兄の申し出
1931(昭和3)年4月9日水曜日午前10時20分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「……というわけです」
御学問所に集まっている人々に、私は昨夜の盛岡町邸での出来事を話し終えると、すっかりぬるくなってしまった緑茶を飲み干した。私の前にはもちろんお上がいて、その傍らには内大臣の牧野さんと鈴木侍従長が控えている。更に、外務大臣の幣原さんと、国軍参謀本部長の斎藤さん、そして山本五十六航空中佐が御学問所にはいて、私の話を緊張の面持ちで聞いていた。
「なるほど。それで朝一番で、僕のところに連絡をくださったのですね」
穏やかに私に応じたお上に、
「そうよ。他国の国家体制を変えてしまうような話だもの。それに、私はお上の臣下だから、まずお上に報告して判断を仰がないといけないわ」
と私は答えた。昨夜、私に“国を救ってほしい”と頼んだラーマ7世にも、同じような返答をした。そして、今朝皇居に一報を入れた私は、軍医学校の仕事を放り出して参内したのだ。
「顧問殿下のおっしゃる通りです」
軽く頷いた牧野さんは、
「ところで幣原閣下、現在のシャムの国内情勢はどうなっているのでしょうか?」
と幣原さんに質問した。
「国王陛下が前内府殿下におっしゃった通り、国王陛下は急に御即位なさったため、国内に確固たる政治基盤をお持ちではございません。そのため、守旧的な王族たちと、革新的な官僚たちとの間で板挟みになっておられます」
幣原さんの答えに私は密かに納得した。昨夜、ラーマ7世は私に“絶対王政とは名ばかり”と言っていた。王族と官僚の間の妥協点を探りながら、ラーマ7世はシャムの統治をおこなってきたのだろう。
「国王陛下ご自身は、官僚たちに心を寄せているようですが……」
緊張した顔のまま言う幣原さんに、
「”史実“でも、同じような状況であったと思います」
と斎藤さんが応じる。
「そうか。参謀本部長、“史実”の1931年以降、シャムはどうなったのか分かるか?」
「確か、国王陛下が憲法を発布しようとなさいましたが、直前に王族たちの猛烈な反対に遭い、発布を断念したと記憶しております」
お上の問いに斎藤さんは答えた。「それに軍人や官僚が怒ってクーデターを起こし、絶対王政は廃止されました。これが1932年のことです。とは言え、政治体制は立憲君主制に移行したので、国王陛下は引き続き国王として在位なさっていたのですが、クーデターを起こした集団は独裁色を強めていき、それが民主化を求める国王陛下には不満だったようです。そして、苛立ちを募らせた国王陛下はイギリスに逃れ、最終的に退位なさいました」
「そのままイギリスで、1941年に亡くなられた……と聞いたような記憶があります」
斎藤さんの言葉を、“史実”の記憶を持つ山本航空中佐が引き取る。御学問所は重苦しい沈黙に包まれた。
「……これ、憲法を作っても意味ないわよ」
私はそう言うと両肩を落とした。「昨日話した感じだと、国王陛下は、憲法を発布して、政治体制が絶対王政から立憲君主制に変わればなんとかなる、と思っている節があったわ。でも、それだけじゃ問題は解決しない。守旧派の王族は、憲法を発布させまいとクーデターを起こすでしょうし、それに国王陛下が屈してしまったら、今度は軍人や官僚が憲法発布を求めてクーデターを起こす。王族と官僚が妥協できる内容にしないと憲法は発布できないだろうし、憲法の内容をどちらかの派閥寄りにするんだったら、もう一方の派閥の考え方を変えないといけない。……最終的にどんな方向に進むか分からないけど、クーデターを起こさないようにするには相当な労力が必要だし、憲法が発布されたとしても、国の舵取りはものすごく大変になるでしょうね」
「……陛下、この件、いかが致しましょうか?」
