が予定されていた。
教会には式が始まる前だというのに、ルカナン家の親戚の人たちがすでに大勢集まっている。
本来なら、ベアトリーチェの姿で参加するべきなのだろうけれど、今回私は『ベネ』として男装で式に臨んでいた。
この先、騎士学校に『ベネ』として通う予定なので、事情を知らない本家筋以外の親戚に顔見せしておこうというわけだ。
「はじめまして、ベネ・ファン・ルカナンです」
「おや次男がいたとは初耳ですな」
父様に紹介されて挨拶すれば、親戚だというおじさんが不思議そうな顔をする。
「長女と一緒で病弱だったもので、遠くの地で静養していたんです。ですがようやく体が整ってきて、今回騎士学校に進む予定なんですよ」
父様が私を次男として紹介する。
ベネはベアトリーチェと双子で、病弱だったという設定だ。
おじさんは全く私の素性を疑いもしなかった。
ルカナン家はそれなりに人が多いため、親戚事情をいちいち把握してられないというのもあるのだろうけれど。
ずっとバティスト領にいたものだから、こんなに大勢の親戚に会うのは初めてだった。 人に囲まれるのもあまりなれなくて、挨拶に疲れ会場の外に出る。
そこで見慣れた姿を見つけて、思わず建物の影に隠れた。
――なんでヴィルトがここにいるの!
金色の髪を撫で付けて灰色のスーツを着たヴィルトが、七歳くらいの小さな女の子と花壇の縁に座って、なにやら盛り上がっていた。
ヴィルトはこの騎士学校の試験期間中、ヤイチ様の屋敷でお世話になっていた。
このルカナン領に知り合いがいないため、ミサキがヤイチ様に頼み込んだのだ。
ヤイチ様は快くヴィルトの滞在を受け入れて、騎士学校に入学して後も宿を提供すると言ってくれたらしい。
勝手にヤイチ様をライバル視してるヴィルトは、少し不満そうだったけれど、その強さを盗んでやると今では意気込んでいる。
――まさかここでヴィルトに出くわすなんて。
そんなことを思い、元々ヘレンがヴィルトの屋敷のメイドだったことを思い出す。
お世話になった屋敷の坊ちゃんであるヴィルトを、ヘレンが呼ぶのは当然のことだ。
大勢のルカナン家の親戚に会うという事で頭がいっぱいで、私の頭からすっかり抜け落ちていた。
しかも、女の子と別れてヴィルトがこっちにくる。
避けられなくてあたふたしていたら、見つけられてしまった。
「あれ、ベネじゃねーか。何でこんなところにいるんだ?」
「奇遇だね、ヴィルト」
驚いた顔をしてるヴィルトに、なんてことないような顔で挨拶する。
「こんなところにいるって事は、ベネもヘレンの結婚式に呼ばれてたのか?」
ヴィルトは首を傾げている。
へレンがヴィルトの屋敷にいたときに、私とヘレンは少しだけ面識があった。けど廊下ですれ違ったら挨拶する程度のものだ。あの時はまさか、のちに従兄妹になるなんて思ってもいなかった。
ヴィルトが不思議に思うのもしかたない。
「僕、実はルカナン家の者なんだ。ずっと黙っててごめん」
七歳の時からだから、もう八年の付き合いになるのに、私は未だにヴィルトにルカナン家の者だと言ってなかった。
別にもう言ってもよかったのだけど、ヴィルトもあまり気にしてない様子だったから、言いそびれてしまっていた。
「そうなのか!? じゃあ、ヘレンとは親戚になるのか!?」
「まぁね。ヘレンは僕の従兄妹だよ」
初めて聞かされた事実に、ヴィルトは目を丸くしていた。
なんだよ言ってくれてもいいのにと口にしながらも、かなりあっさりとした態度だ。
私があのルカナン家の子供だったという事より、ヘレンと親戚だったということに、ヴィルトの驚きの比重はあるみたいだった。
「そうださっき、そこでトキビトの友達が出来たんだ。ベネにも紹介するから来いよ」
「ベネ、父さんが呼んで……」
ヴィルトが私の手を取ったとき、チサトの声がして二人してそちらを見る。
チサトはヴィルトを見つけると、身を固くした。
「その声、もしかしてベネの兄さんか? ベネと同じ黒髪だし……思ってたより若いんだな」
ヴィルトが驚いたように声をあげる。
そんなヴィルトにチサトは近づいていって、私との間に割り込んだ。
「クラークを名乗っていたが、僕の今の名前はクライス・ファン・ルカナンだ。クライスとして顔を合わせるのは初めてだな、ヴィルト」
