譲位詔書渙発
1928(大正13)年12月7日金曜日午前10時57分、皇居・表宮殿にある東溜の間。
(さてと、第1ラウンド開始ね)
東溜の間には、奥にある玉座と相対するように、カタカナの“コ”の字に形に長机が並べられている。玉座と向かい合った位置にある長机に設けられた自席に座った私は、これから行われる皇族会議に出席する面々を観察していた。
10月18日、兄は来年3月1日に迪宮さまに譲位をするとの勅語を出し、ラジオ放送でもその内容を説明した。しかし、正式な譲位の手続きは、勅語を出しただけでは進まない。兄が議長を務める皇族会議で承認され、更に、枢密院でも承認されて、初めて国として譲位の手続きが進められるのだ。今日は、譲位の手続きを進めるための皇族会議が午前11時から開催され、午後1時から、枢密院会議が開催される。その議決を受けて、来年3月1日に譲位をする旨、兄が直ちに詔書を出して広く国民に公布する。……今日は、国としての譲位の手続きの開始が、国内外に宣言される大事な日なのだ。
今日の皇族会議に召集された男性皇族は合計23人。本日の会議を欠席すると届を出した久邇宮多嘉王殿下、そして、兄と一緒に会場に入る迪宮さま以外、招集を受けた全員が東溜の間に顔を揃えている。今日の議題が兄の譲位関係のものだから、出席者たちは一様に緊張しているだろう……そう思っていたのだけれど、実際には、兄の次男の秩父宮さまと兄の三男である筑波宮さまの2人が、普段と変わらない平然とした態度で椅子に座っていた。
「牧野さん、秩父宮さまと筑波宮さまは落ち着いていますね」
隣に座っていた牧野さんに私が話しかけると、
「確かに、そのように見えますね」
牧野さんはそう答え、もう一度出席者たちの顔を見てから、「ははぁ、そういうことですか」と呟いて頷く。
「どうしたんですか?」
私が小声で尋ねると、
「いえ、秩父宮殿下も筑波宮殿下も、それなりに緊張なさっておいでです」
牧野さんも小さな声で私に答えた。
「ですが、他の皆さま方が、それ以上に緊張していらっしゃるのです。だから、秩父宮殿下と筑波宮殿下が、相対的に緊張していらっしゃらないように見えるのです」
「ああ、なるほど……もしかしたら、原因ってあれですかね?6年前の……」
「でしょうね」
牧野さんが首を縦に振ると、私は改めてここにいる男性皇族を確認する。6年前の12月にあった皇族会議では、久邇宮邦彦王殿下と梨本宮守正王殿下が私を侮辱する発言をして、兄が激怒する事件があった。秩父宮さまと筑波宮さまはその皇族会議には出席していないけれど、他の皇族のほとんどは出席しており、兄が激怒するさまを目撃しているのだ。正確に言えば、久邇宮朝融王殿下はあの場にはいなかったけれど、父親の邦彦王殿下は事件の当事者だから、朝融王殿下にも6年前の件は伝わっているだろう。
(まぁ、こんな状況だから、兄上の譲位の件、男性皇族は全員賛成したんだろうけど、流石にこれは薬が効き過ぎじゃないかな、兄上……)
私がこっそりため息をついた時、玉座の後ろにある扉と、東溜の間の横にある扉が開いた。兄と迪宮さまが、同時に東溜の間に入ってきたのだ。皇族会議の参加者が一斉に立ち上がり、最敬礼をする中、侍従の甘露寺受長さんが押す兄が乗った車いすは、玉座のすぐそばにぴったりと付けられる。そして、兄が車いすから立ち上がり、右側にある玉座に移ろうと身体を動かした時、車いすの下部に足を取られた兄が上体のバランスを崩した。
「兄上!」
私は急いで前へと走る。皇族の席の一番上座にいる迪宮さま、秩父宮さまや筑波宮さま、そして私の弟・鞍馬宮輝仁さまも玉座のそばへ駆け寄った。
「あ、ああ……大丈夫だ」
玉座の前にある机に両手をついた兄は、私たちの方を振り返ると力無く微笑んだ。
「車いすを使ったのが久しぶりだったからな。でも、もう大丈夫だ。戻っていいぞ」
