655、傷裂ドロガー・アバタム
忍ぶ気など全くない。そんな金属音が規則正しく、堂々と聞こえてくる。
そしてだんだんと大きく……
この期に及んでアーニャにできること、それは……
少しでも落ちている武器を拾い、洞窟に逃げ帰ること。そして一人でも多くの仲間を起こすことだった。
「起きて! みんな! 何か来たよ!」
洞窟に戻り大声で叫ぶ。しかし辛うじて反応を示したのはカムイだけだった。
「ガウ」
そんなカムイは辛そうな表情を見せながらも起き上がり、洞窟の入口へと歩いていった。
「かず、カース起きて! 来たよ! きっとエチゴヤだよ! カース! カース!」
アーニャは激しくカースを揺り動かすも、一向に目覚める気配はない。
「アレクさん! クロミさん! 起きてよぉ! 危ないよぉ! このままじゃあ!」
アレクサンドリーネを揺さぶり、クロノミーネを叩く。それでも目覚めない。
「起きて! 起きてよぉ!」
「うる……せぇなぁ……」
「ドロガーさん! 来たよ! きっとエチゴヤが!」
「ちっ……またエチゴヤかよ……おめぇはこいつらを起こし続けてろ……」
「う、うん! あ、これ、よかったら使って!」
「おお……やってやんぜ……!」
ドロガーはそう言って魔力ポーションを一気に煽る。そしてアーニャが拾ってきたムラサキメタリックの剣を一度は握ったものの、下に置いた。
「こいつを置いとくからよぉ。起きたら飲ませてやれや。」
「う、うん。ドロガーさんありがとう……」
そうして数本のポーションを置き、洞窟を出るドロガー。そこにはカムイもいた。
「なんだよ起きてたんか。おめぇもやべぇんじゃなかったんかぁ? 死んだら魔王が泣くぜぇ?」
「ガウガウ」
カムイは、見た目だけはいつも通りだ。
ドロガーは数時間前にクロノミーネに魔力を全て吸い取られたことによる頭痛と倦怠感を除けば体調も魔力も問題はない。
「そんじゃあやるかよ。あんま前に出すぎんなよ? 囲まれたらやべえからよぉ。おっと、そうだ。ちっと待て。少しだけ小細工を……」
「ガウガウ」
冷たい朝にもかかわらず、ドロガーの背中を冷や汗が伝う。金属音が徐々に大きくなり、木の陰からついに姿が見えた。
「赤兜じゃねぇか……どこがエチゴヤだよ……」
「ガウ」
現れたのはドロガーもよく知る天都イカルガ正規の騎士団、赤兜だった。
「お前は……五等星ドロガーだな。今回お前を捕縛しろとの命令は受けておらん。道を譲るなら見逃してやる」
隊長らしき赤兜が口を開いた。
「俺に用じゃねぇんなら誰にあんだよ? 言っとくがここぁ通さねぇぜ?」
「ガウゥゥゥ……」
カムイも牙を剥き出して低く唸っている。
「前列抜剣!」
「へっ、問答無用かよ。おう、性根を据えてかかってこいやぁ? 俺ぁ傷裂ドロガーだからよぉ!」
「かかれ!」
五十人を越える赤兜、その半数が一斉に襲いかかってくる。
「おらぁ!」
ドロガーが投げたのは網。突撃してきた赤兜の頭上から覆い被さった。
「いくぜぇカムイぃ!」
「ガウガウ」
前へ出るドロガー。横から回り込むカムイ。
「ぎぃあああああああぃぁぁぃいぎじぃ!」
「あがががばばっががががぁぁぁぃぃい!」
「おごごごぉろぼぼぼぉぉごごごごぉぉ!」
ドロガーに傷をつけられた赤兜が叫んでいる。体を痙攣させ! 口の両端から泡を吹きながら。
「ちっ!」
逆にドロガーも網越しに剣や槍の攻撃をくらう。完全に動きを封じたわけではないのだから。
カムイは網を逃れた赤兜の足首に噛みつき、大きく振り回し、そして投げた。飛ばされた赤兜は仲間を数人ほど巻き込んだが、致命傷とはほど遠い。一分もしないうちに起き上がってくることだろう。
ドロガーは自分が傷つくのも構わずに一人でも多くの赤兜を仕留めようとしている。ドロガーの個人魔法である『激痛』は込めた魔力に応じて痛覚を何倍にも増幅することができる。かすり傷だけで発狂するような痛みを与えることすらも。だから、鎧の隙間から少しでも傷をつけさえすればドロガーの勝ちなのだ。赤兜が、まだムラサキメタリックの鎧に換装する前に。
「まだやるかよ? たかが冒険者一人に天下の赤兜が八人もやられてよぉ? だいたい今日は天王陛下がご招待してくれた日じゃねぇんか? 俺や魔王は国賓みてぇなもんだろ。それをよくもまあ舐めた真似してくれんじゃねぇか。おぉ?」
「そのような事情など聞いておらん。我らはただ任務を遂行するのみ。さて、小賢しい網は切り捨てた。それともまた同じ手を使ってみるか?」
赤兜は全員網から脱出し、ドロガーは少なくない傷を負っている。カムイは洞窟入口まで戻っている。
「どんな手でも使うに決まってんだろ。傷裂ドロガーを舐めんじゃねぇぞ?」
「ふん。囲め!」
起き上がった赤兜は一定の距離を保ったまま半円状にドロガーを包囲していく。ドロガーは洞窟入口を背にしてじりじりと下がっている。隣にはカムイも。
「槍構え!」
ほぼ前列の赤兜が剣を収納し、代わりに槍を構えた。ドロガーの顔色が曇る。
「かかれ!」
槍を構えたまま赤兜が突っ込んでくる。それはまさしく槍衾だった。
「くそったれ……くそったれがぁ!」
ドロガーは魔道鞄より盾を取り出し構えた。だが、十数人もの槍を防ぎきれるはずもなく……弾き飛ばされた。しかも肩や足にもいくつもの傷を負っている。
カムイはそのうちの一本の槍を横から咥えて、奪い取った。だが、それだけだ。自らの武器として使うわけでもなく。洞窟の奥に向けて軽く投げ捨てることしかできなかった。
しかも、いつの間にか戦闘に参加してなかった半分も洞窟を包囲している。おそらく、誰一人として逃がさないつもりなのだろう。一夜にして天都イカルガの英雄となったドロガーだ。それを赤兜が傷つけた、殺したとなると民草の評判に関わる。一度切り結んだからにはその事が決して漏れないようトドメを刺すまで油断はしないつもりなのだろう。
「俺一人に大袈裟なことしやがってよぉ……そんなに俺が怖ぇか、おお? 赤兜も落ちたもんだぜなぁ?」
ドロガーの挑発にも耳を貸さない赤兜。槍を構え、その場を動かない。しっかりと統率されている。
「かかれ!」
再び槍衾が襲ってくる。
「バカがぁ!」
ドロガーが手元のロープを引くと、赤兜の足元にロープがぴんと張られた。足をとられ転倒する赤兜。前列が転べばその後ろも転ぶのが必然。再びドロガーは鎧の隙間を狙うべく間合いを詰めた。
一人、二人、三人と短剣を突き刺していく。
刺された赤兜は狂わんばかりの絶叫をあげる。
そして四人目……
「がはあっ! ちっ、くそが……」
立ち上がろうともがく赤兜達の隙間から……突き出された槍が、ドロガーの腹を貫いた。




