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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第83章 1929(昭和元)年雨水~1929(昭和元)年寒露
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今日だけの軍医少佐

※誤字を訂正しました。(2025年5月5日)

 1929(昭和元)年3月1日金曜日午前9時45分、皇居・表御殿にある化粧の間。

「お姉さま!章子お姉さま!」

「お久しぶりです、お姉さま!」

 化粧の間は、これから行われる“践祚(せんそ)後朝見の儀”に出席する女性皇族たちの控室になっていて、色とりどりの大礼服(マント・ド・クール)をまとった美しい女性たちが、思い思いにお喋りを楽しんでいる。今まで内大臣として馴染んでいた厳めしさに包まれた空間とは全く違う艶やかさに戸惑った私は、部屋の隅でおとなしくしていようと思ったのだけれど、入り口から2、3歩進んだ瞬間に、竹田宮(たけだのみや)恒久(つねひさ)王殿下に嫁いだ妹の昌子(まさこ)さまと、北白川宮(きたしらかわのみや)成久(なるひさ)王殿下の妃である妹の房子(ふさこ)さまに捕まり、華やかさのど真ん中に放り込まれてしまった。

「あ、あのさ、“お久しぶり”って言うけど、私たち、結構会ってない……?」

 昌子さまも房子さまも、2週間に1度ぐらいの頻度で兄のお見舞いに来ていたから、今年に入ってから何度も顔を合わせている。やや興奮気味の妹たちに気圧されながらも私がツッコミを入れようとすると、

「嫌ですわ、章子お姉さま。この化粧の間で、大礼服(マント・ド・クール)を着て、っていうことですよ!だって、章子お姉さま、新年拝賀の時も、ずーっと供奉(ぐぶ)列の方にいらっしゃったじゃないですか!」

房子さまの横から、朝香宮(あさかのみや)鳩彦(やすひこ)王殿下に嫁いだ妹の允子(のぶこ)さまが、私に向かって顔を突き出した。更には、允子さまの後ろで、東久邇宮(ひがしくにのみや)稔彦(なるひこ)王殿下の妃である妹の聡子(としこ)さまが、

「章子お姉さま、綺麗……」

と呟き、少し赤くなった顔を扇子で隠す。彼女の隣には、一番下の妹・多喜子(たきこ)さまもいる。私は、美しく華やかな妹たちに取り囲まれてしまった。

「い、いや、この大礼服(マント・ド・クール)、昔着たやつだよ。傷んだところは手直ししたけれど……」

 明るい青緑色の大礼服(マント・ド・クール)を着た私は、慌てて妹たちに返答して、この場から逃れようとしたけれど、

「章子お姉さま、それはすごいことですわ。私、2人産んだ後、機械をいじってばかりいたら、体型が少し変わってしまって……やっぱり、章子お姉さまは軍人として訓練なさっているから、体型が変わらないのですか?」

逆に、多喜子さまに興味津々に聞かれてしまい、身動きが取れなくなってしまった。

「そんなの、最近してないわよ。剣道は週1回しているけれど、軍事訓練なんて……」

「でも、今日から現役の軍人にお戻りになるんでしょう?」

「ええ、成久さまにそう伺ったわ。中佐におなり遊ばすのでしょう?」

 しどろもどろに答える私に、昌子さまと房子さまが更に問いを投げる。少し情報が違っているなぁ、と思いながら

「ええとね、今日だけ軍医少佐で、明日からは軍医中佐なんですって……」

私は妹たちにようやく回答した。

 昨日付で内大臣を辞任した私は、軍人に復帰した上で、“内大臣府顧問”という役職を頂戴することになった。私が内大臣となって予備役に入ったのは、1916(明治49)年11月、軍医大尉だった時だ。だから、現役軍人に戻るなら、階級は大尉、よくて少佐だろうと思っていた。

