総裁の急逝
1931(昭和3)年1月10日土曜日午後1時58分、皇居・表御殿。
牡丹の間の所定の席で、私は今年最初の梨花会の開始を待っていた。既に牡丹の間には、お上と牧野内大臣、そして鈴木侍従長以外の出席者が全員顔を揃えている。私が椅子に座ったまま、軽く身体を伸ばそうとした時、昨年亡くなった黒田さんに代わって枢密院議長となった伊藤さんが「前内府殿下」と私を呼んだ。
「いよいよ、筑波宮殿下がご結婚なさいますな」
何か難題を吹っ掛けてくるかと思ったけれど、伊藤さんが口にしたのは、意外にも、おめでたい話題だった。兄の三男・筑波宮尚仁さまは、1月24日に、久松定謨伯爵の娘である輝子さまと結婚する。久松家はかつて伊予松山藩を治めていた家で、明治維新の時、徳川幕府最後の将軍である徳川慶喜さんや、会津藩の藩主・松平容保さんなどとともに“朝敵”と名指しされた。そんな家に生まれた女性が直宮の妃とされたのは、もちろん、筑波宮さまの両親である兄と節子さまの意向だ。
「そうですね。お上や秩父宮さまのご結婚の時も思いましたけれど、小さい頃から成長を見守ってきた子が結婚するというのは、何か、こう……ぐっときますね」
私が伊藤さんにこう応じると、
「はい。わしも、前内府殿下が若宮殿下とご結婚なさった時のことが思い出されて、胸がいっぱいになっております」
伊藤さんは妙な言葉を私に返す。
「……何で、20年以上も前のことを思い出すんですか」
私がうつむいて、ボソッと伊藤さんにツッコミを入れると、
「おや、当然のことではないですか」
私の隣に座る大山さんが、私に優しく語り掛けた。
「俺たちは、梨花さまをご幼少のころから見守って参りました。ですから、梨花さまのご結婚当時のことを思い出すのは当然のことでございます」
「そう言われれば、そうかもしれないけれど……昔のことを思い出さなくてもいいでしょ。ちょっと……恥ずかしいわ」
うつむいたまま大山さんに言い返すと、
「相変わらず、前内府殿下はお可愛らしいですなぁ」
枢密顧問官の西郷さんがのんびりと言う。
「あ、あの、西郷さん、私、もうすぐ48歳になるんですよ。そんな人間を捕まえて“可愛い”なんて……」
私の反論に、
「我が子のようにかわいがっている相手は、いつまで経っても可愛いものですよ」
同じく枢密顧問官の陸奥さんが軽い調子で返し、それに何人かが同調して頷く。
(いい加減にしてよね……)
私がうつむいたままため息をついた時、
「あの……陛下のお出ましが、少し遅れていませんか?」
枢密顧問官の高橋是清さんが左右を見ながら一同に言った。
「そう言えば、いつもは2時きっかりにお出ましになるのに……」
外務大臣の幣原喜重郎さんが応じると、大蔵大臣の浜口雄幸さんが無言で頷く。腕時計の針は、午後2時2分を指している。確かに、梨花会が開催される時、お上は毎回、開始時刻の午後2時ピッタリに、牡丹の間に姿を現す。それなのに、まだ牡丹の間にやってこないということは、お上に何かあったのだろうか。
(様子を見に行く?でも、2、3分遅刻しただけで様子を見に行くのは、流石に心配し過ぎかなぁ……)
私がこう思った瞬間、牡丹の間の扉が開かれる。入ってきたのは、黒いフロックコートを着たお上だ。出席者一同が立ち上がって最敬礼を送る中、鈴木侍従長と牧野内大臣を従えたお上は玉座へと進んだ。
「遅れてしまってすまない」
玉座に腰かけ、立っている一同に座るよう命じてからお上は言った。そして、
「実は、先ほど、緊急の知らせが入った。皆にも知らせておく方がよいと思うから、今、この場で伝える。……侍従長」
とお上は続け、牡丹の間の隅、私の斜め後ろに立った鈴木侍従長に視線を投げる。「はい」と応じて一礼した鈴木侍従長は、
「40分ほど前、中央情報院の明石総裁が上野の帝室博物館で倒れました。東京帝国大学医科大学付属病院に運ばれましたが、死亡が確認されたとのことでございます」