今まで私たちの話を黙って聞いていた鈴木侍従長がお上に問いかけると、
「……梨花叔母さまに助けを求めたということは、この日本に助けを求めたということに他ならないと僕は思う。梨花叔母さまはこの国の皇族なのだからね」
とお上は言う。御学問所にいる一同が、一斉に頭を下げた。
「かつて、おじじ様は、陸奥の爺をハワイ王国に派遣して、ハワイ王国の体制を立て直させ、ハワイ王国を存続させた。シャム王国も、ハワイ王国と同じく、我が国の友邦だ。七大国の一角を占める国として、友邦からの助けの求めには応じたい。このように僕は考える」
「……同情心とか義理だとかで手を出すと、痛い目を見るわよ」
私はお上に忠告した。「憲法を作るだけでは終わらない。シャム国内の派閥に手を突っ込まないといけないから、想像以上に大変な作業になるわ」
「分かっているつもりです」
お上は軽く頷くと、
「だからこそ、叔母さまをはじめ、皆の力を借りたいと思います。……牧野大臣、侍従長、今日の午後、梨花会を招集して欲しい」
力強い口調でこう言う。どうやら、お上の決心は固いようだ。私も腹を括ることにした。
1931(昭和3)年4月9日午後2時25分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「よいではないですか!」
お上の命により、急遽開かれた臨時梨花会。昨夜の盛岡町邸での出来事の概要が牧野さんから報告され、現在のシャムの情勢が幣原さんから説明されると、枢密院議長の伊藤さんは実に嬉しそうに叫んだ。
「シャムの新憲法作りですか。わしは喜んでお手伝いしますぞ!」
「伊藤さん、落ち着いてください」
意気軒昂な伊藤さんに私は冷たく言った。「憲法はそう簡単に作れるものじゃないですよ。下手をしたら、2年も3年もかかってしまって……」
すると、
「僕もお手伝いしますよ」
内閣総理大臣の桂さんの隣に座る人物が、右手をスッと挙げる。元内閣総理大臣で枢密顧問官の陸奥宗光さんである。
「おお、陸奥君も加わってくれるなら心強い。だがそうなると、巳代治も誘わねば、巳代治がすねてしまうか……?」
そう言いながら右手で顎を撫でる伊藤さんに、
「その場合、金子どのも仲間に加えなければ、話し合いが破綻しますよ」
伊藤さんの右隣の西園寺さんが助言した。
「確かにそうじゃ。……ところで、西園寺君も、わしらと一緒にシャムの憲法を作らないかね?」
「遠慮しておきましょう。僕は、陸奥さんと巳代治さんが争うのは見物したいですが、事務仕事は苦手ですから」
伊藤さんの勧誘に、西園寺さんが人の悪い答えを返す。私の義父の有栖川宮威仁親王殿下をはじめ、大山さん、桂さん、西郷さん、児玉さん、原さん、山本国軍大臣……梨花会の古参の面々は笑顔で頷いているし、その他の人々も、表だって反対をする気配はない。
「……決して楽観的にはなれないと思いますよ」
このまま、日本がシャムを助ける方向になりそうだけれど、注意喚起はしておくべきだろう。私は一同に向かって言った。
「今回の問題は、憲法を新しく作ることでは解決しません。新しく作った憲法を、シャム国内の政治に関わる有力者たちに受け入れてもらうことで初めて解決します。そのことを考えなければ、せっかく作った憲法がただの紙くずになってしまいますよ」
すると、
「流石梨花さま。よいところにお気づきです」
私の隣に座る大山さんが微笑んで言った。
「国王陛下には、相当頑張っていただかなければならないでしょう。ですが、中央情報院も今回の件に協力致します。ですからご安心を……」
「……」
