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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第73章 1923(大正8)年穀雨~1923(大正8)年処暑
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1923(大正8)年6月の梨花会

※地の文のミスを直しました。(2024年2月11日)

 1923(大正8)年6月9日午後2時10分、皇居・表御殿にある牡丹の間。

「以上が、おととい、地震防災を啓発する新聞記事を発表した経緯であります」

 先月からほぼ毎週梨花会が開かれているけれど、今日は6月の第2土曜日、本来の定例の梨花会の日だ。そんな今回の梨花会の冒頭で発言したのは、内務大臣の後藤さんだった。

 先週の土曜日、6月2日の未明と明け方に、東京でそれなりに大きい地震が観測された。特に未明、午前2時25分に発生した地震は大きくて、津波注意報も出たほどだった。そこで、

――これを機に、市民の防災意識を高めるよう、新聞やラジオで防災についての話を流しましょう。もちろん、不安を煽らないような形で……。

後藤さんは地震発生から数時間後に開かれた臨時の梨花会でこう提案した。それが承認されると、後藤さんは東京帝国大学理科大学の大森房吉教授と今村明恒(あきつね)助教授と相談し、防災を啓発する新聞記事を全国の新聞に載せたのである。

「わたしもおとといの新聞記事を読んだが、過度に不安を煽るようなことなく、物の落下に備えて頭を守ることや家具を固定しておくことなど、地震への備えを分かりやすく説いていた。……後藤大臣、もしやこの記事には院も関わっているか?」

 兄の鋭い質問に、

「はっ、仰せの通り……文章については院の明石総裁にもご相談し、不安を煽らないようなものにしております」

後藤さんが頭を下げて答えた。

「報告を続けますが……更に大森教授と今村助教授からは、文部省を通じ、防災訓練をより充実するようにとご提言をいただきました。それを受けて、今年の防災訓練は、例年より規模を大きくして行うよう、本日の閣議で決定いたしました」

 後藤さんに続き、内閣総理大臣の桂さんが発言した。もちろん、大森先生も今村先生も、関東大震災のことは私から“史実”のことを聞いて知っているので、この提言も、提言を受けての防災訓練強化の決定も、事情を知っている者から見れば完全に出来レースだった。

「そして、9月1日の防災訓練の準備と片付けの作業が例年より大変になることを考え、今年の各学校の1学期の開始日は、9月1日ではなく9月5日にすることも同時に決まりました」

 桂さんは更に報告を続ける。この時の流れでの学校の1学期は、9月1日に始まる。今年の9月1日は土曜日なので、1学期の始業式は例年なら9月1日に行われるのだけれど、その原則が崩されることになった。

「確かに、学年の最初の日に震災など発生したら、大変なことになりますからね。新入生、特に小学1年生は間違いなく恐慌状態に陥ります」

 前内閣総理大臣の西園寺さんがこう言いながら首を縦に振る。彼の言う通りだと私も思った。

「しかし、国軍関係や各省庁はどうするんじゃ?新人と言っても、使い走りぐらいはできるじゃろう?」

 西郷さんがのんびりと問いかけると、

「はい、まず、各省庁、国軍の人事に関しては、9月1日付の人事異動は極力控えるようにします」

桂さんが背筋を伸ばして回答を始めた。

「各省庁、各地方自治体の新入職員に関しては、今年は8月28日の月曜日に初出勤と致します。また、国軍関係の学校に関しても、入学を8月28日に繰り上げることとしました」

(うわぁ、なかなか大変そうだな……特に幼年学校の新入生……)

 私は新入職員や新入生たちに少し同情した。関東大震災の時、東京に校舎がある士官学校と幼年学校の生徒は、国軍大学校の学生の指揮で“遊撃部隊”として動くことになっている。避難する人たちを誘導したり、怪我人を搬送したり、行方不明者を捜索したり、瓦礫を片付けたり、消火作業を手伝ったり……その時々によって、一番人手が要る部署で活動するのだ。士官学校の新入生はともかく、幼年学校の新入生は13、4歳の少年が殆どだから、うまく任務をこなせないかもしれないけれど……何とか頑張ってもらうしかない。

(あれ?でもそうなると、(たね)さんは8月で国軍大学校は卒業するから、9月1日には新しい任地にいるってことに……)

 私が自分の家の事情に思いを巡らせた時、

「なお、国軍大学校の本年の卒業生については、国軍大臣官房の応援要員として使う予定です」

と桂さんが言った。

(あ、じゃあ、(たね)さんは、震災当日は東京にいるのね……)

 そう思った瞬間、

「ふふっ」

兄が私の方を見て笑った。

「可愛いなぁ、梨花は。栽仁(たねひと)と離れ離れにならずに済むと思って安堵するとは……本当に栽仁が好きなのだな」

 ニヤニヤ笑う兄に、

「し、仕方ないでしょ。震災の当日、栽仁殿下は横須賀や舞鶴に転勤して東京にいないと思っていたから、近くにいるんだって思って、ちょっとホッとして……」

私は目を逸らしながら答えた。すると、隣に座っている大山さんと目がぶつかる。私と目が合った大山さんは無言で微笑んだ。

「な、何よ、大山さん」

 慌てて大山さんの視線から逃げると、

「いえ、若宮殿下への想いを、梨花さまが素直に口になさったので、梨花さまもご成長なさった……と感慨を抱いたのでございます」

彼は余裕たっぷりにこんなことを言う。伊藤さんは大山さんの右隣で深く頷き、山縣さんは「何と麗しい夫婦の情愛であることか……」と呟きながら、なぜか涙を流していた。他にも西郷さんや黒田さん、陸奥さんや西園寺さんなどが、私にじっと視線を注いでいる。私は顔を真っ赤にしてしまった。

