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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第82章 1928(大正13)年処暑~1929(大正14)年雨水
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退位礼

 1929(大正14)年2月28日木曜日午前10時。

 兄が天皇として過ごす最終日、皇居・賢所では“退位礼当日賢所大前の儀”が行われた。これは、賢所に、“天皇は本日退位礼を行って、天皇を退位します”という旨を告げるご神事で、続いて、同様のご神事が、皇霊殿と神殿でも行われた。これで、兄の退位に関連するご神事は終了となる。

 もちろん、私の今日の仕事……内大臣としての最終日の仕事は、これで終わりではない。午後4時から表御殿で行われる“退位礼”……兄が天皇として所持していた“三種の神器”の宝剣と神璽を、兄の侍従さんから迪宮(みちのみや)さまの侍従さんに渡す儀式には出席しなければならない。また、今日の正午、兄が退位にあたって国民に述べる言葉が、愛宕山のラジオ放送所から全国に生放送されるのだけれど、その放送にも、私は付き従うことになっている。栽仁(たねひと)殿下の妃としてご神事に参列した私は、賢所から、表御座所にある内大臣室に急いで移動すると、通常礼装(ローブ・モンタント)から普段着ている制服に着替えた。

 午前11時30分、車いす用に改造した御料車で皇居を発った兄は、雨が降る中を、芝区愛宕山にあるラジオ放送所へと向かった。これが、兄の、天皇として最後の行幸になる。見送りをするようにという命令は特に出していないと聞いていたけれど、御料車の通る道には大勢の東京市民が出ていて、通り過ぎる御料車に向かって最敬礼をしていた。

『本日をもって、わたしは天皇を退位する』

 正午、愛宕山の放送所のスタジオから、兄の国民に向けたメッセージの生放送が始まった。

『13年前の11月、先帝陛下の崩御をもってわたしが天皇となってから、我が国では様々なことがあった』

 昨年10月の生放送より穏やかな口調で、スタジオに入った兄は用意したメッセージを読み上げる。今回のメッセージは、牧野さんによる校正は入ったけれど、大元は兄が書いた文章だ。

『新型インフルエンザの流行、北但馬地震や北丹後地震、そして関東大震災……悲しむべき出来事が何度もこの国を襲った。しかし、我が国の国民は、それらの出来事で受けた傷を物ともせず、将来の発展に向けて立ち上がった。そして、あらゆる産業を発展させるだけではなく、我が国の国際的な地位を押し上げている。世界大戦の危機を止めたり、国際連盟の設立に貢献したり……世界全体に貢献している我が国であるが、それは、我が国の国民が、発展しようとする気概に溢れ、国をしっかり支えているからこそできたことである』

(あ……原稿と違う?)

 スタジオの外で兄の放送を聞いていた私は、覚えていた原稿との違いに気が付いた。この部分では、国民のことにここまで言及していなかった。恐らく、兄が急遽付け加えたのだろう。

(まぁ、いいか。国民のおかげなのは事実だから)

 私が自分を納得させたとき、

『わたしは、この国の国民を誇りに思う』

 スタジオの外に設置されているスピーカーからは、兄の声が更に流れた。

『そして、こんなに素晴らしい国民たちが、わたしの治世を支えてくれたことに、深く感謝している』

 私と一緒に兄のラジオ放送を聞いている供奉の職員たちからは、すすり泣きの声が漏れる。大山さん、奥保鞏(やすかた)侍従長、鈴木貫太郎侍従武官長、侍従の甘露寺(かんろじ)さん、海江田さん……みんなが涙を流している。

(よかった。これが崩御じゃなくて……)

 “史実”ではこの時代、一度天皇になった人間が退位する時は、崩御する時と同じだった。けれど、この時の流れでは、譲位という方法で、天皇になった人間がその位を退くことができる。……兄は生きている。私がその気になれば、好きな時に兄のところに行って、一緒にお喋りをしたり、お茶や食事を楽しんだりすることもできるのだ。

