国王の願い
1931(昭和3)年3月14日土曜日午後2時30分、皇居・表御殿にある牡丹の間。
「それでは、来月のシャムの国王陛下御来日の件について、説明させていただきます」
今、椅子から立って、梨花会の一同に説明しているのは、外務大臣の幣原喜重郎さんだ。彼の言葉に、お上や私のみならず、他の出席者一同も姿勢を正した。
来月の7日に、シャムの国王・ラーマ7世と、ラムパイパンニー王妃が東京にやってくる。“シャム”というのは、私の時代で言うタイ王国のことである。
現在37歳の国王陛下は、以前から目の病気に悩まされ、先日、手術が必要な状態と診断された。ところが、シャムにはその手術ができる眼科医がいなかった。そこで国王陛下は、その手術ができる医師がいる日本に行って、目の治療を受けることにしたのだ。
主目的が目の治療なので、今回のラーマ7世夫妻の来日は非公式なものである。けれど、国王夫妻は、最低でも2か月余りは日本に滞在する。そもそも、この日本に外国の元首がやってくるというのが、1881(明治14)年にハワイのカラカウア国王陛下が来日して以来、50年ぶりの出来事だ。このビッグイベントに向けて、宮内省や外務省はもちろんだけど、他の省庁も念入りに準備をしていた。
東京にやってきたラーマ7世夫妻を新橋駅で出迎えるのは、1月に結婚したばかりの筑波宮尚仁さまと妃の輝子さまだ。けれど、国王陛下が東京に着いた翌日、4月8日に宮中で開かれる晩餐会には、東京とその近辺に在住している皇族がほぼ全員出席する。“ほぼ全員”となっているのは、2月に久邇宮邦彦王が亡くなったので、その喪に服している人たちが晩餐会に出席できないからだ。だから邦彦王殿下の娘である皇后陛下も晩餐会には出席しないけれど、近年まれに見る大規模な祝宴になるのは間違いないと思われた。
その後、歌舞伎座での歌舞伎鑑賞や鎌倉見物、兄夫妻との茶会などの行事をこなすと、国王陛下は滞在先を浜離宮から東京帝国大学医科大学付属病院へと移す。そこで手術を受けた後、再び浜離宮に戻って療養し、帰国する……。国王陛下夫妻のスケジュールを大まかに述べるとこうなる。
「“史実”のこの時期にも、ラーマ7世は来日されたのですが、日本には数日ご滞在なさっただけで、すぐに出国なさったと記憶しています。アメリカで眼の手術をお受けになるとかで……」
幣原さんの説明が終わると、国軍参謀本部長の斎藤実さんが言う。この人は私と同じく、“史実”の記憶を持っている。
「ほう。つまり、日本の医学が“史実”より進歩していることが、国王陛下の長期滞在につながったということになりますか。流石、前内府殿下ですな」
元内閣総理大臣の西園寺公望さんは、斎藤さんの言葉を聞くと、こんな感想を述べた。
「あの、西園寺さん?私、眼科の技術にまで手を出した覚えはないですよ?」
私が冷静にツッコミを入れると、
「当然のことでございますよ、梨花さま」
横から大山さんが優しい声で反論する。
「確かに、梨花さまは、眼科分野の発展に直接寄与するものを、ご自身がお持ちの未来の医療知識からこの時の流れの日本の医学にもたらしたわけではございません。しかし、梨花さまがもたらした他分野の日本の医学の発展は、日本の眼科医師たちを刺激し、発奮させたはずです。それが“史実”の現時点よりも、日本の眼科学が発展した要因ではないでしょうか」
「はぁ……まぁ、あなたがそう言うのなら、そうなのかしらね」
我が臣下の見事な論に、私はこう応じるしかなかった。今の時点で日本の医学がここまで発展しているとなると、21世紀の日本の医学は、どこまで発展しているのだろうか。それに、医学の世界的な潮流はどうなっているのだろうか。見てみたいけれど、今生の私は、流石に21世紀が始まるころには死んでいるだろう。
「しかし、国王陛下がゆっくり療養できるようにはしないといけないね」
上座からお上が言った。
「確かに、梨花叔母さまのおかげで日本の医療は進歩し、外国から要人が日本での治療を求めてやってくるまでになった。しかし、治療が終わった後の療養もまた大事。今回、民間でも、国王陛下を歓迎する様々な催しがあるようだが、それがかえって国王陛下の療養の妨げにならないかが心配だ」
