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転生内親王は上医を目指す  作者: 佐藤庵
第73章 1923(大正8)年穀雨~1923(大正8)年処暑
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所在(2)

「いやです」

 1923(大正8)年5月12日土曜日午後3時15分、皇居・表御座所にある天皇の執務室・御学問所。そこに呼ばれた兄の妻・節子(さだこ)さまは、兄から関東大震災のことを聞かされ、震災当日は日光にいるように命じられると、キッパリと命令を拒んだ。

「お前もか……」

 節子さまの答えを聞いた兄は、左の手のひらを額に当てるとため息をついた。「裕仁(ひろひと)にも梨花にも東京にいるなと命じたのに、2人とも拒んだ。結局、東京にいることを認めざるを得なかったのだが、俺と縁が深い者は、どうしてこう強情なのだろうな」

 すると、

「なんですって?!」

兄の言葉を聞いた節子さまが、兄のそばにいた迪宮(みちのみや)さまをキッと睨んだ。

「裕仁、あなたは震災の当日、日光にいなさい。東京には私がいますから」

 怖い顔で命じた節子さまに。

「なぜですか、お母様(おたたさま)

迪宮さまは一歩前に進み出て応じた。

「国民が苦難に見舞われようとする時に自分だけ安全な場所にいるなど、皇太子のあるべき姿ではありません。それに、僕はお父様(おもうさま)を助けたいのです」

「皇統の存続というものを考えなさい!」

 節子さまは迪宮さまを一喝した。「万が一、皇太子のあなたが死ねば、この国はどうなってしまうのですか!」

雍仁(やすひと)がいるではありませんか」

「そういう問題ではないのです!あなたは自分の命というものを軽く考え過ぎですよ!あなたが死ぬことで、悲しむ人は数えきれないほどいます。もちろん、私や裕仁のお父様(おもうさま)もそうですし、良子(ながこ)さんも深く悲しみます。良子さんに辛い思いをさせてもいいのですか?!」

 節子さまの叩きつけるような言葉をじっと聞いていた迪宮さまは、

「それなら、お母様(おたたさま)こそ、興仁(おきひと)尚仁(なおひと)珠子(たまこ)のそばについていてあげるべきでしょう」

と、自分の弟妹の名を挙げて鋭く指摘した。

「興仁はまだ11歳です。両親が愛情深く育てていかなければならない時期でしょう。それに、今回の震災は、日光でもかなりの揺れになるはずです。珠子たちには日光にいてもらいますが、地震に遭った時、その揺れの大きさにきっと動揺します。お母様(おたたさま)がそばにいらっしゃらなければ猶更です」

「その動揺を鎮めるのは、裕仁にもできることではないですか」

 節子さまは自分の長男をまた睨みつけた。「あなたが長兄として、弟妹達をまとめればいいのです」

「お言葉ですが、兄と母親とでは、与える安心感がまるで違うでしょう!」

「……埒が明かないな」

 延々と言い争う節子さまと迪宮さまを見比べた兄が両肩を落とした。

「ダメだね、こりゃ。2人ともヒートアップしちゃってるから、まとまる話もまとまらないよ」

「時間と場所を改めるべきだな」

「そうね。私じゃ仲裁に入るのはとても無理だから、お母様(おたたさま)にお願いするしかないわ」

「だな」

 兄は私に頷くと、咳払いをして、

「あー、節子も裕仁もよいか」

と声を掛ける。パッと兄の方を振り向いて一礼した節子さまと迪宮さまに、

「このまま言い争っても、結論は出ないだろう。明日、大宮御所に行って、お母様(おたたさま)の御前で改めて話し合いたいと思うが、どうだろうか?」

と兄は問うた。

「僕は賛成です」

「はい、その方がよろしいかと」

 2人とも、自分たちが不毛な言い争いに陥りかけているという自覚があったらしい。迪宮さまも節子さまも、兄の提案に同意した。

「……ってことは、結論は明日に持ち越しだね。じゃ、みんな、明日は頑張ってね」

 あさっての月曜日に、大宮御所で話し合った結論が兄から私に伝えられるのだろう。そう思って私が左手を振りながら言うと、

「何を言っている。明日はお前も一緒に来い」

兄がそう言ってムスッとした。

「ちょっと待ってよ。これは兄上の家族の問題でしょ。私は有栖川宮(ありすがわのみや)家の一員だから、今回の話し合いには関係なくて……」

「お前は俺の妹だろうが!」

 私の反論を、兄はたった一言で粉砕してしまう。

「そうですよ。お姉さまは私たちにとって家族のようなものですし」

 兄の横から、節子さまも兄に加勢した。

(いや、そう言われてもな……)