梨花会の出席者たちに向かって、驚くべき情報を告げた。
1931(昭和3)年1月16日金曜日午後9時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
私が2階にある自分の書斎で医学雑誌を読んでいると、書斎のドアがノックされた。「どうぞ」と答えると、書斎に私の次男で学習院中等科の6年生……私の時代風に言うと高校3年生になった禎仁が入ってきた。
「どうしたの、禎仁。小説を借りに来たの?」
私が振り向いて禎仁に確認すると、
「ん……それもあるんだけどさ」
そう答えた彼は書斎のドアを慎重に閉める。そして、私に向き直ると、
「ねぇ、母上。明石閣下って殺されたの?」
私にとんでもない質問を投げた。
「は?!」
思わず机の上に突っ伏しそうになった私に、
「僕、明石閣下が亡くなった日の夕方に、閣下と会う約束をしていたんだ。表の顔に、どんな職業を選ぶかを閣下に相談しようと思って。だけど、閣下が亡くなっちゃったからさ……」
禎仁はしょんぼりとうな垂れて言う。
「明石閣下は、当日、倒れるまでお元気だったのに、あっと言う間に亡くなった。病死だって言われたけど、僕、全然信じられないんだ。閣下は、本当は殺されたんじゃないかって思って……」
「医療の現場では、さっきまで元気だった人が急に亡くなるっていうのは、それなりにあることだけど、何の心得も無い人がその光景を見たら、びっくりするわよね」
私は明らかに動揺している次男坊に苦笑いを向けた。
「それに、明石閣下のいた立場が立場だ。黒鷲機関あたりに暗殺されたんじゃないかって疑われるのも無理はないと思うわ」
「……」
「それでね、禎仁。結論から言うと、明石さんは他殺じゃない。病死よ」
私がこう言うと、
「そうなの?!母上、本当?!」
禎仁は私に飛びつくように聞いた。
「本当よ。病理解剖の報告書を見せてもらったわ」
明石さんが、中央情報院を邪魔に思っている人たち……例えば、ドイツの諜報機関・黒鷲機関によって暗殺されたのではないかという疑念は、中央情報院の職員のみならず、私やお上など、明石さん死去の一報を耳にした梨花会の全員が抱いた。このため、明石さんの遺体は、搬送された東京帝国大学医科大学付属病院で病理解剖に付され、死因が詳しく調べられたのだ。
「明石さんの直接の死因は、腹部大動脈瘤の破裂よ。大動脈っていうのは、心臓から出る最大の動脈。その大動脈がだんだん膨らんでいくのが大動脈瘤ね。血管が膨らむと、膨らんだところの壁は薄くなるから、流れる血液の圧力に耐えられなくなって破裂するの」
「ふーん。じゃあ、明石閣下の身体の中に、その、大動脈瘤……っていうのができてて、それが破裂したから、明石閣下は亡くなったってこと?」
「そういうことになるわね」
私が禎仁に答えると、
「その大動脈瘤って、人工的に作ることはできるの?」
禎仁はこんな質問をする。
「そうねぇ……高血圧があると、動脈瘤ができやすいという話もあるから、しょっぱいものをたくさん食べさせたり、ストレスをたくさん掛けたりして血圧を上げたら、動脈瘤ができるかもしれないけれど、狙って大動脈瘤にするのは不可能よ。第一、明石さん、普段の血圧はそんなに高くなかったしね」
もし、高血圧を持病として抱えていたら、大動脈瘤ができるより前に、脳出血やくも膜下出血、狭心症などの他の病気が起こる人も多いだろう。そもそも、狙って他人を大動脈瘤にするなんて話、私の時代でも聞いたことが無い。
「そうなんだ。……じゃあ、その大動脈瘤に、外から圧力を加えて破裂させることはできるの?」
「物騒なことを考えるわねぇ……」
私は禎仁の続けての質問に、ため息をついてから、