「それはお上の言う通りだわ。もちろん、歓迎する気持ちは大事だけど、国王陛下を疲れさせないようにしないと」
私がお上に同調すると、
「もちろんでございます。国王陛下のご体調には常に留意しながら、諸行事を進めていく所存です」
幣原さんは力強く答えて一礼した。
1931(昭和3)年4月7日火曜日午後3時、シャム国王ラーマ7世とラムパイパンニー王妃の乗った客船は横浜港に入港した。特別列車で東京へ向かった国王夫妻は、新橋駅で筑波宮さまとその妃の輝子さまに出迎えられた後、宿舎となる浜離宮に入った。新橋駅から浜離宮までの道沿いには、日本とシャムの国旗を持った市民たちが国王夫妻を熱狂的に出迎えた。また、その日の夜には、浜離宮周辺で、学生たちを中心とした提灯行列が催されるなど、日本に50年ぶりに来訪した外国の元首は熱烈に歓迎された。
そんなラーマ7世と私が初めて顔を合わせたのは、翌日、4月8日に宮中で開かれた晩餐会の席上である。東京とその近辺に在住している皇族のほとんどが出席した晩餐会で、私は夫の栽仁殿下とともに、お上から国王陛下に紹介された。国王陛下は若い頃にイギリスとフランスに留学していた経験があるので、英語にもフランス語にも堪能だ。だから私は、『章子でございます』とフランス語であいさつしたのだけれど、
『おお、貴女が……!』
国王陛下は私の手を奪うように両手で掴むと、感激の面持ちで私を見つめた。
『お噂はかねがね聞いておりました!貴女が……貴女が、上皇陛下のご治世を内大臣として助け、世界に平和をもたらした大功臣……!』
私を見つめる国王陛下の両頬は、妙に紅潮していた。ドイツの皇帝やイギリスのエドワード皇太子と相対した時に感じた危うさを私が察知した瞬間、
『国王陛下、よろしいでしょうか』
私の隣に立っている栽仁殿下が、私と国王陛下の間に割って入るように、一歩前へと踏み出した。
『妻は今日も軍医学校に出勤しておりました。この晩餐会も、無理を押して出席したのです。どうか、妻の負担を増すような行為は慎んでいただきたい』
栽仁殿下は4月1日に、親友の東小松宮輝久王殿下とともに海兵中佐に昇進し、横須賀港を本拠地とする第1艦隊の装甲巡洋艦・金剛に航海長として赴任した、20年以上の軍歴の殆どを第一線で過ごしている生粋の軍人である。その眼光は鋭く、人をたじろがせるのに十分な迫力があった。栽仁殿下に睨まれた国王陛下は、『大変ご無礼を致しました』と私と栽仁殿下に謝罪すると、私たちの隣に立つ伏見宮邦芳王殿下の前へ動いた。
「……さっきの晩餐会の国王陛下、何だったのかしらね」
晩餐会が終わって帰宅した後、若草色の和服に着替えた私は、盛岡町邸の居間で栽仁殿下に話しかけた。飾り戸棚の上に置いてある時計の針は、ちょうど午後9時を指している。
「よく分からないね」
軍装から紺色の和服に着替えた夫は、首を左右に振った。
「ただ、梨花さんに言い寄ろうとしたのは間違いないよ。僕がいる前で梨花さんを口説こうなんて、いい度胸だ」
「やっぱそうだよねぇ……。奥さんが隣にいたのに、何考えてるのかしら。ツッコミたいことが山のようにあるわ」
私がこう言ってため息をついた時、居間のドアがノックされた。入ってきたのは我が家の別当・金子堅太郎さんだ。
「若宮殿下、妃殿下、おくつろぎのところ大変申し訳ありません。たった今、シャムの国王陛下がいらっしゃいまして、先ほどの宮中での非礼をお詫びして、改めてお話申し上げたいとおっしゃっているのですが……」
「「はぁ?!」」
金子さんの思わぬ言葉に、私と栽仁殿下は同時に叫んでしまった。
「詫びたいっていうのは当然の行動ですけど、そんなの、宮内省か外務省経由で伝えてくれればそれでいいです。なんで国王陛下に会わないといけないんですか?!」
私が金子さんに向かって強い口調で言うと、
「梨花さんの言う通りです。謝罪は受け入れますが、更に話したいというのは一体どういうことなのか、意味が分かりません」
栽仁殿下も金子さんを睨みつける。けれど、息巻く私たちに対して金子さんは一歩も退かず、
