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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第77章 1924(大正9)年秋分~1925(大正10)年春分
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母にはできないこと(1)

※三浦先生の肩書を修正しました。(2024年10月19日)

 1925(大正10)年1月20日火曜日午後2時15分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。

「梨花」

 午後の政務が終わった途端、兄が私を呼んだ。無言で兄の方に振り向くと、

「今日はこれから、お前のやりたいことをするといい」

兄は優しい声で私に言った。

董子(ただこ)どのの診察と看病で疲れているだろう。今日はこのまま帰ってもいいし、終業時刻まで内大臣室で昼寝してもいい。もちろん、いつものようにここで喋ったり、散歩をしたり馬に乗ったりしても構わないが……」

 心配そうに私を見つめ、優しい声で話し続ける兄に、

「じゃあ、江戸城の遺構を見て回る」

私は迷わずに答えた。

「お祖母(ばあ)さまの看病があったから、週末に石神井(しゃくじい)城址に行けなかったのよ。しかも今日は午前中、歌御会始で公開処刑されたから、もうストレスが溜まってしょうがなくて……」

「おいおい、今年の梨花の和歌、そんなに言うほどひどかったか?素直でいいと俺は思ったが……」

「だーかーらぁー!」

 歌御会始で披露されてしまった私の和歌の話を蒸し返されそうになり、私は兄に向かって全力で叫んだ。

「他の歌から明らかに浮いてたじゃない!言葉遣いとか、言葉の選び方とか……ああ、もう、思い出したくないことを思い出させないでよぉ……」

「分かった、分かった、すまなかったな、梨花」

 兄は私の頭を右手でわしゃわしゃと撫でると、

「さて、行こうか。どこに行きたい?」

そう言いながら私の手を握った。

「いや、ついてこなくていいよ。1人で行くからさ」

「ダメだ。お前が1人で江戸城の遺構の見学に行ったら、日が暮れるまで戻ってこないに決まっている」

 兄の手を振り解こうとすると、兄は握った手にものすごい力をこめ、私の動きを封じてしまう。どう頑張っても兄の力に勝てないことを悟った私は、おとなしく兄に手を引かれながら外に出た。

「……で、董子どのの具合はどうなのだ?」

 2人で歩いて旧本丸に入ると、兄が私に尋ねる。私の義理の祖母で有栖川宮(ありすがわのみや)の先代・熾仁(たるひと)親王の妻である董子妃殿下は、5日前の1月15日から発熱して病床にあった。診断は肺炎で、現在、東京帝国大学医科大学名誉教授の三浦謹之助(きんのすけ)先生により、点滴で抗生物質が投与されている。

「昨日の朝から、熱は37度前後に戻ってね。痰も少なくなってきたから、抗生物質は効いていると思うわ」

 私は兄に答えると少し顔をしかめた。

「ただ、食欲が戻らなくて……1日におかゆ1杯食べるのがやっとなの。水分は取れるんだけどね」

「そうか……」

「お祖母(ばあ)さま、この6月で70歳なのよねぇ。伊藤さんや山縣さんより年下だけど、病気になってから、元気が全然なくて……」

「比較対象が間違っているぞ、梨花。董子どのを、老いてなお盛んな連中と比べてはいけない」

 暗い声で言葉を紡いだ私に、兄がツッコミを入れる。

「その通りなんだけど、あの人たちを見ていると、この時代の平均寿命は私の時代と同じだと思っちゃうのよ。実際には、もっと短いってことは分かっているのだけどね」

 兄のツッコミに真面目に応じると、私はため息をつく。もし、このまま食事が進まなければ、義理の祖母には死の運命が待ち受けている。人はいずれ死ぬものではあるけれど、義理の祖母には、もっと長生きしてほしいのだ。

