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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第80章 1927(大正12)冬至~1927(大正12)年(2回目の)冬至
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愛知の特別大演習

 1927(大正12)年11月14日月曜日、国軍の特別大演習が始まった。

 年に1度行われる特別大演習は、大正に入ってから、即位礼や新型インフルエンザの流行を避けるために10月に行われることもあったけれど、ここ数年は11月7日の明治天皇祭の直後に行われている。演習地は大体東京から離れた場所になるので、特別大演習を統監する兄は毎年地方に移動する。更に、迪宮(みちのみや)さまも6年前から特別大演習に参加して、兄の統監ぶりをそばで見学するようになったので、国軍特別大演習は年に1度の国軍の大イベント、という観が年々強くなってきていた。

 今年の演習地は愛知県の東部だ。東軍は第1軍管区司令官の山階宮(やましなのみや)菊麿(きくまろ)王殿下が、西軍は第3軍管区司令官の宇垣(うがき)一成(かずしげ)歩兵中将が司令官を務める。浜松方面から西に進軍する東軍を、名古屋方面から東に移動している西軍が迎え撃つ、というシナリオに従って、演習4日目の17日まで演習が繰り広げられる。恐らく、矢矧川のラインで、東西両軍の激しい攻防が繰り広げられるだろう……それが事前に立てられていた予想だった。

「……なのにどうして、知多半島に東軍が上陸して、西軍も渥美半島に上陸して、戦線が滅茶苦茶になっているのかしら。しかも、夜陰に紛れた東軍潜水艦部隊の襲撃で、西軍の輸送船部隊が全滅判定を食らっているし、……本当に訳が分からない」

 1927(大正12)年11月15日火曜日午前9時15分。愛知県幡山村(はたやまむら)に設けられた野外統監部に徒歩で向かっている私がこう呟いてため息をつくと、

「それが国軍大演習というものでしょう、叔母さま」

私の声を聞きつけた迪宮さまが、私に微笑を向けた。今日はこれから、迪宮さまと一緒に野外統監部を視察するのだ。

「陸・海・空の連携した作戦が取れなければ、この大演習で勝利することはできません」

「その通りなんだけどねぇ……」

 私は甥っ子に応じると、軽く口を尖らせる。実は、迪宮さまは、軍事に関しては非常にしっかりした教育を受けている。それはもちろん、将来、天皇として、大元帥として、国軍のトップに君臨しなければならないからだ。対する私は、軍事に関する知識は、各分野のほんのさわりのところを軍医学校で学んだだけだ。だからいつも、国軍大演習で飛び交う軍事の専門的な会話には、追いつくのに苦労する。

(大山さんにバレないようにしないと。“ご教育が必要ですな”なんて言われたら大変だわ)

 私がこっそりこう考えていると、

「内府殿下、一度、阿南(あなみ)君から、陸上戦闘一般について、講義を受けてみてはいかがでしょうか?」

私より15mほど後ろにいたはずの大山さんが、いつの間にか私のそばにいて、微笑しながら私に提案した。自分の名前が聞こえたので慌てたのか、前を歩いていた東宮武官の1人・阿南惟幾(これちか)歩兵中佐がこちらを振り向く。

「つ、謹んで遠慮させていただきます、はい」

 私が阿南中佐に深々と一礼すると、大山さんがクスっと笑った。

 野外統監部は、例年と同じように混乱していた。戦闘が様々なところで発生しているので、情報を処理しきれていないのだ。しかも、皇太子と内大臣が視察に訪れ、自分たちの仕事ぶりをじっと観察している。野外統監部で仕事をしている人間の大半は国軍大学校の学生だけれど、天才・秀才揃いの彼らでも、この多大なプレッシャーがかかる状況では、自分の実力を発揮しきれないだろう。

 けれど、ただ1人だけ、そんな緊張を感じさせない人間がいた。航空の兵科色である空色の軍服を着た彼は、「うーん、分かんねぇなぁ」とぼやきながら、机の上に置かれた地図を見下ろしている。彼は私の弟、今年の9月に国軍大学校に入学したばかりの鞍馬宮(くらまのみや)輝仁(てるひと)さまだった。