「一般的な可能性はゼロではないけれど、明石さんに関して可能性はゼロよ。明石さんと一緒にいた詠子さまと、鞍馬宮邸の職員が、そういうことはなかったって証言しているからね」
と回答した。明石さんが帝室博物館にいたのは、鞍馬宮家の長女・詠子さまが、博物館に展示してある日本刀を見学するのに付き添っていたからだ。日本刀を鑑賞していた詠子さまは、明石さんが倒れると、すぐに人を集め、明石さんを帝大病院に連れて行ったのだ。しかし、彼女の努力にもかかわらず、明石さんの命は尽きてしまった。
「……分かった。ありがとう、母上。やっと納得できたよ」
やがて、禎仁は私に一礼すると、
「ねぇ、母上。母上は僕の表の職業、何がいいと思う?あ、医者以外で、だけど」
今度は、今までとは少し違う質問を私に投げた。
「医者以外で、なのね……」
少しだけ気落ちしながら私が応じると、
「姉上から、母上が国軍病院に勤めてたころの話を聞いてさ。医者の仕事と諜報活動の両立は無理だと思ったんだ」
禎仁は私にこう言う。確かに、緊急の呼び出しや当直もある医者の仕事は、諜報活動とはまた別の不規則さに支配されるし、体力も使う。
「そっかぁ……。じゃあ、ありがちだけど、外交官はどうなの?元皇族で華族なんて、ヨーロッパの大使館に赴任したら、すごく楽に仕事ができるわよ」
禎仁は次男だから、成人したら臣籍降下するのだけれど、いきなり平民になるのではなく、爵位をもらい、華族として新しい家の当主になる。外交の場……特に、貴族の社会が色濃く残っているヨーロッパ諸国との外交では、外交官が持つ爵位は、交渉で有利な材料となることがあるのだ。
ところが、
「それは考えたんだけど、なしかなぁ、って思うんだ」
次男坊からは意外な答えが返ってきた。
「あら、どうして?」
「だって、僕、母上の子供だもの。だから相手が警戒し過ぎちゃって、かえって諜報活動ができなくなると思うんだよね」
私の問いに、禎仁はこう答える。一体私は、海外でどう思われているのだろうか。私が両肩を落とした瞬間、
「仕方ないよ。母上は、あんなに怖い爺たちを手懐けてるんだから」
と禎仁は笑う。
(手懐けてるわけじゃないんだけどねぇ……)
私が心の中で次男坊に言い返すと、
「ま、いいや。表の職業については、大山の爺や児玉の爺にも相談してみるよ。じゃ、母上、“緋色の研究”を借りてくよ」
禎仁は私に言って、本棚からシャーロック・ホームズシリーズの1冊を抜き出すと、書斎から出て行った。
1931(昭和3)年1月27日火曜日午前10時、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ございませんでした。総裁の広瀬でございます」
盛岡町邸には、私たち家族が住む本館とは別に、洋風建築の別館がある。表向きには”職員の控室“となっているけれど、実は、この別館は中央情報院の麻布分室であり、新人職員の研修の場として機能している。その別館に、”盛岡町邸の庭園を鑑賞するため“と称して、盛岡町邸に微行で行幸してきたお上がいた。お上の前には、中央情報院の新総裁に就任した広瀬武夫さん、中央情報院の外部機関・児玉自動車学校の校長である秋山真之さん、我が有栖川宮家の別当で中央情報院麻布分室長の金子堅太郎さんなど、中央情報院の幹部が顔を揃えている。更に、中央情報院の初代総裁である我が臣下や、児玉自動車学校理事長で元国軍航空局長の児玉源太郎さんまでいた。
「うん」
鷹揚に頷いたお上に、
「前総裁急逝によりご心配をおかけしましたが、院は通常通り機能しております。今後も陛下の耳目となり手足となり、任務を果たします」
広瀬さんはそう言うと最敬礼する。お上に会わせなければいけない幹部の中に、児玉自動車学校の役員など、参内すると非常に目立つ人が何人かいたので、お上が盛岡町邸に行幸することになったのだけれど、そのことに広瀬さんは非常に恐縮しているようだった。
