198、カカザンの掌
カースの心配をよそにカムイは走った。先程来た時よりも速く。
「ピュイピュイ」
「ガウガウ」
コーネリアスが何やら話しかけているがカムイの返事はどこか義務的だ。
おそらくは……
『落ち着いてよ』
『ああ』
といったところではないだろうか。
そして瞬く間に魔猿の園の外縁部、一般的な山岳地帯と、蟠桃が実る平地部分との境目まで到着した。
『グオオオオオォォォォーーーー!』
魔力をふんだんに含んだ魔声。そこまでせずとも聞こえるだろうに、再びカカザン出てこいと言わんばかりに吠えた。
そして、ゆっくりと現れた。
全身の毛が白く濁ったエンコウ猿の族長、カカザンが。光のない目で、足を引きずりながら……
『キキィガァ……』
魔声で応えるも、カムイまで届かない。
「ピュイッ」
カムイの首からコーネリアスが離れ、カカザンに向かって這い寄り……
「ピュイピュイ」
カカザンに向かって瓶を差し出した。
「キキィ……」
カカザンがつぶやく。おそらく、これは何だと訊ねているのではないだろうか。
「ピュイッ」
口をパクパクさせるコーネリアス。差し出した尻尾は少しも揺れていない。いや、それどころかカカザンの目の前にまで迫っている。手を少し動かすだけで届く距離だ。
「グオオオォ……」
いいからさっさと飲めと言ってるかのように低く唸るカムイ。未だ魔猿の園に足を踏み入れないまま。
「キキィ……」
ゆっくりとエルフの飲み薬、その瓶を掴む。やや遅れてコーネリアスも尻尾を離した。
「ピュイピュイ」
口を開け、尻尾で自らの口内を指し示すコーネリアス。
いつの間にか周囲にはエンコウ猿の群れが集まっていた。カムイとは反対側に、カムイと同じように外縁部に並んでいた。
コーネリアスはふと、蓋を開け忘れたことに気づいたのだろう。再びカカザンに向かって尻尾をのばす、が……
「キギギィャアァァ!」
「ピュイ?」
カカザンは瓶ごと口に放り投げ、ボリボリと噛み砕いていた。
「ピュイー」
ならば用は済んだとばかりにカカザンに背を向け、外縁部へと這うコーネリアス。入れ替わるかのようにカムイはカカザンへと歩み寄る。何かを待つかのように、一歩また一歩と雑草にまみれた大地を踏み締めながら。
「ガウガウ」
彼我の距離を十メイルほど隔てた場所で、カムイは立ち止まった。じっとカカザンの目を注視している。
「キギッ、ギッ、ギガッ……」
つい先ほどまでは気丈に立っていたカカザンがあっさりと膝を突いた。両手で喉を押さえている。いわゆるチョークサインというやつだろう。
ついには大地にのたうち回りはじめた。艶のない毛がますます薄汚れていく。
「キキィィィィ!」
「キキキィ!」
「キィーキィー!」
外縁部のエンコウ猿達が騒ぎはじめた。騙したな! この卑怯者め! そんなに族長が怖いのか! とでも言いたいのだろう。
『グオオオオオォォォォーーン!』
そんな猿どもに魔声が放たれる。全方位ではない。数匹にしか当たらないよう収束された魔声が。
「キッ……」
「ガッ……」
「ギッ……」
あっさりと気を失う。黙って見ていろと言いたいのか。
「キキキィィィ……ギギィ……ギャゴォォ……」
動きが止まり、歯軋りにも似た声が漏れる。
万能薬とも言えるエルフの飲み薬を飲んで、こういった反応になることは珍しい。あるいは、余命いくばくもない魔物が飲むとこうなるものなのかも知れないが。
「ギィ……」
そして声が止んだ。動きも止まり、カカザンの目が閉じられた。
「ガウァァ!」
そんなカカザンの胸を踏みつけるカムイ。いわゆるストンピングか、それとも心臓マッサージなのか。
「ギギィガァァァ!」
「キキキギィィィ!」
「ギガァァキキィ!」
もう我慢ならぬとばかりにカムイに押し寄せるエンコウ猿の群れ。
しかし……
『グガオオオオオォォォォーーーーオ!』
強烈な魔声が襲う。ドラゴンの咆哮と言われても信じられるほどの重圧。
エンコウ猿達は気を失うことこそなかったものの、その場から一歩も動けなくなってしまった。
「キキィ」
「ガウッ!?」
その時だった。
カカザンの右手が、カムイの左前脚を掴んだのは。
いや、それは掴んだなどと生易しいものではない。では握ったのか?
違う。
握り潰したのだ。




