優しい嘘(1)
1923(大正8)年11月13日火曜日午前9時、東京市本郷区本富士町にある東京帝国大学医科大学付属病院。
「……先生、内府殿下がいらっしゃいましたよ」
関東大震災の発災当初は、この医科大学附属病院にもたくさんの怪我人が押し寄せ、病院全体が混乱した状態が10日ほど続いたらしい。しかし、それから2か月余り経った今は完全に落ち着きを取り戻し、病棟は静けさに包まれている。そして、その静寂の中にある内科病棟の一室を私が訪れると、ベッドのそばに立っていた東京帝国大学理科大学地震学教室の助教授・今村明恒先生が、ベッドに横たわる人に声を掛けた。
「内府殿下……?」
ベッドに寝て、点滴を受けている男性が目を開けた。
「今村君、本当に内府殿下がいらしているのかね?ぼんやりして、よく見えないが……」
そう言いながらベッドから身体を起こそうとしたのは、東京帝国大学理科大学地震学教室教授の大森房吉先生だ。けれど、上体を少し起こしたところで、大森先生は顔を歪め、それ以上身体を動かせなくなった。
「先生、無理をなさらないでください。私は医者ですから、先生が寝ていらっしゃっても気にしません。どうか、一番楽な姿勢を取ってください」
私がベッドのそばに両膝をつき、慌てて大森先生に話しかけると、
「ああ、内府殿下のお声だ」
ベッドに身体を埋めた大森先生は微笑んだ。
「大変失礼いたしました。近頃、物がますます見えづらくなりまして……。人がいるというのが、やっと分かる程度なのです」
「そうでしたか」
(複視……前にお見舞いした時より、ひどくなってる……)
私は動揺を悟られないように普段通りの声を作り、大森先生に微笑んだ。
今年の6月、大森先生は頭痛や吐き気などに襲われ、体調を崩した。この医科大学付属病院で検査を受けた結果、その症状は、現在の技術では摘出できない部位にある脳腫瘍が原因となっていることが判明した。それから数か月、大森先生は療養の傍ら、地震の観測やデータの取りまとめを続けていたけれど、先月の末、立ち上がれなくなって医科大学付属病院に入院したのだ。
「内府殿下、復興の方はいかがですか?」
ベッドに横たわった大森先生は、顔を私に向けて尋ねた。
「少しずつ進んでいます」
大森先生に見えているかどうか分からないけれど、私は笑顔を作って答えた。「本当は、一足飛びに全ての手続きを終わらせたいですけれど、なかなかそういう訳にはいきません。帝国議会の臨時会を始めたくても、国会議員を招集するのに時間が掛かります。鉄道が復旧しきっていない今だと猶更ですね。それでも、来月の3日には帝国議会の臨時会を開いて、復興関連の特別予算を審議することが決まっていますから、段々復興も進んで行くでしょう」
「なるほど」
相槌を打った大森先生は、
「私としては、少しもどかしい思いもあるのですが……内府殿下の時代ですと、もう少し、復興に関して行政が動くのにかかる時間は短いのでしょうか?」
更に私に尋ねた。大森先生も今村先生も、私に未来の知識があることを知っている。だからこそ、こんな質問を私にしたのだろう。
「どうでしょうか。私の時代の行政には余り詳しくないですけれど、通信や機械の発展で、短縮できる時間はあると思います。でも、政策立案やそれを成立させるために必要な根回しに必要な時間は変わらないと思いますから、復興に関して行政が動くには、それなりの時間がかかるでしょうね」
私はここで一度言葉を切ると、
「夢のあることが言えなくて申し訳ありません」
そう言って大森先生に一礼した。
「いえ……」
大森先生は僅かに頭を横に振った。
「けれど、先生と今村先生が、防災訓練を充実するように提言なさらなかったら、関東大震災でもっと多くの命が失われ、もっと夢の無い話を大森先生にしなければならなかったでしょう。先生と今村先生には、感謝してもしきれません」
私がこう言って、大森先生に深く頭を下げると、
「それは……内府殿下のおかげでしょう」
大森先生は少し顔を歪めた。