「輝仁さま」

 そばに寄って弟に声を掛けると、

「うわっ、(ふみ)姉上」

彼は飛び退くようにして私から身体を離した。

「何でここにいるんだよ?」

「視察よ、視察。気づいてなかったの?」

「うん、全然。考え事してたから」

 どうやら、弟が緊張していなかったのは、単に私と迪宮さまの存在に気が付いてなかったかららしい。私は弟に苦笑いを向けると、「考え事って、何?」と彼に尋ねた。

「いや、この地点で、東軍の戦車部隊が10%の損耗を出したって判定されたんだけど……」

 輝仁さまは私に答えながら、机の上の地図のある一点を指さす。

「周囲に、攻撃を加えられそうな西軍がいないんだ。もちろん、西軍の空爆もないしさ。ただ坂を上っていただけの戦車部隊が、どうして損耗判定をされたんだろう、って思って……」

 すると、

「罠が仕掛けられていたようですな」

大山さんが、横からぬっと首を突き出した。

「西軍の工兵部隊が、1.5mほどの高さの崖があるところに、薄い板を幅100mほどにわたって立てかけたようですな。板の上には薄く土をかけ、雑草なども植栽して、戦車でも上れる坂があるように見せかけた、と……。東軍の戦車部隊はそれを知らずに、全速力を出して板の上に乗ってしまい、前にいた戦車が板を踏み抜いて、そのまま崖に激突したとのこと。それで損耗判定となった……と、この電文に書いてございますよ」

 大山さんはそう言いながら、1枚の紙を輝仁さまに突きつける。輝仁さまの顔が、見る見るうちに青くなった。

「考えることはもちろん重要ですが、それに拘泥すれば、情報の処理が疎かになります。考えることも情報を処理することも、最大速度でやらなければ、この統監部では働けませんよ」

 大山さんの重みのある言葉に、輝仁さまは背筋を伸ばすと、「は、はい、大山閣下」と返事して敬礼する。皇族を容赦なく注意する言葉を耳でとらえ、驚きで一斉に顔を上げた野外統監部の尉官たちは、注意した人間が、数少ない歩兵大将の1人であり、しかも、中央情報院の初代総裁でもある大山さんだと知るとサッと一礼し、それぞれの仕事に素早く戻った。「頑張ってね」と小声で輝仁さまにエールを送ってから、私は統監部内を熱心に観察している迪宮さまの近くに行き、

「どう?有望そうな人、いる?」

と小さな声で聞いた。

「あの機動大尉と、海兵大尉でしょうか……。凄まじい情報量を、落ち着いて処理しているように見えます」

 私の質問に、迪宮さまは左方を指し示しながら答える。機動の兵科色である灰色の軍服を着た男性と、海兵の兵科色・紺色の軍服を着た男性が、並んで椅子に座り、紙に鉛筆を走らせている。その2人の周囲だけ、机の上に積まれた電文の山の高さが低かった。

「機動大尉の方は、栗林(くりばやし)忠道(ただみち)です」

 私の隣に戻った大山さんが、私と迪宮さまに小声で告げる。

「海兵の方は、高木(たかぎ)惣吉(そうきち)です。2人とも、国軍大学校の3年生ですな」

「栗林さんと高木さん……」

 私は記憶を必死に検索する。どうも、栗林さんの名前に聞き覚えがある。最近聞いた記憶がないということは、前世で聞いたのかもしれない。

(ああ、そうか……)

「硫黄島、か……」

 思い当たる記憶を見つけた私が呟くと、

「叔母さま、どうなさいましたか?」

迪宮さまが心配そうに私を見つめる。

「……話が長くなるから、後で話すね」

 私は迪宮さまに営業スマイルを向けた。思い出した。栗林さんは、前世の父がテレビで観た映画に登場していたのだ。太平洋戦争末期、硫黄島を巡る日本軍とアメリカ軍の戦いで、アメリカ軍を散々苦しめた後に散った日本軍の司令官として……。

「なるほど。()()にはしてよさそうですな。陛下ともご相談の上で、ですが」

 大山さんは小声で言うとニッコリ笑った。

 実は、10年前の特別大演習で、堀さんと山下さんを見出してから、私と大山さんは、特別大演習の時に、優秀な軍人を探すことにしている。例え、梨花会に入れるほどには能力が伸びなかったとしても、彼らを継続的に鍛えて能力を伸ばすことは、将来の国防にプラスになると考えたからである。そうやって、今までに私と大山さんに見出された人には、山口多聞(たもん)さんや、井上成美(しげよし)さんなどがいる。ちなみに、東宮武官の阿南さんも、数年前の特別大演習で私と大山さんに見出され、梨花会の面々によって鍛えられている人の1人である。