 と、

「梨花」

兄が私を優しい声で呼んだ。

「もし董子どのの病状に変化があったら、ちゃんと仕事を休めよ」

「兄上……」

「場合によっては、介護休暇を使ってもいいのだ。お前が仕事も、董子どのの看病も頑張り過ぎて倒れてしまうのが、一番よくないことだからな」

「うん」

 私は軽く頷くと、

「ありがとう、兄上。どうしてもの時には、介護休暇を取らせてもらうね。こういう時のためのものだしね」

そう言って、兄に深く頭を下げた。

「ああ、是非そうしてくれ」

 私に答えた兄は、

「董子どのに、“どうか身体を大事にしてくれ”と伝えてくれ。それから、梨花も無理をしないようにな。お前は俺の、大事な内大臣なのだから」

そう言いながら、私の頭をそっと撫でた。


 1925(大正10)年1月23日金曜日午後6時10分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。

「じゃあ、お祖母(ばあ)さま、息を吸って……吐いて……」

 私の義理の祖母・董子妃殿下は、普段寝室として使っている2階の和室で病床についている。今は布団の上に上体を起こし、私と、そして私の隣にいる三浦先生に、背後から肺の聴診をされているところだった。

(少し、痩せたかしら、お祖母(ばあ)さま……)

 左右の呼吸音を比べながら、私は義理の祖母を観察する。初めて熱を出した時より、彼女の身体の肉は少し落ちているような気がした。

「……はい、よろしゅうございます。ありがとうございました」

 やがて、私の隣で一緒に聴診をしていた三浦先生が、聴診器の耳管を耳から外しながら言った。私も素早く聴診器を耳から外し、義理の祖母が寝間着を整えるのを手伝っていると、

「お夕食は召し上がれましたか?」

三浦先生が彼女に尋ねた。

「ダメね」

 三浦先生の言葉に、義理の祖母は首を微かに横に振った。

「さようでございますか」

 三浦先生は穏やかに応じると、

「右下葉の水泡音は、先週の金曜日と比べて良くなってきております。抗生物質が効いているのでしょう」

董子妃殿下に簡単に現在の状態を説明した。

「また明日、参ります。どうぞお大事になさってください、妃殿下」

 三浦先生は診察カバンを整理すると、董子妃殿下に一礼し、和室を静かに退出する。彼女の寝間着を整え終わった私も和室から出て、三浦先生と一緒に1階にある応接間に入った。そこには、私の義父・有栖川宮威仁(たけひと)親王殿下と、私の義母・慰子(やすこ)妃殿下が、硬い表情で待機していた。

「いかがでしたか三浦先生、嫁御寮どの、義母上(ははうえ)の病状は……」

 三浦先生の後から応接間に入った私がドアを閉めると、義父が早速質問を投げた。

「右下葉の水泡音は改善してきています。ここ3日間、37度以上の発熱はありませんし、呼吸数も増えていません。抗生物質の投与で肺炎が改善しているのは間違いないでしょう」

 テーブルの上に置いてある、大山さんの奥様で看護師の資格も持つ捨松さんが記載した温度板に目を通しながら、三浦先生は義父に答えた。

「問題は、お食事が進まないことです。昨日はアイスクリーム少量にコンソメスープ100ml、それから粥が100gでしたが、今日は朝から食物は何も口にされていません。今朝からお飲みになった経口補水液は300ml……その他の水分もお飲みになっておられない。食欲増進に効果のある生薬も投与しておりますが、食欲の戻る気配がございません」

 私は三浦先生の淡々とした説明を黙って聞いていた。

「拝診させていただいても、胃腸に問題はございません。それに、吐き気も全く無いということですが……。このままでは脱水状態に陥りますし、生命活動を維持するだけの栄養が得られず、最悪の結果を招きます。ですから、ご自身の口で水や食物を摂取していただく以外の方法で、水分や栄養を身体に投与するか……それを考えなければなりません」

 そこで一度口を閉じた三浦先生に、

「先生、その場合、具体的にはどのような手段を取ることになるのでしょうか?」

私の義母が心配そうに尋ねた。

「もし、水分だけを投与するのであれば、今、抗生物質を投与させていただいているように、血管からある程度の水分を投与することができます」

 三浦先生は表情を変えず、淡々とした調子で答えた。

「また、栄養を投与する場合は、牛乳やスープなどの流動物を、ゴム管を鼻の穴から胃に通して投与することになります。経鼻胃管(けいびいかん)、と専門的には申しますが……しかし、ゴム管を通す時に嘔吐なさって、吐しゃ物が気管に入って肺炎を引き起こしたり、ゴム管が誤って気管に入ってしまったりすることもあります。そして、ご自身の口で十分な栄養摂取が可能と判断されるまでは、ゴム管はずっと入れておくことになりますので、常にのどに違和感がある状態になります」

