第7話:取るに足らないゴシップ
宿屋の一室は、インクと羊皮紙の匂いで満たされていた。アレクシスとベンは、テーブルを挟んで向かい合っていた。その中央には、例のガラス瓶が置かれている。
「…駄目ですね、隊長」
ベンは、町の古物商や薬師から聞き集めた情報をまとめた羊皮紙の束を放り出した。
「こんな奇妙な抜け殻、誰も見たことも聞いたこともない、の一点張りです。しまいには、『神罰の証拠品なんかに触れたら呪われる』なんて言って、塩を撒かれましたよ」
「だろうな」
アレクシスの返事は短かった。だが、その声には地方に根付く盲信への、深い苛立ちが滲んでいた。
「しかし、どうしてそこまで『神託』を疑うんです?」ベンは、純粋な疑問として口にした。「俺みたいな平民にすりゃ、神様の言うことなら仕方ねえかって、諦めもつくもんですが」
アレクシスの手が、一瞬だけ固く握りしめられた。
「…以前、神の言葉を信じた結果、真犯人を取り逃がしたことがある」
その声は、普段の彼からは想像もつかないほど、苦々しい響きを帯びていた。
「神託は、時に殺人者の最も都合のいい隠れ蓑になる。私は、それを二度と見過ごすわけにはいかない。これは、国王陛下から拝命した、我々の責務だ」
彼の口から語られる「国王」という言葉には、単なる忠誠心以上の、個人的で強い繋がりが感じられた。ベンはそれ以上追及せず、話題を変えるように頭を掻いた。
「責務、ねえ…。しかし、これじゃあ八方塞がりだ。この抜け殻の正体が分からなきゃ、何にも始まらねえ」
「正攻法ではな」アレクシスは、ガラス瓶を手に取った。「ベン、お前の能力が必要だ」
「俺の?」
「学者や商人ではない。『裏』の情報を集めろ。城下の酒場、厨房で働く下女、馬丁たちの噂話。そういう場所にこそ、貴族たちが隠したい不都合な真実が転がっているはずだ」
それは、スラム街出身で裏社会の情報収集能力を買われたベンにとって、最も得意とする分野だった。彼の目が、ようやく仕事人としての輝きを取り戻した。
「へへっ、お任せを。そういうのなら大好物ですぜ!」
半日後、ベンは興奮した様子で部屋に戻ってきた。
「隊長、いくつか面白い噂を拾ってきましたぜ。公爵の奥様が亡くなった時の話とか、今の神官長が若い頃にした悪事とか…」
ベンは得意げに報告を続けたが、アレクシスが求める「抜け殻」に繋がる情報は一つもなかった。ベン自身もそれに気づき、最後に付け加えるのをためらうように、言葉を濁した。
「…あと一つ、これは、ただの馬鹿げた噂話なんですがね」
「言え」
「はあ…。なんでも、公爵様には塔に引きこもってるお姫様がいるそうで。その姫様が、なんというか…その…『虫めづる姫君』って呼ばれてる、と。気味の悪い虫や、動物の死骸なんかを集めて、一日中眺めてるって話です」
部屋に、一瞬の沈黙が落ちた。
常識的に考えれば、荒唐無稽なゴシップだ。しかし。
――誰も見たことのない、奇妙な『虫』の抜け殻。
――虫を『愛でている』という、奇妙な姫君の噂。
取るに足らないゴシップ、とはならないかもしれない。
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