「皆様、どうかその辺りで。内府殿下が困っていらっしゃいますし、話が進んでおりませぬゆえ」

 見かねた渋沢さんが助け舟を出してくれたので、私はようやく無遠慮な視線の雨から解放された。

「では、少し残念ではありますが、内務省からの報告を続けます」

 後藤さんが軽く一礼すると、机の上に置いてあった書類を手に取った。

 内務省が大森先生たちと協力したのは、今回の提言だけではない。関東大震災をきちんと観測できるよう、地震計を密に設置して、観測体制を強化している。また、大森先生たちは、異常な地殻変動をキャッチできないかということで、20年ほど前から定期的に特定箇所の測量を行っていた。

「ただ、大森先生が最近体調を崩されているようでして……」

 大森先生たちの活動に関する報告の最後、後藤さんはこんなことを付け加えた。

「体調を崩している?」

 思わず身を乗り出した私に、

「ええ、最近、時折頭痛と吐き気が出現するということでした。食思不振もあるようなのです」

自らも医師である後藤さんはこう教えてくれた。

「頭痛と吐き気ですか。脳に何かなければいいですけれど……医科大学できちんと診察してもらう方がいいんじゃないかしら」

 私の言葉に、「かしこまりました。勧めてみましょう」と後藤さんは一礼すると、報告を再開した。

 内務省では大森先生たちと組んでの活動の他に、防火体制の強化にも取り組んでいた。以前から、東京市や横浜市などの人口密集地では、防火栓と防火水槽を1つの町会に1つずつ設けることを義務付けているけれど、それぞれ2つ以上の設置を奨励し、設置費用の7割を自治体が補助することにした。また、消防ポンプ……特に、消火栓を使うのではなく、川や水路から水を汲んで使うタイプのポンプを設置した場合にも補助金を出すことにしていた。このおかげで、防火栓と防火水槽、消防ポンプの設置場所は増えているそうだ。

「もちろん、これで火災をすべて防ぐのは難しいですが、消火の助けにはなりましょう。淀橋浄水場の、玉川上水の旧水路から水を汲み上げるポンプも完成しましたから、震災の時に多少は水道も使えると思います。引き続き、被害を軽減する試みは続けます」

 後藤さんが報告を一旦締めると、

「国軍でも、当日の兵の配置の検討を始めました」

今度は国軍大臣の山本さんが報告を始めた。

「関東、特に関東南部を中心に、第1軍管区の兵を警備と救援のために配置します。また、南関東、伊豆半島の沿岸も軍事訓練という名目で閉鎖します。第3軍管区に伊豆半島沿岸封鎖のために協力を命じておりまして、その他の軍管区は発災後ただちに被災地域を救援できるよう体制を整えます」

「うん」

 兄が首を縦に振ると、

山階宮(やましなみや)殿下が、精力的に活動なさっておいでです」

国軍参謀本部長の斎藤さんが付け加えた。

「様々な角度から警備や救援の計画を検討されておいででして……その見識の高さに我々も圧倒されています」

「当たり前でしょう」

 私の義父の威仁(たけひと)親王殿下が、斎藤さんにつまらなさそうに応じた。「菊麿(きくまろ)どのは研鑽を怠らない人です。当然、その見識は高くあって然るべきで……お飾りの軍管区司令官ではないのですよ」

 斎藤さんが恐縮したように頭を下げる。確かに義父の言う通りで、菊麿王殿下は地位に見合った実力を持つ皇族軍人なのだ。

「報告は以上となりますが……陛下、何か足りない策はございますか?」

 桂さんの問いに、兄は「いや……」と首を左右に振り、

「わたしが口を出すより、専門家である卿らが智嚢を絞る方が良い案ができるだろう。1人でも多くの国民を救えるよう、力を尽くして欲しい。頼んだぞ」

と桂さんに言った。「はっ」と桂さんが最敬礼する。兄の方をチラッと見ると、兄の顔がほんの少しだけ強張っているのが分かった。

(あ、そうか……)

 本当は、兄は聞きたいことがたくさんあるのだろう。けれど兄は、その疑問を敢えて封じた。自分が桂さんをはじめとする内閣の面々を信頼しているということ、それを示さなければならないと思ったのだろう。

(……ってことは、もしかしたら、私、兄上に、今日の梨花会の報告に関する質問を、たくさんされるのかな?)

 私がこう思った時、

「梨花さま、頑張ってください」

と、大山さんが小さな声で言った。

「は?何を?」

「さぁ、何でございましょうか」

 大山さんは私の問いに答えると、そのまま黙って微笑んだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 菊麿殿下は気象屋さんですからね
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