兄にそう言われても、また兄がよろめいてしまったらと考えると、この場から動くわけにはいかない。迪宮さまや秩父宮さまも同じ気持ちのようで、その場に立ち止まったまま、玉座に腰を下ろそうとする父親を見守っている。数秒後、兄は危なげなく玉座に座り、それを見届けた私たちは胸をなで下ろしながら各々の席に戻った。
そして、兄の譲位を認めるための皇族会議が始まった。
まず、宮内大臣の牧野さんから、兄の病状経過が報告された。内容は10月18日に行われたラジオ放送とほとんど変わらない。ちなみに、ラジオで牧野さんが兄の病状を発表した様子と、その直後に行われた兄の玉音放送の様子を収めたトーキーのフィルムは、10月下旬から全国の活動写真館で上映されているけれど、内容もあってか、すさまじい客の入りで、観客の中には毎日活動写真館に通っている人もいるそうだ。
牧野さんの報告が終わると、出席の皇族に意見が求められる。兄の呼びかけに応じ挙手をしたのは、私の義父・有栖川宮威仁親王殿下だ。
「ただいまの宮内大臣のご報告を拝聴しまして、そして、先日のラジオ放送で天皇陛下のご意思も拝聴しまして、今回の議案は可決すべしとの思いを抱いております」
皇族会議に参加する皇族には全員根回しがしてあり、義父が譲位に関する賛成意見を述べた後に議決を取り、兄の譲位に関する議案を満場一致で可決すると決まっている。既定のプログラムが粛々と進行していた。
「ご発病から3か月が過ぎ、誠に恐れ多きことではありますが、天皇陛下のお身体は元のようには動かず、天皇としての職務にご支障があるのは事実でございます。更に、天皇陛下ご自身が譲位を望まれ、皇位を継がれる皇太子殿下は、天皇陛下と同じく天資ご聡明であらせられます。この威仁は、天皇陛下のご意思に謹んで賛意を表明し、各位にも満場一致をもって可決されることを希望いたします」
義父が兄に一礼して椅子に座ると、兄が軽く頷く。そして、
「他に意見のある者はいるか?」
と兄は一同に問うた。もちろん、手を挙げる人間は誰もいない。
「では、決を取る。議案に賛成の者は立て」
兄の声に、男性皇族一同は立ち上がる。座ったままの男性皇族は誰もいなかった。
1928(大正13)年12月7日金曜日午前11時10分、皇族会議において、兄が来年3月1日に迪宮さまに譲位するという議案は満場一致で可決された。
(第1ラウンド、無事終了ね)
私はほっと胸をなで下ろした。
さて、本日の予定は皇族会議だけではない。午後1時からは、皇居・表御殿の西溜の間で枢密院会議が行われる。ただし、私は枢密院会議に出る資格はないので、表御座所の内大臣室で、枢密院会議が終わるのを待つことになる。
「これで、兄上の譲位に向けて一歩前進だね」
1928(大正13)年12月7日金曜日午後1時10分、皇居・表御座所にある内大臣室。私は大山さんとお茶を飲みながらお喋りをしていた。
「ええ」
大山さんは頷くとお茶を一口飲んだ。
「枢密院にも、伊藤さんたちが根回しをしています。昨日の予備協議も順調に終わり、枢密顧問官は全員譲位に賛成で一致したとのこと。まさか、今日の会議で反対者が出るはずがありません」
「兄上が出席している会議で、兄上の意思に逆らって決議に反対を唱える人は流石にいないわね」
私がこう言うと、大山さんは満足げに微笑む。枢密院会議では、まず、議長の黒田さんが、兄の譲位に関する議案を説明する。そして、枢密顧問官の1人である伊藤さんが賛成演説を行った後、議決が行われる。満場一致で議案が可決した後は、宮内大臣の牧野さんが、あらかじめ準備してある詔書を兄に差し出し、兄が詔書に署名した後、牧野さん、そして内閣総理大臣の原さんが副署をして、私が詔書に御璽を押す。その後、官報の号外が出され、兄の詔書が一般に公開されるのだ。
「もう間もなく、お呼びが掛かるでしょうが、それまではのんびり待ちましょう」
