墓参
1922(大正7)年5月19日金曜日午前7時、鹿児島県吉野村にある島津忠重公爵の別邸。
5月7日から始まった南九州3県を訪問する行幸啓も、参拝するべき場所や視察すべき場所を回り終え、ようやくゴールが見えてきた。明日には一行は“榛名”で鹿児島を離れ、東京に戻る予定だけれど、今日は休養日と定められており、兄夫妻も、随行する私たちも、羽を伸ばしてのんびりする日である。
「大山さん、今日はどこかに出かける予定はあるの?」
随行者用の食堂となっている広間で、私は向かいに座った大山さんに聞いた。
「墓参りに行くことにしております」
大山さんは穏やかに私に答えた。「父の墓や縁者の墓を。この機会を逃してしまえば、二度と墓参りできないでしょうから。梨花さまは本日、どうなさいますか?」
「あなたについて行くわ」
即座に大山さんに答えると、
「梨花さま……俺の墓参りについてきても、面白くないと思いますよ」
大山さんは少し顔をしかめて私に言う。
「そんなことはないわよ。微行で知らない街を歩くこと自体が大事な勉強だもの。それに、あなた、私に鹿児島のことを色々教えてくれるって言ったじゃない」
私の言葉で、大山さんの表情が少しだけ動く。これは押せそうだと感じた私は、
「ちゃんと微行用の和服だって持ってきたのよ。それに、大山さんのお父様なら、主君である私も一言ご挨拶しなきゃいけないでしょう」
と、無理やり理屈を付け加えてみた。
「仕方がありませんな」
大山さんは苦笑すると、
「では梨花さま、恐れ多いことではございますが、俺の墓参りについてきていただけますか?」
と私に尋ねた。
「もちろんよ」
私はニッコリ笑った。
「お墓参りが終わったら、お土産を選ぶのに付き合ってほしいな。栽仁殿下にもだけど、万智子たちにもちゃんとしたお土産を渡さないと、“母上は何をしに行ったんだ”と言われてしまいそうだし」
「それはないでしょう。今回の行幸啓のことは、恐らく東京でも報道されております。きっと東京に戻られましたら、“母上は剣道を指南なさったのですか?”と、女王殿下方が質問なさいますよ」
「いや、ちょっとそれは……」
私が少し顔をしかめると、
「内府殿下による女学生への剣道指南……いかにも新聞記者諸君が飛びつきそうなネタではありませんか。きっと東京でも報道されているでしょう」
大山さんは微笑しながらこんなことを言う。
「新聞に載せるのは、勘弁してほしいなぁ。指南するこっちは疲れるんだから。昨日も、第一高等女学校の生徒と剣道をさせられて大変だったのよ。全力で断ろうとしたのに、女学校の校長先生が、“内府殿下用に稽古着と防具と竹刀を作らせた”って言い始めたから断れなくなってさぁ……」
話のついでに大山さんに愚痴ると、
「それは当然でございましょう。宮崎での話を聞きましたら、梨花さまがご視察なさる予定の女学校の生徒たちは、梨花さまに剣道の稽古をつけてもらいたがります」
大山さんは不思議そうに私に返した。
「だからって、私が宮崎の女学校に行ってからたった数日で、稽古着と防具と竹刀を作っちゃうのはおかしいって。しかも、妙にサイズが合っていたし」
そう言って唇を尖らせた私の脳裏に、ある突飛な発想が浮かんだ。
(いや……でも……これが本当なら、プライバシーが漏洩したってことになるんだけど……)
「どうなさいましたか?」
発想を吟味していると、大山さんが私に尋ねてきた。
「いや……、宮内省の誰かが、私の身体のサイズを女学校側に漏らしたんじゃないかと思ってね」
素直に思い浮かんだことを話すと、
「ほう……」
大山さんの両目がスッと細くなった。
(は、犯人いたー!)