 ところが、内閣総理大臣の原さんと国軍大臣の山本権兵衛さんは、軍医中佐で軍に復帰するように、と私に内示を出した。私は反対したのだけれど、“内府殿下は天皇陛下を輔弼なさっていた。天皇陛下のご業務には軍務も含まれるから、天皇陛下を輔弼なさっていた内府殿下も軍役に服していたとみなせる”と、彼らは強く主張した。兄も“それでいいのではないか”と認めたため、私は2階級昇進して国軍に復帰することになった。ただし、いきなり大尉から中佐になってしまうと、“2階級特進”という殉職した人に対する昇進の仕方と同じになるので、私は今日付で軍医少佐に昇進し、明日付で軍医中佐に昇進する。なんともややこしい話である。

「と、ところで、あなたたち、私に構ってばかりいたら、自分の支度ができないんじゃない?」

 控室の隅でのんびりしたい私は、はしゃいでいる妹たちを穏便に追い払うためにこう言ってみたけれど、

「平気」

聡子さまが扇子で顔を隠したままボソッと返し、

「大丈夫です。章子お姉さまが倒れないように、今日はちゃんと、香りの強くない化粧品でお化粧しましたから」

「だから、もーっとお喋りしましょう!」

多喜子さまと允子さまは口々に言って、私の両手をやんわりと掴む。

(いや、あの、頼むから、放っておいてくれ……)

 私が力無い愛想笑いを顔に浮かべたちょうどその時、

「恐れ入ります。皆様、廊下の方へ……」

宮内省の職員が私たちに声を掛ける。化粧の間の出入り口へと歩きながら、私はひそかに胸をなで下ろした。

 朝見の儀が行われる正殿近くの廊下には、正装に身を包んだ男性皇族たちが、既に壁に沿って一列で並んでいる。彼らは先ほど正殿で行われた“剣璽渡御の儀”に参列していて、三種の神器の宝剣と神璽が迪宮(みちのみや)さま……ではない、新しい天皇陛下に引き継がれたのを見届けたのだ。皇族女性たちは大体自分の夫と相対するような位置に立ち、男性たちと同じように反対側の壁に沿って一列になる。海兵少佐の正装をまとう夫の栽仁(たねひと)殿下と目が合い、私は夫に微笑を送った。

 やがて、後ろの方から、大勢の人々が近づいてくる。剣璽渡御の儀の後、一度表御座所に戻った天皇陛下……お(かみ)が再びお出ましになったのだ。一斉に最敬礼する皇族たちの間を、大元帥の正装に身を包んだお上は颯爽と通り抜けていく。お上に供奉する侍従や侍従武官たちが通り過ぎると、秩父宮(ちちぶのみや)雍仁(やすひと)親王殿下を先頭とする男性皇族の列が、前へと動き始めた。

 その直後、横から妙な視線を感じ、私は反射的に首筋に手を当てた。視線が飛んできた方向を身構えながら見たけれど、東小松宮(ひがしこまつのみや)輝久(てるひさ)王殿下がまっすぐ前を見て歩いているだけで、私を無遠慮に見つめる者はいない。

(まさか……)

 私は前方にも視線を走らせる。15年ほど前、私が貴族院議長を務めていた時に、華頂宮(かちょうのみや)博恭(ひろやす)王殿下に妙な目で見つめられたことを私は思い出していた。その時と同じように、華頂宮さまが私を見ていたのではないか……そう考えたのだ。けれど、前方を歩く華頂宮さまが私を見ている様子はなかった。

(タイミング的に、華頂宮さまが私の横を通り過ぎた時に見られた気がしたけれど……気のせいだったのかしら?)