『明日からわたしは上皇となり、政治の一切から退く。国民の皆が新しい天皇を支え、心を(いつ)にして、この帝国をより良い国にしていくことを、心から願っている』

 廊下の壁の天井近くに取り付けられたスピーカーからは、兄の言葉が流れ続けている。その穏やかな、優しい響きを聞きながら、私は兄が生きているという事実に心の底から感謝した。


 1929(大正14)年2月28日木曜日午後4時、皇居・表御殿にある正殿。

 いよいよ、兄が天皇として最後に臨む儀式・“退位礼”が始まる時刻となった。

 兄が天皇として最初に臨んだ儀式・“剣璽(けんじ)渡御(とぎょ)の儀”では、兄の前にある“案”という机に宝剣と神璽、そして国璽と御璽が置かれ、宝剣と神璽を捧げ持った侍従たちが、正殿から出て行く兄に付き従って正殿を後にすることで、お父様(おもうさま)から兄に皇位が継承されたことが示された。今回の退位礼では、その逆のようなことを行う。つまり、兄に従って正殿に入った宝剣と神璽が、兄と別々に正殿から出て行くことで、兄から別の人物に皇位が継承されることが表現されるのだ。

 儀式や交際などを管轄する宮内省の式部職の長官・伊藤博邦(ひろくに)さんが先導する兄の行列は、午後4時ちょうどに、国務大臣や枢密院議長の黒田さんが待ち受ける正殿に入った。行列の中心にいる兄は黒いフロックコートを着ていて、侍従の甘露寺さんが押す車いすに座っている。最近、兄は片手で杖を使いながら、ゆっくりと歩けるようになったけれど、供奉する人々が歩く速度を兄に合わせてしまうと儀式に時間がかかってしまうので、兄は今回の儀式に車いすを使うことを希望した。

 正殿前方の中央、一段高いところに設けられた玉座のそばに、兄の乗った車いすはスロープを上って到着する。兄が車いすから立ち上がり、杖を使いながら玉座の前に立った時、国璽を捧げ持つ大山さんと、御璽を捧げ持つ内大臣秘書官の東條(とうじょう)英機(ひでき)さんを従えた私が、兄に正対する位置に到着した。

(やっぱり、重いわね……)

 侍従の海江田さんから、宝剣が納められている錦に包まれた長細い箱を受け取ると、私の両腕にずしりと重みが伝わった。私がこの箱を持ったのは、13年前の剣璽渡御の儀以来だ。あの時は、受け継がれたものの重みにもがくような思いをした。今も、その重みは変わらない。

(こんなに重いものを、兄上は、ずっと背負っていたんだ……)

 ミスをしないよう、1つ1つの手順を頭の中で確認しながら、私は宝剣の箱を案の上に置いた。続いて神璽、13年前から私の仕事道具だった国璽と御璽……1つ1つを丁寧に、重みを感じながら、兄の前の案に置いていく。

 御璽を置いて一礼し、頭を上げると、玉座の前に立つ兄と目が合った。

(兄上……)

 私は兄に、心の中で語り掛けた。

(私は主治医として、内大臣として、兄上を守れたのかな……。兄上が背負わないといけなかったものの重みを、少しは軽くできていたのかな?)

 13年前の11月7日に兄が即位してから12年と4か月弱……。“史実”より短くなった兄の治世は、私が宝剣と神璽を案から下げれば終わる。兄の負担を取り除ける、けれど、兄の治世が終わってしまう。嬉しさと悲しさが頭の中でグルグル回り始めた時、私と見つめ合っていた兄が軽く頷く。促すようなその動きに、私は頭を下げると、案の上から宝剣の入った箱を取り、迪宮さまの侍従……明日からは天皇の侍従になる西園寺八郎さんに渡した。

(これで、“大正”が終わった……)

 神璽、そして国璽と御璽も案から下げ、車いすに乗った兄の後から正殿を出ると、私は表御座所の内大臣室に入った。兄の即位以来、皇居内での私の居場所だったこの部屋とも、今日でお別れだ。本棚や机にあった私物は、既にほとんど自宅に持ち帰っているので、筆記具などをカバンに入れれば、次の内大臣である牧野さんに綺麗な状態で部屋を引き渡せる。僅かに残った私物を私が片付けようとしたその時、