私は顔に作り笑いを浮かべた。思い出されたのは、10年以上前、浜口雄幸さんがオスマン帝国に派遣され、財政や行政を立て直した時のことだ。あの時、行政改革や不正の摘発などにより、オスマン帝国の役人は3割にまで減ったのだけれど、彼らが減った要因の中には、“行方不明”や“死亡”というものが少なからず存在した。もしかしたら、これからシャムでも、王族や官僚の失踪や、原因不明の死が相次ぐのだろうか。
(相変わらず、院は恐ろしいわねぇ……)
私は、「うん、ではよろしく頼むよ、大山の爺」と上機嫌で言うお上の声を聞きながら、こっそりため息をついた。
1931(昭和3)年4月10日木曜日午後3時、赤坂御用地内にある仙洞御所。
「なるほど。そういう理由で梨花会が開かれたから、昨日は俺と節子の往診に来られなかったのだな」
昨日、臨時の梨花会のために、毎週水曜日の兄と節子さまの診察ができなかった私は、臨時の梨花会が開かれたいきさつを兄に説明していた。
「流石は俺の妹。外国からも、その知恵を求められるようになるとはな」
ニヤニヤしながらそう言った兄に、
「あのさ、私は問題をお上に丸投げしただけだよ」
私は苦笑しながら応じる。
「内大臣をやってたころだったら、私が先頭に立って色々やってたけどさ。今は軍医学校の校長事務取扱なんだから、これは私の手に余る案件よ」
「そうだな。……梨花、自分が内大臣でなくて悔しいと思ったのではないか?」
悪戯っぽい笑顔で問いかける兄に、
「私は兄上が天皇じゃなければ内大臣はやらないわ」
と、私はピシャリと言い返した。「頑固だなぁ」と呟いた兄は、急に真面目な表情になると、
「梨花、シャムを助ける件、俺も手伝おうか」
思いがけないことを言い始めた。
「そんな……兄上、手伝わなくていいってば」
私は兄の申し出を断った。兄は、また脳梗塞を起こしてしまうかもしれない身体なのだ。だから、余計な負担を掛けてはいけない。それに、今回の件に関して、兄が手助けできることは何もないのだ。
すると、
「おい、梨花。お前、俺に手伝えることはないと考えているな」
兄が鋭い視線を私に投げた。
「……何で分かったのよ」
誤魔化せば、かえって話がややこしくなる。素直に応じた私に、
「当たり前だ。俺が何年、お前の兄をやっていると思っている」
兄はそう言って胸を張る。
「今までシャムは絶対王政だったのだろう?それが立憲君主制の国に変わるのだ。ならば、立憲君主制の国の元首としての考え方や振る舞い方を国王陛下に伝えておくべきだろう。日本の元首の経験者として、な」
「あ、そっか……」
私は呟くと、兄に向かって頭を下げた。確かに兄の言う通りだ。
「それから、日本の政治の特殊さも伝えておかなければならないだろう。日本では梨花会が実質的な最高意思決定機関として機能していて、与党と野党は、梨花の時代のような醜い政争や揚げ足取りをすることなく、建設的な議論を交わす関係になっている。他の国ではこうはできないだろう。そのあたりの理想と現実も、国王陛下に認識してもらわなければならないぞ。先ほどの梨花の話だと、梨花会ではそういった議論が出なかったようだが」
「確かにね……」
私は大きなため息をついた。「その視点、完全に欠けてたわ。となると、政党の関係者に頼んで、国王陛下にそのあたりの話をする方がいいわね。桂さんと原さん、それから町田さんと横田さん……」
「それで、俺が話をすれば完璧というわけだ」
指を折りながら梨花会の面々の名を挙げた私に、兄が微笑んだ。「俺の方が、裕仁より身軽に動けるから、国王陛下のところに“見舞い”という名目で何度も行くことができる。元首としてのあり方を伝えるには、俺が一番適任だろう?」
「分かったわよ」
私は得意げに言う兄に苦笑して答えた。
「でも、無理はしないでね、兄上。兄上が無理し過ぎて体調を崩さないように、私、主治医としてしっかり見守らせてもらうから」
「ああ、心得ているさ」
私の言葉に、兄は私を見つめながらしっかりと頷いた。