 頭の中で結論を出した時、再び背後から、大勢の人々が近づく気配がする。良子(ながこ)さま……皇后陛下が、側に仕える女官たちを従えてやってきたのだ。私たち女性皇族は皇后陛下に最敬礼すると、皇后陛下に従って正殿へと向かった。

 正殿には、国務大臣や枢密顧問官、国軍の大将などが整列していた。13年前、兄が践祚した直後の朝見の儀の時は、皆、腕に喪章を巻いていたけれど、今回はもちろんそんなことはない。そして、玉座の前に立つお上に、侍従長の鈴木貫太郎さんが勅語書を捧呈すると、それを受け取ったお上は勅語を読み始めた。

(……ちょっとだけ、緊張しているのかしら?)

 そう感じた時には勅語は終わり、今度は内閣総理大臣の原さんが前へと進み出て、

「臣(たかし)誠惶誠恐(せいこうせいきょう)、伏して()うす……」

と、勅語奉答文を読み始める。その声は、普段の彼の声より上ずっていた。

(まぁ、緊張するよね、普通……)

 内閣総理大臣としての一世一代の大舞台、緊張しないでいられる方がおかしい。大丈夫だろうかと心配していたけれど、原さんは無事に勅語奉答文を読み終えた。

(昨日までは、あっち側にいたけれど……役職を離れたら気楽なものね)

 お上は玉座を離れ、男性皇族たちを従えて正殿を去り、皇后陛下もお上の後を追うように正殿から出て行く。皇后陛下に従って歩きながら、私は重圧からの解放感とともに、何とも言えない寂しさを感じた。


 1929(昭和元)年3月1日金曜日午前11時55分、皇居・奥御殿にある節子(さだこ)さまの書斎。

「はい、診察所見に問題はないよ」

 節子さまの診察を終えた私が彼女に微笑むと、

「ありがとうございました、お姉さま」

今日から皇太后となった節子さまも私に微笑み返した。践祚後朝見の儀が終わり、他の皇族たちが次々と帰宅する中、私は奥御殿に入り、昨日兄に命じられた通り、兄と節子さまの診察をしたのだ。

「ごめんね。普段と全然勝手が違うから、診察に時間が掛かっちゃった」

 大礼服(マント・ド・クール)を着たままの私が節子さまに謝ると、

「いいえ。めったに見られないものが見られて、面白かったです」

節子さまは着ている紺色の通常礼装(ローブ・モンタント)を直しながらクスっと笑った。

「そりゃ、大礼服(マント・ド・クール)にティアラを付けたまま聴診器を使う人間なんて、私しかいないだろうけど」

 私は診察道具をカバンにしまいながらため息をつくと、

「あーあ、何で兄上は私を着替えさせてくれないのよ。この格好、診察しにくいったらありゃしない」

と言って、口を尖らせた。

「仕方ないですよ。だって、お姉さまが大礼服(マント・ド・クール)をお召しになったのは、本当に久しぶりですもの。お美しくて、診察中もお姉さまに見とれてしまいました」

「そ、そう……」

 節子さまの言葉に何と反応してよいか分からず、とりあえず愛想笑いをして頷いた私の手を取った節子さまは、

「さあ、お姉さま。嘉仁(よしひと)さまのところに行きましょう」

と、笑顔で私を誘う。私たちは手をつないだまま、兄の書斎へと向かった。

「おう、来たか」

 兄の書斎には、机の前の椅子に座った兄の他に、兄の侍従の海江田(かいえだ)幸吉(こうきち)さんがいる。海江田さんは、入り口近くの背の低い机の上に置かれたラジオを一生懸命にいじっていた。

「もうすぐ、正午だな」

 兄が私と節子さまに微笑を向けると、ラジオから正午を知らせる時報が流れる。そして、

『天皇陛下におかせられましては、ご践祚にあたり、全国民に対して、畏くも御自らおことばを()らせ給うこととなりました。これより、謹みて玉音をお送り申します。全国の聴取者の皆さま、ご起立願います』

男性アナウンサーの緊張した声がラジオから聞こえてきた。これから、践祚したばかりのお上が、昨日の兄と同じように、愛宕山のラジオ放送所のスタジオから全国に生放送を行うのだ。いったん椅子に座った私と節子さまは椅子から立ち上がる。兄も、杖を右手に持って椅子から立ち、ラジオから流れる国歌を黙って聞いた。

