第12話:最後の切り札
闇の中を、死が飛来する。
クロスボウの矢が、壁や床に突き立つ音だけが、絶望的な状況を二人に伝えていた。小屋は、音も光も立てぬ、練度の高い兵によって完全に包囲されている。これは、ただの脅しではない。公爵が仕掛けた、完璧なまでの殺意の罠だ。
「隊長、ちくしょう、袋のネズミだ!」
床に伏せたまま、ベンが苦々しく吐き捨てる。窓から脱出しようものなら、その瞬間に蜂の巣にされるだろう。
「…落ち着け、ベン。思考を止めるな」
アレクシスの声は、極限の状況下にあっても、氷のように冷静だった。彼は闇に目を凝らし、矢が飛んでくる角度と頻度から、敵の配置を瞬時に分析していた。最低でも五人。すべて、致命的な急所を狙ってくる。
証拠を破壊するわけにはいかない。だが、このままではじり貧だ。アレクシスの視線が、部屋の隅にある、石造りの大きな暖炉を捉えた。そして、壁に飾られた、埃をかぶった古い獣の剥製や、分厚いタペストリーを。
「…ベン。あの剥製とタペストリーを、暖炉の中に叩き込め。できるだけ湿っているものを」
「へ? 火を点けるってんですか? 馬鹿ですよ、俺たちまで燻製になっちまう!」
「火ではない。煙を熾すのだ」
アレクシスの意図を悟ったベンの顔に、悪辣な笑みが浮かんだ。
「へっ、なるほど。息の根を止めるんじゃなく、目を潰すってわけだ。そういう悪知恵は嫌いじゃねえ!」
二人は、暖炉の中に、燃えにくい素材を可能な限り詰め込んだ。アレクシスが、ごく小さな火種をその中心に落とすと、乾いた部分からじりじりと火が移り、やがて、分厚い布や獣毛が燻り始めた。たちまち、黒く、目に染みる悪臭を放つ濃密な煙が、暖炉から逆流し、小屋の中を満たしていく。
外からの矢が、ぴたりと止んだ。煙のせいで、中の様子が全く見えなくなったのだ。
「隊長、奴ら、俺たちが煙に巻かれて飛び出してくると読んで、出入り口に狙いを絞ってますぜ!」
ベンの言う通り、外の空気が、扉と窓に集中する殺気で張り詰めているのが分かった。
「好都合だ。奴らが戸口を見ている間に、我々は天へ逃げる」
アレクシスが指したのは、煙を吐き出し続ける暖炉の、その奥。煤にまみれた、屋根へと続く煙道だった。
「本気ですかい…!」
「他に道はない。お前が先に行け、ベン。お前の方が軽い」
アレクシスに肩を貸され、ベンは煤だらけになりながら煙道の中へとよじ登っていく。それは、人が通るにはあまりに狭く、息の詰まる暗闇だった。アレクシスも、すぐさまその後を追う。
外からは、しびれを切らした追手の一人が「突入するぞ!」と叫ぶ声が聞こえた。だが、もう遅い。
二人は、屋根の上に転がり出た。眼下では、小屋の出入り口を固めた兵士たちが、煙の中から誰も出てこないことに、いら立ち始めている。彼らの注意は、完全に地上に釘付けだった。
アレクシスとベンは、屋根の裏側を静かに滑り降りると、煙に紛れて、音もなく森の闇へと溶け込んでいく。
追手たちの怒声が、背後で遠ざかっていく。
アレクシスは、懐の小箱を固く握りしめた。証拠は守り、命も繋いだ。そして、公爵の明確な殺意という、『証拠』も手に入れた。
騎士の顔から、捜査官の冷静さが消え、王の代理人としての、冷徹な怒りが浮かび上がる。
次の一手は、もはや駆け引きではない。
この国の法そのものを突きつける、最後の宣告だ。
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