「今年は統監部で2人いましたか。豊作ですね」

 微笑む迪宮さまに、

「まだ分からないわよ。増える可能性も減る可能性もあるから」

私も微笑んで答える。まさか私たちに品定めをされているとは知らない野外統監部の人々は、談笑しながら立ち去る私と迪宮さまを緊張の面持ちで見送っていた。


 特別大演習3日目の11月16日も、私は兄と迪宮さまにくっついて、愛知県の東部を駆けずり回った。当初の予想と違い、東西両軍は、矢矧川のラインだけではなく、知多半島でも激闘を繰り広げている。私たちは原野を馬で駆けたり、港から船を出して海岸を巡ったりして、東西両軍の戦いを視察した。

 午前11時頃、東軍が何としてでも上陸をしようとしている知多半島の最南端・羽豆(はず)岬周辺の激戦地を視察した後、私たちは知多半島の丘陵地帯を北に向かって馬を走らせていた。羽豆岬から鉄道の駅がある横須賀町までは、20km以上の距離がある。途中、武豊町(たけとよちょう)のあたりで小休止を取った時、兄が馬を私の乗った馬に近づけて、

「梨花、このあたりはため池が多いな。日照りが多い土地なのか?」

と私に尋ねた。

「そうだね。だって、大きな川がないもん。それは渥美半島もだけど」

 前世では名古屋で育ったので、このあたりの知識は少しはある。私は兄に即座に答えた。

 すると、

「梨花叔母さま、叔母さまの時代にも、知多半島と渥美半島は日照りが多かったのですか?」

私のすぐそばにいた迪宮さまが、私に質問を投げた。

「そんなでもなかったと思うわ。用水路ができていたから。ええと……知多半島が愛知用水で、渥美半島が豊川用水って名前だったかな」

 私は甥っ子に小声で答えると、

「今、愛知用水と豊川用水って、建設できるのかしら?確か、両方とも、“史実”で建設されたのは戦後だったのよね……」

遠くを睨みながら呟いた。

「試す価値はあると思うぞ」

 私の呟きを拾った兄が、微笑んで言った。

「“史実”で建設されたのが戦後になったのは、日中戦争や太平洋戦争で、国家予算が軍事に取られ過ぎたからかもしれない。徴兵されて、工事に従事できる人間の数も減っていただろう。しかし、この時の流れではそんなことはないのだから、愛知用水と豊川用水の建設を始めてもいいのではないか?もちろん、日照りに悩む地域は他にもあるし、他にもやらなければならない工事はあるから、事業の優先度はよく考えなければならないが」

「そうか……そうね」

 確かに、兄の言う通りだ。私が微笑して頷くと、

「後で、原閣下や後藤閣下に聞いてみましょうか。ですが、こちらにいる時に会う機会があるでしょうか……」

迪宮さまは早くも、得られた知見を閣僚たちに投げる機会があるかどうかを考え始めたようで、具体的な日程まで私に確認する。

「演習の最後にある賜餐(しさん)の時には会えるでしょ。ただ、その時に話に出せるかは分からないわよ。それに、知多半島や渥美半島の実情も知っておくべきね。確か、知事さんや県の部長クラスの職員さんたちとは、何日か後に会食する予定があるから、そこで聞いてもいいかもしれないわね」

 私が迪宮さまにこう答えると、

「そうだな」

兄は満足げに笑う。そして、

「ふう……この国を、少しは良くしてきたつもりだったが、まだまだ、手直ししなければならない所は多いな。いつまで経っても仕事が終わらない」

兄はこう言って軽いため息をついた。

「……まぁ、1個ずつ、片付けるしかないわね。私も頑張るわよ、兄上」

 私が兄に笑顔を向け、

「そうです。僕も微力ながら、お父様(おもうさま)をお手伝いします」

迪宮さまも真面目な表情でこう応じると、

「そうか。……ならば俺も、頑張るしかないな」

兄は屈託のない笑顔で私たちに言った。

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