秩父宮さまの婚儀
1928(大正13)年9月28日金曜日午前10時40分、皇居・奥御殿にある食堂。
いつも食堂に置かれているテーブルと椅子は片付けられ、食堂は急ごしらえの大広間になっている。上座に2つ並んで設けられた席の前に、侍従さんに車いすを押してもらいながら、大元帥の正装姿の兄が到着する。兄が自力で車いすから椅子に移ったタイミングで、鮮やかなグリーンの大礼服をまとった節子さまが食堂に現れ、自分の席に座る。いつも表御殿で行われている婚儀後の朝見の儀と同じように、侍従長の奥保鞏さんや侍従武官長の鈴木貫太郎さん、そして宮内大臣の牧野伸顕さんや私が、食堂の脇の方で立って待っていると、食堂の入り口に1人の青年が現れた。海兵中尉の正装に身を包んだ兄の次男・秩父宮雍仁さまだ。彼の後ろには、先ほど賢所で婚儀を挙げたばかりの勢津子さまがいる。五衣唐衣裳を着た彼女は、秩父宮さまについて、一歩一歩踏みしめるように歩いていた。
「本日は、私たちのために婚儀を挙げていただき、誠にありがとう存じます」
やがて、兄と節子さまの前に、勢津子さまと並んで立った秩父宮さまは、大きく、ハッキリした声で兄にお礼を言上する。26歳になった秩父宮さまは、現在、第1艦隊に所属する2等巡洋艦・“鬼怒”に勤務している。特別扱いを嫌い、一般の兵たちと苦楽を共にする姿勢を示す秩父宮さまは、国軍内での評価がとても高い。
秩父宮さまの隣に立つ勢津子さまは19歳、駐米大使・松平恒雄さんの長女……つまり、松平容保さんの孫である。ただし、元々平民籍だったため、恒雄さんの弟・松平保男子爵の養女となり、華族となってから秩父宮さまと結婚した。華族女学校に通っていたこともあるから、華族や皇族に接する機会はたくさんあったと思うけれど、この厳かな雰囲気に馴染めないのか、勢津子さまは傍から見て分かるほど緊張していた。
「今後は、勢津子と力を合わせ、国家のために尽くします」
決意を述べて最敬礼した秩父宮さまに、
「朝見の儀を、表御殿でやれなくてすまないな」
兄は苦笑しながら言う。
「そんなことは!」
頭を左右に振った秩父宮さまは、
「お父様のお身体のことを考えれば、当然のことです。それよりも、我々の晴れ姿をお父様とお母様にお目に掛けることができ、本当に嬉しゅうございます」
と兄に返答し、一礼した。
「俺も、お前と勢津子の晴れ姿を見られて嬉しいし、安堵した」
兄は秩父宮さまに笑顔を向けると、
「雍仁、勢津子と共に幸せな家庭を築いて、国家のために励め」
打って変わって真面目な表情になり、厳かな声で命じる。そして、兄は勢津子さまに優しい瞳を向けると、
「勢津子、色々と不慣れなことも多いと思うが、どうか、雍仁を支えてやってくれ。俺も節子も、お前の味方だからな」
慈愛に満ちた声でこう言った。
「は……はいっ!ありがとう、存じます……」
兄に声を掛けられるとは思っていなかったのか、勢津子さまは一瞬目を見開き、それから頭を深く下げた。
「雍仁、今後も、父陛下と兄のためにお励みなさい」
続いて食堂には、節子さまの凛とした声が響く。秩父宮さまが一礼すると、節子さまは勢津子さまを穏やかな目で見つめながら、
「勢津子さん、何か困ったことがあったら私に言いなさい。必ず、あなたの力になりますから」
と告げて、微笑んだ。
「はいっ……!」
勢津子さまは再び、頭を深く下げる。“困ったら力になる”……姑が嫁に贈る言葉として、最大級の優しさと気遣いが籠められた言葉だろう。顔を上げた勢津子さまの目には、涙が1粒光っていた。
兄と節子さま、そして秩父宮さまと勢津子さまの間で盃が交わされると、新郎新婦は食堂から退出する。2人の姿が見えなくなると、
「さて……書斎に戻るから、歩行器を持ってきてくれ」
兄は侍従さんに命じる。私の前世の知識を元に作られた四脚の歩行器を持って、侍従さんが食堂に戻って来ると、兄は自分の前にあった儀式用の机をどかせ、前に置かれた歩行器の手すりを掴んで立ち上がった。
「陛下、何も、ここでまでリハビリをなさらなくても……不整脈が起こってしまったら……」
牧野さんが心配そうに兄に言うと、
「歩き出される前のお上の脈拍は1分間に88でしたから、特に問題ありませんよ」
懐中時計を手にした節子さまが、兄の横に立って微笑みながら牧野さんに応じた。
「ああ、それなら大丈夫ね」
私は節子さまの味方をするべく、頷いてこう言った。「やれる時には、少しでもリハビリをする方が、回復は良くなるから」
「そういうことだ」