チサトときたら威圧的に、それでいて含みを持たせるようにそう口にして、ヴィルトに手を差し出す。
「あぁよろしくな、クライス。つーか、そんなに喋れたんだ? しかも別に不細工でもなんでもないし、結構かっこいいじゃねーか。なんで顔隠してたんだ?」
純粋な疑問を口にしたヴィルトに、チサトは眉を寄せた。
相変わらずのため口に苛立ったのかもしれないし、ヴィルトに格好いいとほめられて、ちょっと面食らったのかもしれなかった。
「行方不明の僕が見つかったのは、極秘の事項だったからだ」
「ふーん? そういうもんなのか。そうだミサキも来てるんだ。折角だからその顔見せて行けよ」
淡々と言ったチサトに、本当の事情を知らないヴィルトはそう言い放った。
「兄様、父様が呼んでるんだよね。早くいかなきゃ! じゃあねヴィルト!」
慌てて私は強引に話を切り上げ、チサトの背を押してその場を後にした。
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ウェディングドレスを着たヘレンは本当に綺麗で、その横にいるコーネルときたら嬉し泣きなんてしていた。
まったくしょうがないわね、なんていってへレンがその涙を拭いていて。
コーネルは確実に尻にしかれるな、なんて横にいる父様がやれやれと言った様子で口にしていた。
母様にぞっこんで振り回されてる父様がそれをいうのかと、心の中で思った。
つつがなく式が終わり、ブーケトスのために教会の外に出る。
皆が主役の二人を迎えるように立つ中、私はチサトと離れたところにいた。
「ベアトリーチェは参加しなくていいの?」
「今はベネだよ兄様。というか、ヴィルトだけじゃなくミサキも来てたんだね。うっかりしてた」
尋ねられて答える。
横を見れば、チサトの目線はミサキの方へ向かっていた。
その視線を辿るようにしてミサキを見れば、側にいるヴィルトに対して、ちょっと怒ったような顔をしている。
また何かヴィルトが困らせるような事を言ったんだろう。
対照的にヴィルトは楽しそうだ。
その様子を見ていたら、ふいにミサキの手に吸い込まれるようにしてブーケが落ちた。
きょとんとしたミサキにヴィルトが抱きつく。
「やったじゃん、ミサキ! 次は俺たちの番だな!」
「ちょっとヴィルト、離れなさいっ!」
嬉しそうなヴィルトに対し、ミサキは恥ずかしいのか顔が真っ赤だった。
「大体、まだヴィルトと結婚するって決まったわけじゃないし。私結婚するなら、王の騎士って決めてるの!」
「わかってるって。ちゃんと王の騎士になって、ミサキを迎えに行くからな!」
「ちょっと抱き上げようとしないでよ!」
ツンツンしながらも、ミサキは満更じゃなさそうに見えた。
二人の微笑ましいやりとりに、周りが温かな視線を送って笑っている。
そっとチサトを窺う。
眩しそうにチサトは目を細めていた。
これ以上見てられないというように踵を返したチサトの後を、私は追いかけた。
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「兄様、いいのあれ?」
ざっざっと先を歩くチサトに声をかければ、チサトは立ち止まった。
「ヴィルトが王の騎士になるまでは見守るって言ってたけど、何もしないと結局何も結末は変わらないよ。チサトってことはとりあえず内緒にして、クライスとしてミサキと関わって行こうよ。好きな人に似た顔ってだけで、惹かれてくれると思うよ」
それは、今まで何度か提案した事だったけれど。
チサトは大きく溜息を付いた。
「……ミサキはああいう顔を、僕に見せたことがなかったんだ」
それは、まるで独り言のような呟きだった。
「ああいう顔って?」
「あんな風に照れたり怒ったりしてる顔だよ。僕の知ってるミサキはしっかりしてるけどとても大人しい子だったんだ。あんな風に感情豊かな子じゃなかった」
私の質問に答えて、チサトは一呼吸置く。
「ミサキは引き取られてきた子だったから、どうにも遠慮がちなところがあったんだ。でもここでのミサキは、ヴィルトを叱ったり、笑ったり。毎日楽しそうで生き生きしてて、喜怒哀楽がはっきりしてる」
その表情を引き出したのが、自分ではなくヴィルトであることを、チサトは悔しく思っているのかもしれない。
チサトの話を聞きながらそう思う。
