それぞれの帰京
※漢字ミスを訂正しました。(2024年7月20日)
1923(大正8)年9月27日木曜日午後6時10分、東京市麻布区盛岡町にある有栖川宮家盛岡町邸。
玄関前で待ち受ける私と栽仁殿下、そして職員一同の前に、黒塗りの自動車が2台、静かに滑り込んでくる。前の車は、私の義父・有栖川宮威仁親王殿下が今年に入ってから買い換えた最新の国産自動車だ。その車の運転席のドアが開き、降りてきたのは、やはり、自動車愛好家として世間に広く知られている私の義父だった。
「久しぶり……いや、戻りましたよ、栽仁、嫁御寮どの」
上下白の背広服を着た義父は、こちらに向かって歩きながらニヤッと笑う。「お帰りなさいませ」とあいさつして、栽仁殿下と一緒に私が頭を下げると、
「栽仁も嫁御寮どのも、この震災において、事態の収拾のためによく努めたとのこと、何よりでした」
義父は真面目な表情に戻って私たちに言う。そして、更に何か言葉を口にしようと義父が口を開いた時、
「父上!母上!」
「お会いしたかったです!」
後ろの車から降りてきた次男の禎仁と長男の謙仁が、私と栽仁殿下に飛びついた。
「こらっ、謙仁も禎仁も……父上も母上も、おじい様も困っていらっしゃるじゃない。離れなさい」
続いて自動車から降りた長女の万智子が弟たちを叱ると、
「分かった。じゃあ姉上、どうぞ」
栽仁殿下に抱きついていた謙仁が、そう言って父親から離れ、
「姉上、父上と母上にすごく会いたがっていたもんね」
私の胸に顔を埋めていた禎仁も、そう言いながら姉の方を振り向く。
「べ、別に、そういう訳じゃなくて……」
つい、と顔を背けた万智子に、
「万智子、おいで」
と栽仁殿下が声を掛ける。
「ほら、遠慮しなくていいのよ。親子なんだから」
私もこう口添えすると、万智子は黙ってこちらにやって来て、栽仁殿下に抱きつく。私が横から彼女の頭を撫でると、万智子は栽仁殿下の腕の中で、「父上、母上……」と、涙の混じる声で言った。
「やっぱり、万智子は父上と母上が大好きなのね」
自動車から降りてきた私の義母・慰子妃殿下が、私たちの方を見て微笑んだ。
義理の祖母・董子妃殿下ともあいさつを交わしてから、家族全員で居間に入る。義理の両親に義理の祖母、そして3人の子供たち……。ここの所、夫婦2人の姿しかなかった居間は、一気に賑やかになった。
「父上、部屋割りを説明します」
栽仁殿下は用意していた盛岡町邸の本館の見取り図を取り出すと、背の低いテーブルの上に置く。8つの頭が一斉にテーブルの上の見取り図を覗き込んだ。
まず、菫子妃殿下は、2階にある和室を使うことが決まった。本館は西洋館ではあるけれど、新築する時、私の希望で和室を2階に3部屋作ってもらった。そのうちの2部屋を使うことになったのだ。
「霞が関からお人形たちを連れてきたいけれど、全部は流石に無理ねぇ」
そう言って微笑む義理の祖母に、
(無理です)
と私は心の中で答えた。董子妃殿下は人形を集めるのが趣味なのだけれど、そのコレクションはここ数年でますます増えている。今年のお正月に、そのコレクションで1部屋がいっぱいになったと聞いた。その大量の人形を盛岡町邸に持ってきたら、部屋に入りきらない人形が廊下に溢れてしまうだろう。
威仁親王殿下と慰子妃殿下は、普段私と栽仁殿下が使っている2階の1区画を使うことになった。私と栽仁殿下の寝室はそのまま義理の両親の寝室となり、栽仁殿下の書斎は義父の書斎として、私の書斎は義母の化粧部屋として使われる。このため、私と栽仁殿下も含め、盛岡町邸にいた一同は、ここ数日、家具や書籍の移動に追われた。
そして、自室を追い出される格好になった私と栽仁殿下は、1階にあるお客様用の二間続きの部屋に入ることになった。1部屋は寝室に、もう1部屋は私と栽仁殿下の共用の書斎になる。ただ、今まで2つの書斎にあったものを無理に1部屋にいれたので、共用の書斎はだいぶごみごみした空間になってしまった。これを機会に、必要なさそうな医学雑誌を処分したけれど、今後も整理を続けて、共用書斎をスッキリした部屋にしたいものだ。
