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「あの女の苦痛にゆがむ顔を踏みつけた時は、なかなかの快感だったわ。命乞いをするでもなく、最後までにらんでいたが、それがなんになろう。あの女は私に負けた、ただそれだけのこと」
口に手を当てコロコロと笑う王妃だが、嫉妬に狂い、正気ではないように見えた。
「あの女そっくりに成長し、あの顔を見ているだけで、昔の苦々しい思いよみがえる。この感情が消えることはない」
王妃は手をわなわなと震わせた。
「王妃である私を差し置き、寵愛を受けるなど、許せるものか」
怒りで見えなくなっているのだろう。王妃は顔をゆがめた。
「――いいことを思いついた」
ゆっくりと顔を私に向け、にんまりと微笑む。
「精霊の加護を奪ったあと、リゼット嬢をどうしましょうか。失ったと知った時の、あの私生児の顔が見てみたい。絶望を彩る顔もまた、母親そっくりかもしれないわ」
扇を広げ、仰ぎながら高笑いをする王妃は悪女を通り越し、悪魔に思えた。
逃げないと危険だと本能が警告している。
ゴクリと息を飲み、背後を確認する。ここにはいられない。
震える足をなんとか立たせ、一目散に走りだした。
「――逃がすものか」
その時、王妃から黒い影が出没し、私の足をつかんだ。
「あっ……!」
走りだそうとしたところを勢いよくつかまれたので、反動で尻もちをついた。
口の端をゆがめ、意地悪く笑う王妃は、扇をパンッと閉じた。
「さあ、お遊びはここでおしまい。恨むなら、あの私生児を恨むといいわ。生まれてきたことが罪なのだから。大人しく日陰で一生を過ごしていたら、このような目に合うこともなかっただろうに」
王妃の勝手な言い分に、悔しくて涙がこぼれた。
「――じゃない」
唇をギリリと噛み、勢いよく顔を上げた。
「エディアルドが生まれてきたことは、罪なんかじゃない!!」
国王はエディアルドの母、イザベラーナ様を寵愛し、その結果、生まれたのがエディアルドだ。
権力争いに巻き込まれることを防ごうと、カーライル公爵により、隠された存在だったエディアルド。
だが、日の当たる道を歩きたいと、自らの意志で表に出てきた。
彼の生き方を尊重するも、生まれたことが罪の命なんてない。カーライル公爵から見ても、彼は最愛の娘の忘れ形見だ。エディアルドの母が亡くなった時は憔悴のあまり、跡を追ってしまうんじゃないかと周囲は心配し、片時も目を離せなかったと聞く。
カーライル公爵が自分の命よりも大事に思い、育ててきたエディアルドを、侮辱するのは許せない。
「彼を侮辱しないでください!」
「黙りなさい、生意気な」
王妃はよほど頭にきたのだろう、手にしていた扇を私めがけて投げつけた。
私の頬にぶつかり、地面に落ちる。
「私をバカにするのもいい加減にしなさい。リゼット、あなたは生きたまま、隣国の娼館へと売り飛ばしてやるとしましょう」
王妃が立ち上がり、私を見下ろす。
「そこで生き地獄を味わうといいわ。あの私生児の精神にダメージを与えるため、私の役に立ちなさい」
手の平には真っ黒な闇の塊を手にしている。
「さあ、光の精霊の加護を、差し出しなさい。さもなくば、この闇を口から入れる。闇は体内を蝕み、永遠とも思える苦しみを与えるわ」
真っ赤な長い爪を伸ばし、私の腕をつかんだ。
嫌、離して――!!
全身で拒否を示した時、周囲をまばゆい光が包んだ。
その時、両手を広げ、私の前に立ちはだかる人物がいた。守られていると感じる。
夢かもしれないと思ったのは、姿が透けていたからだ。
長い金の髪を持つ、その女性はゆっくりと振り返り、私に微笑んだ。
青い瞳が印象的なその美しい姿は――。
私に光の精霊の加護を授けた、あの時の女性だとすぐにわかった。
「なにをしたの!? ここは私の結界に守られていて、私以外力を使えないはず……!!」
まぶしい光を真正面からくらった王妃は両目を手で覆う。
まるで私を守るように目の前に立つ女性が見えていないの?
今なら、いけるかもしれない……!
確信に似た思いで、私は頭の中でエディアルドを浮かべる。
会いたいよ、お願いだから、助けに来て……!!
「エディアルド」
名前を口にして、祈りを込めて指輪に口づけた瞬間、部屋中に衝撃が響き渡る。
気づいたら私は抱きしめられていた。
「遅い!!」
私の腰に腕を回し、見下ろしながら叫んだエディアルドは険しい表情を見せた。
ああ、エディアルドだ、本人だ。
姿を見た瞬間、安堵して涙が流れ、そのまま止まらなくなった。
エディアルドは指を滑らせた頬に、静かに口づけを落とした。その仕草が優しく感じられて、ますます涙が止まらなくなる。
「貴様、どうして現れた!? ここには結界が張ってあるはず」
焦ってエディアルドを指さす王妃に、エディアルドは気だるげに首を傾げる。
「ああ、居場所を探すのに少し手間取ったが、見つけてしまえばなんの問題もない。俺の方が力が上だから。あんたも感じるだろう?」
指をパチンと鳴らすと、周囲の空気が変わった。敵意を感じる邪悪な気が消え去ったのだ。




