第17話:二人の共犯者
月は、剃刀のように研ぎ澄まされ、王都の石畳に冷たい光を落としていた。
王宮の一室で、アレクシスは音もなく、その身に纏った騎士団の制服を脱ぎ捨てていた。銀糸で縫われた王家の紋章、磨き上げられた肩章。それらは、法と秩序、そして国王への忠誠の証。だが、今宵、彼が優先するのは、そのどれでもなかった。
闇に溶け込む黒衣を纏い、顔の下半分を布で覆うと、彼の姿から「騎士」の色は完全に消え失せた。残ったのは、ただ、目的を遂行するためだけに存在する、影。軍で培った潜入技術は、彼の肉体に深く染みついている。建物の影から影へ、まるで風が壁を舐めるように滑らかに移動し、施療院の高く、冷たい石壁へとたどり着いた。
警備の神官たちの配置、巡回の周期は、すでに彼の頭脳に完璧に叩き込まれている。一瞬の呼吸の隙を突き、音もなく背後を取る。首筋への、寸分違わぬ一撃。意識を刈り取るのに、それ以上の力は必要なかった。
目指すは、地下牢。
湿った冷気が漂う石の階段を、一歩一歩、慎重に下りていく。その最奥に、古びた木製の扉があった。錆びた蝶番が、かすかな悲鳴を上げる。
扉の向こう、闇に瞳を慣らし、壁を背に座り込むリンネの姿があった。光の侵入に、彼女の紫水晶の瞳が一瞬だけ細められる。そこに驚愕の色が浮かんだのは、ほんのわずかな間。すぐに、目の前の男が誰であるかを認識し、そして、この状況そのものを分析する、いつもの冷静な光を取り戻した。
「…非合理的なご判断ですわね、騎士殿」
闇に溶けていた声は、変わらず静かだった。
「君をここに置いていくよりは、合理的だ」
アレクシスは、本心を押し殺した理屈で返し、手を差し伸べる。だが、リンネはすぐにはその手を取らなかった。彼女の頭脳は、すでにこの危機的状況を、次なる好機へと転換させていた。
「院長は、几帳面な男です。わたくしが捕まる直前まで観察していましたが、毎夜、インクの匂いをさせて自室で何かを記録しています。重要な書類なら、必ず彼の机にあるはず」
その言葉は、確かな推論に裏打ちされた、確信に満ちたものだった。
アレクシスは、一瞬逡巡し、そして決断した。ただ救出するだけではない。この好機に、証拠を確保する。
「危険すぎますわ」
「君の情報が正しいか、確かめるまでだ」
アレクシスはそう言うと、リンネに囁いた。「君は、見張りを」
その瞬間、二人の関係は変わった。救出者と被救出者ではない。危険な作戦を共有する、二人の「共犯者」に。
院長の私室は、彼の性格を映すかのように、質素で、整然としていた。リンネが廊下の闇に溶け込み、神経を研ぎ澄ませて見張りに立つ中、アレクシスは音もなく部屋に侵入し、机の引き出しを探る。だが、それらしき記録は見つからない。
その時、廊下のリンネから、見回りが近づく合図――壁を二度、軽く叩く音――が送られた。焦りが募る。
アレクシスの騎士として鍛えられた観察眼が、その一瞬、床板に引きずったような、ごく微かな新しい傷と、机の木彫りの装飾の、僅かなズレを捉えた。
(…隠し機構か)
装飾の一部を、決められた手順で動かす。案の定、小さな音と共に、隠し引き出しが現れた。だが、そこには無慈悲にも、小さな真鍮の錠前がかかっていた。
万事休すかと思われた、その時。
部屋の入り口に立ったリンネが、すっと、己の髪から一本のかんざしを抜き取り、彼に無言で差し出した。月光を受け、その先端が鈍く光る。
アレクシスはその意図を即座に理解し、かんざしを受け取ると、その先端を鍵穴に差し込んだ。遠ざかったはずの見回りの足音が、再びこちらへ向かってくる。
焦りと、指先の精密な感覚だけが支配する、濃密な時間。
足音が、扉のすぐ向こうで止まった、まさにその瞬間。
カチリ、という骨の軋むような微かな音と共に、錠が開いた。
アレクシスは、中にあった一冊の帳簿――「錬金術師との取引記録」――を抜き取ると、見回りの兵が扉を開けるよりもコンマ数秒早く、リンネと共に窓から闇の中へと姿を消した。
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