「内府殿下がご存知だった未来の地震の情報に従って、私は動いただけ。数十年前、内府殿下にお話を伺ってから、何とかして関東大震災を予測できる客観的な証拠を見つけ出したいとあがいてみましたが、それもむなしい努力に終わりました」
「むなしい努力ではないと思います」
私はベッドに手を伸ばし、大森先生の左手を取った。「先生の観測結果、その後に続く観測結果……。私は地震学の専門家ではありませんけれど、地震に関することは、数十年、いや、100年単位で結果を俯瞰して、解釈しなければならないものだと思います。先生が観測なさらなければ、観測結果は残りません。先生がなさったことが、学問の発展を作っていくのです」
すると、
「そうか……そうですな……」
大森先生の口元が少し緩んだ。
「未来をご存知の方が、そう言ってくださるのです。ならば、私も、地震学の発展に少しは貢献できたということでしょう」
私は大森先生の手を取ったまま、黙って頭を垂れた。
「……今村君」
沈黙に覆われた病室に、大森先生の細くなった声が響いた。
「はい」
ベッドに横たわる大森先生に、今村先生が身体を近づける。すると、大森先生は目を大きく開いて、
「今村君、君は観測を続けて、その結果の解釈の糸口を見つけ出すんだ。昔……君が大学院生だった時、内府殿下から伺ったプレートテクトニクスの話をすぐに理解できた君ならできるはずだ。……そうだな、1995年の阪神大震災は無理でも、2011年の東日本大震災は、内府殿下の知識に頼らなくても正確に予知できるよう、地震学を発展させたい。……君は、その礎になるんだ。私の屍の上に……」
1つ1つの言葉を噛みしめるかのように、今村先生に言う。それが遺言だというのは明らかだった。
「はい……」
一言返答したきり、無言で涙をこぼしている今村先生のそばで、私は必死に涙を堪えていた。
1923(大正8)年11月16日、容態が急変し、大森先生は亡くなった。
57歳だった。
1923(大正8)年11月17日土曜日午後2時20分、東京府大井町にある枢密顧問官・伊藤博文さんの別邸。
「あのー、伊藤さん?」
応接間に招き入れられた私は、先客の面々と一通り挨拶を交わすと、この別邸の主を呼んだ。
「今日の集まりって、どういう基準で参加者を選びましたか?“史実”の記憶を持っている人かと思ったら、大山さんもいるし……」
応接間にいるメンバーを確認しながら、私は伊藤さんに質問する。今ここにいるのは、私と伊藤さんの他、野党・立憲自由党の総裁である原敬さん、国軍参謀本部長の斎藤実さん、そして、山本五十六航空少佐……ここまでなら、“史実”の記憶を持つ人間が集められたのだろうと検討がつく。ところが、それに加え、この応接間には大山さんと陸奥さんまでいるのだ。こうなると、梨花会のメンバーであること以外の共通点が見えない。
すると、
「原君がやっと、内府殿下に素直な思いを吐露できるようになったと知る者たちですよ」
1人掛けのソファに身体を埋めた枢密顧問官の陸奥宗光さんが、ニヤニヤ笑いながら言った。
「あの記念すべき日から2年以上経っていますから、こんなことを今更蒸し返さなくてもいいかもしれませんけれどね。ただ、皇太子殿下とご一緒できた日光での刺激的な夏が終わってしまいましたから、僕は少し苛立っているのです。そうしたら、原君が暇そうにしていますから、憂さを晴らすのにちょうどいいと思いましてね」
「ああ……」
「原閣下、御武運を……」
斎藤さんと山本少佐が気の毒そうに見つめる中、
「何のことやらさっぱり分かりませんなぁ、先生。私は野党総裁として政策の研究に邁進しているのです。先生に付き合っている時間は残念ながら無いのです」
原さんは落ち着き払って陸奥さんに応じる。そして、
「それより、時間が惜しい。さっさと虎ノ門事件について話し合わなければ!」
原さんはこう言いながら、真剣な表情で立ち上がった。
(ああ、原さんの正体を知っている人が集まった訳か……)