『大日本帝国憲法と皇室典範の定めるところにより、本日、万世一系の皇位を継承した』

 国歌のメロディーが大気に溶けるように聞こえなくなると、お上のハッキリした声がラジオから聞こえた。

『この大任を負うて、務めの重さに、身の引き締まる思いがする。顧みれば、上皇陛下は、この帝国を発展させるのみならず、常に国民に寄り添い、国民の傷ついた身体や心が癒されるよう動かれ、国民の幸せを常に願っておいでだった。私も上皇陛下と同じく、国民に心を寄せ、国民と心を(いつ)にして、この帝国をますます発展させるよう努めることを誓う』

 お上の声が途切れると、再び国歌の演奏がラジオから流れる。

『謹みて、天皇陛下の玉音放送を終わります』

 そして、アナウンサーが放送を締めくくると、私と兄と節子さまは同時にふうっ、と息を吐いて椅子に座った。

「いい放送でしたね」

 節子さまがそう言って微笑すると、

「少し、緊張していたな」

兄はラジオの方を見たまま、心配そうに言う。

「初めてにしては上出来だったわよ。……予定にない文章をマイクの前で平気な顔して読み上げられる兄上の度胸があり過ぎるのよ」

 私は兄に少し呆れながら言った。先ほど、お上がマイクの前でおことばを読み上げた様子は、トーキーで撮影されている。これは、昨日の兄のおことばと合わせて、1本の活動写真として全国で公開される予定だ。そうしないと、お上の印象が、兄よりも薄くなってしまう……新しい宮内大臣の湯浅(ゆあさ)倉平(くらへい)さんが判断したのだ。

「まぁ、これで譲位は無事に済んだわけだ」

 兄はそう言うと、上方に大きく両腕を伸ばし、

「明日、お母様(おたたさま)のところにご挨拶に行ったら、あさってには葉山だ」

と嬉しそうに話す。

「今までも、仕事の合間にリハビリに取り組んではいたが、まとまった時間がなかなか取れなかった。葉山に行ったら、しっかりリハビリができるな、節子」

「はい、嘉仁さま。仙洞御所ができるまでたくさんリハビリをして、皆様を驚かせてあげましょう」

 節子さまも、兄に向かって嬉しそうに言う。あさってから葉山の御用邸に行く兄と節子さまは、赤坂御用地の仙洞御所が出来上がるまでの約3か月を葉山で過ごす。その間に、空になった奥御殿の改修が行われ、お上と皇后陛下が皇居に引っ越す予定だ。……引っ越しだけではない。明日には、お上の即位礼の準備を取り仕切る大礼使が発足する。そしてそろそろ、ジュネーブの軍縮会議の予備交渉の結果も出るだろう。5月には、イギリス国王・ジョージ5世の3男であるグロスター公が、お上にガーター勲章を奉呈するため来日する。兄とお上の引っ越しの間にも、この国には大きな仕事がたくさんあるのだ。

「お前も忙しいだろうが、葉山に顔を出せよ」

 兄は私に顔を向けるとこう言った。

「忙しくはないと思うよ。私も内大臣じゃなくなって、参謀本部付になったから暇人だし、その気になればずっと葉山にいられるよ」

 私が兄に返答すると、「それは、すぐに飽きそうな気がするな」と呟くように言った兄は、

「まぁ、いい。とにかく、飽きない程度に葉山に来いよ」

笑顔で私に命じた。

「了解。兄上の主治医として、ちゃんと週に1回は顔を出します」

 私も兄に微笑み返すと、兄は満足げに頷き、「よろしくお願いしますね」と節子さまも微笑する。こうして、私の軍医少佐としての仕事は、朝見の儀への出席と、兄夫妻の診察だけで終わった。

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