この反応は、実際に女学校側に私の身体のサイズを漏洩した人間でなければしない。私が大山さんを追及しようと口を開いた瞬間、
「内府殿下の人気は、今や日本全国どこでも非常に高いです。そんな内府殿下でしたら、微行の最中に、“ここに内府殿下がいらっしゃるぞ!”と俺が叫べば、たちまち民衆に取り囲まれるでしょうなぁ」
大山さんはのんびりした口調でこう言った。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
「大山さん……まさか、私を脅してるの?」
「脅すなどとはとんでもない。俺はただ、仮定の話をしているだけでございます。もっとも、梨花さまの行動によっては、その仮定が本当に起こるかもしれませんが」
私の問いに、大山さんは不敵な笑みを崩さずに答える。……どう考えても、脅しにしか聞こえない。けれど、微行で鹿児島の街を歩きたい今の私には、非常に効く脅しだ。
「……とりあえず、サイズが漏洩したかもしれない件については、何も言わないことにするわ」
私が両肩を落として言うと、
「さようでございますか。まぁ、仮定の話ばかりしていても仕方ありませんからな」
大山さんは満足げに頷いた。
「とにかく、この後の微行、私の正体がバレないように案内してよ」
念を押した私に、
「もちろんでございます。誠心誠意、ご案内させていただきます」
大山さんはしっかり請け負ってくれたのだった。
午前8時、紺の無地の和服を着て、髪型も束髪に変えた私は、灰色の背広服を着た大山さんに連れられて、島津忠重公爵の別邸を出た。外は小雨がぱらついていたけれど、流しの人力車を捕まえることができたので、鹿児島駅までほとんど濡れずに行けた。
鹿児島の駅前からは、電気軌道に乗って鹿児島市内を南下する。郡元の駅で降りて数分歩くと、大山さんのお父様が眠る墓地に着いた。
「新しい墓石が多い気がするわ……。本当に、ここに大山さんのお父様のお墓があるの?維新の前に亡くなったんでしょ?」
左右を観察しながら私が尋ねると、
「昔はもう少し街中の、南林寺という所に墓があったのです」
と大山さんは答えた。「しかし、市街地を広げるために、そこにあった墓を改葬することになりました。それで、ここの墓地に大山家の墓を移したのです。周りの墓も、同じようにして南林寺から移ってきたものが多いと思います」
「なるほどね……それなら話が合うわ」
私が頷いた時、手元の紙を覗きながら歩いていた大山さんが「ああ、ここです」と明るい声を上げる。どうやら、お父様のお墓を見つけたらしい。墓石に手桶の水をひしゃくでかけ、大山さんがあらかじめ買っていた花を供える。ろうそくに火をつけて、その火を線香に移すときは、私が傘を差しかけて雨から火を守った。
「ありがとうございます。しかも、色々と手伝っていただいて……泉下で父が驚いていることでしょう」
大山さんと一緒にお墓に手を合わせた後、大山さんは私にお礼を言った。
「別にいいのよ。あなたは私の育ての父だから」
恐縮する大山さんに私は笑って答えると、「他にも、お参りするお墓があるんでしょ?」と尋ねた。
「はい……」
首を縦に振った大山さんは、
「実は、浄光明寺の、薩軍墓地の中にございまして……」
と私に言う。
「浄光明寺って、この前参拝したところね」
あの時は、墓地に眠る戦没者全員に拝礼した。けれど、何度参拝しても構わないだろう。
「いいよ、一緒に行きましょう。まだ雨が降っているから、火をつける時、私が傘を差しかけた方がやりやすいしね」
私は明るく応じると、大山さんと一緒に郡元駅への道を歩き始めた。
