656、傷裂と乱魔
普段のドロガーならあり得ないほどの迂闊さ。一人でも人数を減らそうと焦った結果なのだろう。
すでに槍は引き抜かれ、ドロガーの腹部からは血が流れている。
「くそが……てめぇら……ぜってぇ皆殺しにしてやんからよぉ……」
「ふん、負け犬め。ここまでやっても誰も出てこないとは。ローランドの魔王とやらはよほどの臆病者らしい。たわいもないことよ」
「うるせぇんだよ……ちっと寝てんだけだ……あいつが起きたら天道宮までぶっ潰してくれんからよぉ……」
「ふっ、大言を吐きおって。踏破者などと言っても所詮は無知な冒険者でしかない。さあとどめだ。先に逝っておれ! 構え!」
転倒した赤兜のうちドロガーの激痛で気を失った者が三人、カムイに首を噛み潰された者が一人。つまり、人数が減ったうちに入らない。槍衾は依然として健在である。
その時だった。
赤兜の背後を静かな魔法が覆ったのは。
「何者か!」
静かであっても魔法は魔法。気付かれぬはずはない。
「あんま調子に乗ってんじゃねぇぞ?」
「てめぇ……やっとかよぉ……遅ぇんだよ……しかも俺まで巻き込みやがって……」
現れたのはキサダーニ。ドロガーの昔の仲間であり同じ五等星でもある乱魔キサダーニと数人の冒険者だった。
「ふん、来てやっただけありがたく思え。だいたいファベルに来いって話だったろうがよ。どんだけ移動してんだよ。」
「ほう? 乱魔キサダーニか。貴様まで赤兜に逆らうというのか? いい度胸だ。意表をついて魔法を撃ち込んだはいいが、まるで効いておらん。乱魔が聞いてあきれるぞ?」
「ふん、効いたか効いてないかも分からんとはな。さすが袖の下ぁ貰うことしか考えてねぇ赤兜は違うな。分からんまま死ね。」
「くっくっく……」
ドロガーが腹の痛みを堪えて不敵に笑う。
「つっこめぇ!」
キサダーニの一言で冒険者達は赤兜に向かって突撃を開始した。キサダーニを先頭に、一直線に走っている。
「殺せ!」
隊長が命令を下す。中心を割るように走り抜けるキサダーニ達を、両側から挟み討ちする赤兜。そんな刃の森を傷つきながらも走り抜けるキサダーニ達。反撃よりも通過することを優先しているようだ。
そして、それなりの怪我はしたものの、ドロガーと合流することに成功した。洞窟に誰も通さないための作戦だろうか。
「つくづく冒険者とは愚かなものだな。せっかく前後で挟んだ利をわざわざ放棄するとは。そこまで仲間を守りたいとでも言うのか? 魔王などと呼ばれていても所詮は他国のガキにすぎぬものを」
「うるせぇよ。ガタガタ言ってないでかかってこいや。」
「ふっ、言われるまでもない。そうやって固まってるといい的よな。飛刃の構え!」
槍を持っていた赤兜が一斉に剣へと持ち替えた。そして上段に構えている。
「くっくっく……」
数十もの斬撃が飛んできたら……洞窟の入口に集まっているドロガー達には逃げ場がないのだが、ドロガーは余裕の態度を崩さない。顔色はどんどん悪くなる一方だが。
「放て!」
『飛刃』
赤兜が一斉に剣を振り下ろした。
しかし、飛んだのはわずか二閃。ドロガー達は身を捻りさらりと躱した。
「なっ! お前達! 何をやっている! きっちり魔力を込めて放たぬか!」
「え、い、いや隊長それが……」
「おかしいんです! 魔力が……」
「魔力がうまく練れないような……」
「おらぁ隙ありだぁ!」
大振りをして隙だらけなところにドロガー以外の冒険者達が一斉に攻撃をしかけた。槍、縄、剣とそれぞれの武器で。致命傷を与えたのはキサダーニのみだが、他の者もそれなりの手傷を与えることはできた。そして離脱。再び洞窟入口まで退いた。
「そうかキサダーニ、お前の仕業か」
「気付くのが遅えんだよ。俺を誰だと思ってやがる。ここら一帯の魔力を乱してやったからな。しばらく魔法は使えねえな。」
キサダーニの言うことは半分正しい。正確には大地の魔力を乱すような大それたことをしたわけではない。先ほど赤兜を覆った魔法の有効範囲内に入っていた者にだけ影響を及ぼしただけのことである。対象の魔力の流れを乱して、一定時間魔法を使えなくする魔法。これこそが『乱魔』の名の由来なのだろう。
直接相対すればカースの契約魔法すら打ち消してみせたキサダーニである。使いようによって広範囲の人間が魔法を使えなくすることもできるのだろう。
「ほう、味な真似を。だが所詮はその程度だ。魔法が使えないぐらいで戦えなくなるほど赤兜騎士団は弱くないわ。魔法を使う必要がないならむしろ好都合! お前達! 換装を使え! ムラサキメタリックを纏うのだ!」
剣も魔法も両方使うため普段からムラサキメタリックを纏っていることは少ない。飛んで逃げようとする相手を追うこともあるのだから。だが、キサダーニにより一時的とはいえ魔法が使えなくなったのなら、ムラサキメタリックを纏っていた方が防御力が数倍は増す。むしろ無敵と言っていいだろう。
だが……
「た、隊長! 魔力がうまく……」
「か、換装が使えません!」
「こ、これは一体……」
魔法が使えないのだから『換装』だって使えるはずがない。隊長を含め赤兜はムラサキメタリックを信頼するあまり、そのような基本的なことすら忘れていたようだ。当然ながら換装どころか魔力庫から鎧を取り出すこともできない。
そしてその隙を突かれて、戦える赤兜がまた減っていった。
「そうか……これが乱魔というわけか。だがそれがどうした。冒険者風情に我ら赤兜騎士団が遅れなどとるものか。槍構え!」
再び槍を構えた赤兜。まだまだ人数ではドロガー達を余裕で上回っている。
なお、ドロガーが今の間にポーションで応急処置をすることができた。ひとまず命に別状はないだろう。
本当の戦いはこれからだ。




