30、イグドラシルの罠
それから……過ぎた枝の数が五百を超える頃、私とアレクの間に会話はなくなった。イベントもだ。無言で登り、無言で休憩をする。体感で数時間休憩したら、どちらともなく立ち上がり再び登り始める。
何も考えられない。頭の中に霧でもかかったかのように思考ができない。それでも足を踏み外すことなく登れたのは、ここまで登ったことで体が動きを覚えたからだろうか。一つの枝を超えるまでに要する時間がどんどん短くなっている気もする。
カムイも、コーちゃんですらずっと声を出していない。いつも明るく元気なコーちゃんが白く濁った目をしている。大丈夫なのか? 大地の精霊が大地を離れるとよくないことが起こったりしないよな?
私達だってそうだ。もし本当に浦島太郎状態になっており、両親や兄弟姉妹、そして友人達が全員死んでいたら……悲しすぎる……大丈夫だよな?
いや、いかんな。
思考がネガティブになっている。こんなことではだめだ。気をしっかり保たないと……
「ピュイピュイ」
え!? コーちゃんどうしたの!? 何て言った?
「ピュイピュイ」
上の方に人の気配がする? まさか先生!? 追いついたの!?
「ピュイピュイ」
ああ、それは分からないのね。
「アレク! コーちゃんが、上に人の気配を感じるって。もしかしたらフェルナンド先生かも知れない。がんばろうよ!」
「あ……カース? 先生?」
くっ、アレクもヤバい状態か……しかし登ってる途中なんだから話す以外のことはできない。せめて声だけでもかけよう……
「そうだよ! フェルナンド先生だよ! もし先生がいたらみんなで登れるよ! きっと楽しいよ!」
「そ……うね……」
「ほら! もう見えてきた! あそこまでがんばろうよ!」
目測で百メイルぐらいだろうか。今の私達なら一時間とかからない。
もう五十……
三十……
十メイル……
着いた、やっと!
「先生!」
どこだ! 先生はどこだ!
いた!
私達と同じ聖衣を着て、緑がかった金髪で……耳が、尖っている!?
違う! 先生じゃない! 先生の髪はもっと白くて輝くような金髪だし!
私の声に反応したのだろう。そいつはゆっくりと上半身をこちらに向けた。エルフだ。当然見た覚えなどない。
「やあ。フェアウェル村のエルフさんかい? 俺達もフェアウェル村から登ってるんだよ。」
返事はない。トロンとした目でこちらを見るだけだ。
「俺は人間のカースってモンだ。こちらはアレクサンドリーネ。大地の精霊コーネリアスにフェンリル狼のカムイだよ。」
聴こえているはずなのに返事はない。口が回らないわけではないだろうに。そのまま私達を無視するかのように元の方向へ上半身を戻してしまった。なぜそちらを向いてるんだ?
「せっかくこんな所で会ったんだ。無視しなくてもいいだろう? あんたはいつから登ってるんだい?」
正面に回り込んで話しかけてみたが、返事はない。何だこいつ? 愛想がないな。
「カース!」
「ん? どうした?」
アレクの顔が青ざめている。さっきまで無表情だったのに。
「下……この人の足元を……」
「足元?」
こいつも私達と同じで裸足だが……ん?
んん? 何だこれ……枝と足の裏に境目が見えない……まさか……?
突き飛ばしてみる。しかし上半身が揺れるだけで一歩も動かない。足を引っこ抜くように持ち上げようとするが、少しも動かない。嘘だろ……こいつまさか……イグドラシルと一体化しつつあるのか?
足に根が生えるって言葉があるが、リアルでそんなことが起こってやがる。足から生えてると言うよりは枝から芽が体内に伸びているのだろうか。それとも枝に沈み込むように取り込まれつつあるのか?
たぶんもう手遅れだろうがやるだけやってみよう。カムイ!
「ガウガウ」
カムイの頭をエルフの股に突っ込み、そのまま持ち上げさせる。私の力では無理でもカムイの力なら……
「ガウガウ」
無理か……それ以上力を入れると脚が千切れるか……
「おい! 意識ないのか!」
耳元で叫んでみる。声に反応があるにはあるが返事はない。まばたきもしない目が酷く気持ち悪い。
「おい! 起きろ! 名前を言え!」
顔を叩きながら大声で呼びかける。
しかし、だめか……
くそ、私達も他人事ではないから情報が欲しかったのに。私やアレクがあれだけ枝に横になってもこんなことは起こらなかった。そこから考えると数時間やそこらはその場に留まっていても問題はないのだろうが……
よし、こいつには悪いが実験台になってもらおうか。
カムイ。やってくれ。
「ガウガウ」
カムイがエルフを無理矢理に持ち上げる。
ブチブチ……と気持ち悪い音を立て、エルフの膝が千切れ、体が持ち上がる。
先に千切れたのは右の膝だった。もう片方はギリギリ付いたままだ。それでもこいつは無言のままだ。そして分かったことがある。
イグドラシルからエルフの体内に向かって根が生えていたのだ。それが膝辺りまで来ていた。つまり上半身にまでは到達していないのだ。膝から下は枝の上にしっかりと立ったままだ。
つまり、この枝の上に長時間滞在するとこうなるってことだな。趣味の悪い神域だぜ……