浄光明寺は鹿児島駅から北西に少し離れたところにある。だから、電気軌道でまた鹿児島駅前に戻らなければならない。郡元駅まで戻る間も、駅で電車を待っている間も、電車に乗っている間も、大山さんは一言も発しなかった。もちろん、鹿児島駅から浄光明寺へ向かう間も、途中の花屋で花束をいくつか買った時以外は、大山さんは黙りこくっていた。
浄光明寺に入ると、小雨の中、何人かの墓参者が薩軍墓地の方から下りてきた。どこからか、湿り気を帯びた線香の匂いもする。その中を、大山さんはスタスタと薩軍墓地の方へと歩いていく。私も彼の背中を追った。
大山さんはまず、中央にある西郷隆盛さんのお墓に向かう。持っていた手桶からひしゃくで水をかけ、花立に花を入れ、ろうそくに火をつけて線香に火を移す。そして、手を合わせて瞑目した。私も大山さんのそばで、西郷隆盛さんの冥福を祈り、大山さんを育ててくれたお礼を心の中で言った。
続いて大山さんは、西郷隆盛さんの墓の横に並ぶ墓石群に向かう。“村田新八”“篠原国幹”“桐野利秋”など、私が西南戦争の記録を読んだ時に見た名前がずらりと並んでいた。その墓石の前でいちいち立ち止まり、
「これは、俺と一緒に戊辰の役で戦った者です」
「この者は、俺と同じ町内で生まれ育ちました」
大山さんは私に説明しながら、墓石の前で手を合わせる。大山さんの身体が雨に濡れないよう、私は、腕を伸ばして傘を差しかけた。
そして、大山さんは墓石の列の後ろに回る。後ろにもまだ墓石は林立していて、小雨に静かに濡れている。その墓石の間を進み、大山さんは“西郷小兵衛墓”と刻まれた墓石の前で足を止めた。
「このお墓は……?」
そう尋ねた私に、
「吉之助さぁの末の弟……俺の従弟の墓です」
大山さんは静かに答えた。
「?!」
私は思わず息を飲んだ。“吉之助”というのは、西郷隆盛さんのことだ。西郷隆盛さんに、梨花会の一員である西郷従道さん以外の弟がいたとは知らなかった。
「綺麗にしてくれていますな。寅太郎どんか信吾どんが掃除したのかもしれません」
その場に立ち尽くしてしまった私をよそに、大山さんは墓石にひしゃくで手桶から汲んだ水をかけ、花立に買ってきた花束を立てる。私は慌てて残りの作業を手伝った。
「小兵衛どんは、西南の役の序盤……熊本の近くで戦死したそうです」
2人一緒に墓石に祈りを捧げると、大山さんは私に言った。
「そうだったのね……」
「顔も性格も、吉之助さぁに似ていました。生きていれば、どんな大人物になったことか……」
こう呟いた大山さんは、「さぁ、行きましょう。ここで終わりではないのです」と言い、右の方へ歩いていく。大山さんの足が止まったところにある墓石には、“大山辰之助墓”と刻まれていた。
「ここは、俺の兄の子の墓です」
「大山さんのお兄さんの子供……?」
これまた、聞いたことがない。そもそも、大山さんの兄弟や両親のことを、突っ込んで聞いたことが無いのだけれど……。戸惑っていると、
「亡くなった時は、まだ17歳でした。西南の役の中盤、海路で鹿児島にやってきた官軍を追い払おうとして、小銃の弾に当たり……」
説明する大山さんの声が、不意に途切れた。彼の目に、涙の滴が見える。
「俺はその時、官軍の将として、鹿児島におりました。辰之助は、捕らえられ、俺の所まで、運ばれてきたのですが、その時には、もう、事切れる寸前で……そのまま……」
大山さんの声は、涙でかき消された。声を上げて泣く我が臣下の身体を、私はそっと抱き締めた。
「大山さん……」
泣き声が静かになったころを見計らって、私は声を掛けた。
「私は、もっと頑張るよ。この国で、理不尽な死が起こらないように。そして、戊辰以来の戦で戦死した人たちの冥福を、敵味方の区別なく祈って、傷ついた人たちの心身の回復を助けられるように」