「……というわけで、以上が部屋割りになります」
栽仁殿下が一通りの説明を終え、威仁親王殿下が「よく分かったよ」と頷くと、
「父上、母上、赤十字社の臨時病院はいつできるのですか?」
今度学習院初等科の6年生になる謙仁が手を挙げて質問した。
「建物は、あと2、3日で完成すると聞いている。必要なものを搬入して、来月の3日から患者さんが入ってくるそうだよ」
栽仁殿下が答えると、
「父上、母上、私、臨時病院ができたら、お手伝いに行ってもいいですか?」
華族女学校初等中等科第3級……私の時代風に言うと中学1年生になる万智子が聞いた。
「お手伝いって……具体的に何をするの?」
私が戸惑いながら尋ねると、
「本当は、母上のように患者さんを治療したいけれど、それは医師免許を持っていないからできません。でも、繕い物をしたり、食事の準備を手伝ったり……今の私にもできることが、色々あると思うんです。いけませんか?」
万智子は漆黒の瞳で、じっと私を見つめながら言った。
「うーん……」
私は両腕を胸の前で組んだ。娘の心掛けはとても素晴らしいと思う。しかし、臨時病院には様々な人が出入りする。もちろん、臨時病院から私たちの住まいに不審者が入り込まないように細心の注意を払うけれど、不審者がいるかもしれない臨時病院に娘の方から行ってしまうのはいかがなものだろうか。
「章子さん、どうしたの?」
私の隣に座っている栽仁殿下が首を傾げたので、
「万智子の申し出はとても素晴らしいと思うのだけれど、臨時病院には不特定多数の人が出入りするから、不審者もいるかもしれない。それで、この家の警備が強化されることになったし……そんな所に、万智子を行かせても大丈夫かしら、と思って……」
私は正直に懸念を述べた。
「確かにそれは心配だ」
栽仁殿下は頷いて顔をしかめる。「天皇陛下からのご指摘もあったしね。もし、万智子を臨時病院に行かせて何かがあったら、大変なことになる」
「栽仁と嫁御寮どのの言う通りだね」
上座から義父が言った。「万智子の心掛けは大変結構だが、臨時病院には危険も潜んでいる。それに、万智子は初等教育を終えたばかりだ。危険ではない方法で、罹災者を助けなさい。いいね」
自分の祖父で、有栖川宮家の当主でもある威仁親王殿下にこう言われては、万智子も反論できない。万智子は姿勢を正すと、「……はい」と小さな声で返事をした。
と、
「父上、母上、病院が危険なら、家と病院を仕切る塀のそばに、落とし穴を掘ってもいいですか?」
末っ子の禎仁が元気よく質問した。
「はい?!」
目を丸くした私に対して、
「落とし穴か。そう言えば、父上も昔、掘ったなぁ」
栽仁殿下はそう言ってニッコリ笑う。
「うん。では、金子が良ければ許可するが……どうだ?」
威仁親王殿下が、居間の隅に控えていた別当の金子さんに顔を向けると、
「1つだけなら、差し支えありません」
金子さんはこう答えて微笑んだ。
「やった!ありがとう、金子の爺!明日、早速掘るよ!」
「危なくないようにね」
はしゃぐ末っ子に苦笑しながら、私は昔のことを思い出していた。まだ私が独身だった頃、節子さまの女官たちの対立から侵入者騒ぎが発生し、輝仁さまや栽仁殿下、北白川宮成久王殿下たちが、青山御殿の庭に落とし穴を掘ったことがあった。その時、輝仁さまも栽仁殿下も、とても楽しそうにしていたけれど……。
(男の子って、こういうのが好きなのかしらね)
盛岡町邸の居間には、震災発生以降初めての明るい笑い声が幾度も響いている。それを聞いて、私はやっと日常が戻ってきたことを実感した。
1923(大正8)年10月1日月曜日午前11時、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。
「み、迪宮さま?!」
東宮武官の山下奉文さんを伴って御学問所に入ってきた甥っ子の姿を見た瞬間、私は椅子から立ち上がった。昨日、9月30日に日光から帰京した迪宮さまの眼鏡の奥の瞳はどこか虚ろで、顔色も悪い。それに、少し痩せたような気がする。痩せたのは、迪宮さまの斜め後ろに立つ山下さんも一緒だ。身体が明らかに一回り小さくなった山下さんのそばに、私は慌てて駆け寄った。