「そうね」
大山さんと私は頷き合うと、お互いの家族の近況について話し始めた。けれど、15分もしないうちに、内大臣室のドアが外からノックされ、
「失礼いたします。内府殿下、よろしいでしょうか」
と、外から声が掛かる。私が首を縦に振ると、大山さんが椅子から立ち上がり、ドアのそばへと向かった。
「内府殿下、枢密院会議は無事に終わり、陛下のご書斎に詔書を運ぶので準備をして欲しい、と……」
ドアの外にいる宮内大臣の秘書官と話した大山さんが、振り返ると私に告げる。「わかった。じゃあ、行こうか」と応じた私は、大山さんがドアを閉めると椅子から立ち上がった。
御璽と朱肉を持った私と大山さんが、奥御殿の兄の書斎の前にやって来ると、既に、原さんと、詔書の入った箱を持った牧野さんが待機していた。4人がそろうと、牧野さんが「失礼いたします」と声を掛け、書斎の中に入る。
「ああ、ありがとう」
表御殿から車いすで戻った兄が、私たちに笑顔を向ける。兄の傍らには、緊張した表情の迪宮さまも立っていた。
「こちらを……」
牧野さんが、詔書の入った箱を私に渡す。特別に書斎の下座に運び入れられた机の上で私は箱を開け、中に入った詔書の冊子を取り出すと、机の前に座る兄に差し出した。
「朕久きに亘る疾患に由り大政を親らすること能わざるを以て、皇族会議及枢密顧問の議を経て、大正十四年三月一日を以て皇太子裕仁親王に天皇の位を譲る。茲に之を宣布す……」
兄は低い声で詔書を読み上げると、筆を持ち署名する。兄が筆を置いたのを確認して、私は詔書を兄の机から下げ、下座の机の上に置く。牧野さんと原さんが署名をして、私が兄の署名の下に御璽を押すまで、兄の書斎は緊張した空気に包まれた。
「……っはぁ!」
御璽についた朱肉を拭い、箱の中にしまうと、緊張から解き放たれた私は大きく息を吐いた。
「これでいよいよ、譲位の手続きが正式に動き出す、ということね」
私の呟きに、
「ああ、いよいよだ」
兄が微笑んで頷いた。
「やらなければならないことがたくさんある。宮中の人事、俺と裕仁の引っ越し、国外への通知、改元……他にもたくさんあるだろう。挙げればキリがない」
指を折りながら言った兄に、
「他にもあります」
原さんが顔をぬっと突き出して言った。
「年明けからは、軍縮交渉が再び始まります。幸い、内府殿下のお声がけで、先月から続いていたルーマニア軍の怪しい挙動はなくなりましたが、ドイツとイギリスの間に火種はいくつもございます。交渉は困難なものになるでしょう」
「イギリスのジョージ5世の体調がお悪いのも気にかかります」
牧野さんも、原さんの横から言う。「重い肺炎に罹られたとか。幸い、抗生物質の投与で肺炎は改善しつつあるということですが、酸素吸入が必要な状態だそうで……エドワード皇太子が国事代行をしておりますが、予断を許さない状況です」
「そうだな」
牧野さんの言葉に頷いた兄は、そばに立つ迪宮さまを見上げた。
「俺は恵まれているな。俺の死という混乱に巻き込むことなしに、天皇の位を優秀な息子に継がせることができるのだから」
「はっ……!」
迪宮さまは兄に向かって深く頭を下げ、
「きっと、お父様と、国民の期待に応えてみせます。あと3か月を切りましたが、政治につき、そして天皇の職務につき、よろしくご鞭撻ください」
と、兄に向かって力強く言った。
「うん。……俺は本当に、いい息子を持った」
兄は迪宮さまに笑顔を向けた。
……こうして、1928(大正13)年12月7日金曜日午後2時。
後に“譲位詔書”と呼ばれることになる、兄の譲位を国内外に正式に表明する詔書が、官報号外をもって公布された。
※なお、文中の漢文調の文章は、実際の1921年の裕仁親王摂政就任時の勅語をベースに、それっぽくなるようにしたものです。送り仮名、言葉遣いなどが違っている可能性があることをご了承ください。