「梨花さま、陛下がお呼びです。“書斎に参れ”と……」

ドアをノックして入ってきた大山さんが、私に微笑を向ける。彼も、本日付で、内大臣秘書官長を退任する。「分かったわ」と返事した私は、大山さんと一緒に奥御殿へと向かった。

 奥御殿にある兄の書斎には、今日出勤している侍従や侍従武官、内大臣秘書官の他に、牧野さん、侍従長の奥保鞏さん、侍従武官長の鈴木貫太郎さんが既にいた。私と大山さんが書斎に入ってきたのを見て、「これで全員そろったな」と言った兄は、

「皆、今まで本当にありがとう」

晴れやかな顔で、自分に仕えている人々にお礼を言った。

「倒れた時からは、本当に迷惑をかけた。しかし、何とか今日までやってこられたのは、皆のおかげだ。心から感謝する。皆、息災でな」

 兄が軽く頭を下げると、書斎に集まった臣下全員が一斉に最敬礼する。どこからか、すすり泣きも聞こえた。

 と、

「章子」

兄が私の今生の名を呼んだ。予期していなかった事態に慌て、「ひゃ、ひゃい?」と間抜けな返事をしてしまった私に、

「お前、色々思い悩んでいそうだから、一応言っておくがな」

と前置きした兄は、

「俺がここまでやってこられたのは、内大臣たるお前の力が大きいのだ。それはハッキリと言っておくからな」

こう告げると、悪戯っぽく笑った。

「あ、兄上……じゃない、陛下……」

 涙が堰を切ったように両目から溢れて止まらない。大山さんが差し出してくれたハンカチーフをひったくるようにして掴むと、私は流れる涙をぬぐった。

「ああ、それから章子、明日のことだが」

 私がざっと涙を拭き終わると、兄は言った。

「明日、朝見の儀が終わったら、俺と節子(さだこ)の診察に来い」

「え、明日?!」

 私は目を丸くした。明日は、迪宮さまが新天皇に即位した後、政府高官や国軍の大将たちと天皇として初めて顔を合わせる“朝見の儀”という大事な儀式がある。もちろん、私は栽仁殿下の妃として朝見の儀に参列するので、明日は大礼服(マント・ド・クール)を着なければならないのだ。今まで儀式の時に着ていた動きやすい宮内高等官女子大礼服とは違い、大礼服(マント・ド・クール)を着る時は、スカートの裾の2、3倍の長さはある裳を付けなければならない。更に、内大臣の時は付けなくてよかったネックレスやティアラなども身につけなければならないので、窮屈なことこの上ないのだ。

「まさか、大礼服(マント・ド・クール)で診察しろ、なんて言わないわよね?」

 念のため兄に確認すると、

「当然、そのつもりだったが?」

兄はしれっと言い放った。

「ちょ……何考えてるのよ!あんな長い裳を引きずって、おまけに、白い長手袋もして、診察し辛いっての!せめて着替えさせてよ!」

「それはならん。久しぶりに大礼服(マント・ド・クール)を着たお前の姿を見たいからな」

 抗議する私に、兄はニヤニヤしながら言う。

「あのさぁ……」

 困惑したところに、ぷっ、と誰かが吹き出す。内大臣秘書官の松方金次郎くんだ。その笑いは、書斎にいる人々に瞬く間に伝染し、ついには私以外の全員が、大きな声で笑いだした。

「はぁ……」

 私は両肩を落としたけれど、すぐに気を取り直した。“史実”では、兄の崩御で悲しみに沈んだ大正時代の結末……それがこの時の流れでは、みんな笑顔になっている。……それでいい。それでいいのだ。

 顔を動かすと、笑っている兄と目が合った。

 私は兄に向かって微笑すると、軽く頷いた。

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― 新着の感想 ―
こうして『歴史』が変わっていくのですね。 人から人へ歴史が紡がれていく。 でもやっぱり、『昭和』ではなく、『照和』、 主人公「ダメ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾」 アワワ、すみません。
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