少しずつ前に進みながら、兄が笑顔で言った。「俺のせいで朝見の儀が始まるのが遅れたら大変だから、ここには車いすで来たが、朝見の儀が終わった後、俺の退出が少し遅れるのは問題ないだろう。ならば、少しでもリハビリをしないとな。……仕事がこれからある者は、俺を見送らずにさっさと食堂から出ろ」
こういう時の兄の命令には言葉通りに従わないと、兄が不機嫌になってしまうことを、兄のそばに仕える人間は知っている。奥侍従長と鈴木侍従武官長、そして牧野さんが退出すると、侍従さんと節子さま、そして私を従えた兄は、歩行器を使って食堂の出口へとゆっくり進んだ。
「やはり、進みはゆっくりだな」
歩行器を前に置いて、少しずつ足を動かしながら兄は言った。
「そうね。この状況だと、表御殿の改修が終わっても、歩行器や杖を使いながら儀式に出るのは難しいわね。やっぱり、車いすが必要かな」
先週の月曜日……17日に医療棟から奥御殿に戻った兄は、政務も奥御殿で行っていた。段差を一部スロープにしたり、壁に手すりをつけたりして、車いすや杖を使って移動しても使いやすいようにするバリアフリー化の改修を、表御殿でも始めたけれど、兄がこの状態では、兄が表御殿に出られるようになるまでには時間がかかるかもしれない。私が兄に話しかけた直後、
「でも、少しずつ、左足が前に出るようになっていますよ」
前かがみになった節子さまが、兄の足元を熱心に覗き込みながら言った。
「昨日は、左足はここまで動きませんでした。確実に、リハビリは進んでいますよ」
「それは間違いないが……節子、そんなに近づくと、ティアラが歩行器にぶつかるぞ」
兄が歩行器を持ち上げながら冷静に指摘すると、大礼服を着たままの節子さまは慌てて1歩下がる。先ほどまで節子さまの顔があったところスレスレを、歩行器は通過していった。
「……つまりは、何事も訓練だな」
そう言った兄に、「そういうことかしらね」と私が応じた時、兄の歩行器は、食堂から一段低い廊下に出るためのスロープに差し掛かった。
1928(大正13)年10月3日水曜日午前10時5分、皇居・奥御殿にある兄の書斎。
「陛下が譲位なさるという噂は、官僚や国会議員の間で相当流れております」
兄は現在、政務を奥御殿の自分の書斎で行っている。今、その書斎には、私と兄と迪宮さま、内大臣秘書官長の大山さんの他に、もう1人男性がいる。鞍馬宮家の別当で、日本の非公式諜報機関・中央情報院の総裁である明石元二郎さんである。
「噂は先月下旬から、宮内省を中心に流れ始めましたが、それが他の省庁に飛び火した格好です。おとといの天長節宴会に、天皇皇后両陛下のご臨席がなかったのが、噂の信憑性を高めてしまっております」
「人の口に戸は立てられぬ、とは、よく言ったものだな」
椅子に座っている兄は、顔に苦笑いを浮かべた。「宮家の当主、侍従長と侍従武官長、侍従や侍従武官たち、宮内省の幹部……俺が説得した者たちには口止めをした。それに、梨花会の面々も、説得した相手には俺と同じように口止めをしているが」
「今回の説得は、譲位という重大な事項に関するもの……並みの力量しか持っていない人間は、誰かに話をすることで、自分が話されたことの重みから逃れようとしますから、致し方ないでしょう」
明石さんは慰めるように兄に言うと、
「また、先月末、陛下のご病状に関する発表を宮内省が致しましたが、陛下がいまだにお一人ではご歩行ができないという文がありましたことから、新聞やラジオの報道は、陛下のご回復に悲観的な論調になっております」
更にこう続けた。
「その論調に刺激された一部の国粋主義者たちが、“陛下のご病状が回復しないのは侍医のせいだ”と思い込み、侍医たちの家に脅迫状を送り付けたり、高名な医師の自宅に押し掛け、侍医になるように強要しようと計画したりしております。また、“内府殿下を陛下の治療にあたらせろ”などと主張している者もおりまして……」
「な、なんちゅう世迷言を……」
呆れ返った私は、明石さんの報告に思わずツッコミを入れてしまった。
「私が臨床から離れて、何年経ったと思ってるのよ。簡単な業務ならともかく、第一線に立って患者の治療にあたるのは無理だってば」
すると、
「そう言えば、おじじ様が崩御なさった時も、梨花叔母さまが日本に戻れば、おじじ様の治療をなさって、おじじ様の病をたちどころに治してしまうだろうと書いていた新聞がありました」
私の隣に座っている迪宮さまが、こんなことを言い出した。
「それも無茶な論理よ。あなたのおじじ様、病気が見つかった時に私の時代に連れて行っても、手術ができなくて助けられない可能性が滅茶苦茶高い状態だったのに……」
私が顔をしかめてため息をつくと、
「ですが、あの時の国民には、そう考えて希望を持つことで、精神が崩壊するのを何とか食い止めていた者も大勢いたのです」
