第21話:盤上の攻防
「証拠が、おありでして?」
エレオノーラの問いは、氷のように冷たく、そして、絶対的な自信に満ちていた。
リンネは、その挑発に乗ることはなかった。彼女は、携えてきた鞄の中から、母が遺した『自己検死記録』を、静かにテーブルの上に置いた。
「第一の証拠は、これですわ。母様が、自らの手で書き記した、月光草による毒殺の記録。これにより、母様の死が自殺ではないこと、そして、ガイガーと同じ毒が使われたことが証明されます」
リンネは、次にアレクシスが作成した、現場の状況証拠の写しを広げた。
「第二に、状況証拠。母様を殺し、兄様を殺そうとし、ガイガーを殺害する。その全てにおいて、動機と機会、そして毒の知識を持っていたのは、お姉様、あなただけです」
だが、エレオノーラは、その二つの証拠を前にしても、一切動じなかった。彼女は、優雅な仕草で日記を手に取ると、哀れむような目で、リンネを見つめた。
「…母様の日記? リンネ、あなたは、人体の構造にはお詳しいけれど、人の心というものには、あまりに疎いのですね」
エレオノーラの声は、慈愛に満ちているかのように、しかし、その実、蛇のような冷たさを帯びていた。
「病で心が弱った方の、ただの妄想ですわ。自らの体が衰えていく恐怖が、毒に殺されるという、悲劇的な幻覚を見させたのでしょう。これは、殺人の記録などではない。哀れな母様の、精神が崩壊していく記録です」
彼女は、次に状況証拠の写しを一瞥すると、フン、と鼻で笑った。
「父様の足跡? 娘の罪を庇うためですって? …馬鹿なことを」
エレオノーラは、リンネの仮説の、まさに心臓部を、的確に突き刺した。
「あれは、自らの罪を隠すための、狡猾な偽装工作に決まっているでしょう。考えてもごらんなさいな。風変わりな妻を疎ましく思った父様が、まず母様を殺害した。数年後、その秘密を嗅ぎつけたガイガーを、父様が口封じのために殺害した。これほど単純明快な筋書きが、他にあるかしら?」
エレオノーラは、逆に、リンネに詰め寄った。その瞳には、侮蔑の色が浮かんでいる。
「そして、そのあまりに突飛な物語を語っているのは、誰? 生きている人間よりも、虫や死骸を愛する、わたくしの風変わりな妹。ねえ、騎士殿」
彼女は、アレクシスに、まるで助けを求めるかのように、甘えるような視線を送る。
「あなたも、そう思いませんこと? この子の、暗い妄想に付き合うのは、もう、およしになって」
その言葉が、引き金だった。
これまで、姉妹の対話に、一切の口を挟むことなく、ただ壁際に佇んでいたアレクシスが、音もなく、動いた。
彼は、ゆっくりと、しかし、一歩だけ、前に出た。
ただ、それだけの動き。だが、その一歩は、決定的な意味を持っていた。彼の体は、リンネの半歩前に、まるで盾となるかのように、滑り込んでいた。
そして、その鋼色の瞳は、もはやエレオノーラの言葉を聞いてはいなかった。ただ、王家の騎士として、王命を汚す敵を見据える、冷徹な怒りの光だけを宿し、彼女の魂を射抜いていた。
言葉は、ない。だが、その立ち姿と視線は、何よりも雄弁に、彼の答えを物語っていた。「私の忠誠は、この娘と、彼女が信じる真実の側にある」と。
エレオノーラの美しい顔から、初めて、余裕の笑みが消えた。
リンネの論理は、エレオノーラの冷徹な悪意によって、一つ、また一つと、覆されていく。
科学的な真実が、貴婦人の美しい嘘の前に、その力を失いかけていた。
だが、リンネは、もはや一人ではなかった。じりじりと壁際に追い詰められながらも、彼女は、自らの前に立つ、その広く、そして揺るぎない背中を、ただ静かに見つめていた。
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