274、イロハの家族と客室係
私とアレクは畳の上で転げながらきつく抱き合い、その上にはカムイまで乗っている。おまけにコーちゃんはそんな隙間に出たり入ったり。そこに客室係が食事を運んできたのだった。
「ご苦労様。あっちのテーブルに並べておいてくれたらいいわ。」
「は、はい!」
何事もなかったかのように発言するアレク。畳の上で横になったまま。顔色ひとつ変えていない。うーんこれはまさしく上級貴族。
「お待たせいたしました。どうぞお召し上がりくださいませ」
「ありがとう。下がっていいわよ。」
すっと部屋から出ていく客室係。畳から立ち上がる私達。
うーんいい匂いではないか。酒はこれだな。ほらコーちゃん、注いであげるよ。
「ピュイピュイ」
私も一杯ぐらい飲もうかな。手を合わせて、いただきます。
あ、おいしい。これは生肉? ユッケ? 何の肉だろう。ごま油かな。香ばしくて美味しいな。
「生のお肉を食べるなんて不思議なものね。少し抵抗があるけど美味しいわね。」
「そうだね。この味は一体何の肉なんだろうね。」
「オークやボア系じゃないわね。どっちかって言うとケルピーに近いわね。」
水を得た河馬でお馴染みケルピーか。あー言われてみれば馬刺しに近い食感かも。確かにここって水量が豊富だもんな。海も近いし。ケルピーもよく現れるってことなんだろうな。
あ、酒も旨いな。日本酒に近い味わいだな。一杯目は冷たいエールが良かったけど、これはコーちゃんの分だもんな。
「ピュイピュイ」
美味しい? お代わりが欲しいの? もーコーちゃんったら。じゃあ後でね。
他にも『鰯っぽい小魚の塩焼き』『鶏っぽい砂肝の香味揚げ』『オークのハラミっぽい肉の香草焼き』『小蟹の丸ごと揚げ』など酒が進みそうな料理をたっぷり堪能した。野菜が少ないな。あ、レンコンにマスタードを詰めてあるやつもあった。この宿は当たりだな。
「失礼いたします。お客様が到着されました」
「入りなさい。」
「し、失礼します。お待たせしました……父と妹を連れてきました……」
「へ、へへ、邪魔しやすぜ」
「こ、こんばんは……」
「よく来たわね。働く気があるなら使ってあげるけど、どうする?」
おお、アレクったら挨拶もなしに唐突だな。
「もちろんです!」
「へへ、お代はいただけるんで?」
「がんばります!」
ん?
「ちょっとお父ちゃん! 約束が違うよ! しっかり働くって言ったじゃない!」
「働くで? もちろん働くともさ。だけぇ働いたらお代が貰えるのは当然だで?」
「おとうちゃん……」
あーらら。
「帰っていいわよ。せっかく部屋を用意したのが無駄になっちゃったわね。」
「そ、そんなお嬢様……」
おや、看板娘ってアレクのことをお嬢様って呼ぶことにしたのか? まあ無難だな。
「あ、イロハは帰さないわよ? あなたには働いてもらわないといけないものね。妹もいていいわよ? でも、役立たずは帰りなさい。」
「けっ、これだから貴族って奴ぁどいつもこいつもよぉ! 人を見下しやがってよぉ! てめぇがそんなに偉えってのか? 足代もよこさず帰れたぁ何様だ?」
「しょせんは頭がスカスカの平民ね。それとも平民以下、ただの下人かしら? せっかくローランドの魔王が慈悲の心で助けてあげようとしてくれているのが分からないとはね。気が変わったわ。イグサさえ手に入ったらそれで勘弁してあげようと思ってたけど。あの田、全ていただくわ。イロハはどう思う?」
「そ、そんな……」
「雨が降ったら地面から貴族が生えてきた。そんなことがあるとでも思ってるの? どこの国だろうと王とともに血を流してきたからこそ貴族たりえたのよ? そういった連綿と続く歴史と誇りを、ローランド貴族たる私を愚弄した罪は重いわ。さっきのあいつらがどうなったかイロハも見てたわよね?」
うーん、アレクが上級貴族モード全開だな。かっこいいぜ。でも口で言って聞かせるアレクは優しい。
「わ、分かってる……つもりです……申し訳ありません……」
「あなたが謝ることじゃないわ。でもこの男を助けることは不可能だわ。残念ね?」
赤ら顔でぶつぶつ言うだけのおっさんと違って看板娘はいい子だね。私より歳上みたいだけど。
「ちっ……苦労知らずの貴族のガキが……でけぇ口たたきやがって……くそくそ……」
「お前は自分とこの領主にもそんな口をきくのか?」
つい介入してしまった。あまりにもおっさんがバカすぎるんだもんな。
「ち、違うんです魔王様! ち、父は酔ってるだけなんです!」
ふーん。それなら『解毒』
「まだ酔ってるか?」
あ、赤い顔が見る見る青くなっちゃった。
「ひっ! ひぃぃぃーー! ご無礼を! とんだご無礼を! ど、どうかお許しをぉぉぉーー!」
なんという素早い土下座。音速の土下座だ。
「分かればいいのよ。少しでもカースに無礼な口をきいたら殺してたところだけど、良かったわね?」
「へっ、へへぇぇぇーー!」
アレクの身分はこんな街の領主どころじゃないんだからさ。口の聞き方には気をつけないとね。
「あの……そもそも、どこからそんな話になったのでしょうか……?」
あ、客室係だ。こいつにもついでに話してやる予定だったもんな。この分だと借金の件とか知らないのかな?