「山下さんも……2人とも、食事、ちゃんと食べられてました?!何か症状は無いですか?!もし、食事がとれているのに痩せたのなら、重大な病気の可能性もあるから、今すぐ診察して……」
「梨花叔母さま、落ち着いてください」
横から迪宮さまが私を止めた。「山下も僕も、病気ではないのです。単に、この1か月、爺たちに激しく責め立てられて、その重圧で箸が進まなかっただけで……」
「え……」
「やはりか……」
絶句した私の後ろで、兄が気の毒そうに呟いてため息をつく。「昨日、帰京したとあいさつしに来てくれた時、何があったのか尋ねても教えてくれなかったが……」
「はい、昨日は、お父様とお母様との面会の席に西郷の爺がいたので、日光であったことを話せませんでした。もし話したら、東宮御所に戻ってから課題を出すと言われていたので……」
父親にこう言った迪宮さまは、悪夢を振り払うかのように、頭を2、3度横に振った。
「って、今、話しちゃって大丈夫なの?日光で何があったか……」
「問題ありません。西郷閣下がおっしゃったのは、昨日のご面会についてのみです」
私の質問に、山下さんが硬い表情で答えた。「今日については、何も言われておりません」
「ですから今日は言わせてください、お父様、梨花叔母さま」
迪宮さまの表情からは、余裕が全く感じられなかった。「僕、もう限界です。限界なんです!」
「……これは相当やられたな」
兄は暗い声で言うと、迪宮さまと山下さんに椅子を勧める。2人は椅子に腰かけると、同時に大きなため息をついた。
「さて、大山大将もいないし、人払いもしてある。咎める者は誰もいないから、裕仁も山下も、愚痴を思い切り吐いていいぞ」
兄の言葉に「はい」と頷いた迪宮さまは、
「8月24日に日光に入りましたが、そこから震災の日までは、特に何もありませんでした。8月30日に陸奥の爺と西園寺の爺がやって来ましたが、震災が起こるまでは、僕に問いを吹っ掛けるようなことはありませんでした」
と話し始める。
「それがかえって、不気味ではありましたが……」
山下さんの言葉に、迪宮さまは何度も頷く。そして、
「だから僕も警戒していたのですが、地震が起こった後の爺たちは、僕の予想を遥かに超えていて……」
迪宮さまはそう言うと、顔を青ざめさせた。
「東京では今何が起こって、どんなことが指示されているか、自分なら何を指示するか……それを執拗に問われました。答えに少しでも不備があると、普段の机上演習以上の厳しい指摘を受けました。特に、西園寺の爺の問いが厳しくて……嬉々として僕に難しい質問を投げる西園寺の爺は、まるで悪鬼のようでした」
(うわぁ……)
私は心の底から迪宮さまに同情した。そう言えば、机上演習が始まった時、西園寺さんは講師役にはならなかったけれど、それは他の講師役の面々に“現役の国会議員は不可”と言われて講師役就任を阻まれたからで、本人は“国会議員を辞職したいとまで思った”と後で言っていた。そんな西園寺さんだから、迪宮さまを鍛える機会を得て、今までの鬱憤を晴らそうと考えたに違いない。
「……そして俺も、震災の日、後からやって来た山縣閣下、松方閣下、西郷閣下に捕まりまして、厳しい質問責めをされました。食事の時と寝る時には解放されますが、それ以外の時間はずっと質問責めです。国軍大学校の参謀旅行でも、似たような質問責めが2週間続きますが、今回はあの時以上の厳しさでした」
げっそりとした山下さんが大きなため息をつくと、
「山下は本当によく頑張ったよ。僕も同じように朝から晩まで質問責めにされていたけれど、相手は1人だった。山下は、僕についている者以外の爺たちに責められていたのだから」
迪宮さまはため息をつきながらも山下さんを労う。山下さんは「もったいないお言葉でございます」と言って迪宮さまに最敬礼した。
「裕仁も山下少佐も、本当によく耐えきったな」