ようやく納得した私の横で、
「それはそうだ。事件の発生まで、2か月もないのだから」
伊藤さんが珍しく真面目な顔をして頷いた。
虎ノ門事件とは、“史実”の1923年12月27日に発生した迪宮さまの暗殺未遂事件だ。帝国議会の通常会の開院式に出席しようと帝国議会議事堂に向かう迪宮さまの自動車を、難波大助という男がステッキに仕込んだ散弾銃で狙撃し、迪宮さまの自動車に陪乗していた東宮侍従長が軽傷を負った。犯人はすぐに捕まって翌年死刑となり、内閣総理大臣だった山本権兵衛さんは事件発生の責任を取って辞職した。これが事件の一連の経過である。だから、単にこの事件の発生を防げばいいのなら、“開院式当日の警備を強化しましょう”での一言で済む。
問題は、梨花会の場で……と言うより、兄に、虎ノ門事件のことをどう伝えるかである。なぜ迪宮さまが狙撃されたかというと、“史実”ではこの時、健康を害した兄に代わり、迪宮さまが摂政として天皇がやるべき公務を行っていたからだ。“史実”で兄がいつ亡くなるかについては、兄自身にはぼかして伝えられている。また、“史実”のこの時期、兄が健康を害して迪宮さまが摂政をしていたことも、兄には伏せられている。兄に虎ノ門事件のことをどこまで伝えるべきか……それを検討するために、今日、伊藤さんの別邸に、梨花会の一部の人間が集まった。
「あの……確認しておきたいのですが、天皇陛下には、虎ノ門事件のことは全く伝えられていないのですね?」
集められた面々の中で、最も若く立場も低い山本五十六航空少佐が手を挙げて質問した。
「ええと、そのはずですけれど……」
私は答えながら、記憶を必死に手繰り寄せる。この時代に転生したと分かった直後、私はお父様とお母様、そして梨花会の古参の面々に“史実”の知識を伝えている。そして、兄に“史実”のことを伝えたのは、お父様とお母様、そして勝先生と伊藤さんだ。
すると、
「もちろん伝えておらんよ、五十六」
兄に“史実”を伝えた1人である伊藤さんが、胸を張って山本少佐に答えた。「先帝陛下と勝先生は、“伝えてもよいのでは”とおっしゃったが、わしが反対したのだ。だから、陛下には虎ノ門事件のことは伝わっておらん。それは断言する」
「正しいご判断です」
原さんが伊藤さんに最敬礼した。「ご壮年でご体調を崩されることを陛下にお伝えすれば、陛下の御心を深く傷つけることになります」
「それは大丈夫だと思いますが……」
首を傾げながら斎藤さんが発言する。「“史実”で皇太子殿下が摂政に立たれた時から、約2年が経過しています。この時の流れでの天皇陛下はご健康でいらっしゃいますから、“史実”のような事態が起こるはずがありません。ですから、虎ノ門事件のことも、“史実”で皇太子殿下が摂政に立たれることも、ありのまま天皇陛下にお伝えしても問題ないでしょう」
「わしは反対じゃ」
斎藤さんに向かって、伊藤さんが首を横に振った。「陛下が“史実”で罹られた病気の原因は不明……ならば、原因となりうるものは、徹底的に排除すべきだ。それには、精神的なご負荷も含まれる。……斎藤君、“史実”のことをありのままに伝えて、万が一陛下がご体調を崩されたら、君は責任を取れるのかね?」
伊藤さんの言葉に、「うっ……」と斎藤さんが唸る。斎藤さんは渋い顔をしてうつむいてしまった。
「伊藤殿、ここは内府殿下のご意見を伺うべきではないですか?」
すると、陸奥さんがこう言いながら、私に視線を投げた。
「医師であらせられ、ご幼少のころから陛下のおそばにいらっしゃった方のご意見を伺うことは、斎藤君にご自分の不安を押し付けるより有意義な選択肢だと思いますが?」
「……それは確かにそうだ」
伊藤さんが陸奥さんの言葉に頷いた。「いかんな。どうも陛下のことになると、わしも頭に血が上ってしまうらしい。……では内府殿下、何かご意見がございましたら、わしらにお聞かせください」
「あなたたちの意見とたいして変わりないかもしれないですけれど……」
私は苦笑して注釈を入れてから、