明石さんは冷静な口調で私に説明した。
「その時に比べれば、今の国民の動揺など可愛いものです。しかし、先ほど申し上げたように、看過できぬ行動に出ようとしている者もおりますから、適宜、警察と協力しながら検挙しています」
「それは是非続けてくれ。侍医が相談の上、納得して交代するのならともかく、他人に脅迫されて交代したならば、俺の治療が進まないからな」
兄が明石さんに厳しい声で応じると、私の後ろにいた大山さんが明石さんに視線を投げ、
「ところで、明石君。譲位に関して流れている噂は他にありますか?」
と尋ねた。
「……まことに恐れ多きことですが」
大山さんに問われた明石さんは、兄に向かって頭を下げると、
「官僚や国会議員たちの間では、譲位の話が出てきたのは、原総理と牧野宮内大臣の陰謀だという説が、まことしやかに囁かれております。一部、国粋主義者たちの間でも……」
沈痛な声でこう報告した。
「やはり、か」
頷いた兄は、
「明石総裁、原と牧野大臣はもちろんだが、梨花会の面々と閣僚たち、それから宮内省の幹部たちの警護を強化してくれ。もちろん、裕仁と梨花の警備もな」
明石さんに厳しい声で命じた。
「あ、兄上、迪宮さまは分かるけど、なんで私の警備も強化しないといけないの?」
「お前は内大臣だろう!」
私が恐る恐る質問すると、兄は私に怒鳴り声を叩きつけた。
「天皇を常時輔弼する……すなわち、最も天皇のそばにいる存在だ!“君側の奸”と思われやすい立場ではないか!」
「あ、兄上、分かったから落ち着いて!」
私は椅子から立ち上がった。今の怒りで、兄の不整脈が誘発されてしまったら大変なことになる。
「……かしこまりました。では、また何かありましたら報告いたします」
明石さんが一礼して音もなく兄の書斎から去ると、私は兄の左手首を掴み、脈を確認する。幸い、兄の脈は規則正しく打っていて、頻脈にもなっていなかった。
「ところで、梨花」
兄の脈に異常がないか、念入りに確認していると、兄が私に呼びかけた。
「お前、内大臣を辞めたらどうするか、思いついたか?」
「……全然」
私は左右に首を振ると、兄の手首から手を離した。政務の合間や休日に、色々と考えているけれど、明快な結論はまだ出せていない。
「臨床から何年も離れているから、国軍病院や師団の軍医として働くのは無理ね。かといって、国軍省の本省で事務を担当したら、医務局長が私の顔色をずっと窺っちゃうし……」
私が兄にこう言ってため息をつくと、
「梨花さまは、日本の医療界における帝王でございますからな。国軍医務局長など、相手になりませんな」
大山さんがすかさず、おどけた調子で言う。
「……だから、ちょっと異例だけど、参謀本部付にしてもらって、全国のお城を見て回りながら暮らすのが一番いいかしらね」
私は大山さんの言葉を無視して、兄にこう答えた。
この時の流れでは、軍籍のある皇族は大将まで昇進すると、参謀本部付になる慣例がある。参謀本部付の皇族には、やらなければならない仕事は特にない。更に言えば、国軍省や参謀本部に出勤する義務すらない。要は、名誉職である。……もし、私が内大臣にならずに、軍医として働き続けていたら、多分今頃は中佐になっていたと思うから、大将には全然届かないけれど、それでもこの場合は、私を敢えて名誉職につけてもらって、医務局とのかかわりを完全になくすのが、医務局にとっては最善のシナリオだろう。
すると、
「僕は、梨花叔母さまに、内大臣のままでいて欲しいのですが……」
迪宮さまは寂しげに微笑み、私にこんなことを言う。
「いやぁ、流石に、2代の天皇に内大臣として仕えるのは異例過ぎるでしょ。私は、西園寺さんに議員を辞めてもらって、西園寺さんに内大臣をやってもらうのが一番いいと思うよ」
私は甥っ子に苦笑しながら答えた。今の枢密院会議の状況を考えると、内大臣を枢密顧問官である梨花会の人間から選ぶと、枢密院がコントロールできなくなる恐れがある。けれど、梨花会に所属する国会議員が帝国議会から1人抜けても、帝国議会のコントロールは問題なくできる。
それに、迪宮さまには大変申し訳ないけれど、私はあくまで、兄の内大臣なのだ。もちろん、迪宮さまには皇族として、軍人として忠義を尽くすけれど、内大臣として忠義を尽くすことはできない。だから兄の退位と同時に、私は内大臣を退き、後任の内大臣は西園寺さんにお願いする……私はこう考えていた。
「内大臣を辞めても、週に1度は俺のところに来いよ」
兄は私に向き直ると、真剣な表情で私に言う。
「お前は俺の主治医なのだからな」
「分かってるよ。ちゃんと往診する」
私が兄に笑顔で応じると、兄も嬉しそうに頷いた。