あらましを聞いた兄は優しい声で2人に言うと、
「2人に聞くが、何が一番大変だった?」
と尋ねる。少し考えた迪宮さまは、
「情報が限られて、精神的な負荷が余計に掛かったのが……」
父親にこう答えた。
「情報が限られた……そう言えば、日光御用邸の無線機は、震災で壊れたのだったな」
「はい。それで、東京・横浜方面の情報が全く入って来なくなりました。ですから、お父様とお母様、梨花叔母さまがご無事なのか、東京や横浜は実際にはどうなっているのか……心が千々に乱れた状態で、正確な推論を述べなければならなかったのが一番辛かったです」
迪宮さまが兄に答えると、
「俺も、皇太子殿下と似たようなことが一番大変でした。東京の皆様方がどんな状況であるかを案じながら、お歴々の皆様の厳しい問いに正確に答えるのは、多大な精神的苦痛を伴う作業でした」
山下さんも兄にこう言上する。
(それは辛いわ……)
2人の置かれた状況を想像した私は黙って頷いた。私も震災が発生した日、日光から連絡が入らず、迪宮さまとお母様の身に何かあったのではないかと不安に襲われた時があった。きっと、迪宮さまと山下さんも、震災当日、似たような状況にあったのだろう。
(確かに、9月1日には迪宮さまは日光にいると決まった時、黒田さんが“負荷を掛ければいい”って言ってたけど……でもさ、食事量が減るほど負荷を掛けることは無いんじゃないかしら?栄養が摂れなければ、そこから体調を崩すことだってあるんだし……)
「どうした、梨花」
迪宮さまと山下さんを見つめていた兄の視線が私に向けられる。兄の問いに、
「迪宮さまと山下さんの受けた質問責めが、余りにもひどすぎると思ってさ」
私は顔をしかめて答えた。
「その通りだ。鍛錬が必要だという理屈は分かるが、体形が変わるまで質問責めにするのはやり過ぎだろう。後で、梨花会の古参の連中を呼び出して……」
兄が両腕を組んで唸るように言った瞬間、
「その必要はありませんなぁ」
御学問所にのんびりとした声が響く。迪宮さまと山下さんが弾かれたように後ろを振り向くと、いつの間にか開かれた障子の前には、黒いフロックコートを着た枢密顧問官の西郷従道さんと、我が臣下が立っていた。
「あなたたち、いつからいたのよ!」
私は立ち上がりながら西郷さんと大山さんを睨んだけれど、
「さぁ、いつからでしょうか」
大山さんは私の視線に全く怯むことなく御学問所に入ってくる。続いて西郷さんが御学問所に入ると、迪宮さまと山下さんが、西郷さんから遠ざかるように上半身を引いた。
「卿ら、気配を消して俺たちの話を立ち聞きしていたか」
兄が硬い声で訊くと、西郷さんは無言で微笑む。
「しかも、昨日は裕仁に愚痴を言わせなかったとは……一体何が目的だ?」
「率直な感想を伺いたかったですからなぁ」
兄の再度の質問に、西郷さんはのんびりとした調子で答えた。「皇后陛下と皇太子妃殿下がいらっしゃっては、なかなか話が深まりませぬ。それゆえ、今日率直なご感想をいただけるよう、ちとお話をさせていただきました」
「だからって、脅すことはないでしょう。しかも、体形が変わるまで質問攻めにして……やり過ぎじゃないですか?」
私が再び西郷さんを睨みつけると、
「お言葉ですが梨花さま、震災当日に被災地にいらっしゃらなかった皇太子殿下と山下には、このくらいの試練を課すのが当然のことです」
我が臣下が微笑みながら近づいてくる。
「それとも……梨花さまも陛下も、俺が道化たこともあって、発災直後、体形が変わるほどのストレスとやらは受けていらっしゃいませんでしたが……それを今受けたいと仰せでしょうか?」
「え?」
「ではお尋ね申し上げましょう。横浜の復興計画についてですが……」
戸惑っている間に、私の前に立った大山さんが、質問をぶつけてきた。まずいと思って逃げようにも、出入り口の障子の前には西郷さんが立ち塞がっている。こうして、私たち4人は、昼食休憩の時間まで、大山さんと西郷さんに、かつてないほど厳しい質問を雨あられのように投げつけられる羽目に陥った。