「若宮殿下と妃殿下のお気持ちは理解できます。しかし、わざわざ訪ねていらした国賓を追い返してしまえば、こちらが向こうから無礼者とそしられることになります。日本とシャムとの友好関係にヒビが入ってしまえば、お2人が日本の国益を損なうことになってしまいますぞ!」
と、激しい調子で言い返す。
「……分かりました。国王陛下に会います」
確かに金子さんの言う通りだ。私が軽く頭を下げて返答すると、「梨花さん!」と夫が叫んだ。
「どうしてそんなことをしなくちゃいけないんだい?!相手は、梨花さんによこしまな気持ちを抱いてるんだよ?!」
「でも、会わないと、国益が損なわれるんでしょう?お上にご迷惑を掛けるわけにはいかないわ」
いきり立つ夫に私が言うと、彼は下を向いて黙り込んだ。
「妃殿下にご迷惑を掛けることとなり、誠に申し訳ございません。私も立ち会って、万が一国王陛下が無礼な言動に及んだ際には、命を懸けてお止め申し上げますので……」
金子さんが私に最敬礼してこう言うと、
「僕も梨花さんと一緒にいますよ、金子さん。梨花さんへの無礼な振る舞いは、相手が誰であろうと、止めなければなりませんからね」
栽仁殿下も怒りを露わにしながら宣言する。こうして私は、夫と金子さんとともに、ラーマ7世に面会することとなった。
『夜分遅くにお訪ねして申し訳ありません。しかし、妃殿下と若宮殿下の誤解は解いておかなければならないと思いましたし、私がなぜあのような振る舞いに及んでしまったかをご説明しなければならないとも思いましたので、こうして参上しました』
通訳も侍従も連れずに1人で盛岡町邸の応接間に入ったラーマ7世は、フランス語で丁寧に言うと一礼した。
『まず、私は妃殿下に対して、恋愛感情は一切持っておりません。しかし、深い尊敬の念は抱いております。そんな方と初めて会うことができた喜びの余り、極度に興奮してしまい、妃殿下と若宮殿下を誤解させるような言動をとってしまいました。深く反省しております』
『はぁ……』
殺気を隠そうともしない栽仁殿下の隣で、私は曖昧に頷いた。国王陛下は、一体私の何を尊敬していると言うのだろう。確かに、内大臣をずっと務めていたし、“平和の女神”などと呼ばれることもあるけれど、私の評判は、単に虚名に彩られているだけのものではないか、とも思う。
『戸惑われていることは、十分に承知しております。しかし今、私は私の国を救うため、尊敬する貴女におすがりするしかないのです。どうか、私の話を聞いていただけないでしょうか』
(?)
国王陛下の口から穏やかではない言葉が飛び出し、私は身構えた。“国を救うため”というのは、一体どういうことなのか。視線をさ迷わせると、別当の金子さんと目が合う。彼が頷いたのを確認して、私は『構いませんわ』と国王陛下に答えた。
『ああ、ありがたい!』
ラーマ7世は一声叫ぶと、
『私は本来、国王になる人間ではなかったのです』
こう前置きして、私たちに語り始めた。
『しかし、国王であった兄が亡くなり、兄に成人した子供がいなかったので、急遽、私が国王となりました。今から6年前のことです。それからというもの、国のために自分なりに頑張ってきましたが、今の国家の体制に限界を感じています』
『はぁ、それはどういうことでしょうか?』
栽仁殿下が尋ねると、
『我が国では、現在、全ての権限を国王が握っています。いわゆる絶対王政です。実際には名ばかりですが……』
国王陛下はこう回答する。
『しかし、この体制では、上に立つ国王が愚かだと、国がすぐに滅びてしまいます。恐らく、今の我が国は、日本のような体制にするのが一番よい。ですから、私は日本を手本にした憲法を作りたいのです』
『憲法を……』
呆然と呟いた私に、
『中国の昔の医学書に、こんな言葉があるそうですね。“上医は国を医す、中医は人を医す、下医は病を医す”……』
と国王陛下は言う。私は思わず息を呑んだ。その言葉は、私が今生でも医師になると決心した時に、お父様が示したもの……。揮毫を求められた時、私はよくこの言葉を書いている。
『妃殿下、あなたはまさに上医だ。どうか上医として、我が国を救っていただきたい!』
驚く私に向かって、国王陛下はこれ以上ないくらい深く頭を下げる。私は隣に座る栽仁殿下と顔を見合わせた。