その後、お上は広瀬さんたちに、今の中央情報院が抱えている任務と、その達成状況を確認する。任務の内容は多岐にわたっている。国内の政治家や役人たちが不正を行っていないかの監視、国民感情の把握、そして、海外の情勢把握や要人に対する工作など……。特に、海外に関して、院が現在力を入れているのが、相変わらず動向が読めないルーマニア、そして、朝鮮統治に苦労を重ねている清の情勢の把握である。
専門的な話が一通り終わると、お上は別館を後にする。お上が乗り込んだ御料車が盛岡町の正門を出るのを見送った私が、ほっと胸をなで下ろした時、
「前内府殿下」
児玉さんが後ろから私に声を掛けた。
「今日は、禎仁王殿下はいらっしゃらないのですな」
そう言った児玉さんに、
「今日は学校だから、いないに決まっているじゃないですか。禎仁はまだ学生ですよ。いくら諜報の訓練を受けているとは言っても、学生の義務は果たしてもらわないと」
私は言い返したけれど、
「おや、その辺りに隠れて、こちらの様子を窺っているのではないですか?」
と児玉さんはニヤニヤしながら言う。私が慌てて周囲を見回すと、
「ご安心を。禎仁王殿下の気配はありませぬ」
大山さんが私に囁く。「冗談はやめてください……」と私が力無く抗議すると、児玉さんはカラカラと笑った。
「……ところで、禎仁王殿下の表の進路は決まったのですか?」
陽気な笑い声を収めると、児玉さんは私に尋ねた。
「迷ってるみたいですね」
私は児玉さんに正直に答えた。「少しでも興味があることをやってくれれば……とは思いますけれど、将来、禎仁をどんな立場で働かせるかという院の意向によっても、あの子の進路は変わるでしょう。もし、国内で働くということになれば、表向き、宮内省に入る必要がありますから、外交官はできなくなりますし……」
すると、
「おや、禎仁王殿下は料理人になるのかと思っておりましたが」
児玉さんは思いがけないことを私に言った。
「以前、我が自動車学校の合宿に参加していただいた時に、料理人のマリオとルイージと仲良くなっておりましたから、表の職業には料理人を選ばれるのだろうと……」
「はぁ?!」
児玉自動車学校のマリオとルイージと言えば、実はトリノ伯とアブルッツィ公という儀礼称号を持っているイタリアの王族で、軟禁されていたローマの邸宅からよく分からない理由で脱出し、流浪の末に日本にたどり着いたとんでもない兄弟だ。そんな厄介な連中と禎仁が仲良くなってしまうなんて……。血の気が引いてその場に倒れかけた私の身体を、大山さんが横から支えた。
「大丈夫ですか、前内府殿下」
「大丈夫じゃないに決まってるでしょう……」
私に駆け寄る児玉さんに、私は弱々しく反論した。「あ、あのバカたちと、禎仁が仲良くしてるって……。あのバカたちに、禎仁のことがバレてないでしょうね?!」
「そこはご安心を。禎仁王殿下は、自動車学校の職員の子供ということにしてありますので」
児玉さんは私に答えると、
「実はですな、私は今の院の職員たちよりも、禎仁王殿下の将来が一番楽しみなのですよ」
と言った。
「初めは軽率なところも目立ちましたが、次第に慎重になっておられます。大胆に見える行動の裏にも、緻密な計算と予測がかならず存在するようになったのです。皇族でいらっしゃるからか、上に立つ者の心得と、部下の心をつかむコツも分かっていらっしゃる。将来、院を背負って立つのは禎仁王殿下であろう……私はこう思っているのです」
「はぁ……」
私は何とか頷いた。悪戯ばかりしていた末っ子が、児玉さんにここまで評価されるとは……。にわかには信じられないけれど、私の頭の中にある、小さい頃の禎仁の思い出が、私の評価を邪魔しているだけなのかもしれない。
「あの、まぁ……期待し過ぎず、ほどほどにお願いしますね」
とりあえずこう返した私は、人の成長の速さをしみじみと感じた。