「アイツと一緒にいた方が、ミサキは幸せなのかもしれない。初めてミサキにこの世界で会った時から、ずっとそう思ってたんだ。認めたくはなかったけどね」
「何も行動しないで諦めちゃうの?」
その弱音に対してそういえば、チサトはこちらを振り返った。
「俺はまだあいつを認めたわけじゃないから。この目でミサキにふさわしいかどうか見届けてやるつもりだ」
「まだ」って言っちゃってる時点で、ヴィルトを半分くらい認めてるのと同じ事なんじゃないか。
そしてそれはチサトが行動したことになるのか、私にとっては疑問だった。
「あのね兄様。大切だと思うなら、伝えて行動に起こさなきゃ相手にだって伝わらないよ」
前々から思っていたけれど、チサトはちょっと頑張る方向がずれている。
自分の気持ちを打ち明けて、拒絶されるのを恐れてる。適当な理由をつけて、ミサキと向き合うことから逃げてる事くらい気づいていた。
本当に情けない兄様だと思うけど、それが私の知ってるチサトという人間で。
そんな不器用で空回りしちゃう残念なところが、しかたないなぁと思う。
「ミサキに大切だって伝えて安心させる事より、兄様は自分が傷つかない方を選んでるんじゃないの? ヴィルトなんて、指輪まであげて玉砕して。傷ついたって何度も諦めずに求婚してるのに」
対照的なヴィルトとチサトを見てると、特にそう思うのだ。
煮え切らないチサトにあえてきつくそう言えば、チサトは小さく息を吐いた。
「……ベアトリーチェの言う通りだ。僕は自分が傷つくのが怖かった。だから元の世界にいる時にミサキの告白も拒んだし、誤解も解かなかったんだ」
てっきり認めないかと思ったら、チサトはあっさりとそれを口にした。
「この世界まで追いかけてきたのも、きっとミサキに拒まれた事実が受け入れられなかったからで、結局は自分のためだった」
まるでミサキを諦めるかのような。
そんな雰囲気がその言葉にはあった。
「ミサキが僕に向ける気持ちは、執着や依存で恋じゃない。そう僕はミサキに言ったけど執着して依存してたのは、僕の方だった。ミサキの前で優しく振舞って、甘やかして、自分だけを見るようにして。そうしたのが自分でわかってたから、僕は幼馴染の言葉に動揺してしまったんだ」
まるでずっと考えてきたことのように、さらさらとチサトは口にする。
過去の自分を分析して、けじめをつけるかのように。
「僕はベアトリーチェの言う通り、ミサキよりも自分が大切だったんだよ」
自分で自分を傷つけるかのような言葉を口にして、チサトは笑う。
そんな顔をして欲しかったわけじゃなかった。
「だから、もう僕はいいんだ」
「よくないよ!」
応援したくて背中を押してあげたくて。もっと頑張ってほしくて。
きつい言葉を口にしたのは、そうやって理由をつけてミサキを諦めて欲しかったからじゃなかったのに。
「今の兄様よりは、ヴィルトの方が素敵で魅力的だと思う。兄様は本当にミサキを奪われるまで、指を咥えて見てるつもりなの? 兄様のいくじなし!」
チサトの目の前からミサキを奪ったヴィルトの台詞を、一部使って煽るように口にする。
私の言葉に、チサトは驚いた顔になった。
「チサトはミサキが好きだから、大切だからこの世界まで追ってきたんでしょ。理由つけて勝手に諦めないで。本当に大切なら、奪い取ってよ!」
そうじゃないと、何のために私が兄様を諦めるのか意味がわからない。
ヴィルトを王の騎士にするために一緒に勉強をして、騎士学校に入って兄様をサポートして。
それでいてベアトリーチェとして活動をするために、私はヘレンに女らしさを学ぶためのコーチをしてもらう約束をすでに取り付けていた。
「……ごめんベアトリーチェ。応援してくれてたのに」
優しくチサトが頭を撫でてくる。
そんな風に謝って欲しくなかった。
チサトが弱いのは知ってる。でもだからって、自分が望む幸せをそんなに簡単に諦めて欲しくなかった。
「駄目だよ兄様、約束したでしょ。私がヴィルトを、兄様はミサキを。互いの恋を応援するって。私は諦めてないから」
チサトが弱い分は、私が補う。
そんな想いをこめるように口にすれば、チサトは苦しそうに顔をゆがめた。
「ベアトリーチェ、君は……」
私のしてることはチサトを追い詰めてるだけかもしれない。
でも、それでも。
私はチサトに幸せになって欲しかった。




