650、窮地
身体強化とは、魔力次第でかなり肉体を強くできる使い勝手の良い魔法だ。非力なアレクサンドリーネでも身の丈三メイルを超すオーガを殴り殺せるほどに。
その反面、副作用は半端ではない。件のオーガを殴り殺した時は五日以上痛みがとれず、まともに歩くことすらできなかったのだから。それでも学校を休まなかった彼女も彼女だろう。
そして今、魔力を漲らせている現状でもどうにか動ける程度なのに……魔力が切れたら……
「くっ……『浮『鈍麻』み……あ……」
「少々遅かったようだな。もう動けまい。よし今だ。魔封じの首輪を着けてしまえ!」
「ははっ!」
空中に逃げようとしたアレクサンドリーネだったが、ほんの一息違いで麻痺系の魔法をかけられた。普段であれば効くはずもない中級魔法にしかすぎないものを……
「ガウァァーー!」
自力で槍を抜き、果敢に攻めたてるカムイだったが……
「ほら、犬っコロにはこれがお似合いだ」
ぶち撒けられた赤い粉末。カムイの弱点までお見通しらしい。
「ギャオンギャギャッ」
エチゴヤ側が対カムイ用の切り札として用意しておきながらも今まで使わなかったのは、決定的な隙が見つからなかったからだろう。そして今、カムイは目と鼻を封じられ、アレクサンドリーネには忌まわしき首輪が巻かれた。
「ガウアァ!」
「くく、どこを狙っておる。ほれほれこっちだ。手の鳴る方へとな」
「ギウッ」
動きに精彩を欠いたカムイなど最早敵ではないようで、当たるを幸いとばかりに槍を叩きつけられている。
「よし。お前達、ここはもうよい。洞窟内の者を皆殺しに…‥いや待て。ローランドの小僧がいれば生かして連れてこい」
「はっ!」
生き残った二人の深紫とチンピラ全員が洞窟へと向かった。歯を食いしばり鈍麻を破ろうとするアレクサンドリーネ。しかし、体も動かなければ魔力も廻らなかった。しかも目の前ではカムイが打ち据えられている。
「こやつの毛皮もあのお方への良い土産になる。さっさと殺せ」
「はっ!」
護衛のためなのか残った深紫が槍を構える。いくら叩いてもカムイの毛皮の前にはダメージが通ったように思えないからだ。実際他の傷のように槍を突き刺すしかトドメの方法はないのだろう。穂先のみがムラサキメタリック製の槍では。
「死ぬがいい。強き狼よ。やれっ!」
「はっ!」
深紫が渾身の力を込めて槍を突く。
紫刃がカムイの毛皮に突き刺さらんとする……その瞬間……
『徹甲弾』
馬車に撥ねられたゴブリンのように、深紫が吹っ飛んだ。
「ガウ……」
カムイが洞窟を振り向くと、そこにはふらふらと佇むカースがいた。
「……てめぇら……俺のアレクに……カムイに……何してやがる……」
カースがつぶやいた言葉はエチゴヤには届かない。
「くくく、これは好都合。魔力も絶え絶え体は瀕死か。やれぇお前達! 薄暗い洞窟内を探しまわる手間が省けたな!」
チンピラも深紫も一斉にカースに襲いかかる。
が……
『高波』
ことごとく押し流されてしまった。
エチゴヤ勢だけでなく、アレクサンドリーネやカムイまでも。
「ちっ、小癪な真似をしおって……」
一人だけ宙に浮いて難を逃れた者がいる。
『狙撃』
「ほう。その距離から当てることができるのか。まるで短筒の上位互換といったところか。だが、本来の威力がまるでない。おそらく立っているだけで限界なのだろう?」
『狙撃』
それでもカースは一歩ずつ前に出ながら同じ魔法を使い続けている。その威力はライフル弾どころか少年野球の補欠にも劣るだろう。
『狙撃』
「くくく、何だそれは? まだ石でも投げた方が効くぞ?」
『狙撃』
一歩、また一歩。カースはふらつきながらも一人残ったエチゴヤへと近寄っている。
「なんだ。わざわざ殺されに来ているのか? 安心するがいい。お前もあの女も殺しはせん。死んだ方がマシな目には遭うだろうがな。くくく……」
『狙撃』
「無駄なことを。そういえば、すないぷとか言ったな。私の影武者の額を貫いた魔法は。よくぞ魔封じの首輪を着けたままそのような魔法を使えたものだ。おかげでムグラザが死んでしまったではないか」
第二番頭ムグラザ・ウオヌのことを言っているのだろう。もっとも、カースには何も聴こえていないようだが。
『狙撃』
目は虚ろ、足元も定まってない。それでもカースは歩みを止めない。のろのろと足を引き摺りながらも。
『鈍麻』
アレクサンドリーネを縛ったエチゴヤの魔法がカースにふりかかる。
『狙撃』
だが、カースの歩みは止まらない。とうとう彼我の距離は五メイルを切った。
「弱っていても魔王は魔王か。ならばその両脚を斬り落としてくれる。お前の腕と頭は土産に必要だからな」
エチゴヤが抜き放ったのは刀。反りのある、ムラサキメタリックの刀だった。
それでもカースは何も見えてないのか、距離を詰めんと動いている。いつの間に怪我をしたのか、その首からは二筋の血が流れていた。
「くくく、心配するな。足を切り取った後はその傷も手当してくれるわ。そう簡単に死なせるものか。せいぜい……良き土産になるがいい!」
エチゴヤの男はカースを全く警戒した様子もなく刀を右上段に振り上げて、大腿部へと振り下ろした。