「「……」」

 ますます表情を硬くした義両親に、

「どうするかは、明日の状況で判断致します。もちろん、董子妃殿下が嫌がられるのであれば、今ご説明申し上げた処置はできません。そのことをご留意くださいますようお願い申し上げます」

三浦先生は淡々と述べると深く一礼し、「本日はこれで失礼致します」と言って応接間を後にする。三浦先生を玄関まで送ろうと思って私も応接間を出ると、ドアのすぐそばで三浦先生が立ち止まっているのが目に入った。原因はすぐに分かった。三浦先生の前に、私の長女の万智子(まちこ)が立っていたのだ。

「三浦先生、ひいおばあ様はお元気を取り戻されるのですか?」

「万智子、先生はお帰りになるのだから、邪魔をしてはダメよ」

 三浦先生の進路に立ち塞がるように立つ万智子に注意すると、

「構いませんよ、内府殿下」

三浦先生は春風のような微笑と共に私に答え、

「……病気は制圧されつつありますが、このままお食事が進みませんと、お身体が弱って、それでお命を落としてしまわれます」

今度は万智子の方に身体を向け、優しい声で説明した。

「そうですか……ひいおばあ様、私が勧めても、ちっともお食事を召し上がってくださらないから……」

 うつむいて呟くように言った万智子はすぐに顔を上げ、

「三浦先生、ひいおばあ様の食欲が増すようなお薬はないのですか?」

また三浦先生に質問をする。

「効果があると言われる生薬を、いくつか使わせていただいておりますが、効果は出ておりませんね」

 三浦先生が静かに首を横に振ると、

「では先生、少しの量を取るだけで、あらゆる栄養素をいっぺんに補えるような食べ物はありませんか?そういうものを少しでも召し上がることができれば、ひいおばあ様もお元気になられると思うのです」

万智子は更に三浦先生に問うた。

「……要するに、完全食ということかしら?」

 私は首を傾げながらこう言った。健康を維持するために必要な栄養を全て含んだ食事や食品は、“完全食”と呼ばれることがある。残念ながら、自然界にはそう言った食物はまだ見つかっていないけれど、ほとんどすべての栄養素を補える食品ならいくつかある。

「完璧な意味での完全食は無いけれど、それに近いものはいくつかあるわね。例えば、玄米は完全食に近いけれど、玄米はビタミン……えーっと、何が足りなかったかしら……」

 ビタミンに関しては、私のせいで、“史実”と発見の順番が変わってしまったので、“史実”のそれと名称が異なっている。“史実”のビタミンBが、この時の流れではビタミンAで、“史実”のビタミンCは、この時の流れではビタミンBで、“史実”のビタミンAがこの時の流れでビタミンCで……と私が必死に頭を整理していると、

「玄米には、ビタミンBとビタミンCがほとんど含まれていないのですよ。それから、カルシウムもですね」

三浦先生が万智子に答えてくれた。つまり、“史実”でのビタミンCとビタミンAが、玄米には欠けているらしい。

「それから、卵や牛乳、サツマイモなども、完全食に近いでしょう。しかし、卵にはビタミンBと炭水化物が、牛乳にはビタミンBが、サツマイモには脂質とタンパク質がほとんど含まれていません」

「あとは納豆とリンゴ……でしたっけ。ただ、納豆はビタミンBとビタミンCが無いし、リンゴはサツマイモと一緒で、脂質とタンパク質がほとんど無いんですよね」

「内府殿下の仰せの通りです。ですから、食事は様々な食品を組み合わせ、必要な栄養素をまんべんなく摂取できるようにすることがとても大切なのです」

 三浦先生と私の説明を三浦先生が締めてくれてから、

(ひょっとしたら、これ、マニアック過ぎるかしら?)

私は今更そのことに気が付いた。しかし、娘は首を傾げるような様子はなく、私と三浦先生に更に質問を投げることも無かった。

「三浦先生……もし、水分補給の点滴や、経鼻胃管からの栄養投与を始めることになったら、私、介護休暇を取ります。もちろん、そうでなくても、いよいよとなったら、休暇を取るつもりですけれど」

 私が三浦先生にこう告げると、三浦先生は「恐縮でございます」と答え、私に向かって最敬礼した。

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