「ええと、まず、兄上に“史実”での体調不良のことや、摂政のことについて知らせるかどうかですけれど……兄上、もう知っている気がするんですよね」
と一同に言った。
「なっ?!そんな馬鹿な!我々が必死に隠していたのに?!」
「証拠は……証拠はあるのですか、内府殿下!」
「あ、あの……残念ながら、客観的な証拠は無いです」
食って掛かるように口々に言う原さんと伊藤さんの勢いに押されながら、私は何とか返答した。
「はっ……内府殿下ともあろうお方が、証拠も無く、かような妄言を吐かれるとは……失望致しましたぞ」
両腕を組んで、侮蔑するような目で私を見やる原さんに、
「なるほど、そういう風に攻撃することにしたのか。だが原君、言葉は無礼でなくても、態度が無礼だと、皇居から陛下が飛んでいらっしゃるよ?」
陸奥さんがニヤリと笑いながら忠告する。我が臣下も鋭い目で原さんを見つめると、原さんは顔をしかめて口を閉じた。
「……客観的な証拠なんて得られないですよ。まさか兄上に直接、自分が“史実”でいつ死んだか知っているか……って聞くわけにはいかないですからね」
私は原さんに答えると、お茶を一口飲んだ。
「ただ、兄上は勘が鋭いし、優しい人だから、“史実”での自分の寿命に気が付いているけれど、黙ってくれているみんなのことを思って何も言わないのかな……という気がするんです。まぁ、私の推測が正しくない可能性も高いですけれど」
「ああ、全く正しくないでしょうな。内府殿下、根拠のない言葉を吐かれるのはお止めください」
「原君、感情だけが先走った主張は見苦しいよ。伊藤殿と言い、原君と言い、どうして陛下のことになると議論ができなくなるのかな?」
私に噛みつくように言った原さんを、陸奥さんは軽い調子でたしなめると、
「お考えは分かりました。それで内府殿下、具体的にはどのように対処すべきとお考えですか?」
私に微笑を投げながら尋ねた。
「……虎ノ門事件については、狙われたのが迪宮さまだったこと、そして、迪宮さまが摂政だったことを伏せて兄上に伝えるべきと思います」
私は少し考えてからこう言った。「兄上が“史実”を知っているという確証が得られない以上、知らないものとして対応する方が、兄上に掛かる精神的な負荷が少なくなると思うんです。“史実”で兄上を襲った病の原因は、私にも分かりません。だから、この時の流れでも、その病気の原因と考えられるものは、兄上から徹底的に遠ざけておきたいんです。……精神的な負荷もその1つです。ですから、虎ノ門事件については、内容の一部を伏せて兄上に伝えるべきだと思います」
「……かしこまりました。内府殿下がそうおっしゃるのであれば、俺は従います」
斎藤さんが私に頭を下げる。他の面々も、黙って首を縦に振った。
「内府殿下、虎ノ門事件は具体的にどのような内容で陛下に伝えるのですか?」
再び、山本少佐が挙手をした。
「それなんですよね……単純に、“天皇を狙った”とすると、関東大震災レベルの大事件ですから、なぜ“史実”を伝える時に、虎ノ門事件の話が出なかったのかという質問が兄上から出そうですし……」
私は胸の前で両腕を組んだ。本当は、嘘は余りつきたくない。数日前、大森先生と相対した時のように、真実だけを口にしていたい。しかし、兄を守るための嘘ならば、いくらでもつく必要がある。嘘の筋書きを考える作業は苦手だけれど。
「皇太子殿下を狙った……としても、大事件になってしまいますな。皇太子殿下はこの時の流れでも国民から尊敬されておりますから」
考え込む私の横から、我が臣下がこう指摘する。
「えー……じゃあ、どうすればいいの?」
兄に伝える虎ノ門事件の架空の筋書きが、開院式当日の兄の車列の警備を強化する根拠に納得の行く根拠となるかどうか、そして、兄が不審に思って事件の内容を細かく問い質すことが無いようにするにはどうしたらいいか……その協議は延々と続けられ、私が伊藤さんの別邸を辞した頃には、辺りは夕闇に包まれていた。