「梨花さま……」
涙に濡れた瞳で、大山さんは私を見下ろす。その瞳をしっかり見つめて、
「だから……まず、大山さんから」
と私は言った。
「泣きたいだけ、泣いていいよ。それで少しでも大山さんが楽になるなら、私の肩を貸すわ」
大山さんは黙って首を縦に振ると、少し身体を屈めるようにして、私の右肩に顔を埋める。
私は初めて、我が臣下の頭を優しく撫でた。
辰之助さんのお墓に花を供えて祈りを捧げ、浄光明寺を辞した時、腕時計の針はちょうど11時を指したところだった。
「雨……上がったわね」
傘を閉じながら大山さんに話しかけると、
「ええ、そのようですね」
と、大山さんも傘を畳みながら言った。
「これから、お土産のお買い物がありますのに、雨では荷物が持ちにくいですからな。……ところで梨花さま、どんな物を買うかは決めていらっしゃるのですか?」
「まぁ、反物が無難かな」
私は歩きながら、大山さんに微笑を向けた。「少なくとも、栽仁殿下と子供たちと母上には、反物がいいと思っているの。大島紬とか薩摩絣とかは有名でしょ。ただ、お母様、それからお義父さまとお義母さまとお祖母さまは、紬や絣はお召しにならないから、どうしようかな、と思って……」
すると、
「では、陶磁器はいかがでしょうか」
大山さんは隣を歩きながら私に提案した。「薩摩焼は海外でも有名です。維新の直前、薩摩藩はパリ万博に薩摩焼を出展し好評を博しました。薩摩焼ならば、皇太后陛下と有栖川宮殿下のお気に召すものがきっと見つかると存じますが……」
「よし、じゃ、大山さんの言う通りにしましょう」
私は頷くと、大山さんに笑顔を向けた。
「では、このまま駅の方まで歩いて参りましょうか。反物や薩摩焼を扱う店が、いくつか駅の近くにありましたから」
「そうね。大山さん、エスコートしてくださる?」
私の依頼に大山さんが「喜んで」と左手を差し出した瞬間、
「ないごて?!」
突然、大きな声が往来に響いて、私は足を止めた。前方に5、6歳ぐらいの男の子を連れた和装の女性の姿がある。親子だろうか。今大きな声で叫んだのは、その男の子の方であるようだ。
(“ないごて”って、確か、“どうして”“なぜ”って意味だったっけ……)
僅かな薩摩弁の知識を必死に思い出していると、
「ないごて、天皇陛下は敵軍の墓に行っとな?!」
男の子が再び叫ぶ。「静かにしやんせ」と注意する母親に、
「天皇陛下が行ったぁ、西郷どんの墓だけでよか!」
と男の子は更にまくし立てている。
(西郷さんの敵軍の墓地って……ひょっとして、官軍墓地に兄上が行ったのを怒っているの、あの子?!)
「いかがなさいましたか?」
「……まだ、隔たりは大きいな、って思ったの」
私は大山さんに答えてため息をついた。「西南戦争から45年経っているけれど、鹿児島では、官軍への憎しみが強いのね。東北でもそうだったけれど……。敵味方の区別なく、心を一にして同じ目標に向かって励む、なんて、やっぱり夢物語でしかないのかしら……」
「梨花さま……」
大山さんが寂しそうに言った時、
「あのな、坊や」
という男性の声がした。見ると、先ほどの男の子に、焦げ茶色の背広服を着た男性が話しかけている。
「天皇陛下が敵軍の……官軍の墓地をお参りなさったのは、西郷さんも官軍も、天皇陛下が大事と思っていたからだよ」
立派な顎ひげと口ひげを生やした瀟洒な背広服の男性は、男の子に熱心に話しかけている。彼の横顔を見て、私はアッと叫びそうになった。
「天皇陛下が大事?」
首を傾げた男の子に、