 戸惑っていると、

「裕仁」

兄が迪宮さまを呼んだ。

「はい」

 軽く頭を下げた迪宮さまに、

「明日の朝、梨花を盛岡町に迎えに行け」

兄はとんでもない命令を下した。

「かしこまりました」

「はいぃ?!」

 私は内大臣であるとは言え、単なる宮家の継嗣の妻に過ぎない。そんな人間を皇太子が迎えに行くなど、前代未聞の過分な待遇だ。“謹んでお断り申し上げます”と口にしようとした私に、兄がずいっと顔を近づけた。

「いいか、梨花。明日はおとなしく、裕仁と一緒に大宮御所に来い。逃げることは絶対に許さないからな」

 兄の真剣な瞳に完全に気圧されてしまい、私は首を縦に振るしかなかった。


「なるほど、それで私の所においでになったのですね」

 1923(大正8)年5月13日日曜日午前10時30分、赤坂御用地内にある東京大宮御所。人払いがされた居間で、兄と迪宮さまと節子さまと私から昨日の議論のあらましを聞き取ったお母様(おたたさま)は穏やかに言った。……本当は、私はこの場にいるつもりはなかったのだけれど、居間の外で話が終わるのを待っていようとしたら、兄に手を引っ張られて文字通り居間に引きずり込まれてしまった。

「はい」

 上座に座る兄は神妙な顔で頷くと、

「ところで、お母様(おたたさま)ご自身は、震災の当日はどうなさいますか?」

お母様(おたたさま)に問うた。

「日光にいるつもりですよ」

 お母様は答えると微笑んだ。「私がここに留まれば、私の警護のために多くの人数を使ってしまいます。“史実”の関東大震災では、東京で大火災が起きたと昔増宮(ますのみや)さんに聞きました。ですから、私の警備よりは、火災の救助や消火、復旧に人を使って欲しいと思います」

(なるほど……)

 お母様(おたたさま)らしい考え方だと私は思った。もちろん私はお母様(おたたさま)に賛成だ。お母様(おたたさま)には震災当日、安全な場所にいて欲しい。

「それにですね、お(かみ)

 安心したような表情になっている兄に、お母様(おたたさま)は更に話しかける。

「私が日光にいれば、助かる人もいるかもしれません」

「は……?」

 首を軽く傾げた兄に、

「私、もし9月1日に東京に残りそうな皇族の方がいたら、その方たちを9月1日に日光にお招きしようと思うのです」

お母様(おたたさま)はこう言うとまた微笑んだ。

「!」

「それ、いいかもしれません」

 私は思わず声を上げた。「斎藤さんに聞きましたけれど、“史実”の関東大震災では亡くなった皇族もいたそうです。9月1日に震災で甚大な被害が予想される場所にいそうな皇族をお母様(おたたさま)が日光に招けば、皇族の死者は出ないで済むかもしれません」

「梨花の言う通りだな」

 兄は話に割って入ってしまった私を叱ることなく言った。「よほどの理由が無い限り、お母様(おたたさま)の招きを断る皇族はいないだろう。彼らも天皇を支える藩屏なのだ。できる限り助けなければな」

「その場合は、9月1日という日取りが問題ですね」

 迪宮さまが僅かに顔をしかめた。「学年の一番始めの日です。始業式を行う学校も多いでしょう」

「ま、そこは適当な理由をつけて、始業日をあらかじめ延ばしておけばいいと思うけれど、今話すべきことではないと思うな」

 先走った甥っ子をたしなめてから、

「私はお母様(おたたさま)に賛成します。お母様(おたたさま)が日光にいらっしゃるなら安心です」

お母様(おたたさま)に向かって言った。

「それは僕もです」

「私も」

「もちろん、俺もです。お母様(おたたさま)に珠子たちのことをお願いできますし」

 迪宮さま、節子さま、そして兄が次々に言うと、「ありがとうございます」と言ってお母様(おたたさま)は軽く頭を下げた。

「お(かみ)も、節子さんも、迪宮さんも増宮(ますのみや)さんも、責任感が強くていらっしゃる。それは国にとってとても幸いなことです」

「は……」

 お母様(おたたさま)の鈴を転がすような声に、上座にいる兄が頭を垂れる。もちろん節子さまも迪宮さまも私も、お母様(おたたさま)に向かって頭を下げた。

「けれど今回は、その責任感の強さが、争いのもとになってしまっているのではないかしら。私はそう感じるのです」

(確かに……)

 頭を垂れながら私は思った。“自分は東京に残るからお前は避難しろ”……兄と節子さまと迪宮さまの主張は、その一言に集約される。

「ご自分が東京ではない所にいることで、助かる命もあるかもしれない……それを考えてみてもいいのかもしれませんよ」

 お母様(おたたさま)の言葉に私たちは互いの顔を見合わせる。お母様(おたたさま)を交えた話し合いは正午過ぎまで終わらなかった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] しかし、今はお母さまが健在だから仲裁も多数の皇族の保護も可能だけど、この先お母さまが去ったら一体全体どうなってしまうのやら
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