「ああ、そうだ。たどり着いた結論はそれぞれ違う。しかし、それぞれの考えの根元にある天皇陛下を大切に思う気持ちは、官軍も薩軍も変わらないのだ。だから天皇陛下は、官軍の墓にも薩軍の墓にもお参りなさったのだよ」
背広服の男性は話し続けている。
「そうなんか?」
「ああ。今はまだ分からないかもしれないが、勉強を続けたら、きっと分かるようになる。だから、学校でうんと勉強するんだよ」
男性の話に聞き入っている男の子の手を、母親が「ほら、もう行っど」と言って引っ張る。男の子が男性に向かって名残惜しそうに頭を下げ、母親に連れられてその場を去ると、大山さんと頷きあった私は、男性の元へ全速力で駆けた。
「あ、兄上……」
「おう、梨花と大山大将か」
私の声に、立派な顎ひげと口ひげを生やした背広服の男性は、振り返って笑みを投げた。彼が発した声は、まぎれもなく、私のたった1人の兄のものだ。
「何やってんのよ。あんなに顔を近づけたら、正体がバレるわよ」
私がツッコミを入れながら、変装している兄に近づくと、
「すまんな。あの子の言うことが放っておけなくて」
兄は普段と違うひげもじゃの顔に苦笑を浮かべた。
「俺たちがいくら行動しても、実際に刃を交えた者たちや心身に傷を負った者たちは、“所詮は綺麗ごとだ”と否定的にとらえるだろうな。しかし、抱いた怒りや悲しみが、俺たちの行動でいつか癒され昇華されて、この国に暮らす人々の心が一になる日が来ると俺は信じている。国を医すために、できることは少しでもやらなければな」
「それはまぁ……確かにそうね」
兄はとても立派なことを言っている。それは尊敬すべきことなのだけれど、確認しなければならないことがいくつかある。それを私が言葉にする前に、
「恐れながら……同行者はいらっしゃいますか?」
大山さんが私の疑問を言葉にしてくれた。
「ああ。侍従長と相談の上での微行だから、何人も護衛がいるぞ。俺に悟られないように気を遣ってくれているが」
大山さんに兄が苦笑しながら答える。大山さんは数瞬黙った後、「確かに」と小声で言う。私にはよく分からないけれど、どうやら陰から院の手の者が兄を警護しているらしい。
「あと、節子はそこの店にいるが……梨花、俺たちの買い物に付き合わないか?裕仁たちに、土産を買おうと思っているのだが」
「いいわよ。私もお土産を買おうと思っていたの。一緒に行きましょ」
私の答えに満足げに頷くと、変装した兄は、商店が固まる一角へとずんずん歩いていく。私と大山さんは、慌てて兄の後を追った。
※一応、今回の行幸啓編を書くに当たって参考にした資料を挙げておきます。
鹿兒島市 編纂『鹿兒島市史』,鹿兒島市,1916.3.
下園三州児 編『新鹿児島』,吉田書店,大正4.
陸上自衛隊北熊本修親会 編『新編西南戦史』本編,原書房,1977.3.
下村海南, 飯島曼史 著『南遊記』,朝日新聞社,昭和10.
『図録維新と薩摩』,南日本放送,1968.
鹿児島市史編さん委員会 編『鹿児島市史』第1,鹿児島市,1969.
永見徳太郎 編『珍らしい写真』,粋古堂,昭和7.
鹿島晃久, 福田敏之 編著『薩摩島津古写真集』,新人物往来社,1986.12.
参謀本部陸軍部編纂課 編『征西戦記稿』第1−22巻,陸軍文庫,明20.5.
鹿児島県維新史料編さん所 編『鹿児島県史料』西南戦争 第1巻,鹿児島県,1978.1.
黒竜会 編『西南記伝』下巻 2,黒竜会本部,明42-44.
座右宝刊行会 編『日本の旅』第8 (九州),小学館,1965.
野田宇太郎 著『九州文学散歩』,創元社,1953.
『西南之役戦亡者墓碑銘並ニ諸将略伝 : 附・戦乱出軍者並ニ死傷者概表』,大道館本部,昭和2.
※あと、薩摩弁は適当です。ご了承ください。




